学位論文要旨



No 128109
著者(漢字) 髙木,俊
著者(英字)
著者(カナ) タカギ,シュン
標題(和) 大型草食獣が植物の量と質の変化を介して植食性昆虫に与える影響の時間スケール依存性
標題(洋) Time-scale dependency of plant biomass- and trait-mediated indirect effects of large herbivores on phytophagous insects
報告番号 128109
報告番号 甲28109
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3825号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生圏システム学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 宮下,直
 東京大学 教授 岸野,洋久
 東京大学 講師 鈴木,牧
 東京大学 准教授 吉田,丈人
 東邦大学 講師 瀧本,岳
内容要旨 要旨を表示する

第1章:序論

生物の間接的な相互作用は、密度介在間接効果と形質介在間接効果に大別され、その相対的強さによって最終的な間接効果の強さや方向性が決定される。密度の変化は世代を通じて徐々に影響が蓄積すると考えられるが、表現型可塑性による個体の形質の変化は迅速であり、反応の時間スケールに差があるため、両プロセスの相対重要性は時間スケールによって変化すると考えられる。しかし、介在者の密度と形質の変化を介した間接効果が、受け手の密度に与える影響を、時間スケールを明示的に考慮し、定量的に評価した研究はこれまでなかった。特に、野外の変動環境下においては、短期的な影響の強弱が系の挙動を大きく左右する場合もあれば、長期的な影響が系の特徴を決定する場合もあるだろう。「大型草食獣-植物-植食性昆虫」3者系では、植物の量と質を介した間接効果の重要性が指摘されている。植物の量的変化はしばしば数十年といったスケールで観測されるのに対し、採食後の補償生長や誘導防御による質的変化はごく短期的な実験でも観測される。草食獣の密度変化のパターンによって、植物の量の変化が重要になるか、質の変化が重要になるかが変わることが予想される。本論文では、まず「大型草食獣-植物-植食性昆虫」3者系を対象としたメタ解析から、一般的傾向の探索を行った後、「シカ-オオバウマノスズクサ-ジャコウアゲハ」を事例として、密度と形質を介した間接効果の時間スケール依存性を検証した。

第2章:「大型草食獣-植物-植食性昆虫」系の間接効果の一般的傾向

「大型草食獣-植物-植食性昆虫」の間接効果には、正の影響、負の影響、または特定の影響の方向性が見られないものが含まれる。影響の背景には、植物の量的変化、質的変化のプロセスが関わっているため、これらのプロセスがどのような状況で強く(弱く)なりやすいかに着目することで、影響の方向性が予測できると考えた。全体的な傾向として、昆虫への影響は負の方向に検出されるものが多かった。負の影響は、介在する植物の量の減少が大きいほど、おこりやすいと考えられるが、それは植物のタイプや実験デザインでも異なっていた。植物の生活型の違いは影響の方向性を左右し、高木種を介した間接効果では正の影響、低木や草本を介したものでは負の影響がでやすかった。5年以内の短期的な影響を見たものでは正の影響が多く、5年より長期の研究では負の影響が多い傾向があった。正の影響が生じやすかった「高木種・短期スケール」という条件は、植物の量的変化が起こりにくい条件である。植物の質的変化と量的変化の相対的重要性がどのような状況で変化するかを想定することで、間接効果の方向性をある程度予測できることがわかった。

第3章:「シカ-オオバウマノスズクサ-ジャコウアゲハ」系における形質介在間接効果

千葉県房総半島におけるシカ個体群は、過去15年間の密度変化の空間情報が得られており、地域間の比較によって過去から現在までの採食圧の影響を探ることができる。本章では、この系における形質介在間接効果のプロセスを推定した。排除柵を用いた実験の結果、シカの採食はオオバウマノスズクサの補償生長を誘導した。採食を受けたオオバウマノスズクサは、葉の量が減るものの、新葉の割合を増加させ、窒素量や物理的な葉の硬さが改善された。シカの生息密度が異なる地域間の比較の結果、シカ密度が高い地域ほど、オオバウマノスズクサの新葉割合も増え、ジャコウアゲハの新葉利用率も増加する傾向が見られた。次に、質の異なる葉でのジャコウアゲハ幼虫の飼育実験を行ったところ、質の良い葉を与えた処理では、幼虫の生存率と成長率が上昇し、蛹の休眠率は低下した。オオバウマノスズクサが示す採食に対する可塑的な形質変化と、ジャコウアゲハが示す植物の質的変化に対する可塑的な生活史の調節の組み合わせにより、正の形質介在間接効果が起きると考えられた。

第4章:シカがジャコウアゲハに与える間接効果の時間スケール依存性

シカがオオバウマノスズクサの量と質を介してジャコウゲハの密度に与える影響の時間スケール依存性を、階層ベイズモデルを用いて推定した。オオバウマノスズクサが採食の影響を完全には補償できない場合、一定の割合で影響が翌年に持ち越されることが想定される。影響の持ち越し率が高いほど、長期的に影響が累積することを意味するため、持ち越し率の推定により、植物の反応の時間スケールを定量的に評価した。シカ密度の履歴が異なる30地点において、オオバウマノスズクサの量と新葉割合のパターンを調べるとともに、8地点でジャコウアゲハの観察個体数を調査し、シカがオオバウマノスズクサに与える影響の時間スケールを推定し、それがジャコウアゲハの個体数にどの程度波及するかを推定した。シカがオオバウマノスズクサの量に与える影響は負に作用し、それには長期的なシカ密度が強く関係性していた。一方、シカがオオバウマノスズクサの新葉率に与える影響は正に作用し、現在のシカ密度が強く関係していた。シカがジャコウアゲハに与える影響は、オオバウマノスズクサの量の減少を介した負のプロセスと、質の向上を介した正のプロセスの足し合わせで決定される。当年の採食による効果のみに注目すると、質を介した正の影響が相対的に強く、合計の間接効果も正の傾向を示した。一方、累積的な効果に着目すると、質を介した正の効果と量を介した負の影響が打ち消しあい、合計の間接効果には明確な傾向は見られなかった。

