学位論文要旨



No 128113
著者(漢字) 吉濱,陽平
著者(英字)
著者(カナ) ヨシハマ,ヨウヘイ
標題(和) 細胞極性形成とがんにおけるaPKC結合タンパク質KIBRAの機能に関する研究
標題(洋)
報告番号 128113
報告番号 甲28113
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3829号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 教授 内藤,邦彦
 東京大学 准教授 足立,博之
 東京大学 准教授 田中,智
 東京大学 准教授 高橋,伸一郎
内容要旨 要旨を表示する

序論

細胞は均質ではなく、一個の細胞の中でも細胞膜成分や細胞内小器官の配向に偏りをもたせており、これを細胞極性と呼ぶ。細胞極性は非対称性分裂や、神経細胞の軸索形成、方向性を持った細胞運動など多様な生命現象に関わる。上皮細胞は体外と体内を区分する役割を有し、基底膜に接する基底部(ベーサルドメイン)、体外方向に接する頂端部(アピカルドメイン)、細胞間部位に面する側方部(ラテラルドメイン)という構成する脂質やタンパク質成分が異なる3つの細胞膜ドメインを有する高度に極性化した細胞である。上皮細胞は基底膜との接着から刺激を受け極性を形成すると同時に、近傍の細胞と密着結合をはじめとする細胞間接着構造を形成し、アピカルドメインとバソラテラルドメインとの間の細胞膜成分の移動を防いで極性を維持する。また、トランスゴルジ網においてアピカル膜とバソラテラル膜を形成する細胞膜成分を分離し、別個に各ドメインへ輸送することで極性を維持している。がん化した組織では接着構造の崩壊や細胞膜極性の崩壊が観察されるが、近年こうした上皮極性の崩壊が細胞の過増殖を引き起こし、がん化の一因となっていると考えられている。しかし、細胞極性を制御する分子群とがん化との関連についてはいまだ不明な点が多く、上皮細胞が極性を形成・維持する分子メカニズムを明らかにし、がん組織でどのように破綻するかを明らかにすることは、がんの予防や治療を考える上で重要である。

線虫の初期胚の非対称性分裂に異常をきたす変異体から同定されたPartitioning defective(PAR)タンパク質は線虫、ショウジョウバエ、哺乳類をはじめとする生物に普遍的に存在する細胞極性制御因子である。その中でもPDZドメインを持ち、タンパク質間相互作用を担うPAR3、PAR6がセリン・スレオニンリン酸化酵素の一つatypical protein kinase C(aPKC)と複合体を形成し(PAR-aPKC複合体)、細胞極性を制御することが明らかとなってきた。上皮細胞においてPAR-aPKC複合体はアピカルドメインと密着結合の裏打ち構造に局在し、アピカルドメインを形成する膜成分の輸送と密着結合形成に必須である。中でも、aPKCの酵素活性が上皮極性制御に必須であることが分かっている。一方、胃がんをはじめとする多くのがん組織でaPKCの過剰発現が認められると共に、アフリカツメガエルの外肺葉上皮においてaPKCを過剰発現するとアピカルドメインの異常な拡張が起こることが知られており、上皮極性の維持にはaPKCの活性を厳密に制御することが重要であると考えられる。しかし、aPKCの活性を制御する分子メカニズムについては不明な点が数多く残されている。

aPKCに結合するタンパク質として、KIBRAが同定されている。KIBRAはaPKCによってリン酸化されることや、上皮細胞の増殖と細胞死を制御するHippo経路の上流因子として働くことが近年報告されたが、上皮細胞の極性形成における機能は不明であった。また、これまでの当研究室における解析によりKIBRAは試験管内でaPKCの活性を非常に低濃度で阻害することを見出していた。これらの事実から、KIBRAはaPKC活性の制御を介し上皮極性形成に関与するという仮説が立てられた。そこで本研究では、KIBRAに着目し新規の上皮細胞極性制御機構を解明すると同時に、がんにおけるKIBRA-aPKC経路の重要性を明らかとすることを目的とした。

第一章 KIBRAによるアピカルドメイン形成制御機構

第一章ではイヌ腎臓由来培養上皮細胞であるMDCK細胞を用いてKIBRAの極性形成への関与を検討した。PAR-aPKC複合体との相互作用を検討したところ、KIBRAはPAR3、PAR6、aPKCと複合体を形成し、上皮細胞のアピカルドメインおよび密着結合部位に局在した。そこでKIBRAの発現を安定的にノックダウンしたMDCK細胞(KIBRA-kd細胞)を樹立し、KIBRAの発現抑制が上皮極性形成に及ぼす影響を解析した。KIBRA-kd細胞をコラーゲンゲル中で三次元培養したところ、アピカル膜が拡張したシストを形成した。野生型MDCK細胞は、低カルシウム培地中で接着構造が崩壊し、アピカル膜がエンドサイトーシスされると共に、アピカル膜タンパク質のエキソサイトーシスが抑制され、細胞内にvacuolar apical compartment(VAC)と呼ばれる構造を形成するが、KIBRA-kd細胞ではVACが形成されなかった。テトラサイクリン依存的にGFP融合アピカル膜タンパク質を発現させ、その挙動を観察した結果、KIBRA-kd細胞ではアピカル膜タンパク質のエキソサイトーシスが亢進していることが明らかとなった。一方で、KIBRA-kd細胞には密着結合形成やコラーゲン重層によって誘導されるアピカル膜のエンドサイトーシスには影響が見られず、KIBRAはアピカル膜のエキソサイトーシスの制御を介して上皮極性を制御することが明らかとなった。

