学位論文要旨



No 128126
著者(漢字) 村木,美帆
著者(英字)
著者(カナ) ムラキ,ミホ
標題(和) 老化マーカー分子glutathione S-transferase theta 1 (GSTT1)の発現機構に関する研究
標題(洋) The expression mechanism of glutathione S-transferase theta 1 (GSTT1) as an aging marker
報告番号 128126
報告番号 甲28126
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第3842号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 久和,茂
 東京大学 教授 尾崎,博
 東京大学 教授 内藤,邦彦
 東京大学 教授 西原,眞杉
 東京大学 准教授 田中,智
内容要旨 要旨を表示する

一般的にヒトにおいては30代後半になると生殖能力が徐々に低下することが知られている。加齢による生殖能低下の要因は、いくつか知られているが、特に老化による酸化ストレスの増大は、卵子や顆粒膜細胞の機能低下を導く重要な要因と考えられている。正常な体内では、活性酸素群とそれらを消去するスカベンジャーとのバランスが保たれているが、加齢によって抗酸化ストレス機構が正常に機能しなくなると活性酸素群が増加し、女性の生殖能力にも影響を及ぼすことが示されている。一般的に加齢にともない、抗酸化物質が減少し、細胞異常や細胞死が引き起こされるが、雌性生殖細胞の老化の分子機構は不明であり、効果的な治療法や検査法に乏しいのが現状である。そこで、臨床検査の副産物として得られる顆粒膜細胞を研究材料とし、ストレス関連遺伝子群における差異的遺伝子発現解析による生殖細胞の老化マーカー分子の同定を試みたところ、抗酸化作用を持つことで知られているglutathione s-transferase(GST)の一つである GSTT1は、加齢により発現亢進していることが明らかとなった。さらに過酸化水素水やFSHにより発現亢進することからGSTT1が顆粒膜細胞における老化マーカーとなりうることを示した。興味深いことに、GST thetaクラスのアミノ酸配列やタンパク質の立体構造は、他のGSTと比べて大きく異なり、また遺伝子毒性代謝産物を発生させる機能を有しており、GSHとの結合性が非常に低いと考えられている。したがって、GSTT1は他のGSTとは異なる機能を有していると推測される。GSTP、GSTM、GSTAはよく研究が進んでおり、生体内にとって重要な役割を果たしていることが明らかとなっているが、GSTT1の機能については未だ不明な点が多く残されている。そこで、本研究では加齢に伴い発現亢進するGSTT1の特徴を解明するため、その発現機構に焦点を絞り研究を行った。

第一章老化マーカー分子GSTT1と他のGSTの顆粒膜細胞における発現解析

GSTT1はヒト顆粒膜細胞において加齢にともない亢進することから、ヒトおよびマウスの顆粒膜細胞におけるGSTT1とGSTの発現パターンの比較検討を行った。その結果、GSTT1とは対照的にGSTPの発現は高齢患者の顆粒膜細胞において発現が減少し、また高齢顆粒膜細胞においてGSTT1以外のGSTの酵素活性は低下し、GSTT1の酵素活性は上昇していることが示された。続いて、マウス顆粒膜細胞を用いて免疫蛍光抗体法およびRT-PCR法を用いて検討を行ったところ、ヒト顆粒膜細胞と同様の結果が得られた。以前の研究結果ではGSTT1の発現は卵丘卵子複合体成熟度と負の相関があり、アポトーシスマーカー分子であるBaxと同様な発現パターンを示したことを考慮すると、GSTT1は加齢にともなうストレスはもしくはアポトーシスによって誘導される可能性が示唆された。

GSTは抗酸化作用を持つ分子群の転写因子とされるnuclear factor erythroid 2 p45-related factor 2 (Nrf2)に発現制御を受け、細胞防御に働くことが知られている。これまでに、Nrf2欠損マウスではほとんどのGSTやglutamate cysteine ligase (GCLC)の触媒基質の発現が減少していることが報告されており、加齢にともなう酸化ストレス防御機能の低下とNrf2発現量の関連性も示唆されている。そこで、Nrf2欠損マウスから採取したmouse embryonic fibroblasts (MEFs)におけるGSTの発現解析を行った結果、これまでの報告のように、GSTT1以外のGSTの発現量は野生型マウスのMEFsよりも低下していたが、GSTT1の発現に差は見られなかった。

以上の結果より、GSTT1は他のGSTとは異なるストレス反応によって発現制御されていることが示唆された。

第二章KGN細胞におけるFSHおよび酸化ストレスによるGSTの発現解析とストレスカスケードに関する研究

血中のFSH、LHなどのホルモンや酸化ストレスは、加齢とともに増加することが知られている。以前の研究結果よりFSHはGSTT1の誘発因子であることが示されたため、FSH刺激したKGN細胞を用いて他のGSTについて、免疫蛍光抗体法およびRT-PCR法を用いて検討を行ったところ、他のGSTはFSHにより誘導されないことが示された。続いて、GSTT1は他のGSTと異なる挙動を示したことから、Nrf2に転写制御を受けているか検討を行うため、Nrf2の阻害剤であるall-trans retinoic acid (ATRA)によりGSTT1の発現が抑制されるかRT-PCR法および免疫蛍光抗体法により検討を行った。ATRA を処置したKGN細胞においてGSTA1、GSTM1の発現は有意に抑制されたが、GSTT1の発現は全く抑制されなかった。

