学位論文要旨



No 128110
著者(漢字) 王,喆
著者(英字)
著者(カナ) ワン,ゼ
標題(和) 保全上重要性の高い霞ヶ浦湖岸の浮島湿原における植物種多様性の主要な維持機構
標題(洋) Key mechanisms maintaining the plant species diversity of a conservationally important wetland, Ukishima Marsh by Lake Kasumigaura
報告番号 128110
報告番号 甲28110
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3826号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生圏システム学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鷲谷,いづみ
 東京大学 教授 高村,典子
 東京大学 准教授 宮下,直
 東京大学 准教授 大黒,俊哉
 東京大学 准教授 吉田,丈人
内容要旨 要旨を表示する

第1章序論

現在、生物多様性の喪失が様々な生態系において進む中、湿地は、特に保全の緊急性が高い生態系であることが指摘されている。湿地を適切に保全する計画を立案するためには、そこでの生物多様性の維持機構の理解が不可欠である。植物の多様性維持機構としては、近年、中程度の撹乱やストレスが存在する環境における、植物種間のファシリテーションの重要性が認識されるようになった。もし同所的に生育する多くの種の生育環境を改善するファシリテーター種もしくは種群が存在するのであれば、その実態とファシリテーションの機構を生態学的に解明することは、衰退しつつある湿地植生の保全・再生の計画と実践にとって必須である。

本研究では、絶滅危惧植物が数多く(茨城県レッドリスト種19種、環境省レッドリスト種12種)分布し、在来植物の種多様性が高い霞ヶ浦湖岸の浮島湿原において、植物種多様性の維持に関わる主要な機構、特にファシリテーションに焦点を当てて明らかにすることを目的とした。

先行研究により、浮島湿原(約52 ha)の植生は一様ではなく、在来植物の種多様性が高く絶滅危惧種の出現頻度が高い場所は、以下の特徴を持つことが知られている。(1)植生上層の優占種であるヨシの密度が低い。(2)植生中層にはイネ科植物カモノハシが優占する。(3)地表面に蘚類のパッチが散在する。(4)伝統的な植生利用である冬季の刈取りが現在でも行われており、近年まで冬季の火入れも高頻度に行われてきた。(5)土壌水の栄養塩濃度が相対的に低い。

本研究では、このような特性を持つ場所における植物種多様性の維持機構について、次の排他的でない2つの仮説を立てて、野外調査と実験によりその検証を試みた。

1.カモノハシは、株もとに微高地を創出することにより、絶滅危惧種を含む多様な在来植物に発芽セーフサイトを提供することで、種多様性の維持に寄与するファシリテーターとして機能する(ファシリテーション仮説)。

2.伝統的な植生利用・管理である冬季の刈取りと火入れは、ファシリテーターであるカモノハシの成長に正の影響を与える(人為撹乱仮説)。

仮説1は第2章、第3章にて、仮説2は第4章にて検証を試みた。

第2章カモノハシが微高地の形成を通じて植物種多様性と絶滅危惧種に与えるファシリテーション

本章では、カモノハシおよびその株もとの微高地に依存する蘚類の生育と、同所的に生育する他種および種群全体の分布パターンとの関係を評価し、カモノハシをファシリテーターと考えることの妥当性を検討した。

植物種ごとの分布パターンを詳細に把握するため、カモノハシ優占域内において、2009年9月に10個のサブコドラート(0.1×0.1 m2)が連続するコドラートを9個設置し、出現した維管束植物種と地面の比高を調査した。カモノハシの出現がもたらす比高への効果については線型混合モデル、比高がもたらす蘚類の出現への効果については一般化線型混合モデルを用いて解析した。さらに、比高と蘚類の出現がもたらすカモノハシ以外の植物種および種群全体への効果については、階層ベイズモデルを用いて解析を行った。

その結果、カモノハシの出現は比高へ、比高は蘚類の出現へ、および比高と蘚類の出現は種群全体へ有意な正の効果を持つことが明らかにされた。種ごとの効果としては、4種で比高による有意な正の効果、3種で蘚類の出現による有意な正の効果が認められた。それらには、環境省レッドリスト絶滅危惧IB類であるカドハリイとII類であるヌマアゼスゲも含まれていた。

また、環境条件に関しては、カモノハシが形成する微高地上では、在来維管束植物の発芽・定着期の冠水頻度が有意に低く、微高地外の地表面に比べると1/8程度(降水量が平年並みであった2009年の場合)であることが明らかとなった。

