学位論文要旨



No 128111
著者(漢字) 尾添,淳文
著者(英字)
著者(カナ) オゾエ,アツフミ
標題(和) RNAを含むインスリン受容体基質複合体の翻訳制御における新機能の解明
標題(洋)
報告番号 128111
報告番号 甲28111
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3827号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 高橋,伸一郎
 東京大学 教授 西原,眞杉
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 准教授 田中,智
 東京大学 准教授 前田,達哉
内容要旨 要旨を表示する

インスリンやインスリン様成長因子(IGF)は、物質代謝の同化を促進、異化を抑制し、また多くの細胞種の増殖や分化を誘導、細胞死を抑制することにより、動物の発達・成長・成熟・代謝・老化の制御に重要な役割を果たしているホルモンである。これらの生理活性は、生体の置かれた状況に応答して巧妙に調節されることにより、生体は環境の変化に適応し生命の維持が可能となっている。一般に、インスリンやIGFは、標的細胞の細胞膜に存在する特異的な受容体に結合すると、受容体に内蔵されているチロシンキナーゼが活性化、これがインスリン受容体基質(IRS)をチロシンリン酸化する。このチロシンリン酸化IRSを認識して相互作用する下流シグナル分子が下流情報伝達経路を活性化し、広範な生理活性が発現すると考えられている。我々の研究グループでは、種々の細胞外因子によってインスリンやIGFの生理活性が調節される機構を解析する過程で、IRSにチロシンリン酸化を介さずに多くのタンパク質が相互作用し巨大なシグナル複合体を形成しており、これらによりIRSのリガンド依存的なチロシンリン酸化や下流シグナル経路が修飾される結果、生理活性が調節されることを見出してきた。更に、IRSと共免疫沈降するタンパク質を質量分析法で、あるいはIRSと相互作用するタンパク質をコードする遺伝子をyeast two-hybrid 法で同定したところ、これらの中には、mRNAのpoly(A) tail に結合するpoly(A) binding protein cytoplasmic 1(PABPC1)、メチル化活性によってRNAのスプライシングを制御することが知られているprotein arginine methyltransferase 5(PRMT5)、methylosome protein 50(MEP50)、スプライソソーム構成タンパク質など、RNA代謝に関連する分子群が多数含まれていた。また、IRSは、RNA自身とも相互作用し、RNAを含む複合体を形成していることも明らかとなった。そこで私は、IRSがRNAやRNA代謝に関与するタンパク質と相互作用することにより、RNAの翻訳や成熟・安定性等が制御、その結果、インスリン/IGFのタンパク質合成促進などの生理活性発現が調節されるという作業仮説を構築し、この観点からIRSの新規機能を解明することを本研究の目的とした。

1.IRSと翻訳マシナリーの相互作用

これまでの研究でPABPC1がIRS-1と相互作用するタンパク質として同定されていることから、IRS-1複合体にはmRNAが構成因子として含まれ、これを介して翻訳開始因子も存在している可能性が考えられた。そこでまず、mRNAのcap構造に結合するeIF4EやeIF4G、pioneer round of translation におけるmRNAの品質管理等に重要な役割を果たしているexon junction complexに含まれるeIF4A3が、IRS-1複合体内に存在するかを検討した。ヒト乳癌細胞MCF-7より抗IRS-1抗体で内在性のIRS-1を免疫沈降し、沈降物を上記の分子に特異的な抗体を用いたimmunoblottingに供した結果、IRS-1複合体にはPABPC1に加えて、eIF4EやeIF4G、eIF4A3も存在することが明らかとなった。続いて、IRS-1を免疫沈降後、沈降物にRNase処理を施したところ、これらのタンパク質がIRS-1複合体から解離したことから、IRS-1はRNAを介してこれらの因子と間接的に相互作用していることがわかった。また、MCF-7細胞をIGF-Iで刺激し、同様に共免疫沈降法で相互作用を検討した結果、IRSと翻訳開始因子との相互作用が増加しており、更に増殖期のMCF-7細胞の細胞質抽出液をスクロース密度勾配遠心分画に供するとIRS-1がpolysome画分に分画された。他の結果を併せ、IRS-1は、増殖刺激の有無に関わらずmRNA-protein complex (mRNP) と相互作用しているが、増殖刺激に応答して起こる翻訳活性化状態では翻訳マシナリーの足場として機能し、翻訳促進に新しい機構で関与しているものと結論した。