第5章:総合考察

以上の結果から、大型草食獣が昆虫に与える間接効果は、時間スケールによって異なり、また時間スケール依存性は、迅速な正の形質介在間接効果と、累積的な負の密度介在間接効果の組み合わせによって生じることがわかった。本研究は、密度介在間接効果と形質介在間接効果の相対的な強さが時間スケールとともに変化することを実証した初の例である。大型草食獣の採食がもたらす負の影響は、長期に累積することで影響力が増す。また、大型草食獣の増加のような長期的な環境変化に対する生態系の応答を考えるうえでは、最終的な平衡状態だけでなく、平衡状態に至るまでの推移過程も重要になる。本研究のように反応の時間スケールを定量的に評価できれば、予測される累積的な影響に基づいて管理目標が設定できるだけでなく、管理実施後の効果が時間経過とともにどのようにあらわれるかの予測も可能になる。

審査要旨 要旨を表示する

生物間の間接的な相互作用は、生物群集の構造や動態に対して、直接の相互作用と同等かそれ以上の影響力をもっていることがしられている。間接効果は、それを介在する種の反応により、密度介在間接効果と形質介在間接効果に大別される。密度の変化は世代を通じて影響が累積するが、表現型可塑性による個体の形質変化は迅速であり、反応の時間スケールに大きな違いがあると考えられる。このように、2種類の間接効果の相対的重要性は時間スケールによって変化すると予想されるが、時間スケール依存性を定量的に評価した実証研究は存在しない。本研究では、「大型草食獣-植物-植食性昆虫」3者系に着目した。植物の量的変化はしばしば数十年といったスケールで観測されるのに対し、採食後の補償生長や誘導防御による質的変化はごく短期的な実験でも観測される。本論文では、まず「大型草食獣-植物-植食性昆虫」3者系を対象としたメタ解析から、一般的傾向を明らかにした後に、「シカ-オオバウマノスズクサ-ジャコウアゲハ」を事例として、密度と形質を介した間接効果の時間スケール依存性を検証した。

2章では、「大型草食獣-植物-植食性昆虫」における間接効果の既存研究を整理し、どのような状況で正または負の影響が生じやすいかを探索した。昆虫に対しては全体として負の影響が多く検出されたが、植物の特性や実験デザインによりその傾向は異なっていた。介在者である植物が高木の場合には正の影響、草本では負の影響が多くみられた。また単位面積当たりの昆虫密度で評価した研究では負の影響が多く、単位植物量あたりの昆虫密度で評価した研究では正の影響が多くみられた。また、長期研究では負の影響が多い傾向があった。植物の生活型や時間スケールに着目することで、間接効果の方向性をある程度予測できることがわかった。

3章では、「シカ-オオバウマノスズクサ-ジャコウアゲハ」系における形質介在間接効果のプロセスの解明を目的とした。千葉県房総半島のシカ個体群は、過去15年間の密度変化の空間情報が得られており、地域間比較から採食の影響を探ることができる。排除柵を用いた実験の結果、採食を受けたオオバウマノスズクサは、葉の量が減るものの、質の良い新葉を展開した。シカの生息密度が異なる地域間の比較の結果、シカ密度が高い地域ほど、オオバウマノスズクサの新葉割合も増え、ジャコウアゲハの新葉利用率も増加した。質の異なる葉を用いてジャコウアゲハ幼虫を飼育したところ、質の良い葉を与えた処理では、幼虫の生存率と成長率が上昇し、蛹の休眠率は低下した。オオバウマノスズクサが示す採食に対する可塑的な形質変化と、ジャコウアゲハが示す植物の質的変化に対する可塑的な生活史の調節の組み合わせにより、正の形質介在間接効果が起こると考えられた。

4章では、シカがオオバウマノスズクサの量と質を介してジャコウゲハの密度に与える影響の時間スケール依存性を、階層ベイズモデルを用いて推定した。オオバウマノスズクサに対する採食の影響が、一定の割合で翌年に持ち越されることを想定し、影響の持ち越し率を推定して植物の反応の時間スケールを評価した。推定には、シカ密度の履歴が異なる30地点でオオバウマノスズクサの量と新葉割合のパターン、および8地点におけるジャコウアゲハの個体数のデータを用いた。解析の結果、シカがオオバウマノスズクサの量に与える影響は負に作用し、長期的なシカ密度が強く関係していた。一方、シカがオオバウマノスズクサの新葉率に与える影響は正に作用し、現在のシカ密度が強く関係していた。シカがジャコウアゲハに与える間接効果は、オオバウマノスズクサの量の減少を介した負の影響と、質の向上を介した正の影響の足し合わせで決定される。当年の採食による効果のみに注目すると、質を介した正の影響が相対的に強く、合計の間接効果も正の傾向を示した。一方、累積的な効果に着目すると、質を介した正の効果と量を介した負の影響が打ち消しあい、合計の間接効果には明確な傾向は見られなかった。

以上本論文は、迅速な形質介在間接効果と、累積的な密度介在間接効果の相対的な強さが時間スケールとともに変化することを初めて実証したものである。変動環境における間接効果は影響の方向性や強さが状況依存的に変化し、長期的な密度介在間接効果が重要となる場合もあれば、短期的な形質介在間接効果が重要となる場合もある。本研究で示した時間スケール依存性の視点は、変動環境下における生物間相互作用の働き方とその帰結を予測するうえで非常に重要であり、学術上、応用上貢献するところが大きい。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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