学位論文要旨



No 128137
著者(漢字) 森,真弓
著者(英字)
著者(カナ) モリ,マユミ
標題(和) 子宮脱落膜の分化不全による新しい不妊症メカニズムの解明
標題(洋)
報告番号 128137
報告番号 甲28137
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3796号
研究科 医学系研究科
専攻 分子細胞生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 栗原,裕基
 東京大学 准教授 武井,陽介
 東京大学 教授 浜窪,隆雄
 東京大学 教授 深山,正久
 東京大学 教授 武谷,雄二
内容要旨 要旨を表示する

私は、death effector domain-containing protein (Dedd) 欠損マウスが呈するメス不妊症の原因が脱落膜分化不全にあることを明らかにし、その分子メカニズムを解明するとともに、女性不妊症において脱落膜の機能分化が原因かつ治療のターゲットの一つになり得る可能性を示した。

子宮脱落膜の妊娠維持における重要な意義

現在,生殖年齢で不妊症を経験する女性は、10 ~ 15% もいるとされている。明らかな原因として卵管や卵巣の形態・機能的異常、そして子宮内膜症が背景にみとめられる場合があるが、原因がまったく不明な例も少なくない。私は、女性不妊症の原因になりうる要因として脱落膜 (decidua) に注目した。脱落膜は、胎盤が形成されるまでの間に、着床胚に対して栄養源や成長因子を供給し、また胎児と母体間で免疫的拒絶が起きるのを防ぐバリアの働きをする、非常に重要な子宮組織である。この脱落膜を構成する脱落膜細胞の特徴は、グリコーゲンや脂質などの栄養を細胞内に蓄積すること、プロラクチンやそのファミリータンパク質をはじめとする多種多様なマーカーを発現すること、さらに、DNA コピー数が増えて多核細胞になることである。このような脱落膜細胞分化は、ヒト子宮内膜あるいはマウス子宮間質細胞を単離培養し、エストロゲン・プロゲステロンを加えることにより、in vitro で誘導できる。マウスでは 7 日間の誘導中に、(1) 細胞の増殖、(2) 分化マーカーの発現、(3) 多核化を伴う成熟という三つの段階を経る。脱落膜分化のメカニズムやその不妊症との関係に関しては、Homeobox A10 (Hoxa10) の欠損マウス や、Interleukin-11 receptor alpha (Il-11Rα) 欠損マウス等においてそれらの欠損分子の関与が示されてきた。またさらに、細胞周期の制御が子宮間質細胞の増殖や脱落膜分化・多核化において重要であるという見方が出てきている。特に、Cyclin D3 依存的に活性化する Cyclin-dependent kinase 4 (Cdk4) と Cdk6 のはたらきやそのタイミングが、この増殖・多核化というそれぞれの段階の調節に重要であることを示唆する報告がある。

Death effector domain-containing protein (DEDD) について

Death effector domain (DED) は、プログラム細胞死・アポトーシスに働く Caspase-8 や Caspase-10 などに含まれるドメインである。これらのタンパク質はアポトーシス誘導時に DED 同士で結合して death-inducing signaling complex (DISC) を形成し、アポトーシスを開始させる。

Death effector domain-containing protein (DEDD) は、DED タンパク質ファミリーの新たなメンバーとして 1998 年に発見されそのアポトーシスへの関与が注目された細胞内タンパク質である。DED を 1 箇所持ち、in vitro で過剰発現させるとアポトーシスを誘導すると報告された。

そこで当研究室で Dedd 欠損 (Dedd(-/-)) マウスを作製し、アポトーシスへの影響を調べたが、過剰発現実験の結果に反して、アポトーシスの抑制や亢進に関する表現型はDedd(-/-/- )マウスで見つかっていない。

Dedd がおこなう細胞周期制御による細胞・体のサイズ調節機構

一方、Dedd(-/-) マウスの表現型解析から、Dedd 分子は細胞周期や細胞・体のサイズの調節に関与することが明らかとなった。Dedd は Cyclin B1 / Cdk1 複合体に結合し、Cdk1 のキナーゼ活性を抑制する。Cyclin B1 / Cdk1 複合体は細胞周期の M 期に入るとき活性化されるが、Dedd が G2 期から M 期にかけて発現し、この複合体と結合することによって、M 期特異的に Cdk1 の活性化を抑制するため、結果的に細胞周期が負に制御される。これにより、M 期が進行する前に細胞内では ribosomal RNA (rRNA) が新生され、十分な量のタンパク質が翻訳・合成されて細胞が正常な大きさになった後に初めて、細胞分裂が起きる。