2.IRSとmRNAの相互作用

続いてIRS-1と相互作用するmRNAの同定を試みた。IRS-1の共免疫沈降物に含まれるタンパク質を質量分析法により、RNA結合ドメインを有するタンパク質、Ras-GAP SH3-domain-binding protein (G3BP1) が同定された。そこでRNase非存在下あるいは存在下でIRS-1を免疫沈降後、G3BP1との相互作用をimmunoblottingにより検討した結果、RNase処理の有無に関わらずG3BP1とIRS-1の相互作用が維持された。この結果は、G3BP1とIRS-1の相互作用は、RNAを介さないタンパク質-タンパク質間相互作用であることを示しており、G3BP1が自身のRNA結合ドメインを介して結合するmRNAがIRS-1複合体中に含まれている可能性が考えられた。G3BP1は、DNA損傷など様々なストレスが負荷された細胞においてcap構造非依存的に誘導されるタンパク質合成が誘導されるmRNAの5'末端の非翻訳領域に存在するinternal ribosome entry site (IRES) と相互作用することが報告されている。そこでmRNAにIRESを有し、DNA損傷によりIRES依存性タンパク質合成が誘導されるbcl-2 mRNAとIRS-1が相互作用するかを調べることにした。MCF-7細胞から抗IRS-1抗体を用いて調製した免疫沈降物中よりRNAを抽出、bcl-2 mRNAに特異的なprimerを用いてRT-PCRを行い、bcl-2 mRNA由来のPCR産物の検出に成功した。続いてMCF-7細胞にIRS-1またはG3BP1に対するsiRNAを導入し、それぞれのタンパク質発現を抑制したところ、どちらの細胞においてもBcl-2のタンパク質量が減少した。他の結果も併せると、IRS-1-G3BP1複合体がbcl-2 mRNAと相互作用し、これらがbcl-2のIRES依存的な翻訳を促進していると推定された。そこで、IRS-1がbcl-2 5'UTRのIRES活性に及ぼす影響を検討した。まずbcl-2の5'UTR全長をクローニングし、これを用いてcap依存的に翻訳開始されるRFP遺伝子とIRES依存的に翻訳開始されるGFP遺伝子を含んだbicistronic reporter plasmidを作成した。IRS-1を発現抑制したMCF-7細胞にこのplasmidを導入し、フローサイトメーターによりGFPタンパク質の陽性細胞を計数した。その結果、IRS-1発現抑制細胞では対照細胞と比較してIRES活性が低下していることが明らかとなった。これらを併せ、IRS-1はG3BP1との相互作用によりbcl-2 mRNAのcap非依存的な翻訳を制御していると結論した。Bcl-2は抗アポトーシス活性を有するタンパク質であることから、今後、今回明らかとなったIRSの新たな機能が、IGFの細胞生存活性発現に果たす役割を明らかにしたいと考えている。

3.IRSとsnoRNAの相互作用

IRS-1は既知のRNA結合ドメインは有していないが、RNAと直接結合する可能性も考えられた。そこで、in vivo UV-crosslinking and immunoprecipitation(CLIP)法によりIRS-1と直接相互作用するRNAの同定を試みた。CLIP法により同定されたRNAには、mRNAの他、non-coding RNAやrRNAも含まれていた。今回、同定されたnon-coding RNAの中で核小体小分子RNA(snoRNA) の一つ、U96A snoRNA(U96A)に注目して研究を進めた。U96A は、Receptor for Activated C Kinase 1 (RACK1) 遺伝子のintron 2内にコードされているが、RACK1のスプライシングと共役して産生された後、部位特異的転写された5.8S rRNAにメチル化修飾を引き起こす酵素をガイドする。まずIRSとU96Aの相互作用をゲルシフト法や免疫沈降法により検討したところ、IRSがU96Aと直接相互作用することが明らかとなった。更に、免疫沈降法によりU96AはRACK1のintron 2のみがスプライシングされずに残ったpre-mRNAや切り出されたintron 2とも相互作用することを見出した。この結果は、U96AがRACK1のイントロンから切り出され、核小体で機能するまでの過程に、IRS-1が何らかの機能を果たしている可能性を示している。IRSは既に核内に移行することが報告されているが、核内でのIRSの局在や意義についてはほとんど不明である。そこで核内でのIRS-1の局在を解析するため、IRS-1にSV40の核内移行シグナル(NLS)を付加した変異体(IRS-1-NLS)を作成し、これを種々の核内オルガネラマーカータンパク質とGFPの融合タンパク質とHeLa細胞に共発現し、共焦点顕微鏡により局在部位を検討した。その結果、snoRNA生合成の場でもあるCajal bodyにIRS-1-NLSが局在することがわかった。更に、IRS-1ノックアウトマウスの胎児から調製した線維芽細胞(MEF)でU96A量を解析したところ、野生型MEFと比較して、その量が有意に減少していることも見出した。これらの一連の結果は、IRSが、rRNAの転写後メチル化修飾および成熟に必要なsnoRNAの産生を正に制御し、リボソーム生合成のマシナリーの成熟を促進する結果、全タンパク質合成活性が上昇するという新規機構の存在を示していた。

本研究の成果より私は、インスリン・IGFシグナルのアダプター分子としての機能が注目されてきたIRSがRNAおよびRNA代謝関連タンパク質と相互作用することで、これまでに報告のない新しい機構により種々のタンパク質の翻訳が制御されていると結論した。本研究で検討を加えたRNA以外にもIRSは多くの他のRNAとも相互作用し、その機能制御に関与している可能性が考えられる。今後、このようなIRS-associating RNAを更に同定し、これらの機能を総合的に解析することでインスリン/IGFの生理活性発現の調節におけるIRS-1-RNA複合体の新しい生理的意義を解明できるものと期待している。

