学位論文要旨



No 128116
著者(漢字) 熊谷,勝義
著者(英字)
著者(カナ) クマガイ,カツヨシ
標題(和) 非コード・アンチセンスRNAによる標的遺伝子特異的エピジェネティック制御に関する研究
標題(洋)
報告番号 128116
報告番号 甲28116
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3832号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塩田,邦郎
 東京大学 教授 内藤,邦彦
 東京大学 特任教授 八木,慎太郎
 東京大学 准教授 金井,克晃
 東京大学 准教授 杉浦,幸二
 東京大学 准教授 田中,智
内容要旨 要旨を表示する

緒言

エピジェネティクスとは、「DNAの塩基配列の変化を伴わずに細胞分裂後も伝達される遺伝子機能の変化について探求する学問領域」を意味する。DNAメチル化はシトシンの5位の炭素にメチル基が付加される修飾でDNAメチル化酵素によって触媒される。哺乳類ではCG配列のCがメチル化されるのに対し、植物では、CG配列に加え、CHG配列およびCHH配列(HはG以外の塩基)のCにもメチル化が認められる。一方、いくつか知られるヒストンの翻訳後修飾は、様々な細胞機能制御に重要な役割を果たす。Sphk1遺伝子の転写調節領域で発見された内在性ASncRNA(Khps1)は、Sphk1のT-DMRにオーバーラップする形でmRNAとは逆のアンチセンス方向へ転写される(Imamura T et al. 2004)。この内在性ASncRNAは、Sphk1遺伝子が発現しているアリルでは発現せず、逆にSphk1遺伝子が発現していないアリルで発現する。一方で、内在性ASncRNAの発現ベクターを導入して人為的に過剰発現させると、本来T-DMRが高メチル化であった培養細胞でSphk1遺伝子のT-DMRは領域特異的に脱メチル化される(Imamura T et al. 2004)。つまり、内在性ASncRNA量を人為的に変化させることで特定のゲノム領域のDNAメチル化状況を変える事が出来る可能性を示唆している。一方、ポリコーム複合体の一つであるPRC2を標的領域にリクルートすることによって、ヒストン修飾およびPRC1による更なる不活性化が誘導され、標的領域近傍の遺伝子がエピジェネティックに不活性化されるものがある(Hekimoglu B & Ringrose L 2009; Jovanovic J et al. 2010)。しかし、これらの内在性ASncRNAについては、細胞のガン化に伴ってncRNAの発現が異常になるものや、染色体DNAの転座や欠失を伴うncRNA自体の配列異常が多く見受けられる。以上より、ゲノムから転写されるアンチセンスRNAを始めとした多数のncRNAが、正常な細胞分化や個体発生過程においても、遺伝子発現制御機構としてエピジェネティック制御に関わるかどうかを明らかにすることが必要である。

in vivoにおいて内在性ASncRNAによる遺伝子発現制御について明らかとなれば、RNA医薬などの新規創薬や病気の新規治療法確立などにつながる可能性がある。本研究では、データベース情報を基に内在性ASncRNAを探索し、得られた内在性ASncRNAの機能や役割を知るためにin vitroおよびin vivo機能解析を行った。第一章では、データベース情報を基にしたT-DMRのDNAメチル化を制御する可能性のある内在性ASncRNAの探索を行った。第二章では、Sall4領域の内在性ASncRNAによる遺伝子制御同定とin vitroにおける機能解析を行った。第三章では、内在性ASncRNAのin vivoにおける機能解析を行った。

第一章 T-DMRのDNAメチル化制御に関与する内在性ASncRNA候補の探索

本章では、胚性幹細胞であるES細胞の多能性維持や細胞分化および個体形成に重要な遺伝子群に注目し、エピジェネティックな活性化状態を操れる候補となりうる内在性ASncRNAを持つ遺伝子の探索を行った。まず、ES細胞の多能性を維持するマスター転写因子の転写調節領域よりstrand-specific RT-PCR法で内在性ASncRNAの検出を行った。その結果、NanogおよびSoxの転写調節領域にUCSCマウスゲノムブラウザーに登録されていない新たな内在性ASncRNAを発見した。さらに、データベースを利用することで転写調節領域に内在性ASncRNAを持つ6つの遺伝子群を新たに検出した。これらは、T-DMRのメチル化パターンと内在性ASncRNA発現およびmRNA発現に一定のパターンがあることが示された。

