学位論文要旨



No 128143
著者(漢字) 新井,哲郎
著者(英字)
著者(カナ) アライ,テツロウ
標題(和) 麻疹ウイルスげっ歯類脳馴化株の神経病原性発現に関わるウイルス蛋白の解析
標題(洋) Analyses of viral proteins in determining neurovirulence of rodent brain-adapted measles virus strain
報告番号 128143
報告番号 甲28143
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3802号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 深山,正久
 東京大学 教授 岩本,愛吉
 東京大学 教授 川口,寧
 東京大学 准教授 四柳,広
 東京大学 講師 奥川,周
内容要旨 要旨を表示する

麻疹ウイルス(MV)は、牛疫ウイルス (RPV)、イヌジステンパーウイルス(CDV)などと共にパラミクソウイルス科モルビリウイルス属に属し、そのゲノムはマイナス一本鎖の非分節RNAからなるモノネガウイルスである。MVはヒトを宿主とし、発熱、カタル症状、発疹とともに数週間にわたる免疫抑制を引き起こす。MVはまれに中枢神経系合併症を引き起こし、感染者のおよそ1,000人に1人の割合で急性散在性脳脊髄炎(ADEM)を、免疫不全患者に麻疹封入体脳炎(MIBE)を、また感染者のおよそ100,000人に1人の割合で亜急性硬化性全脳炎(SSPE)と呼ばれる予後不良の疾患を引き起こす。MVが中枢神経系に感染する機構を解明するために様々な研究がなされてきたが、その全様はいまだに明らかになっていない。

筆者らの研究グループは、MVワクチン株であるTanabe-CAM株をラット脳で40代にわたり継代することで樹立された、げっ歯類脳馴化株であるMV-CAMR40株を保有している。MV-CAMR40はげっ歯類への脳内接種により急性脳炎を引き起こすため、MV神経病原性の解析に有用な動物モデルとなる。そこで筆者はMV-CAMR40を用いて、MV神経病原性発現機構の基礎的研究を行った。本論文は以下の二章より構成される。

第一章:麻疹ウイルスげっ歯類脳馴化株の神経病原性発現に必要なウイルス蛋白の解析

MVのゲノムはN、P、M、F、H、Lの6つの遺伝子からなる。このうちH遺伝子がコードするHemagglutinin (H) 蛋白が受容体特異性をもつ。MVワクチン株は全てのヒト有核細胞に発現するCD46を受容体として利用するが、MV野外株が利用する受容体はCD46ではなく免疫系細胞に発現するSLAM/CD150であることが明らかにされた。さらに昨年MV野外株の呼吸器上皮細胞における受容体としてPVRL4/Nectin-4が報告された。一方、P遺伝子がコードするPhosphoprotein (P蛋白) はN蛋白・L蛋白とともにゲノムRNAと複合体を作るほか、宿主の自然免疫応答に関与する。筆者らの研究グループは、これまでにMVと近縁のRPVにおいて、HおよびP遺伝子がin vivo病原性発現に重要な役割を果たすことを明らかにした。そこで筆者はRPVと近縁のMVにおいても同様の病原性発現機構が働いているのではないかと考えた。

筆者らの研究グループではMV臨床分離株であるMV-HL株をもとにしたリバースジェネティクス系を確立している。MV-HLはサルにヒトの麻疹と類似した症状を引き起こすが、げっ歯類には病原性を示さない。そこで、MV-HLのリバースジェネティクス系を利用しMV-CAMR40のPおよびH遺伝子を持つ組換えウイルス群、P組換え(rMV-CAMP)・H組換え(rMV-CAMH)・PH組換え(rMV-CAMPH)ウイルスを作出した。

培養細胞においては、Vero細胞(CD46(+) / SLAM(-))ではMV-CAMR40由来のH遺伝子を持つウイルス群が高い増殖性を示し、B95a細胞(CD46(+) / SLAM(+))ではいずれのウイルス群も高い増殖性を示した。H蛋白のアミノ酸配列の比較から、MV-CAMR40のH蛋白は主としてCD46を、MV-HLのH蛋白はSLAMを受容体として使用すると考えられ、培養細胞におけるウイルス増殖の特性はH蛋白の受容体親和性を反映していると考えられた。