審査要旨 要旨を表示する

インスリンやインスリン様成長因子(IGF)は、物質代謝の同化を促進、異化を抑制し、また多くの細胞種の増殖や分化を誘導、細胞死を抑制することにより、動物の発達・成長・成熟・代謝・老化の制御に重要な役割を果たしているホルモンである。一般に、インスリンやIGFは、標的細胞の細胞膜に存在する特異的な受容体に結合すると、受容体に内蔵されているチロシンキナーゼが活性化、これがインスリン受容体基質(IRS)をチロシンリン酸化する。このチロシンリン酸化IRSを認識して相互作用する下流シグナル分子が下流情報伝達経路を活性化し、広範な生理活性が発現すると考えられている。申請者らのグループでは、種々の細胞外因子によってインスリンやIGFの生理活性が調節される機構を解析する過程で、IRSにチロシンリン酸化を介さずに多くのタンパク質が相互作用し巨大なシグナル複合体を形成しており、これらによりIRSのリガンド依存的なチロシンリン酸化や下流シグナル経路が修飾される結果、生理活性が調節されることを見出してきた。更に、IRSと共免疫沈降するタンパク質を質量分析法で、あるいはIRSと相互作用するタンパク質をコードする遺伝子をyeast two-hybrid 法で同定したところ、これらの中には、RNA代謝に関連する分子群が多数含まれていた。また、IRSは、RNA自身とも相互作用し、RNAを含む複合体を形成していることも明らかにされている。

本論文は、IRSがRNAやRNA代謝に関与するタンパク質と相互作用することにより、RNAの翻訳や成熟・安定性等が制御、その結果、インスリン/IGFのタンパク質合成促進などの生理活性発現が調節されることを明らかにしたもので、序章、本論が3章、そして、総合討論からなる。

まず、序章では、本研究の背景および意義を概説し、本研究の目的と本論文の構成について述べている。

続いて第一章では、IRS-1が、mRNAのcap構造に結合するeIF4EやeIF4G、pioneer round of translation におけるmRNAの品質管理等に重要な役割を果たしているexon junction complexに含まれるeIF4A3、そしてpoly(A) tail に結合するPABPC1などを含む複合体に共存することが明らかとなった。他の結果を併せ、IRS-1は、増殖刺激の有無に関わらずmRNA-protein complex (mRNP) と相互作用しているが、増殖刺激に応答して起こる翻訳活性化状態では翻訳マシナリーの足場として機能し、翻訳促進に新しい機構で関与しているものと結論している。

第二章では、IRS-1と相互作用するmRNAの同定を試みている。IRS-1の共免疫沈降物に含まれるタンパク質を質量分析法により、RNA結合ドメインを有するタンパク質、Ras-GAP SH3-domain-binding protein (G3BP1) が同定された。そこで、G3BP1とIRS-1の相互作用を調べたところ、RNAを介さないタンパク質-タンパク質間相互作用であることがわかった。G3BP1は、DNA損傷など様々なストレスが負荷された細胞においてcap構造非依存的に誘導されるタンパク質合成が誘導されるmRNAの5'末端の非翻訳領域に存在するinternal ribosome entry site (IRES) と相互作用することが報告されている。そこでmRNAにIRESを有し、DNA損傷によりIRES依存性タンパク質合成が誘導されるbcl-2 mRNAとIRS-1が相互作用するかを調べることにした。その結果、IRS-1-G3BP1複合体がbcl-2 mRNAと相互作用し、これらがbcl-2のIRES依存的な翻訳を促進していることを明らかにした。

第三章では、IRS-1は既知のRNA結合ドメインは有していないが、RNAと直接結合する可能性を検討している。in vivo UV-crosslinking and immunoprecipitation(CLIP)法によりIRS-1と直接相互作用するRNAの同定を試みた結果、mRNAの他、non-coding RNAやrRNAが同定された。更に、non-coding RNAの中で核小体小分子RNA(snoRNA) の一つ、U96A snoRNA(U96A)がRACK1のイントロンから切り出される過程を、IRS-1が促進していることを明らかにした。他の結果も併せると、IRSが、rRNAの転写後メチル化修飾および成熟に必要なsnoRNAの産生を正に制御し、リボソーム生合成のマシナリーの成熟を促進する結果、全タンパク質合成活性が上昇するという新規機構の存在を示していた。

総合討論では、インスリン・IGFシグナルのアダプター分子としての機能を概説した上で、IRSがRNAおよびRNA代謝関連タンパク質と相互作用することで、これまでに報告のない新しい機構により種々のタンパク質の翻訳を制御している可能性について論じている。

このように、本研究では、IRSがスキャフォールドタンパク質として機能し、RNAやその代謝酵素と相互作用、その結果、タンパク質翻訳を調節する、という新しい機構をはじめて明らかにしたもので、学術上・応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位として価値あるものと認めた。

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