学位論文要旨



No 128118
著者(漢字) 綾部,信哉
著者(英字)
著者(カナ) アヤベ,シンヤ
標題(和) 肝および肺の線維芽細胞活性化におけるプロスタグランジンの役割に関する研究
標題(洋)
報告番号 128118
報告番号 甲28118
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第3834号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 尾崎,博
 東京大学 教授 中山,裕之
 東京大学 准教授 山内,啓太郎
 東京大学 准教授 桑原,正貴
 東京大学 准教授 堀,正敏
内容要旨 要旨を表示する

【緒言】

多くの組織に存在する線維芽細胞は、持続的な炎症や障害により異常な活性化が起こると、瘢痕形成や組織の線維化、がんの支持などの病態形成に関与する。肝硬変や特発性肺線維症は、肝臓や肺で線維化が慢性的に継続したのちに起こる進行性線維症の終末状態である。肝臓の線維芽細胞は胆管や中心静脈、門脈周囲に存在しており、肝硬変モデル動物では炎症の初期段階においても組織内で速やかに活性化する。血管収縮性物質に対して強い収縮性を示すことから、線維芽細胞の収縮が血管径を減少させて肝内圧の上昇を引き起こし、肝硬変やそれに続発する門脈圧亢進症の病態形成に関与していると言われている。肺では、線維芽細胞は肺の間質に存在し、基底膜が破壊されるような激しい炎症や損傷を受けて活性化する。コラーゲンを始めとした細胞外マトリックスを放出して上皮の正常な修復機構を阻害し、肺胞構造を崩壊させる。

アラキドン酸を前駆物質とするプロスタグランジンは、組織の炎症に際して局所的に放出される。PGE2はEP1からEP4までの4つの受容体、PGD2はDP受容体とCRTH2受容体の2つの受容体に結合するが、それぞれのプロスタグランジンは共通したプロスタン酸骨格を持っていて構造が類似していることから、これら以外の受容体へ結合することも報告されている。7回膜貫通型受容体であるそれぞれの受容体は、異なるGタンパクを介したさまざまな情報伝達経路が報告されており、プロスタグランジンの作用は各組織で多様である。

肝臓においては、肝細胞や常在型マクロファージであるクッパ-細胞などからプロスタグランジンが放出され、肝細胞自身や類洞周辺の肝星細胞に作用することが報告されている。本研究室での先行研究によって、PGD2がトロンボキサン受容体であるTP受容体を介して細胞内Ca2+濃度を上昇させ、細胞収縮を誘起することが報告されたが、PGD2の本来の受容体であるDP受容体を介した作用や、PGE2による作用は明らかにされていない。肺においても、上皮細胞やマクロファージからプロスタグランジンが産生され、EP2、EP4受容体を介してPGE2が線維芽細胞の活性を抑制することが報告されている。しかし、PGD2が肺の線維芽細胞に及ぼす影響や、その情報伝達経路については報告がない。

これらの背景をふまえ、本研究ではコラーゲンゲルを用いた細胞収縮測定法、および直接ELISA法による培養上清中コラーゲン測定法を用いて、肝臓の線維芽細胞の収縮作用、および肺の線維芽細胞のコラーゲン産生作用に対するPGE2およびPGD2の役割を明らかにするとともに、肺線維症モデル動物を用いて、肺線維化に対するPGD2の病態生理機能を明らかにすることを目的とした。

【結果および考察】

本研究では、まずラット肝臓から線維芽細胞を単離培養した。肝臓の線維芽細胞は、4種類のEP受容体に加えて、COXやPGE合成酵素も発現していたことから、線維芽細胞自身も肝臓におけるPGE2産生に関与する可能性が示唆された。この線維芽細胞をコラーゲンゲル上に播種して、ゲル面積を経時的に測定することで細胞収縮力の評価を行った。その結果、線維芽細胞に対してPGE2は0.1-10 μMの濃度で収縮作用を示し、10 μMの高濃度では特に強い収縮作用を示した。この作用はEP3受容体作動薬でのみ再現され、EP3受容体作動薬ONO-AE-248は0.1-10 μMの濃度で収縮作用を示した。EP3受容体作動薬および1 μMまでのPGE2による収縮作用は、細胞内Ca2+の上昇を伴わず、Ca2+非依存的なPKCであるPKCδおよびPKCεを介した経路であることが示唆された。一方で10 μM PGE2はFP受容体と交叉反応を示し、細胞内Ca2+の上昇を伴うことでより強い細胞収縮を引き起こすことが示唆された。

