学位論文要旨



No 128133
著者(漢字) 斎藤,雅倫
著者(英字)
著者(カナ) サイトウ,マサミチ
標題(和) マウス網膜組織における脂質転移酵素LPCAT1の機能解析
標題(洋)
報告番号 128133
報告番号 甲28133
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3792号
研究科 医学系研究科
専攻 分子細胞生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 天野,史郎
 東京大学 講師 新井,郷子
 東京大学 特任教授 渡邉,すみ子
 東京大学 教授 浜窪,隆雄
 東京大学 講師 相原,一
内容要旨 要旨を表示する

網膜は光刺激を受容し、電気生理シグナルへの変換を行う視覚機能の中枢を担う組織であり、視覚機能と脂質の関係性についてはこれまでに数々の興味深い報告がなされている。Docosahexaenoic acid(DHA)に代表される多価不飽和脂肪酸は、視覚シグナル伝達の活性化や視細胞の発生や形体形成、機能維持に重要な役割を果たしていると考えられている。

リン脂質は生体膜を構成する主成分であり、その多様性はリゾリン脂質転移酵素によって獲得される。lysophosphatidylcholine acyltransferase 1(LPCAT1)は、リゾリン脂質であるリゾホスファチジルコリン(LPC)からホスファチジルコリン(PC)を生成する酵素として知られている。2010年に入り、網羅的遺伝子の解析からLPCAT1が網膜で顕著な発現増加を示し、同遺伝子の変異タンパク質をコードする突然変異体マウス(rd11)では視覚機能が低下する事が報告された。また、網膜組織での高い発現や糖尿病患者でその発現量が低下する事が報告されている。しかし、rd11マウスではLPCAT1以外の遺伝子にも変異が生じていることから、LPCAT1単独の作用を検証している確証が得られていない。そこで、本研究では当研究室で樹立されたLPACT1の単独欠損マウスを用いてLPCAT1が網膜組織に及ぼす影響の解明に着手した。

LPCAT1を含む43種類の脂質代謝関連酵素の発現様式を、胎生14日から3週齢までの4点でPCRアレイを用いて測定したところ、41種類の酵素で3週齢での相対的発現強度が最も高くなっており、生体膜リン脂質の生合成と多様性の獲得に関わる酵素が成熟した網膜の機能強く関連している事が推測された。

LPCAT1mRNAの発現変動を胎生18日、生後0日、8日、2週齢、3週齢、成体の6点で測定したところ、胎生期に比べ生後8日から発現量が経時的に上昇した。LPCAT1は肺にも高い発現が確認されており、呼吸に必須な肺サーファクタントの合成に寄与する事が伺われる。LPCAT1は肺組織で高い発現量を示す事が知られているが、その発現変動の様子は出生の前後で発現量のピークを迎え、網膜組織での発現パターンとは異なる結果となった。

抗LPCAT1抗体を用いた網膜の免疫組織染色より、LPCAT1が網膜の外節、内節、神経節細胞層、そして各層の間隙に存在する内網状層、外網状層に存在し、抗ロドプシン抗体との二重染色によりLPCAT1が外節、内節に強く発現している事が示された。LPCAT1欠損マウスでは生後3週目から総タンパク質量と桿体細胞を含む外顆粒層の減少、眼球サイズの縮小が確認された。

また、LPCAT1の欠損により網膜組織を構成する細胞群の構成の変化を、免疫組織染色及びウェスタンブロッティングにより検証した結果、3週齢以降のLPCAT1欠損マウスでロドプシンの発現が低減しており、その差は5週齢でより顕著になった。ロドプシン産生に寄与する桿体細胞以外の網膜細胞はLPCAT1欠損マウスにおいても発現しており、LPCAT1の欠損に伴う影響は桿体細胞に限局していた。

LPCAT1の欠損に伴う桿体細胞の消失メカニズムを解析するため、フローサイトメーターによるアネキシンVとヨウ化プロピジウムの二重染色で死細胞群の割合を測定したところ、3週齢以降のLPCAT1欠損マウスでアポトーシスが誘導された細胞集団の割合が増加していた。また、免疫組織染色による活性型Casapase-3の発現を解析した結果、4週齢以降のLPCAT1欠損マウスで活性型caspase-3の陽性率が有意に増加していた。

視細胞に細胞死を誘導するシグナルとして、光刺激の存在が報告されており、LPCAT1欠損マウスの遮光環境下における視細胞の形成を検証した。遮光環境下で5週間飼育したところ、通常の飼育環境下と同様にLPCAT1欠損マウスにおいて総タンパク量、外顆粒層の減少に伴うロドプシン産生の消失が確認され、LPCAT1欠損に伴う視細胞への細胞死誘導シグナルは光刺激非依存的であると考えられた。