Nrf2を介した発現経路の上流に存在するシグナル経路として、いくつか知られているが、中でもp38およびJNKは酸化ストレスなど細胞外的要因に反応することが示されている。また、GSTAおよびGSTPはJNKと直接結合し、その働きを阻害することが様々な細胞において報告されている。そこで、p38およびJNKの阻害剤がGSTT1の発現に影響を及ぼすか免疫蛍光抗体法を用いて検討を行なった。H2O2刺激を与えたKGN細胞におけるGSTPおよびNrf2の発現はJNKの阻害剤によって抑制されたが、GSTT1の発現は全く影響が認められなかった。一方、p38阻害剤では、GSTT1の発現は抑制され、GSTPやNrf2の発現には影響が見られなかった。KGN細胞においてp38はFSHにより活性化することが報告されていることを考慮すると、GSTT1はJNKの制御を受けず、p38 MAPKの下流で発現制御を受けていることが示唆された。

第三章GSTT1の転写制御に関する研究

これまでの研究結果より、GSTT1は第II層の薬物代謝酵素に分類されるが、Nrf2を介した転写制御受けていないことが示唆された。Nrf2は遺伝子上のプロモーター領域に存在するantioxidant response element (ARE)に結合し、転写を促進することが知られている。そこで、GSTT1を含めるGSTおよびキノンリダクターゼの遺伝子上流のプロモーター領域に存在する推定上のARE結合領域を検索し、比較検討を行なった。ARE配列(TMAnn RTGAYnnn GCR WWW)はヒト、マウス、ラットにおいて保存されており、GSTA1、GSTP1、GSTM1、キノンリダクターゼについてはすでに特定されている。これらの遺伝子とGST thetaクラスの推定上のARE領域の配列を比較したところ、thetaクラスの配列には多数のmutationが認められた。したがってGSTT1がNrf2の転写制御を受けていない可能性を強める結果となった。

顆粒膜細胞におけるGSTT1の発現が加齢にともなうストレスと関連することが示されているが、他の組織(体細胞)でも同様の結果が得られるかRT-PCR法を用いて検討を行なった。老齢マウスの腎臓においてもGSTT1の発現亢進が認められた。高齢患者から採取した真皮ではGSTT1の発現が亢進していることが報告されており、UV照射などによる増大した酸化ストレスを防御するためにGSTT1の発現が誘導されたのではないかと結論付けられており、顆粒膜細胞や腎細胞においても同様のことが起きている可能性が想定される。

一連の研究結果より、GSTT1の発現はp38と関連することが示唆された。GSTT1の発現制御に関わる分子群を特定するために、GSTT1の過剰発現および発現抑制系を作成し検討を行なった。p38の下流には様々な転写因子が存在し、細胞の成長や分化に関わるとされるGATAファミリーもその一つである。中でもGATA-1、GATA-4、GATA-6は内分泌細胞において様々なステロイド産生や遺伝子発現に関与することが明らかとなっており、FSHとの関連性も報告されている。NIH 3T3細胞およびHM-1細胞におけるGSTT1の過剰発現および発現抑制系を行なった結果、GATA-1、GATA-4、GATA-6の発現の変化が認められ、さらにGATA-1を過剰発現させることにより、GSTT1の発現が誘導されることが明らかとなった。GATA-1はセルトリ細胞やライディッヒ細胞などの生殖腺細胞、また造血系細胞に強く発現しており、GATA-1はそれらの組織の機能形成に深く関与しているのではないかと考えられている。また、GATA-1欠損マウスの巨核球ではGSTT1のmRNAはほとんど発現しておらず、この事実からもGSTT1とGATA-1の関連性が示唆される。しかしながら、GATA-1の発現は精巣と比較すると卵巣内での発現は少ないため、顆粒膜細胞においてGSTT1がGATA-1に発現制御を受けているか証明するにはさらに詳細に検討を行う必要がある。

結論として、今回我々の研究結果より、GSTT1は他のGSTとストレス反応や誘導因子が異なることが示唆され、GSTの代表的な転写因子であるNrf2に転写制御を受けている可能性が低いことが示された。ストレス反応カスケードの一つであるp38 MAPKを介し、一つの転写経路として、p38の下流に存在するGATAファミリー分子、特にGATA-1により発現制御を受けている可能性が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