PGD2が肝臓の線維芽細胞に対して、TP受容体への交叉反応を介した収縮作用を誘起することは既に報告されているが、線維芽細胞に存在するDP受容体を介した情報伝達経路は明らかになっていなかった。本研究では、血管収縮性物質であるブラジキニンによって誘起された細胞収縮に対するDP受容体作動薬の作用を検討した。その結果、DP受容体作動薬BW245Cは0.1-10 μMの濃度で線維芽細胞の細胞収縮を抑制した。ブラジキニン刺激で誘起される細胞内Ca2+濃度の上昇はBW245Cの前処置によって抑制されたが、完全に抑制することはできなかった。BW245C刺激によって線維芽細胞内のcAMP量が増加し、アデニル酸シクラーゼ活性化薬であるforskolinやcAMPアナログであるdibutyryl-cyclic AMP(db-cAMP)はBW245Cと同様にブラジキニンによって誘起される細胞収縮を抑制した。その一方で、BW245Cの場合と同様にforskolinも細胞内Ca2+濃度上昇を完全に抑制することはできなかった。このことから、DP受容体刺激による収縮抑制作用はcAMPを介した細胞内Ca2+依存的な経路と、Ca2+非依存的な経路の両方を介した経路であることが示唆された。BW245Cによる収縮抑制作用はPKA阻害薬によって解除され、cAMPを介したPKAの活性化がDP受容体を介した収縮抑制作用に関与する可能性が示唆された。

次に、肺の線維芽細胞のコラーゲン産生におけるPGE2およびPGD2の役割を検討した。定常状態の線維芽細胞を用いた報告では、PGE2はEP2およびEP4受容体を介してコラーゲン産生を抑制することがすでに報告されている。ヒト胎児肺線維芽細胞株IMR-90細胞を用いた検討の結果、肺の線維化を促進するTGF-βの刺激に対しても、PGE2はこれらの受容体を介してコラーゲン産生を抑制した。さらに、PGE2のみならずPGD2も、0.1-10 μMの濃度で線維芽細胞のコラーゲン産生を抑制した。DP受容体もしくはCRTH2受容体の作動薬を用いたところ、CRTH2受容体作動薬の刺激が影響を及ぼさなかったのに対して、DP受容体作動薬BW245Cは0.01-1 μMの濃度でTGF-β刺激によるコラーゲン産生を抑制したことから、PGD2の抑制作用はDP受容体を介した作用であることが示唆された。肝臓の線維芽細胞と同様に、肺の線維芽細胞においてもPGD2もしくはBW245Cの刺激によって細胞内cAMP量が増加し、forskolinやdb-cAMPはTGF-βによって誘起されるコラーゲン産生を抑制した。DP受容体刺激による抑制作用はPKAアナログによって再現されたが、PKA阻害剤では抑制作用が部分的にしか解除されなかった。このことから、PGD2によるコラーゲン抑制作用はDP受容体を介したcAMP量の上昇による作用と考えられるが、PKA依存的な経路と非依存的な経路の両方を介している可能性が示唆された。

さらに、肺線維化に対するPGD2の病態生理機能を明らかにするため、PGD2合成酵素の1つであるH-PGDSの欠損マウスを用いてブレオマイシン誘導性肺線維症モデル動物を作製した。その結果、H-PGDS KOマウスでは肺におけるコラーゲン遺伝子の発現量やコラーゲン蓄積量が増加し、線維化が増悪した。肺の線維化に際しては、H-PGDSは上皮細胞や炎症性細胞に発現していたことから、これらの細胞から産生されたPGD2が病巣に集積した線維芽細胞に作用する可能性が示唆された。その一方で、H-PGDS KOマウスでは線維の蓄積に先立って肺血管の透過性が亢進しており、TNF-αやCCL2のmRNA発現量も増加していた。このことから、線維芽細胞に対するコラーゲン産生抑制作用に加えて、血管内皮細胞や炎症性細胞などに対する作用も同時に失われた結果として、H-PGDS KOマウスで肺の線維化が増悪することが示唆された。

【結語】

PGD2は交叉反応によってTP受容体を介した肝臓の線維芽細胞収縮を誘起するが、PGE2もEP3受容体を介して収縮を誘起した。高濃度のPGE2は、FP受容体に交叉反応を示すことでさらに強力な収縮を誘起した。その一方で、PGE2とPGD2は、肺の線維芽細胞においてはそれぞれの本来の受容体であるEP2、EP4、およびDP受容体を介して、ともにコラーゲン産生を抑制した。すなわち、肝臓や肺の線維芽細胞に対するPGE2やPGD2の作用は、プロスタグランジンの種類によるのではなく、作用する組織によって異なることが明らかになった。このような作用の違いは、それぞれの線維芽細胞で活性化されるGタンパク質およびその下流の情報伝達系が、PGE2とPGD2の間で類似していることに起因すると考えられる。

その一方で、DP受容体は、肝臓の線維芽細胞においてもcAMP-PKAシグナルを活性化させることで細胞収縮を抑制した。また、肺の線維芽細胞においてはFP受容体を介した刺激はコラーゲン産生を促進することが報告されている。本研究も含めたこれらの知見は、線維芽細胞におけるプロスタグランジンの各受容体を介した作用の複雑さが、線維化の病態形成におけるCOX-2の関与をより複雑なものにしている可能性を示している。

さらに、H-PGDS欠損マウスを用いた検討から、H-PGDSから産生されるPGD2が線維芽細胞を含めた多くの細胞に作用して肺線維症に抑制的に作用することが示唆され、H-PGDSおよびPGD2の作用を明らかにすることが肺線維症の治療薬開発につながるものと考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

線維芽細胞は多くの組織に存在し、線維化などの病態形成に関与する。肝臓の線維芽細胞は強い収縮性を示すことで肝内圧の上昇を引き起こし、肝線維症の病態形成に関与する。肺の線維芽細胞は基底膜が破壊されるような炎症や損傷を受けて活性化し、細胞外マトリックスを放出して肺胞構造を崩壊させる。

プロスタグランジンは組織の炎症に際して局所的に放出される。肝臓の線維芽細胞においては、PGD2がトロンボキサン受容体を介して細胞収縮を誘起することが本研究室から報告された。しかしPGD2の本来の受容体であるDP受容体を介した作用や、PGE2による作用は明らかにされていない。肺においては、PGE2が線維芽細胞の活性を抑制することが報告されているが、PGD2が肺の線維芽細胞に及ぼす影響や、その情報伝達経路については報告がない。

これらの背景をふまえ、本研究では肝臓の線維芽細胞の収縮作用、および肺の線維芽細胞のコラーゲン産生作用に対するPGE2およびPGD2の役割を明らかにするとともに、肺線維症モデル動物を用いて、肺線維化に対するPGD2の病態生理機能を明らかにすることを目的として実験を行った。

【結果および考察】

肝臓の線維芽細胞においてPGE2は収縮作用を示した。この作用はEP3受容体作動薬でのみ再現された。EP3受容体作動薬および1 マイクロMまでのPGE2による収縮作用は、細胞内Caの上昇を伴わず、Ca2+非依存的なPKCを介した経路であることが示唆された。一方で10 マイクロM PGE2はFP受容体と交叉反応を示し、細胞内Caの上昇を伴うことでより強い細胞収縮を引き起こすことが示唆された。

ブラジキニンによって誘起された細胞収縮に対するDP受容体の役割を検討した結果、DP受容体作動薬は収縮を抑制した。ブラジキニンで誘起された細胞内Ca濃度の上昇はDP受容体作動薬によって部分的にのみ抑制された。DP受容体刺激によって線維芽細胞内のcAMP量は増加し、この収縮抑制作用はPKA阻害薬によって解除された。このことから、DP受容体刺激による収縮抑制作用はcAMP-PKAを介した細胞内Ca依存的な経路と、Ca非依存的な経路の両方を介した経路であることが示唆された。

肺の線維芽細胞において、PGD2はTGF-alphaで誘起されたコラーゲン産生を抑制した。この抑制作用はDP受容体作動薬のみで再現され、肺の線維芽細胞においてもPGD2およびDP受容体作動薬の刺激によって細胞内cAMP量が増加した。DP受容体刺激による抑制作用はPKAアナログによって再現されたが、PKA阻害剤では抑制作用が部分的にしか解除されなかった。このことから、PGD2によるコラーゲン抑制作用はDP受容体を介したcAMP量の上昇による作用と考えられるが、PKA依存的な経路と非依存的な経路の両方を介している可能性が示唆された。

肺の線維化に対するPGD2の病態生理機能を明らかにするため、PGD2合成酵素であるH-PGDS を欠損したマウスを用いて肺線維症モデル動物を作製したところ、肺におけるコラーゲン蓄積量が増加した。H-PGDSは上皮細胞や炎症性細胞に発現していたことから、これらの細胞から産生されたPGD2が病巣の線維芽細胞に作用する可能性が示唆された。その一方で、H-PGDS 欠損マウスでは肺血管の透過性が亢進し、炎症性メディエーター発現量も増加していた。このことから、血管内皮細胞や炎症性細胞などに対する作用も同時に失われた結果として、H-PGDS KOマウスで肺の線維化が増悪することが示唆された。

【結語】

PGD2は交叉反応によってTP受容体を介した肝臓の線維芽細胞収縮を誘起するが、PGE2もEP3受容体を介して収縮を誘起した。高濃度のPGE2は、FP受容体に交叉反応を示すことでさらに強力な収縮を誘起した。その一方で、PGE2とPGD2は、肺の線維芽細胞においてはそれぞれの本来の受容体であるEP2、EP4、およびDP受容体を介して、ともにコラーゲン産生を抑制した。すなわち、肝臓や肺の線維芽細胞に対するPGE2やPGD2の作用は、プロスタグランジンの種類によるのではなく、作用する組織によって異なることが明らかになった。その一方で、DP受容体は、肝臓の線維芽細胞においてもcAMP-PKAシグナルを活性化させることで細胞収縮を抑制した。これらの知見は、線維芽細胞におけるプロスタグランジンの各受容体を介した作用の複雑さが、線維化の病態形成におけるCOX-2の関与をより複雑なものにしている可能性を示している。

さらに、H-PGDS欠損マウスを用いた検討から、H-PGDSから産生されるPGD2が線維芽細胞を含めた多くの細胞に作用して肺線維症に抑制的に作用することが示唆された。

以上を要約すると、肝および肺の線維芽細胞の活性化におけるプロスタグランジンの役割を収縮機能ならびに線維化の観点から解明したものであり、学術上寄与するところは少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(獣医学)の学位に値するものと判断した。

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