学位論文要旨



No 128128
著者(漢字) 李,謙一
著者(英字)
著者(カナ) リ,ケンイチ
標題(和) 志賀毒素産生性大腸菌O157のストレス抵抗性および遺伝子型に関する研究
標題(洋)
報告番号 128128
報告番号 甲28128
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第3844号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 局,博一
 東京大学 教授 関崎,勉
 東京大学 教授 真鍋,昇
 東京大学 教授 小西,良子
 東京大学 准教授 工藤,由起子
内容要旨 要旨を表示する

志賀毒素産生性大腸菌血清群O157 (STEC O157) は、重篤な感染症を起こし、日本における感染症報告数も多いことから公衆衛生上重要な食中毒起因菌のひとつである。STEC O157の主な宿主はウシなどの反芻類であるが、感染動物によって汚染されたチーズや青果類を原因とする食中毒も多く報告されている。これらの食品中では、酸、低温、高浸透圧などのSTEC O157に対するストレスが大きいため、同菌のストレス抵抗性がヒトの疾病発生に重要な役割を果たしていると考えられる。細菌のストレス抵抗性には、食品中のカビなどの微生物による作用や細菌の遺伝子型による差異が関与すると考えられるが、STEC O157においてこの点は不明である。本研究では、チーズや青果類などの食品におけるSTEC O157のストレス抵抗性に関わる要因を究明するために、STEC O157のストレス抵抗性におよぼすカビの影響およびSTEC O157の遺伝子型によるストレス抵抗性の相違に関して、一連の研究を行なった。

第一章では、チーズや青果類に広く認められるカビに着目し、カビ熟成型チーズの代表的なカビスターターであるPenicillium camembertiおよびPenicillium roquefortiがSTEC O157に与える影響を2つのモデル系を用いて究明した。モデル1では、STEC O157を酸性としたP. camemberti または P. roquefortiの培養ろ液に接種し、25°C下での挙動を調べた。この結果、pH 4.8 から 5.0のカビの培養ろ液中では、STEC O157の誘導時間が対照と比べて有意に短縮した。次に、カビの培養ろ液で認められたSTEC O157の増殖促進作用をチーズの製造モデル系でも検討するために、P. camembertiとSTEC O157を酸性とした牛乳中で共培養した。STEC O157菌数はカビの存在下では増加し108 CFU/mlまで達したが、単独培養時には減少した。カビによるSTEC O157の増殖促進作用は、培養液中のpHを一定に保持した条件下でも認められたため、pH非依存性の機序の存在が考えられた。モデル2では、STEC O157を接種したpH 4.5のカビの培養ろ液を10°Cで保持し、STEC O157の生残性を調べた。この結果、カビの培養ろ液中では、STEC O157の損傷菌割合が対照と比べて減少すること、また、死滅速度の指標であるD値が増大することが認められた。カビの培養ろ液の熱処理やカビ培養条件の影響を検討した結果から、STEC O157の増殖に対する促進作用には、酸性下でカビによって産生される耐熱性の物質が関与するものと考えられた。以上から、チーズのカビスターターは酸性ストレス下でのSTEC O157の増殖や生残を促進することが明らかにされた。

第二章では、STEC O157の挙動にカビの菌糸が与える影響を究明するために、まず、発酵食品のカビスターター4菌種または一般的な食品汚染カビ7菌種と運動性または非運動性STEC O157との共培養を平板培地上で行なった。カビコロニー上でのSTEC O157の移動距離を測定したところ、カビの菌種によってSTEC O157の移動距離が異なり、特に運動性STEC O157の移動距離が長いことが認められた。また、カビコロニー上でのSTEC O157菌数の変化を測定したところ、11菌種のカビのうち9菌種のコロニー上でSTEC O157の増殖がみられた。一方、Emericella nidulansおよびAspergillus ochraceus上では、STEC O157菌数は接種菌数から有意に減少していた。さらに、緑色蛍光タンパクを発現するSTEC O157とカビとの共培養を行ない、共焦点走査型レーザー顕微鏡下でカビの菌糸上でのSTEC O157の局在を観察した結果、STEC O157は主にカビの菌糸上および菌糸間に形成された水膜中に存在することが明らかとなった。特に、コロニー上でSTEC O157の大きな移動がみられたRhizopus sp.、Geotrichum candidum、Alternaria alternataおよびCollectotrichum sp.のコロニー上では広範囲に厚い水膜層の形成がみられた。このことから、菌糸上および菌糸間での水膜形成が、カビのコロニー上でのSTEC O157の移動距離の決定因子として重要であることが示唆された。また、カビのコロニー上で共培養後のSTEC O157の変化を酸抵抗性試験によって調べた。すなわち、STEC O157を平板培地上に発育させたカビのコロニー上で7日間共培養した後に回収し、塩酸でpH 2.5とした培地中でのD値を求めた。その結果、供試した6菌種のカビのうち、カビスターターであるP.camembertiなど4菌種のカビとの共培養後のSTEC O157は、平板培地上で単独培養した場合と比べて、高い酸抵抗性を示した。以上から、食品上でのカビの菌糸は、STEC O157の汚染を物理的に広げるとともに、同菌のストレスへの抵抗性を高めることが明らかにされた。

