学位論文要旨



No 128138
著者(漢字) 山本,瑞生
著者(英字)
著者(カナ) ヤマモト,ミズキ
標題(和) NF-κB誘導性細胞間相互作用に基づく乳癌幹細胞維持機構の解明
標題(洋)
報告番号 128138
報告番号 甲28138
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3797号
研究科 医学系研究科
専攻 分子細胞生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮崎,徹
 東京大学 教授 山本,雅
 東京大学 教授 村上,善則
 東京大学 特任教授 間野,博行
 東京大学 准教授 神野,茂樹
内容要旨 要旨を表示する

乳癌は細胞形態およびマーカー発現プロファイルからホルモン受容体を発現するLuminal-like乳癌、ErbB2を過剰発現するErbB2過剰発現乳癌、ホルモン受容体もErbB2の発現も見られないBasal-like乳癌に大別される。現在、Luminal-like乳癌治療には卵巣ホルモンの阻害剤やホルモン合成抑制剤などが用いられ、ErbB2過剰発現乳癌治療には抗ErbB2抗体が用いられている。一方でBasal-like乳癌はこれらの治療標的因子を発現せず、癌細胞そのものの悪性度も高いことから予後が悪い。そこでBasal-like乳癌における悪性化の機構解析および新規治療標的の探索が求められている。

NF-κBは進化的に高度に保存された転写因子であり、炎症、器官形成、細胞増殖、細胞分化など様々な生命現象に重要な働きをもっている。一方で様々な癌腫において恒常的に活性化してその悪性化を誘導していることが明らかとなっている。私が所属する研究室では、Basal-like乳癌においてLuminal-like乳癌やErbB2過剰発現乳癌に比べてNF-κB上流のリン酸化酵素であるNF-κB inducing kinase (NIK)が高発現しNF-κB活性化を誘導していることを明らかにした。そこで本研究では(1)「Basal-like乳癌におけるNIK (NF-κB inducing kinase)過剰発現の機構解析」を行った。

また、癌幹細胞は腫瘍内にわずかに存在する新たな腫瘍を形成する能力を持つ細胞であり、乳癌においては2003年にその存在が報告された。乳癌幹細胞は強い腫瘍形成能と共に様々なストレスに対する抵抗性も持つことが報告されており、転移や再発などの癌の悪性化にも関与すると考えられている。乳癌幹細胞におけるNF-κB活性化の細胞生存および増殖への重要性についてはこれまでに様々なサブタイプ乳癌において報告があるがサブタイプ間での機能の違いや恒常的NF-κB活性化との関係については解析されていない。私が所属する研究室ではBasal-like乳癌特異的に恒常的に強いNF-κB活性化がみられることを明らかにしていたため、サブタイプ間および細胞株毎のNF-κB恒常的に注目して(2)「恒常的NF-κB活性化による乳癌幹細胞維持機構の解明」を目的として研究を行った。

【方法と結果】

Basal-like乳癌におけるNIK高発現を報告した以前の論文では比較対照が2種類のLuminal-like乳癌細胞株だけであったため、各サブタイプ乳癌細胞株および正常乳腺上皮細胞由来MCF10A細胞を合わせて19株の細胞株を用いてNIK mRNA発現を検討した。その結果、Basal-like乳癌細胞株において顕著に高いNIK mRNA発現が確認された。そこでBasal-like乳癌におけるNIK高発現の機構解明を目的としてまず、NIK mRNA安定性に注目してLuminal-like乳癌およびBasal-like乳癌を比較した。ActinomycinDを用いて新規mRNA合成を停止させ残存するNIK mRNAの分解量を経時的に半定量PCRを用いて計測した結果、両サブタイプ乳癌は同程度のNIK mRNA分解速度を示した。次にBasal-like乳癌MB231細胞およびLuminal-like乳癌MCF7細胞を各サブタイプの代表として選び、NIKプロモーター領域の転写活性をレポーターアッセイで検討した。その結果、両細胞においてNIK転写開始点から-25~-71および-117~-184の領域に転写活性を誘導する領域が存在することが分かったが、細胞株間のNIK発現量の差を説明するような結果は得られなかった。外部からレポーター遺伝子を導入するレポーターアッセイではゲノム上のクロマチン構造が正確には再現されていないと考え、次にプロモーター領域のエピジェネティックな修飾によってLuminal-like乳癌では転写が阻害されている可能性を検討した。DNAメチル基転位酵素およびヒストンメチル基転位酵素を阻害する5-azacytidinを処理したところ、Luminal-like乳癌特異的にNIK発現亢進が見られた。しかしMCF7細胞においてNIKプロモーター領域のCpGメチル化は検出されなかったためこの作用はヒストンメチル基転位酵素の阻害によるものと考えられた。一方、MCF7細胞ではNIKプロモーター領域におけるアセチル化ヒストン量が有意に少ないことが分かったため、ヒストン脱アセチル化酵素を阻害するVPA処理を処理したところMCF7細胞においてNIK発現が亢進し、NF-κB活性化が誘導されることが分かった。臨床検体のデータ解析から、細胞株だけでなく臨床検体においてもBasal-like乳癌においてNIKが高発現していることが分かった。以上からNIKはエピジェネティックな発現抑制機構によって正常細胞やLuminal-like乳癌細胞では発現が抑制されているが、Basal-like乳癌の癌化に伴って抑制機構が破綻して発現亢進する可能性が示唆された。