ヒトでは30代後半になると生殖能力が徐々に低下することが知られている。しかしながら、雌性生殖細胞の老化の分子機構は不明であり、効果的な治療法や検査法に乏しいのが現状である。雌性生殖細胞の老化の原因の1つとして酸化ストレスが考えられる。通常、生体内では活性酸素群とそれらを消去するスカベンジャーとのバランスが保たれているが、加齢によって抗酸化ストレス機構が正常に機能しなくなると活性酸素群が増加し、卵や顆粒膜細胞などの生殖関連細胞群に異常や細胞死が引き起こされるという仮説である。そこで、ヒトの生殖医療の臨床検査の副産物として得られる顆粒膜細胞を用いてストレス関連遺伝子群における差異的遺伝子発現解析を行ったところ、抗酸化作用を持つglutathione S-transferase(GST)の一つである GSTT1の発現が加齢により亢進していることが明らかとなった。GST thetaクラスのアミノ酸配列やタンパク質立体構造は他のGSTと比べて大きく異なっており、またグルタチオンとの結合性も非常に低いく、GSTT1は他のGSTとは異なる機能を有していると推測されている。GSTT1に関する研究は少なく、その機能については未だ不明な点が多い。そこで、本研究では加齢に伴い発現亢進するGSTT1の特徴を解明するため、その発現機構に焦点を絞り研究を行った。論文は以下の3章からなる。

第一章では、若齢と高齢のヒトおよびマウスの顆粒膜細胞におけるGSTT1と他のGSTの発現パターンを比較検討した。GSTPの発現は高齢患者の顆粒膜細胞において発現が減少し、またその酵素活性は低下していた。一方、GSTT1の酵素活性は上昇していた。マウス顆粒膜細胞でもヒト顆粒膜細胞と同様の結果が得られた。

GSTは抗酸化作用を持つ分子群の転写因子であるnuclear factor erythroid 2 p45-related factor 2 (Nrf2)に発現制御を受け、細胞防御に働くとされている。そこで、Nrf2欠損マウス由来胚性線維芽細胞株 (MEFs)におけるGSTの発現を解析した。その結果、GSTT1以外のGSTの発現量は野生型マウスのMEFsよりも低下していたが、GSTT1の発現に差はなかった。GSTT1は他のGSTとは異なるストレス反応によって発現制御されていることが示唆された。

第二章ではヒト顆粒膜細胞株であるKGN細胞を用いて、卵胞刺激ホルモン(FSH)および過酸化水素水(H2O2)を用いた酸化ストレス刺激によるGSTの発現解析とストレスカスケードについて検討した。GSTT1はFSH刺激により発現誘導されたが、他のGSTは誘導されなかった。次にNrf2の阻害剤であるall-trans retinoic acid (ATRA)により、GSTT1の発現が抑制されるか検討した。ATRA を処置したKGN細胞ではGSTA1、GSTM1の発現は有意に抑制されたが、GSTT1の発現は全く抑制されなかった。

Nrf2を介した発現経路の上流に存在するシグナル経路として、p38およびJNKが知られている。実際GSTAおよびGSTPはJNKと結合し、その働きを阻害することが報告されている。そこで、p38およびJNKの阻害剤のGSTT1の発現に及ぼす影響について検討した。H2O2刺激を与えたKGN細胞におけるGSTPの発現はJNK阻害剤(SP600125)によって抑制されたが、GSTT1の発現は影響されなかった。一方、p38阻害剤(SB203850)では、GSTT1の発現は抑制され、GSTPの発現には影響がみられなかった。したがって、GSTT1はJNKの制御を受けず、p38 MAPKの下流で発現制御を受けていることが示唆された。

第三章ではまず、GSTT1の転写制御に関するゲノム情報について検索した。Nrf2はプロモーター領域に存在するantioxidant response element (ARE)に結合し、転写を促進することが知られているので、各遺伝子上流のプロモーター領域に存在する推定上のARE結合領域について検索した。ARE配列(TMAnn RTGAYnnn GCR WWW)はヒト、マウス、ラットにおいて保存されており、GSTA1、GSTP1などでは既に特定されている。しかし、検索の結果thetaクラスの配列には多数のmutationが認められ、GSTT1がNrf2の転写制御を受けていない可能性を支持する結果となった。

GSTT1の発現制御に関わる分子群を特定するために、NIH 3T3細胞およびHM-1細胞におけるGSTT1の過剰発現および発現抑制実験を行なった。その結果、GATA-1、GATA-4、GATA-6の発現の変化が認められ、さらにGATA-1を過剰発現させることによりGSTT1の発現が誘導された。GATA-1はセルトリ細胞やライディッヒ細胞などの生殖腺細胞、また造血系細胞に強く発現し、機能形成に深く関与している。しかし、卵巣でのGATA-1の発現は少なく、顆粒膜細胞においてGSTT1がGATA-1に発現制御されているか証明するにはさらなる検討が必要である。

以上の結果より、GSTT1は他のGSTとストレス反応や誘導因子が異なることが示唆され、GSTの代表的な転写因子であるNrf2に転写制御を受けていない可能性が示された。また、GSTT1はストレス反応カスケードの一つであるp38 MAPKを介し、その下流に存在するGATAファミリー分子、特にGATA-1により発現制御を受けている可能性が示唆された。

これらの研究成果は獣医学学術上貢献するところが少なくない。よって、審査員一同は、本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

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