第三章では、STEC O157におけるストレス抵抗性と遺伝子型との関連性を解析することで、ストレス抵抗性とヒトの疾病との関連性を究明した。まず、ヒトの疾病と有意に相関するSTEC O157の遺伝子型を特定するために、ヒトおよびウシから分離された144株のSTEC O157について、5種類の病原因子 (stx1、stx2、stx2c、eaeおよびehxA) の保有率調査およびlineage-specific polymorphism assay with 6 markers (LSPA6) 型別を行い、その結果に基づいてロジスティック回帰分析および集団遺伝学解析などを行なった。STEC O157の遺伝子型の比較によって、ヒト由来株では、ウシ由来株と比べてstx1・stx2の両遺伝子保有 (stx1・stx2保有) 株およびLSPA6-lineage I (LI) 株の頻度が有意に高く、stx2c単独保有株、stx1・stx2c保有株およびLSPA6-lineage II (LII) 株の頻度が有意に低いことが判明した。ロジスティック回帰分析によって、用いた遺伝子型のうちstx2の保有が特にヒト由来株と関連していることが示唆された。集団遺伝学解析によって、ウシ由来株はヒト由来株よりも遺伝的に高い多様性を有することが示唆された。さらに、STEC O157は遺伝的に3つのクラスターに分けられ、ヒト由来株の多くは、stx1・stx2保有のLI株およびstx2単独保有または stx2・stx2c保有のLSPA6 lineage I/II株であることが示された。一方、ウシ由来株は、ヒト由来株で多い遺伝子型の株およびstx2c単独保有またはstx2・stx2c保有のLII株から構成されることが明らかとなった。

次に、上記の遺伝子型解析で用いたSTEC O157の株から、全てのstx型およびLSPA6 lineage を含むように選んだ57株を用いて6種類のストレス抵抗性試験 (酸、凍結融解、熱、高浸透圧、酸化および飢餓ストレス) を実施した。試験結果からストレス抵抗性の指標である死滅速度係数を算出し、遺伝子型間での多重比較、主成分分析およびクラスター分析を用いてstx型およびLSPA6-lineageとの関連性を解析した。死滅速度係数の多重比較によって、stx1・stx2保有株は、stx1・stx2c保有株より高い熱抵抗性を、stx2単独保有株およびstx2c単独保有株より高い飢餓ストレス抵抗性を有することが示唆された。また、LI株は、LII株より高い熱抵抗性および飢餓ストレス抵抗性を有することが示唆された。主成分分析によって、1種のストレスに高い抵抗性を有する株は、他のストレスに対しても高い抵抗性を有することが示された。クラスター分析によって、供試したSTEC O157はストレス抵抗性のクラスター1、ストレス感受性のクラスター3および中間型のクラスター2に分けられることが示された。stx1・stx2保有株の全株はクラスター1に分類され、stx1・stx2c保有株の72.7 % (8/11株) はクラスター3に分類された。一方、LIの株の77.8 % (14/18株) はクラスター1に分類され、LIIの株の64.7 % (11/17株) はクラスター3に分類された。以上の結果から、ヒトでの疾病に関連するstx1・stx2保有株やLIの株は、他の遺伝子型の株よりも複数のストレスに対して、より高い抵抗性を有することが明らかとなった。

以上の一連の研究から、STEC O157によるヒトの疾病発生には同菌のストレス抵抗性が重要な役割を果たすこと、すなわち、宿主であるウシが保有するSTEC O157のうち、ストレス抵抗性の高い一部の株がヒトの疾病に関与することが示唆された。STEC O157は、チーズや青果類などの食品にみられるようなSTEC O157にとってストレスの大きい環境中でも、ストレス抵抗性の遺伝子型の菌が生残し、さらに、カビスターターや食品に広く分布するカビは、STEC O157に対するストレスを緩和する作用を発現する。その結果として、食中毒リスクを高めるものと考えられる。以上、本研究によって、チーズなどの食品上でのSTEC O157の挙動を理解し、効果的に制御する上では、同菌の遺伝子型やカビによる作用を考慮する必要があることが判明した。

審査要旨 要旨を表示する

志賀毒素産生性大腸菌 (STEC) 血清群O157は、重篤な感染症を起こし、日本における報告数も多いことから公衆衛生上重要な食中毒起因菌の一つである。STEC O157の主な宿主はウシなどの反芻類であるが、感染動物によって汚染されたチーズや青果類を原因とする食中毒も多く報告されている。本研究ではチーズや青果類におけるSTEC O157の挙動に関わる因子を解明するために、本菌のストレス抵抗性、遺伝子型および微生物間作用との関連性についての一連の研究を行なったものである。

第一章では、チーズや青果類において重要な微生物であるカビに着目し、主に代謝物がSTEC O157に与える影響を検討した。このため、カビ熟成型チーズの代表的なカビスターターであるPenicillium camembertiまたはPenicillium roquefortiがSTEC O157に与える影響を三つのモデル系を用いて評価した。モデル1では、8株のSTEC O157を酸性条件のP. camemberti または P. roquefortiの培養ろ液に接種し、25°Cでの挙動を観察した。pH 4.8 から 5.0の酸性環境および熱負荷に関する実験から、STEC O157の増殖促進作用の原因物質は、酸性条件下で産生される耐熱性の物質であると考えられた。モデル2では、P. camembertiとSTEC O157を酸性の牛乳中で共培養した。STEC O157生菌数はカビの存在下では108 CFU/mlまで達したが、単独培養時には減少した。培養中のpHを一定に保った際にも、本菌の増殖促進作用は認められたため、pH非依存性の機序の存在が示唆された。モデル3では、2株のSTEC O157をpH 4.5のカビ培養ろ液中で10°Cでの生残性を観察した。この結果、カビ培養ろ液中では、いずれのSTEC O157の株も損傷菌率が低いことが認められた。これらの結果から、チーズのカビスターターは食品環境を変化させ、酸性下でのSTEC O157の増殖や生残を促進させることが示された。

第二章においては、カビの菌糸がSTEC O157の挙動に及ぼす影響を評価した。発酵食品のカビスターター4菌種および一般的な食品汚染カビ7菌種と運動性または非運動性STEC O157との共培養を行なった。カビの菌種によってSTEC O157の移動距離が異なること、またカビコロニー上でのSTEC O157菌数の変化を測定したところ、11菌種中9菌種のカビ上でSTEC O157の増殖がみられた。一方、Emericella nidulansおよびAspergillus ochraceus上では、STEC O157生菌数は接種菌数から有意に減少していた。緑色蛍光タンパクを発現させた株を作製し、カビとの共培養を行ない、共焦点走査型レーザー顕微鏡を用いて観察したところ、STEC O157は主にカビの菌糸上および菌糸間に形成された水膜中に観察された。これらの結果から、食品上でのカビの菌糸の存在は、STEC O157の汚染を広げ、ストレスへの抵抗性を高める可能性があることが示唆された。

第三章においては、ストレス抵抗性とヒトの疾病発生との関連性を評価した。まずヒトおよびウシ由来STEC O157の遺伝子型の違いを、単変量および多変量解析を用いて明らかにした。続いて、遺伝子型解析の結果をもとに6種類のストレスへの抵抗性との関連性を検討した。5種類の病原因子 (stx1、stx2、stx2c、eaeおよびehxA) およびlineage-specific polymorphism assay with 6 markers (LSPA6) 型別の結果をもとに、重回帰分析および集団遺伝学解析を行ない、人の疾病と有意に相関する遺伝子型を特定した。重回帰分析の結果から、stx2の保有が特にヒト由来株とウシ由来株を区別する上で重要であることが示された。集団遺伝学解析の結果からは、ウシ由来株はヒト由来株よりも遺伝的に高い多様性を有することが示された。さらに、用いたSTEC O157は遺伝的に3つのクラスターに分けられることが示された。ヒト由来株の多くは、stx1・stx2を同時保有するL Iの株およびstx2単独保有または stx2・stx2cを同時保有するLSPA6 lineage I/IIの株であることが示された。一方、ウシ由来株はヒト由来株で多い遺伝子型に加えて、stx2c を単独保有またはstx2・stx2cを同時保有するLIIの株から構成されていた。

次いで、上記のSTEC O157の株のうち、57株を用いて6種類のストレス抵抗性試験 (酸、凍結融解、熱、高浸透圧、酸化および飢餓ストレス)を実施した。その結果、ヒトでの疾病に関連するstx1・stx2同時保有株やLIの株は、他の遺伝子型よりも複数のストレスに対して、より高い抵抗性を有することが示唆された。

以上の研究から、病原性の高い遺伝子型のSTEC O157は同時に高いストレス抵抗性を有することが明らかになった。また、カビは食品中の環境を変化させる結果として、STEC O157へのストレスの緩和や、食品内での分布拡大を促進することが示唆された。

以上を要するに、本研究は、腸管出血性大腸菌症をもたらすO157の食品中の増殖環境要因を解明するとともに、ウシおよびヒトとの間でのO157の遺伝的関連性を実証したものであり、学術上、応用上、資するところが大である。よって、審査委員一同は、本研究論文が博士(獣医学)を授与するにふさわしいものと認めた。

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