次に、乳癌幹細胞に与えるNF-κB活性化の影響の検討について述べる。まず最初に12種類の様々なサブタイプの乳癌について乳癌幹細胞マーカー発現と恒常的NF-κB活性化の関係を調べた。その結果、Basal-like乳癌においてのみ恒常的NF-κB活性化強度と乳癌幹細胞画分の割合の間に正の相関が見られた。さらに、レトロウイルスベクターを用いてBasal-like乳癌細胞のNF-κB活性化を調節すると乳癌幹細胞画分の割合も変化することが分かった。この機構を調べるため、バルクの乳癌細胞と乳癌幹細胞とをFACSで分離しNF-κB活性化を比較した結果、両画分は同程度のNF-κB活性化を示すことが分かった。そこでNF-κB活性化がパラクラインに働いて乳癌幹細胞画分の割合を調節する可能性を考えて、NF-κB活性化を調節した細胞とGFPでラベルした細胞を共培養し、GFPラベル細胞側の乳癌幹細胞画分の割合を検討した。その結果、経時的にGFPラベル細胞側の乳癌幹細胞画分が共培養する細胞のNF-κB活性化に応じて変化することが分かり、さらにトランズウェルチャンバーを用いた解析から細胞間接触の重要性が明らかになった。そこでNotchシグナルに注目し下流因子を探索した結果Basal-like乳癌特異的にNF-κB活性化によってJag1が発現することが分かった。さらに、shRNAによるJag1発現抑制やγ-secretase処理によるNotchシグナル抑制によりNF-κB誘導性の乳癌幹細胞画分増加が減弱することが分かり、腫瘍全体におけるNF-κB活性化がJag1発現を介して乳癌幹細胞のNotchシグナル活性化を誘導する「乳癌幹細胞の維持・増殖に適した環境形成能力」を持つことが分かった。一方で、乳癌組織には癌細胞以外に様々な正常細胞が存在することが知られている。そこで正常細胞におけるNF-κB活性化のJag1発現への影響を検討した。その結果、マクロファージや繊維芽細胞においてNF-κB活性化依存的にJag1発現が誘導されることが分かった。また卵巣ホルモンの誘導体であるMPAをマウスに処理したところ、正常乳腺上皮細胞のうちBasal細胞でJag1発現亢進が見られた。同時にLuminal細胞でRANKL発現の亢進が見られたためRANKLによるBasal細胞のNF-κB活性化がJag1を誘導した可能性が示唆された。以上の結果から炎症や妊娠時に見られる正常細胞のNF-κB活性化が乳癌幹細胞の維持・増殖に適した環境を形成する可能性があることが分かった。最後に、乳癌幹細胞による癌悪性化の表現型の一つと考えられる転移についてJag1発現の影響を検討した結果、Basal-like乳癌特異的に原発巣のJag1発現と転移率が相関することが分かった。以上より、NF-κB -Jag1-NotchシグナルがBasal-like乳癌特異的に存在し乳癌幹細胞の増殖・維持に適した腫瘍内環境を形成して癌の悪性化を誘導していることが示唆された。

【考察】

前半のNIK発現機構解析から、エピゲノムの異常によるNIK mRNAの発現亢進がBasal-like乳癌における非古典的NF-κB活性化を誘導している可能性が示唆された。しかしタンパクレベルでのNIK発現が極めて低く、乳癌サブタイプ間での発現量の比較が出来ていない。今後は免疫沈降法によるタンパク濃縮法などを用いてタンパクレベルでのNIKの発現解析を行う必要がある。