質量分析機を用いたリン脂質解析より、LPCAT1欠損マウスでは32:0-PC (DPPC, Dipalmitoylphosphatidylcholine; LPCAT1の主反応産物)とDHAを含むと想定される44:12-PCや44:12-PE (ホスファチジルエタノールアミン)、44:12-PS(ホスファチジルセリン)の割合が減少していた。視細胞の細胞死は脂質組成バランスの破綻で生じる事が知られており、LPCAT1欠損に伴う脂質組成の変化が、LPCAT1欠損マウスにおける外顆粒層の細胞死を誘導した可能性が考えられた。

本研究から、LPCAT1が生後8日からマウス網膜で発現上昇を示し、視細胞の分化、成熟に関与する可能性が示され、LPCAT1の欠損により、少なくとも3週齢から外顆粒層に異常が生じる事が確認された。LPCAT1欠損マウスの網膜では、DPPCの存在割合は2週齢から、DHAを含有する44:12-PCの存在割合は3週齢から、44:12-PEや44:12-PSの存在割合は4週齢から減少傾向にあり、4週齢からcaspase-3活性が亢進している事より、時系列的にLPCAT1欠損に起因した脂質組成の変化がcaspase-3依存的な外顆粒層の細胞死を誘導した可能性が考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は生体内のリン脂質生合成経路に関与する脂質転移酵素、LPCAT1のマウス網膜組織における機能を明らかにするため、当研究室で樹立されたLPCAT1欠損マウスを用いて各種の解析を試みたものであり、以下の結果を得ている。

1. LPCAT1を含む43種類の脂質代謝関連酵素の発現様式を、胎生14日から3週齢までの4点でPCRアレイを用いて測定したところ、41種類の酵素で3週齢での相対的発現強度が最も高くなっており、生体膜リン脂質の生合成と多様性の獲得に関わる酵素が成熟した網膜の機能と強く関連している事が推測された。

2. LPCAT1mRNAの発現変動を胎生18日、生後0日、8日、2週齢、3週齢、成体の6点で測定したところ、胎生期に比べ生後8日から発現量が経時的に上昇した。LPCAT1は肺組織で高い発現量を示す事が知られているが、その発現変動の様子は出生の前後で発現量のピークを迎え、網膜組織での発現パターンとは異なる結果となった。

3. 抗LPCAT1抗体を用いた網膜の免疫組織染色より、LPCAT1が網膜の外節、内節、神経節細胞層、そして各層の間隙に存在する内網状層、外網状層に存在し、抗ロドプシン抗体との二重染色によりLPCAT1が外節、内節に強く発現している事が示された。

4. LPCAT1欠損マウスでは生後3週目から総タンパク質量と桿体細胞を含む外顆粒層の減少、眼球サイズの縮小が確認された。

5. LPCAT1の欠損により網膜組織を構成する細胞群の構成の変化を、免疫組織染色及びウェスタンブロッティングにより検証した結果、3週齢以降のLPCAT1欠損マウスでロドプシンの発現が低減しており、その差は5週齢でより顕著になった。ロドプシン産生に寄与する桿体細胞以外の網膜細胞はLPCAT1欠損マウスにおいても発現しており、LPCAT1の欠損に伴う影響は桿体細胞に限局していた。

6. LPCAT1の欠損に伴う桿体細胞の消失メカニズムを解析するため、フローサイトメーターによるアネキシンVとヨウ化プロピジウムの二重染色で死細胞群の割合を測定したところ、3週齢以降のLPCAT1欠損マウスでアポトーシスが誘導された細胞集団の割合が増加していた。また、免疫組織染色による活性型Casapase-3の発現を解析した結果、4週齢以降のLPCAT1欠損マウスで活性型caspase-3の陽性率が有意に増加していた。

7. 視細胞に細胞死を誘導するシグナルとして、光刺激の存在が報告されており、LPCAT1欠損マウスの遮光環境下における視細胞の形成を検証した。遮光環境下で5週間飼育したところ、通常の飼育環境下と同様にLPCAT1欠損マウスにおいて総タンパク量、外顆粒層の減少に伴うロドプシン産生の消失が確認され、LPCAT1欠損に伴う視細胞への細胞死誘導シグナルは光刺激非依存的であると考えられた。

8. 質量分析機を用いたリン脂質解析より、LPCAT1欠損マウスでは32:0-PC (DPPC, Dipalmitoylphosphatidylcholine; LPCAT1の主反応産物)とDHAを含むと想定される44:12-PCや44:12-PE (ホスファチジルエタノールアミン)、44:12-PS(ホスファチジルセリン)の割合が減少していた。視細胞の細胞死は脂質組成バランスの破綻で生じる事が知られており、LPCAT1欠損に伴う脂質組成の変化が、LPCAT1欠損マウスにおける外顆粒層の細胞死を誘導した可能性が考えられた。

以上、本研究によりこれまで未知とされていたLPCAT1のマウス網膜における発現変動の様式と発現分布が示され、LPCAT1の単独欠損により、少なくとも3週齢から外顆粒層に異常が生じる事が確認された。また、その原因として脂質組成の破綻がcaspase-3の活性化を亢進した可能性が示された事は、網膜の脂質組成と視覚機能維持の関係性の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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