これらの結果から、カモノハシは冠水しにくい微高地の形成による直接的ファシリテーション、および蘚類の生育可能性を高めることを介した間接的ファシリテーションの両方を通じて、種多様性の維持に寄与していることが示唆された。

第3章カモノハシ微高地により促進された在来維管束植物種の更新

本章では、カモノハシや蘚類のファシリテーション機構として、「種子からの発芽・定着に適した場所(発芽セーフサイト)の提供が重要である」という仮説を野外調査と操作実験により検証した。

蘚類を伴う微高地上、蘚類を伴わない微高地上、および微高地外の3種類の条件の場所に各12コドラート(0.25×0.25 m2)を設置し、2009年3月から9月まで二ヶ月に一度の頻度で、出現実生の種、個体数と生存/死亡を調査した。その結果、合計10種、約280個体/m2の実生が微高地上で観察されたが、蘚類の有無による有意差は認められなかった。これに対し、微高地外では実生が合計1個体しか確認されなかった。

さらに、出現実生数の違いに対する種子分布の不均一性の要因を排除するため、上記3種類の条件の場所それぞれに12コドラート(0.25×0.25 m2)を追加し、2009年3月に、カドハリイ、チゴザサ、コイヌノハナヒゲの3種の休眠解除処理をした種子を、コドラートあたり50粒ずつ追加播種し、出現実生数を調査した。その結果においても、微高地外ではカドハリイ1個体を除いて実生の出現が確認されなかった。

これらのことから、カモノハシが形成する微高地は、在来植物の発芽セーフサイトとなることにより、多様性の維持や絶滅危惧種の存続に寄与していることが示唆された。蘚類による効果は明瞭には認められず、調査年の気象条件に依存する可能性が示唆された。

第4章伝統的植生利用と管理が主要なファシリテーター植物であるカモノハシの成長にもたらす効果

第2章、第3章の研究を通して、カモノハシが湿地の植物に対するファシリテーターであることが検証された。本章では、冬季の刈取りや火入れがカモノハシの成長にもたらす効果を解明するための野外実験を行った。野外実験では、これらの伝統的な植生利用や管理が湿地の植物の主要な生育条件に及ぼす影響を合わせて明らかにした。

カモノハシ優占域内に3つの調査プロット(25×25 m2)を設定し、各プロット内に火入れ処理区、刈取り処理区、対照区を設け、刈取りと火入れの処理を2009年3月末に行った。その後、各処理区内でカモノハシの株を9個体ずつ選び、個体あたり10シュートに標識し、処理直後にあたる4月と開花期にあたる9月にバイオマスを評価した。その結果を用いて、主要な成長期間における相対成長速度を算出した。相対成長速度は、シュート単位で分析することに加え、個体あたりのシュート数の変化を加味することにより個体単位での分析も行った。また、それぞれの処理区内にコドラート(1×1 m2)を9箇所設置し、植物群落の種組成や構造を記録するとともに、群落内の高さに応じた光条件(相対光合成量子密度)および地面温度を測定した。

その結果、シュート単位の相対成長速度は、火入れ処理区では対照区の約1.5倍、刈取り処理区では対照区の約1.3倍と有意に高かった。個体あたりの相対成長速度にも同様な有意差が認められた。

また、刈取りや火入れが行われた場所では、主に前年のヨシ等の枯死体が除去されることにより、カモノハシやより小型の在来湿生植物が利用する群落中・下層における光利用性が増加し、かつ地面の積算温度が高くなることが示唆された。これらの条件は、カモノハシの高い相対成長速度に寄与しているものと推測される。また、刈取りや火入れを行った場所では温度の日変動も大きく、多くの湿地生植物の種子発芽が促進される条件となることも確認された。

第5章結論

本研究では、野外調査と操作実験を通して、「ファシリテーション仮説」および「人為撹乱仮説」の妥当性を明らかにした。すなわち、カモノハシが在来植物の種多様性の維持に寄与するファシリテーターであること、および冬季の刈取りと火入れがカモノハシの成長に正の影響を与えることが分かった。