後半のNF-κB活性化による乳癌幹細胞維持機構の解析から、NF-κB阻害剤と同様にNotch阻害剤がBasal-like乳癌の乳癌幹細胞を標的とした治療に応用できる可能性が考えられた。また癌細胞だけでなく正常細胞を含む腫瘍全体のNF-κB活性化が腫瘍内環境を調節して乳癌幹細胞を維持する可能性が示唆された。現在までの乳癌幹細胞研究は乳癌幹細胞におけるシグナル伝達解析が主であったが、今後さらにこの様な乳癌幹細胞と周囲の細胞との関わりについて研究が進むことで乳癌の根治に向けた治療法の開発が進むと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は悪性度が高く有効な治療標的分子の無いBasal-like乳癌の悪性化機構の解析を目的として、Basal-like乳癌特異的に恒常的活性化が見られる転写因子NF-κBの活性化機構の解析、およびNF-κB下流における乳癌幹細胞維持機構の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.Basal-like乳癌ではLuminal-like乳癌、ErbB2過剰発現乳癌や正常乳腺上皮細胞株と比較して非古典的NF-κB活性化に重要なNF-κB inducing kinase (NIK)のmRNA発現が亢進していることが分かった。種々の検討からサブタイプ間におけるNIK mRNAの安定性、NIKプロモーター活性およびプロモーター領域のCpGメチル化は発現亢進に関与しないことが分かった。一方でNIKプロモーター領域のヒストンアセチル化がBasal-like乳癌では亢進しており、ヒストン脱アセチル化酵素の阻害剤であるVarproic acidによってLuminal-like乳癌では低く抑えられていたNIK発現が亢進し非古典的NF-κB活性化が誘導されることが示された。

2.臨床検体におけるNIK mRNA発現を、公開されている乳癌マイクロアレイデータを用いて解析したところ、散発的Basal-like乳癌だけでなくBRCA1変異による家族性Basal-like乳癌の検体においても他のサブタイプの乳癌に比べて有意なNIK発現亢進を認めた。

3.転写因子NF-κBの乳癌幹細胞維持機構への関与を乳癌サブタイプおよび恒常的NF-κB活性化の強度に注目して解析した結果、Basal-like乳癌細胞株において恒常的NF-κB活性化の強度とCD24low, CD44high, EpCAMpositive乳癌幹細胞画分の存在割合が正の相関を示すことが分かった。

4.レトロウイルスベクターを用いてNF-κB活性化を抑制するSuper repressor IκBαおよびNF-κBを強く活性化させる恒常的活性化IKKβを発現させて表面抗原の発現、スフィア形成能および免疫不全マウスにおける造腫瘍能を検討した結果、恒常的および誘導性のNF-κB活性化が乳癌幹細胞の割合を増加させることが示された。さらに、NF-κB活性化を調節した細胞とGFPラベルした細胞との共培養実験から、この作用にはパラクラインに働くNF-κB下流因子の関与が示唆された。

5.35種の乳癌細胞株マイクロアレイデータにおける恒常的NF-κB活性化と遺伝子発現の相関を指標としてこのNF-κB下流因子の探索を試み、NotchシグナルのリガンドであるJag1がNF-κB活性化と正の相関を持って発現していることが示された。実際にNF-κB活性化を調節した細胞における発現解析を行ったところNotchリガンドの中でJag1のみがNF-κBによって誘導されることが示された。さらにJag1を過剰発現させることで乳癌幹細胞の割合が増加し、逆にJag1特異的なshRNAの導入によって発現を抑制することでNF-κB誘導性の乳癌幹細胞の割合の増加が抑制されることが示された。

6.乳癌細胞だけでなく、乳腺腫瘍中に存在することが知られているマクロファージや繊維芽細胞および乳腺上皮細胞においてもNF-κB活性化によってJag1が誘導されることが示された。公開されている乳癌臨床検体のマイクロアレイデータを用いた乳癌サブタイプ別の解析から、Basal-like乳癌特異的に、原発巣におけるJag1高発現群では低発現群に比べて有意に無転移生存率が低いことが示された。

以上、本論文はBasal-like乳癌細胞における恒常的NF-κB活性化の原因がエピゲノム異常によるNIKの発現亢進によること、および恒常的NF-κB活性化の下流ではJag1を介した細胞間相互作用によって乳癌幹細胞が維持されることを明らかにした。本研究はこれまで有効な治療標的の無いBasal-like乳癌の悪性化におけるNF-κB活性化の重要性を示した点で重要であり、NF-κBを標的とした新規治療法の開発に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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