上皮極性形成におけるKIBRAとaPKCの関係を明らかとするために、KIBRA-kd細胞に対し野生型KIBRA、あるいはaPKC結合領域を欠損しaPKC阻害活性を持たないΔC-KIBRAを回復発現させた(レスキューした)細胞を樹立した。KIBRA-kd細胞に野生型KIBRAをレスキューすると、シスト形成時のアピカルドメインの拡張が抑制されたが、ΔC-KIBRAのレスキューでは抑制効果が低かった。このことからKIBRAはaPKCの阻害を介してアピカルドメイン形成を制御している可能性が示唆された。事実、KIBRA-kd細胞におけるアピカルドメインの拡張は、aPKC阻害剤の添加によってレスキューされた。さらに、野生型MDCK細胞にKIBRAのaPKC結合部位を過剰発現すると、密着結合形成の抑制やVAC形成の促進といったaPKC阻害と類似した表現型が得られた。以上の結果から、KIBRAはアピカルドメイン及び密着結合でaPKCと結合して抑制し、アピカル膜タンパク質のエキソサイトーシスを抑えることにより上皮極性を維持するという、新規上皮極性制御メカニズムが明らかとなった。

第二章 KIBRAの発現量と胃がん臨床病理学的因子との相関

第二章では、第一章で得られた知見のがんにおける意義を解析した。これまでにaPKCのタンパク質発現量が解析され、臨床病理学的因子との相関が明らかとなっている胃がん検体を用い、さらにKIBRAのタンパク質発現量を解析した。その結果、KIBRAの発現はaPKCの発現と正の相関があると共に、KIBRAの高発現と血管浸潤、リンパ管浸潤に正の相関関係があることが明らかとなった。KIBRA単独の発現量に予後不良との相関はなかったが、aPKC低発現/KIBRA高発現群で予後不良となる結果が得られた。さらに低分化型のがんの中でaPKC低発現/KIBRA高発現の群は脈管浸潤を起こす頻度が高い傾向がみられた。これらの結果は、低分化型のがんにおいてaPKCの発現低下とともに、aPKC阻害因子であるKIBRAの発現が高まると、細胞間接着の崩壊などを介して脈管浸潤が亢進し予後が悪化する可能性を示唆している。

総合討論

総合討論では、本研究で明らかとなったKIBRA-aPKC経路の極性形成における重要性、小胞輸送における重要性、およびがんにおける重要性を議論する。極性形成におけるaPKCの活性化の経路は明らかにされてきたが、活性化したaPKCの抑制に関わるメカニズムについては不明であった。KIBRAはaPKCの異常な活性化を抑える機能をもち、アピカルドメインの形態を正常に保つために必要である。また近年KIBRAはアピカル膜タンパク質の輸送に限らず、神経細胞のAMPA受容体の輸送やトランスフェリン受容体の回収エンドソームへの輸送、さらに一方向性の細胞運動における小胞輸送の制御に関わることが明らかになり、これらのすべてにおいてaPKCの関与が認められることから、KIBRA-aPKC経路が普遍的に小胞輸送の制御に関わっている可能性が示唆される。がんとの関連では、小胞輸送を制御する因子を欠損するショウジョウバエ変異体で上皮細胞のアピカル膜の拡張と過増殖がおこることが報告されており、今回明らかとしたKIBRA-aPKC経路ががん化の一端を担っている可能性がある。今後さらなる検討を重ね、本研究成果が予後予測や抗がん剤へ応用されることが期待される。

結論

本研究により、aPKC結合タンパク質KIBRAは、aPKC活性の阻害を介してアピカル膜タンパク質のエキソサイトーシスを抑制し、アピカル膜の形態を維持することが明らかとなった。さらに胃がんにおいてaPKCの発現低下と共にKIBRAの発現が上昇すると低分化型のがんの脈管への浸潤が亢進し予後不良になる可能性が示された。KIBRAを介した新規aPKC活性制御機構、および新規上皮細胞極性制御機構が明らかとなり、それががんの浸潤のメカニズムの一端を担っていることがわかった。KIBRAはHippo経路上流因子でもあり、増殖・細胞死を制御する経路と極性を制御する経路の新しいリンクを示唆する成果である。また胃がんの予後因子として新規にKIBRAが見出され、極性制御因子とがんの関係に新しい見地を加えたという点で医学的にも重要である。今後はKIBRAによって制御される新規aPKCターゲットを明らかにするとともに、本研究で明らかとなったKIBRA-aPKC経路の存在をin vivoで検討することが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

細胞極性は非対称性分裂や、神経細胞の軸索形成、方向性を持った細胞運動など多様な生命現象に関わる。上皮細胞は体外と体内を区分する役割を有し、基底膜に接する基底部(ベーサルドメイン)、体外方向に接する頂端部(アピカルドメイン)、細胞間部位に面する側方部(ラテラルドメイン)という構成する脂質やタンパク質成分が異なる3つの細胞膜ドメインを有する高度に極性化した細胞である。極性の崩壊が細胞の過増殖を引き起こし、がん化の一因となるものと考えられている。最近、上皮細胞の極性を形成・維持する分子であるpartitioning defective(PAR)タンパク質群とatypical protein kinase C(aPKC)の複合体(PAR-aPKC複合体)の役割が注目されているが、aPKCの活性を制御する分子メカニズムについては不明な点が多い。本研究では、新たにaPKCに結合するタンパク質KIBRAに着目し、上皮細胞極性制御機構を解明するとともに、がんにおけるKIBRA-aPKC経路の重要性を明らかとすることを目的としている。本論文は序論、第一章KIBRAによるアピカルドメイン形成制禦機構、第二章KIBRAの発現量と胃がん臨床病理学的因子との相関、総合討論から成る。

序論に続き、第一章ではイヌ腎臓由来培養上皮細胞であるMDCK細胞を用いてKIBRAの極性形成への関与を検討した。KIBRAはPAR3、PAR6、aPKCと複合体を形成し、上皮細胞のアピカルドメインおよび密着結合部位に局在した。KIBRAの発現を安定的にノックダウンした細胞はコラーゲンゲル中でアピカル膜が拡張したシストを形成し、細胞内にvacuolar apical compartment(VAC)が形成されなかった。ノックダウン細胞はアピカル膜のエンドサイトーシスには影響されず、KIBRAがアピカル膜のエキソサイトーシスの制御を介して上皮極性を制御することを明らかにした。

続いて、ノックダウン細胞に対して野生型KIBRAあるいはaPKC結合領域を欠損しaPKC阻害活性を持たないΔC-KIBRAを回復(レスキュー)発現させた細胞を樹立した。KIBRAをレスキューすると、シスト形成時のアピカルドメインの拡張が抑制されたが、ΔC-KIBRAのレスキューでは抑制効果が低かった。また、aPKC阻害剤の添加によってレスキューされることから、KIBRAはaPKCを阻害してアピカルドメイン形成を制御することを示した。さらに、野生型MDCK細胞にKIBRAのaPKC結合部位を過剰発現すると、密着結合形成の抑制やVAC形成の促進といったaPKC阻害と類似した表現型がみられた。これらのことから、KIBRAはアピカルドメイン及び密着結合でaPKCと結合して抑制し、アピカル膜タンパク質のエキソサイトーシスを抑えることで上皮極性を維持する新規上皮極性制御機構の存在を明らかにした。

第二章では、aPKC発現量と臨床病理学的因子との相関が明らかとなっている胃がん検体を用い、KIBRAのタンパク質発現量について解析した。KIBRAの発現はaPKCの発現と正の相関をみとめ、KIBRAの高発現と血管浸潤、リンパ管浸潤に正の相関関係を示した。KIBRA単独の発現量に予後不良との相関はないが、aPKC低発現/KIBRA高発現群で予後不良となる結果を得た。さらに低分化型のがんの中でaPKC低発現/KIBRA高発現の群は脈管浸潤を起こす頻度が高い傾向がみられた。これらの結果は、低分化型のがんにおいてaPKCの発現低下とともに、aPKC阻害因子であるKIBRAの発現が高まると、細胞間接着の崩壊などを介して脈管浸潤が亢進し予後が悪化する可能性を示している。

総合討論では、KIBRA-aPKC経路の極性形成、小胞輸送、およびがんにおける重要性を論じている。KIBRA-aPKC経路が、普遍的に小胞輸送の制御に関わる可能性を示し、細胞極性の破綻ががん化の一端を担うことから、予後予測や抗がん剤開発へ応用される可能性を論じている。

以上、本論文はKIBRAがaPKC活性の阻害を介してアピカル膜タンパク質のエキソサイトーシスを抑制し、アピカル膜の形態を維持することを明らかにした。さらに胃がんでのaPKCの発現低下と共にKIBRAの発現が上昇すると低分化型のがんの脈管への浸潤が亢進し予後不良となる可能性を示した。本論文は学術上および応用上の貢献が大きい。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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