第二章 培養細胞系を用いたSall4領域の内在性ASncRNAによる遺伝子制御作用

第一章で見出された8つの遺伝子の中のSall4遺伝子には、第一イントロンから転写開始点上流に向かって、アンチセンス方向のESTが登録されている。しかし、登録されているESTは本章で同定したT-DMRとはオーバーラップしていなかった。そこでこのESTがT-DMRの領域を含んで転写されているか確認するために、T-DMR内に逆転写用のRTプライマーを設定してcDNAを合成し、strand-specific RT-PCRでT-DMRにオーバーラップするSall4内在性ASncRNAの検出を行った。その結果、ES細胞で転写され、且つ、T-DMRにオーバーラップするASncRNAが検出された。このから、Sall4内在性ASncRNAは登録されたESTの領域からT-DMRにオーバーラップして転写されていることが確認できた。次に、Sall4 ASncRNAの転写開始点を同定するために、FANTOMの転写開始点データベースのCAGE Tagを検索した。Sall4 ASncRNAの転写開始点と考えられるCAGE Tagを同定し、そのCAGE Tagの場所から登録されたEST内の配列をstrand-specific PCRで解析を行なった。その結果、CAGE Tagから登録されたESTまで領域でASncRNAが検出されたことから、Sall4 ASncRNAはCAGE Tag部位から転写されることが示唆された。つぎに、in vitroにおけるSall4内在性ASncRNAとSall4mRNAとの関係を明らかにするために、siRNA法を利用してSall4内在性ASncRNA発現の誘導的な低下を試みた。その結果、Sall4内在性ASncRNA発現を一過性に低下させると、Sall4 promoter T-DMRやintronic T-DMRは高メチル化を示した。また、Sall4 mRNAの発現やSall4タンパク発現、Sall4と相互作用するNanog,Oct4,Sox2のmRNA発現の低下が示された。さらに細胞の増殖能低下が示された。これらの結果から、Sall4内在性ASncRNAはSall4転写調節領域内T-DMRの非メチル化状態を維持することでSall4 mRNA発現に影響を与えることが示唆された。

第三章 Sall4領域に存在する内在性ASncRNAを標的にしたinducible shRNAのマウス初期胚発生への影響

Sall4はES細胞の増殖や形質維持に関与することが報告されている(Sakaki M et al. 2006)。また、第二章で得られた結果からも、Sall4内在性ASncRNAはマウス初期胚発生へ関与していることが示唆された。そこで、Sall4内在性ASncRNAによるマウス初期胚発生への影響を調べるために、マウス初期胚のSall4内在性ASncRNA発現を低下させた。その結果、Sall4内在性ASncRNA発現を低下に伴い、blastocystへの発生率が低下した。この結果から、Sall4内在性ASncRNAはマウスの個体でもSall4 T-DMRのDNAメチル化状態を制御していることが考えられた。そこで、ドキシサイクリン添加によるSall4内在性ASncRNA発現を誘導的に低下させるマウスを樹立し、妊娠初期のSall4内在性ASncRNAによる機能を解析した。その結果、Sall4内在性ASncRNA発現の誘導的な低下により妊娠初期(7.5dpcおよび10.5 dpc)において胎仔の形態異常が観察された。このことから、TgマウスよりES細胞を樹立し、Sall4のプロモーターT-DMRのメチル化パターンを検討した。その結果、Sall4内在性ASncRNAの発現を誘導的に低下させたTg由来ES細胞では、Sall4 のプロモーターT-DMRのメチル化が亢進した。これらの結果から、Sall4内在性ASncRNAはSall4のプロモーターT-DMRを非メチル化状態に維持していることが示唆された。

総括

本研究では、T-DMRにオーバーラップする内在性ASncRNAを持つ遺伝子群を検出・解析し、低メチル化状態では内在性ASncRNA発現およびmRNA発現が高く、高メチル化状態では内在性ASncRNA発現およびmRNA発現が低い遺伝子群と、低メチル化状態では内在性ASncRNA発現およびmRNA発現が低く、高メチル化状態では内在性ASncRNA発現およびmRNA発現が高い遺伝子群に分類した。その中で、Sall領域の内在性ASncRNAはSall4転写調節領域内T-DMRの非メチル化状態を維持することでSall4 mRNA発現に影響を与えることが示唆された。さらにSall4内在性ASncRNAはマウスの初期胚発生時期に非メチル化状態を維持していることが示され、Sall4内在性ASncRNAは発生や個体形成に重要な役割を持つことが考えられた。さらに、展望としては内在性ASncRNAによる狙った遺伝子のエピジェネティックな活性化状態を個体レベルで自在に操れる可能性が示唆された。従来の研究は、in vitroにおける内在性ASncRNAの研究が中心となり、エピジェネティクスを中心に内在性ASncRNAの機能が明らかにされてきた。これらの発見は、内在性ASncRNAを介した新たなエピジェネティクス制御系の存在を意味し、新たな病態モデル動物の樹立へつながるのである。

審査要旨 要旨を表示する

遺伝子領域には細胞の種類によってDNAのメチル化状態が異なる、DNAメチル化可変領域(組織・細胞種依存的メチル化可変領域、tissue-dependent and differentially methylated region: T-DMRと略)が存在する。DNAメチル化やヒストン修飾系には、それぞれに対応する酵素(DNAメチル転移酵素、ヒストンアセチル化酵素等)が存在しており、DNA脱メチル化に関してもゲノム修復系酵素の関連した研究が盛んに行われている。しかし、これらの研究はゲノム全域の制御系としては成立するが、領域特異的に限定されたメチル化あるいは脱メチル化の制御系としては無理がある。