浮島湿原の管理では、保全上重要な役割を担うカモノハシの成長と分布範囲の動態をモニタリングするとともに、それらに影響する要因を順応的に管理する必要があると考えられる。本研究では、先行研究で指摘されていた水位や水質条件に加え、火入れや刈取りなど適度な人為攪乱も重要であることが示された。これらの伝統的な植生管理・利用は、社会条件の変化に伴って衰退しつつある。本研究の成果は、保全を目的とした伝統的手法を活用した管理の重要性を示唆している。

本研究で採用した、ファシリテーションを考慮して植物種多様性維持機構を解明するアプローチや、伝統的な人間活動の効果を実験的に検証するアプローチは、前例が少ないものの、植物の生育に対するストレスや攪乱が卓越する低湿地における種多様性維持機構の解明には、有効であると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

茅場として伝統的な利用・管理がなされてきた低地の湿地の多くが、開発や人為的環境変化、利用・管理の放棄などによって消失・縮小・変質し、そこに生育する在来植物の衰退が著しい。王氏は、今でも在来植物の比較的高い種多様性を有し、多くの絶滅危惧植物(茨城県レッドリスト種19種、環境省レッドリスト種12種)を残存させている霞ヶ浦湖岸の浮島湿原(約52 ha)の植物種の多様性維持に関わる主要な機構として、ヨシ原の中層に優占するカモノハシによるファシリテーション効果を研究した。ファシリテーションは、同所的に生育する種によって他種の生育が促進される効果であり、近年、植生における種多様性を維持する機構の一つとして注目されている。

浮島湿原の中には、モザイク状に相観や水質などの環境条件が異なる場所が認められる。在来植物の種がもっとも豊かな範囲は、土壌水の栄養塩濃度が相対的に低く、ヨシの下層にカモノハシが優占し、地表面に蘚類のパッチを伴い、冬季の茅の刈取りや火入れが継続されている場所である。王氏は、そのように特別な場所で種の多様性が高まる現象に関して、1)株もとに多様な在来植物の発芽・実生定着セーフサイトとなる微高地を形成つくることを通じてカモノハシが種多様性に寄与するファシリテーターとして機能するとする「ファシリテーション仮説」、および 2)冬季の刈取りと火入れは、ファシリテーターであるカモノハシの成長を促す効果をもつとする「人為撹乱仮説」の2つの仮説をたてて、野外調査によって得た植生・環境データを階層ベイズモデル等を用いて統計的に解析することによって検討した。

階層ベイズモデルによる統計解析の結果、「カモノハシの出現」は「比高」へ、「比高」は「蘚類の出現」へ、および「比高」と「蘚類の出現」は在来種群全体へ有意な正の効果をもたらすことが明らかにされた。また、環境省レッドリスト絶滅危惧IA類のカドハリイとII類のヌマアゼスゲを含む4種においては「比高」の有意な正の効果、3種においては、「蘚類」の有意な正の効果が検出された。

さらに、野外調査と種子添加実験によって、カモノハシが形成する微高地上では春から初夏にかけての冠水頻度が有意に低く、多くの在来植物の実生が出現したのに対して、冠水頻度の高い微高地外では実生の定着はほとんど認められなかった。これらの事実から、仮説1)の妥当性が示された。

カモノハシ優占域内における実験的な火入れおよび刈り取りを行い、それらの処理がカモノハシの季節的な成長に及ぼす影響を検討した結果からは、これらの処理を施したところでシュートの相対成長速度が大きいことが示され、仮説2)の妥当性も確かめられた。

また、処理によりカモノハシの下層における光利用性が増加し、かつ地面の温度と日較差が大きくなった。このような光・温度条件は、カモノハシの成長を促し微高地の形成を介して、あるいは、地表面近くの光利用性や温度環境の改変を通じて、湿地生植物の種子発芽や実生の生残・成長に直接的な正の効果をもたらすことが示唆される。

王氏の研究によって、カモノハシは、株もとの微高地形成によるファシリテーション効果を介して当該湿地の植物の多様性維持に寄与していること、さらに、本種を茅として利用するための刈り取りや火入れが、カモノハシの良好な成長を介して、あるいは発芽・実生期の微環境の改善を通じて、絶滅危惧種を含む在来種の多様性に寄与している可能性が明らかにされた。

本研究により得られた知見は, 植物の種多様性に及ぼすファシリテーションの役割に関して明瞭な事例を追加する学術的な意義に加え、茅場として伝統的に利用されてきた湿地植生の管理・保全・再生の実践に重要な示唆を与えるものであり、社会的な有用性が高い。

したがって、審査委員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

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