Deddによるインスリンシグナル調節機構

このように Dedd は細胞周期に密接に関与するが、インスリン・phosphoinositide 3-kinase (PI3K) シグナル下流の S6k1 や Akt 分子へも作用することがわかった。Dedd は、S6k1 の活性を間接的に維持する。これは、Cdk1 が S6k1 をリン酸化して不活化するはたらきを、抑制することによる。

また、Dedd は PI3K シグナル経路において S6k1 の上流にも作用する。Dedd は PI3K によって活性化される Akt に結合してこれをタンパク質レベルで安定化する。Dedd は S6k1 の活性維持だけでなく Akt のタンパク質安定化にはたらき、二つの方向からインスリン感受性増強に寄与する。

以上のように Dedd は、多様な細胞内分子に作用して細胞の増殖や代謝調節に関与する多機能分子であることがわかる。

本研究の目的

本研究においては、Dedd(-/-) マウスがメス不妊になることに注目し、まずその原因を明らかにした。脱落膜の分化不全にその原因があることをつきとめたので、さらにその分子メカニズムを解明することを目的とした。

方法と結果

まずDedd(-/-/-) マウスの呈する不妊の病態をメイティング実験によって示した。遺伝子型 -/- の仔はメンデル則に従って産まれるにも拘わらず、遺伝子型 -/- のメスはどの遺伝子型のオスと掛け合わせても仔を産まないことから、不妊の原因が母体側にあると考えた。そこで卵巣機能を調べるために、性ホルモンの血中濃度を調べたが、Dedd+/+ マウスと Dedd(-/-) マウスで差はなかった。一方、Dedd+/+ の子宮において着床後、妊娠 Day 5.5 で Dedd の発現が急激に上昇したことから、着床後に分化する子宮の脱落膜に注目した。

妊娠したマウスを、Day 5.5 ~ Day 9.5 の各時点において解剖し、子宮組織の HE 染色像から次の所見を得た。(1)Dedd(-/-/-) マウスでは、着床後から胎盤形成前までの間に胚生存率が大きく低下すること、(2)Dedd(-/-/-) マウスの脱落膜組織は Day 7.5 ~ 8.5 にかけて変質し、形態を維持できないこと、である。また、子宮組織を脱落膜マーカーの一つである TIMP-3 の免疫染色よりDedd(-/-/-) において脱落膜分化が低下していることを示した。さらに、他の多くの脱落膜マーカーも、mRNA 発現量がDedd(-/-/-) 子宮で減少していることを示した。

次に、子宮間質細胞を単離して、エストロゲン・プロゲステロンを加えて in vitro で脱落膜分化誘導するとDedd(-/-/-) 細胞は Dedd+/+ に比べて増殖率に差がないにも拘わらず、多核化する割合が低下することがわかった。従ってDedd(-/-/-) マウス子宮では、着床は正常であるが、脱落膜の多核化を伴う成熟に欠陥があり、これが胚の死をもたらす原因になっていると考えた。

この、脱落膜分化・多核化が低下するメカニズムを解明するため、Akt と Cyclin D3 という脱落膜多核化に関与する二つのタンパク質に着目した。Dedd はインスリン標的組織で Akt に結合してタンパク質安定化にはたらくが、子宮組織・脱落膜細胞でも Akt のタンパク質安定性に関与することが、ウェスタンブロットの結果を Dedd+/+ とDedd(-/-/-) で比較することによって明らかとなった。また、in vitro 脱落膜分化細胞において、タンパク質分解実験をおこない、Dedd(-/-) では Cyclin D3 のタンパク質安定性も低下していることを明らかにした。さらに、Akt または Cyclin D3 をDedd(-/-/-) 子宮間質細胞の脱落膜分化誘導中に過剰発現させると、多核化する割合が改善した。

最後に、Dedd と Akt、Cyclin D3 の相互作用が子宮組織内で存在することを示すため、in situ hybridization と IP-WB をおこなった。その結果、これら三つの分子は、遺伝子レベルで子宮脱落膜とその周囲の間質細胞領域に同時に発現していた。また、Cyclin D3 及びこれと複合体を形成する Cdk4、Cdk6 の抗体を用いて、それぞれ子宮着床部位のタンパク質で免疫沈降をおこなうと、Dedd タンパク質の共沈降がすべての場合において検出された。従って、Dedd は子宮着床部位・脱落膜において、Akt や Cyclin D3、及び Cdk4、Cdk6 とそれぞれ結合することによってそれらのタンパク質安定性や活性に関与すると考えられた。

結論

本研究によって、Dedd が初期の妊娠維持に必須のタンパク質であることが明らかになった。Dedd は脱落膜細胞に発現し、脱落膜細胞の Akt タンパク質安定性に寄与する。また同時に、脱落膜細胞の Cyclin D3 タンパク質安定性にも寄与する。これらのはたらきが、脱落膜の分化・成熟時における細胞の多核化に深く関与している。従って Dedd(-/-) マウスの子宮では、Akt や Cyclin D3 のタンパク質安定性が低下し、脱落膜の分化や多核化が充分に起こらず、その後脱落膜組織が変質・崩壊してしまう。そのため、胎盤形成前に胚発生のための栄養供給や物理的な足場保持などが不可能になり、胚が死にいたるため完全な不妊になると考えられる。

考察

Dedd 欠損マウスの、子宮脱落膜多核化に原因を有する不妊症メカニズムを解明したことから、以下の点について考察した。

・細胞の多核化の意義

・Akt 安定化による Dedd の脱落膜分化・多核化への関与

・Cyclin D3 安定化による Dedd の脱落膜多核化への関与

・Dedd、Akt、Cyclin D3 それぞれの不妊メカニズムへの寄与

ヒト不妊症への応用

着床不全による女性不妊症の 3 割は、胚側に原因が存在する。残りの7 割は子宮側の問題で、詳細はよくわかっていないとされている。このような不妊症や、習慣流産の患者も含めて、脱落膜の分化に関与する DEDD に注目した原因治療を、検討すべきであると考える。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、death effector domain-containing protein (Dedd) 欠損マウスが呈するメス不妊症の原因が脱落膜分化不全にあることを明らかにし、その分子メカニズムを解明することを目的として、女性不妊症において脱落膜の機能分化が原因かつ治療のターゲットの一つになり得る可能性を示したものであり、下記の結果を得ている。

1.マウス着床胚を取り囲む子宮脱落膜組織の分化にともなって、Dedd 遺伝子が高発現していた。このことは、in vitro で子宮間質細胞の脱落膜分化誘導をおこなった際にも Dedd 遺伝子の発現が上昇することから確認された。また、ヒト子宮内膜細胞も同様に脱落膜分化誘導にともなって DEDD 遺伝子発現の上昇を認めた。

2.Dedd 欠損マウスはメスのみ生殖能に異常を呈し、正常出産に至ることがほとんどまったく見られない。卵巣機能や着床以前の子宮機能・形態は正常にもかかわらず、着床後短期間で胚が喪失した。このことは、Dedd 欠損マウスのメス不妊の原因が、着床後の子宮機能にあることを示唆した。

3.Dedd タンパク質が結合して安定化することが分かっている Akt タンパク質が、Dedd 欠損マウスの妊娠子宮で減少していた。また、子宮脱落膜の多核化に必須とされる Cyclin D3 分子も、そのタンパク質量が Dedd 欠損マウスの妊娠子宮及びで減少していた。さらに、Dedd 欠損マウス由来の子宮間質細胞は、脱落膜分化誘導中に Cyclin D3 タンパク質の安定性が低下することも明らかとなった。このことには、Dedd タンパク質が Cyclin D3 と Cdk4 及び Cdk6 の複合体とそれぞれ相互作用することによってそれらのタンパク質安定性に寄与するためであることが示唆された。

4.Dedd 欠損マウス由来の脱落膜細胞においては、脱落膜分化の指標である多核化が野生型マウス由来の細胞に比較して半減していた。ところが、Akt 及び Cyclin D3 を Dedd 欠損マウス由来の脱落膜細胞に過剰発現させると、多核化が亢進したことから、これらの分子が Dedd によって制御され、脱落膜分化にはたらくことが示された。

5.したがって、Dedd 欠損マウスでは、脱落膜細胞の多核化をともなう分化・成熟に必要な Akt 及び Cyclin D3 タンパク質量が不十分となり、脱落膜組織の機能不全を呈すると考えられた。実際、Dedd 欠損マウス子宮に着床した胚は、胎盤形成前にほぼ全てが死亡してしまうことも剖検的に示された。着床後、胎盤形成期に入るまで、Dedd 欠損マウス子宮の脱落膜領域では、組織の細胞萎縮や出血が亢進しており、胚由来の細胞の異常浸潤も認められた。

以上、本論文はDedd 欠損マウスのメス不妊メカニズムが子宮脱落膜の分化不全にあること、またこの脱落膜分化不全が Dedd による Akt タンパク質及び Cyclin D3 タンパク質の安定化の減少によることを明らかにした。本研究は、ヒトでは困難な妊娠子宮の脱落膜に着目した不妊の原因とその分子メカニズムの解明を、マウスを用いた実験でおこない、DEDD 遺伝子の異常がヒト女性不妊症にも関与する可能性を示した点で非常に重要であり、DEDD 遺伝子を標的とした新規診断・治療法の開発に多大な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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