T-DMRのメチル化制御に関して、Sphk1遺伝子領域の研究で、非コード・アンチセンスRNAがT-DMRのメチル化を誘導することが報告されている。その場合、アンチセンスRNAは配列特異性が期待できるので、T-DMR制御系としては魅力的である。なるほど、外来ゲノムや転移因子などにより配列特異的なDNAメチル化が誘導されてもおかしくない。しかし、細胞特異的なDNAメチル化プロフィールを形成するためには、領域特異的なメチル化と脱メチル化が必要となる。しかし、脱メチル化を誘導するアンチセンスRNAに関する報告は無い。

本論文は内在性非コード・アンチセンスRNA(ASncRNA)による遺伝子領域T-DMRの脱DNAメチル化制御に関するもので、内在性ASncRNAの探索、ASncRNAによるエピジェネティック制御、およびASncRNAを標的とした誘導型shRNAコンストラクト導入による個体レベルの研究による以下の三章から構成されている。

第一章では、胚性幹細胞であるES細胞の多分化能維持や細胞分化および個体形成に重要な遺伝子群に注目し内在性ASncRNAが探索された。まず、ES細胞で特異的に低DNAメチル化状態にある遺伝子領域情報を基に、Sox2遺伝子およびNanog遺伝子領域が探索され、それぞれの遺伝子領域にASncRNAが発見された。これらのASncRNAはセンスmRNAの発現が高いES細胞で発現しており、13.5日胚では発現が低いこと、またそれぞれに複数の終止コドンが見られることなどが確認された。過去に報告されていたSphk1遺伝子領域のASncRNAは、Sphk1遺伝子(センスRNA)が発現している細胞では、発現が抑制されており、一連の研究からDNAメチル化を誘導しているとされている。ところが、Sox2遺伝子およびNanog遺伝子領域のASncRNAは逆の発現様式を示していることになるため、これらのASncRNAは、脱メチル化を誘導している可能性が考えられた。本章ではさらにES細胞と分化系としての神経前駆細胞塊の比較から、さらに6遺伝子(Gli3, Foxj2, Yy1, Rfx1, Dlx4, Sall4)の遺伝子領域にも、発現パターンから推測して脱メチル化の誘導に促進的に作用する可能性があるASncRNAが発見された。

第二章では、上記のASncRNAのうち、Sall4遺伝子領域のASncRNAに焦点をあて研究が進められた。Sall4はES細胞の多分化能維持および増殖に関与する転写因子である。まず、Sall4 mRNAを発現するES細胞と抑制された栄養膜幹(TS)細胞との比較解析が行われ、ASncRNAはES細胞で高発現していることが示された。また、ES細胞ではSall4遺伝子の5'上流およびイントロン1に存在するT-DMRは低メチル化で、逆にTS細胞では高メチル化であることも明らかになった。並行して、ASncRNAの全長解析が試みられた。その結果、Sall4遺伝子領域のASncRNAはデータベース登録データよりさらに長く、T-DMRをカバーしていること、終止コドンの出現頻度が高くタンパク質をコードしていないこと、さらに、poly (A) が付加されて無いことも示された。さて、ASncRNAが脱メチル化に関与するとすれば、発現を抑制することで高メチル化を誘導できるはずである。なるほど、ES細胞におけるRNAiによる内在性ASncRNAのノックダウンはSall4遺伝子領域での特異的高メチル化を誘導した。したがって、発見されたASncRNAは、配列特異的に作用し脱メチル化を誘導するか、あるいは低メチル化を維持していると考えられた。

第三章は、Sall4 ASncRNAを標的とした誘導型shRNAコンストラクトの導入によるトランスジェニック(Tg)マウスモデルの作製である。まず、マウス初期胚培養下で、内在性Sall4 ASncRNAのノックダウン(Sall4 ASncRNA KD)により、胚盤胞期胚への発生遅延など、先に報告されているSall4 null型欠損胚に類似した異常が観察された。さらに、誘導型の内在性Sall4 ASncRNA KD Tgマウス8系統の樹立に成功した。Sall4 ASncRNA KD Tgマウスでは、顕著な形態異常が観察された。また、Tgマウス由来ES細胞では同ASncRNAのノックダウンによりメチル化が亢進することも示された。

本研究の結果は、様々な遺伝子のT-DMR領域には脱メチル化を誘導あるいは維持しているASncRNAが存在しており、発生制御や細胞の分化の基盤になっていることを示している。また、これらのASncRNAの発現を促進・抑制することで、エピジェネティック異常の病態モデル動物の樹立が可能なことが示されている。

これらの発見は遺伝子制御の基礎として重要であるばかりでなく、病態モデル作成にも新たな視点を提供している。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク