学位論文要旨



No 128114
著者(漢字) グェン リン ヴィェ
著者(英字) NGUYEN LINH VIET
著者(カナ) グェン リン ヴィェ
標題(和) 胚発生を可能とするブタ卵細胞質成熟度の向上に関する研究
標題(洋) Studies to improve porcine ooplasmic maturity for embryonic development
報告番号 128114
報告番号 甲28114
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3830号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 眞鍋,昇
 東京大学 教授 塩田,邦郎
 東京大学 教授 局,博一
 東京大学 教授 西原,眞杉
 東京大学 教授 内藤,邦彦
内容要旨 要旨を表示する

ブタは、畜産業における食肉生産のための重要な家畜としてばかりではなく、遺伝仔改変技術を用いて医療用のモデル動物や臓器の異種移植のための資源となりえる重要な動物であるが、効率的生産が容易ではない。ブタを効率的に生産するために受精や発生可能卵や胚を体外で効率的に生産することは重要である。これまでに卵や胚さらには最終的には産仔の作製のために体外生産(in vitro production:IVP)法が発展してきたが、IVPによる仔ブタの生産効率、言い換えると、IVPにより作製されたブタ胚の発生能力は体内発生のブタ胚あるいは他の種のIVP胚に比べて劣る。体外成熟した卵の細胞質の成熟度を向上させることが、この問題を解決に導くと考えられるので、本研究を行った。

第一章では、体外成熟(in vitro maturation:IVM)に際して体外培養卵の細胞質成熟を向上させることを目的とし、低酸素分圧(5%)下でIVMを行う際のシステインの添加濃度が細胞質グルタチオン(GSH)含量ならびにその後の体外受精(IVF)に及ぼす影響を検討した。これまで、大気中の酸素分圧(20%)下でIVMが行われ、GSHを0.6 mM添加することで雄性前核(MPN)形成能を向上させることが報告されている。また低酸素濃度下のIVMは成熟や胚発生によい影響を与えると報告されているので、両者を組み合わせて一層の改善を図った。食肉処理場で採取した卵丘細胞卵仔複合体を0(対照)、0.05、0.1、0.2あるいは0.6 mMのシステインを含む培養液中で44-46時間成熟培養し、続いて体外受精(in vitro fertilization:IVF)と体外培養(IVC)を行った。IVM後の成熟卵のGSH含量はシステイン添加濃度が高くなるにつれ上昇したが、卵の成熟率、侵入精子卵率、MPN形成率、単精子侵入率、卵割率、胚盤胞への発生率と細胞数の改善は認められなかった。この結果から、低酸素分圧下では培養液に非常に低濃度のシステイン添加(0.05 mM)でも細胞質成熟を完了することが可能であることが分かった。

第二章では、人為的な手法により細胞質成熟度をあげる方法について検討した。これまでに高い発生能をもつ卵を除核しそれをレシピエント卵とし、別途低い発生能の卵から核を取り出してレシピエント卵に注入する「核置換法」が開発されたが、これは高度に熟練した顕微操作が要求され、かつ卵再構築率も低い。そこで、通常通り成熟培養して得られた成熟卵に連続した2回の遠心処理を施して細胞質小片を調製し、これを融合するcentri-fusion法を考案した。実験的に細胞質成熟度を低く抑えた成熟卵に通常の成熟卵から調製した細胞質小片を融合することで受精や発生能を向上させることができるか否か調べた。すなわち、培養開始24時間後に卵丘細胞を除去した後22時間継続培養した低成熟度卵(DO24卵)は、卵丘細胞が付着したまま46時間培養した高成熟卵(DO46卵)と比較してMPN形成率と正常受精率が低い。前者に2回遠心法にて調製した後者の細胞質小片を融合し、精子侵入の影響を排除するために電気刺激法で単為発生させて雌性前核(FPN)の形成能を調べた。さらに6日間体外培養して胚盤胞の形成能を評価した。健常性を確認するために、別途細胞質小片融合後IVFを行って受精能とその後の胚盤胞期までの胚発生能を確認した。単為発生誘起実験では、融合させた細胞質小片の数に関わりなくFPN形成率と胚盤胞形成率が改善された。一方IVF実験では、単精子侵入卵率には差がなかったが、MPN形成率が融合する細胞質小片の数に対応して改善され、2個融合した場合は高成熟卵(DO46卵) に近いレベルまで改善された。IVF後の胚発生は、細胞質小片を融合しない場合は胚盤胞まで発生が進まなかったが、融合した細胞質小片数に対応して発生率が高まり、2個融合した場合は高成熟卵(DO46卵)と同等であった。本研究によって受精能と発生能が低い卵に細胞質小片を融合することで受精能と発生能をともに改善できることが分かった。

第三章では、第二章で得られた知見をもとに細胞質小片の特性を調べ、それに基づいて細胞質小片中の何が細胞質成熟に関与しているのか検討した。細胞質小片は、顕微鏡下で褐色小片(B小片)、透明小片(T小片)および層状構造を含む大きめの小片(H小片)に分別される。B、TおよびH小片の直径は各々61.2、72.1および148.5 μmで、100個の卵から各々17.8、71.7および91.0個調製できる。これらのうちM期染色体を含まない小片(cytoplast)の割合は、各々38.2、67.6および75.2%であった。受精能と発生能の改善は、BとT小片のcytoplastを(各々B-とT-cytoplast)で認められるので、最初に両者の透過型電仔顕微鏡観察と活性ミトコンドリア量測定を行った結果、B小片にはミトコンドリアが集積しており、T小片には細胞内小器官がほとんど含まれないことが分かった。各小片に含まれるATP量はB小片がT小片より多かった。低成熟度卵(DO24卵)の活性ミトコンドリア量は高成熟度卵(DO46卵)に比べて多かったが、逆にATP量は少なかった。そこでDO24卵にB-cytoplastとT-cytoplastをそれぞれ2個ずつ、あるいは1+1個を融合した(各々DO14+2B、DO24+2TおよびDO24+BT)を作製し、IVFを施した。細胞質小片融合によって精子侵入率(DO24、DO14+2B、DO24+2TおよびDO24+BT:各々19.1、55.6、34.6および61.3%)とFPN形成率(各々19.1、54.4、33.7ならびに61.3%)、MPN形成率(各々27.3、74.0、88.9および84.2%)が改善された。その後の胚発生能も改善され、通常のIVPで得られる胚盤胞と品質に差がなかった。これらから、cytoplastを融合すると受精能と発生能が改善されるが、この効果はcytoplastのタイプには関係ないことが分かった。次にM期染色体を含むB小片(B-karyoplast)1個とB-cytoplast2個を融合した再構築卵と同様のT小片のみを融合した再構築卵を比較した。これらにIVFを施すとB小片再構築卵の精子侵入卵率(95.8%)とMPN形成率(94.2%)はともにT小片再構築卵(各々66.7と50.5%)より高く、cytoplastのみを融合した場合と異なる結果となった。これは融合で低成熟度卵に供給されるATP量に起因するとの仮説をたて、その可否を検討した。対照区のDO46卵に1 μM以上のrotenone(ミトコンドリア機能抑制剤)を処理すると精子侵入が阻止される。このミトコンドリア機能が抑制されたものから調製した細胞小片を低成熟度卵(DO24卵)に融合したところ、DO24+2B卵と1 μMのrotenoneで処理を添加したB-cytoplast2個を融合したDO24+2B-R卵で精子侵入率(各々51.9と51.7%)、FPN形成率(各々51.9と51.7%)、MPN形成率(各々97.0と94.8%)および正常受精率(各々66.2と58.4%)、受精後6日間培養した後の胚盤胞率(各々11.5と9.0%)および胚盤胞の細胞数 (各々41.2と41.4個/胚)が大幅に改善した。またDOS46、DO24、DO24+2BおよびDO24+2T卵ならびにB小片とT小片のATP量は各々2.4、1.7、2.4、2.5 pmol/卵および0.6と0.7 pmol/小片)であった。これら一連の成績から、融合する小片中のミトコンドリアの量や機能に関係なく、ATPの供給が受精や胚発生には重要であることが分かった。

本研究で、胚発生を可能とするブタ卵細胞質成熟度の向上に関する研究を行い、低酸素濃度下のシステインの効果に関する新たな知見を得た。また、卵細胞質小片を融合するという画期的な手法を創出して卵細胞質成熟度を改善させるとともに、これまで不明な点が多かった卵におけるミトコンドリアとATPの役割について、受精能と発生能に関しては後者が重要であるという新たな知見もたらすことができた。

審査要旨 要旨を表示する

ブタは畜産業における食肉生産のための重要な家畜としてばかりではなく、遺伝子改変技術を用いて医療用のモデル動物や臓器の異種移植のための資源となりえる重要な動物であるが、効率的生産が容易ではない。ブタを効率的に生産するために受精や発生可能卵や胚を体外で効率的に生産することが重要であり、卵や胚さらには最終的には産仔の産出のために一連の体外生産技術(IVP)が発展してきた。しかしIVPにより作製されたブタ胚の発生能力は体内で発生した胚と比較すると大幅に劣るので、体外成熟した卵の細胞質成熟度を向上させることがこれの解決に導く重要な課題である。

申請者は、大気中酸素分圧(20%)下で体外成熟(IVM)を行う際に培養液にグルタチオン(GSH)を添加すると雄性前核(MPN)形成能を向上させることが見出されたので、一層の卵細胞質成熟を向上させるために低酸素分圧(5%)下で培養し、この培養液中にシステインを添加して体外受精(IVF)におよぼす影響を検討した。低酸素分圧下では培養液に低濃度のシステインを添加するだけで細胞質成熟を完了させることができた。ついでより一層細胞質成熟度を高める新規な手法を開発した。すなわち細胞質成熟度の高い卵に2回連続遠心処理(centri)を施して細胞質小片を調製し、これを細胞質成熟度の低い卵と融合(fusion)させることで細胞質成熟度の低い卵の受精能や発生能を向上させることができるcentri-fusion法を創出した。これによって優れた遺伝形質をもつが受精能と発生能が低い卵に受精能の高い卵の細胞質小片を融合することで受精能と発生能をともに改善することが可能となった。そこで細胞質小片に含まれる何が受精能と発生能を改善するのか検討した。細胞質小片には褐色のB小片、透明なT小片および層状構造をもつH小片があるが、受精能と発生能の改善はB小片とT小片でのみ認められた。B小片にはミトコンドリアが集積し、T小片には細胞内小器官がほとんど含まれていなかったが、ともにATP含量は高かった。H小片のATP含量は低かった。B小片2個ずつ、T小片2個ずつあるいはB小片とT小片を1個ずつ(併せて2個)融合させるといずれの場合でも受精能と発生能が改善されたが、改善率は同等であった。受精や胚発生には融合する細胞小片中のミトコンドリア量やその機能は重要ではなく、含まれるATP量が重要であることが分かった。

以上のように、本研究によって創出されたcentri-fusion法によって、受精能と発生能が低い卵に受精能の高い卵の細胞質小片を融合することで成熟度を改善し、受精能と発生能をともに高めることができるようになり、貴重な雌性遺伝子資源の再生が可能となった。これは博士(農学)の学位を受けるに相応しい研究成果である。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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