次にMV-CAMR40が高い神経病原性を示した1週齢C57BL/6マウスを用いてin vivo感染実験を行った。各ウイルスを脳内接種したところ、rMV-CAMPとrMV-CAMH接種群では全例生存した。MV-CAMR40接種群では接種後3~4日目に激しい臨床症状を示し、100%の致死率を示した。一方、rMV-CAMPH接種群では接種後5~7日目に激しい臨床症状を示し、MV-CAMR40と同様100%の致死率を示した。臨床症状を観察したところ、rMV-CAMPHではMV-CAMR40と同様、激しい体重減少と、歩行困難・間代性強直性けいれん・昏睡といった激しい神経症状を示した。一方rMV-CAMHでは一部に体重増加の停滞と活動性の低下がみられたが、全例生存した。rMV-CAMPでは臨床症状はみられなかった。激しい臨床症状のみられたマウスと接種後21日目まで生存したマウスから脳を摘出し、ウイルス分離および病理標本の作製を行った。RT-PCRによるウイルス検出、 10%脳乳剤のウイルス力価測定、脳切片の免疫染色によるウイルス抗原検出、HE染色による炎症像の観察によっても、rMV-CAMPHはMV-CAMR40に近い高い神経病原性を保持しており、一方rMV-CAMHの神経病原性はそれに比べ著しく限定的であった。

MVのP遺伝子には構造蛋白であるP蛋白の他にアクセサリー蛋白であるVおよびC蛋白がコードされており、これらは宿主の1型インターフェロン(IFN)系の阻害機能を持つことからin vivo病原性を規定すると考えられている。このため筆者はrMV-CAMPHをもとにV/C蛋白の欠損ウイルス、V(-)・C(-)・VC(-)を作製し、各種解析を行った。V/C蛋白の欠損をウェスタンブロッティング法により確認し、B95a細胞におけるin vitro増殖性を調べたところ、V(-)の増殖は親株と同等であったが、C(-)・VC(-)ではウイルス増殖が一桁低下していた。各ノックアウトウイルスをマウスに脳内接種すると、V(-)およびC(-)では致死率がそれぞれ20%および40%と、親株であるrMV-CAMPHの致死率100%と比べて低下しており、さらにVC(-)では致死率0%と、完全に神経病原性を失っていた。また接種後5日目でのマウス脳乳剤のウイルス力価の測定では、V(-)・C(-)では親株より増殖が二桁低下しており、VC(-)ではウイルス力価は検出限界以下となった。

この弱毒化の機構を調べるため、マウス脳初代培養細胞を用いた解析を行った。ウイルス感染細胞を、抗MV-N抗体と抗MAP-2抗体によって蛍光免疫染色したところ、各ウイルスとも親株と同様神経細胞に感染していた。次にリアルタイムRT-PCR法によりウイルスN蛋白のmRNA合成を定量したところ、V(-)およびC(-)では親株よりもmRNA合成が低下していたが、VC(-)では親株よりもmRNA合成が増加していた。また、ウイルス感染細胞から分泌された1型IFN活性をIFNバイオアッセイにより測定したところ、MV-CAMR40では少量の1型IFN分泌が検出されたが、その他のウイルスについては検出限界以下であった。

これらのことから、rMV-CAMPHのマウスでの神経病原性発現にはH、 VおよびC蛋白が必須であり、V/C蛋白はウイルスRNA合成およびウイルス増殖に影響を及ぼしていることが明らかとなった。また、V/C蛋白の欠損はウイルスの神経細胞指向性には影響を及ぼさず、また1型IFN誘導にもほとんど関与しないことが明らかとなった。

第二章:EGFPを発現する神経指向性組換え麻疹ウイルスの樹立

筆者は第一章においてマウス神経系で著しい増殖を示したrMV-CAMPHに着目した。ウイルスの生細胞での増殖を可視化するために、外来の蛍光蛋白である緑色蛍光蛋白 (EGFP)を組み込んだrMV-CAMPH-EGFPを作出し、神経系における感染性を検討した。

rMV-CAMPH-EGFPはB95aおよびVero細胞において親株であるrMV-CAMPHと遜色のないウイルス増殖を示し、感染細胞においてEGFPの蛍光が確認できた。またマウス脳でも著しい増殖を示し、脳の広範囲にわたってEGFPの蛍光が観察された。さらにマウス脳初代培養ではウイルス感染の拡大がEGFP蛍光によって経時的に観察できた。このことから、rMV-CAMPH-EGFPはin vitroおよびin vivoで親株であるrMV-CAMPHと同様の高い増殖性を保持しており、またその増殖を蛍光顕微鏡下でリアルタイムに検出できることが確認できた。

次にrMV-CAMPH-EGFPをマウス脳初代培養に感染させ、神経細胞のマーカーであるMAP-2およびグリア細胞のマーカーであるGFAPに対する抗体を用いて蛍光免疫染色を行ったところ、rMV-CAMPH-EGFPは神経細胞に効率よく感染していることがわかった。

さらに、rMV-CAMPH-EGFPのヒト神経系細胞株における感染性を確認した。rMV-CAMPH-EGFPを3種のヒト神経系細胞株、IMR-32 (神経芽細胞腫)、118-MGC (神経膠腫)、KG-1 (乏突起膠腫)に感染させ、蛍光観察を行ったところ、rMV-CAMPH-EGFPはIMR-32および118-MGC細胞において効率的に多核巨細胞形成を引き起こし、またKG-1細胞では多核巨細胞形成を伴わずに多くの細胞で蛍光が検出された。このことから、rMV-CAMPH-EGFPはマウス神経系だけでなく、ヒト由来の神経系細胞株を用いた研究にも有用なツールとなりうることがわかった。

本研究では、第一章においてMV-CAMR40の神経病原性発現にH、VおよびC蛋白が必須であることを明らかにし、またV/C蛋白のin vivo病原性における機能を解析した。第二章においてはEGFPを発現する組換えウイルスを作出し、MVの神経系への感染機構を解析するツールとしての有効性を検討した。本研究の成果は麻疹ウイルスの神経病原性発現機構の基礎的研究に新たな知見を与えたと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は麻疹ウイルス(MV)の神経病原性発現機構を明らかにするため、げっ歯類脳馴化株MV-CAMR40を用いた組換えウイルスのin vitroおよびin vivo感染実験系によって、神経病原性発現に必要なウイルス蛋白の同定と新たな感染モデルの開発を試みたもので、下記の結果を得ている。

1.MV臨床分離株でありげっ歯類に病原性を示さないMV-HL株のリバースジェネティクス系を用いて、MV-CAMR40株のP遺伝子、H遺伝子、およびP遺伝子とH遺伝子の両方を組み換えた組換えウイルス群、rMV-CAMP、rMV-CAMH、rMV-CAPHを作出した。組換えウイルスのin vitro増殖曲線の解析とウイルス蛋白のアミノ酸配列の解析により、培養細胞でのウイルス増殖はH蛋白の受容体親和性に影響を受けると考えられた。

2.マウスでのin vivo感染実験において、rMV-CAMPとrMV-CAMHはいずれも致死率が0%であるのに対し、rMV-CAMPHのみが親株であるMV-CAMR40と同様100%の致死率を示した。体重変化や神経症状といった臨床症状、RT-PCRによるウイルス検出と脳乳剤のウイルス力価測定、脳切片の免疫染色によるウイルス抗原の検出とHE染色による炎症像の観察と併せ、rMV-CAMHでも若干の神経病原性はあるものの、MV-CAMR40の高い神経病原性を再現するにはP遺伝子とH遺伝子の両方を組み換えることが必要であることが示された。このことから、H遺伝子は受容体特異性を、P遺伝子はin vivo病原性を規定することが示唆された。

3.P遺伝子にコードされているアクセサリー蛋白、V蛋白およびC蛋白のin vivo病原性における機能を明らかにするため、rMV-CAMPHをもとにこれらを欠損させたV/Cノックアウトウイルス群を作出した。V/C蛋白の欠損をウェスタン・ブロッティング法により確認し、in vitro増殖曲線を解析したところ、C蛋白の欠損によりB95a細胞におけるウイルス増殖が低下することが示された。またV/Cノックアウトウイルスはいずれも親株に比べてマウスでの致死率が低下しており、脳乳剤のウイルス力価も低下していた。このことから、V/C蛋白がウイルス増殖と神経病原性発現に重要な役割を果たすことが示された。

4.V/C蛋白のin vivo病原性における機能を調べるため、マウス脳初代培養を用いてV/Cノックアウトウイルス群の解析を行った。その結果、蛍光免疫染色法によりウイルスの神経細胞指向性には変化が見られず、またリアルタイムRT-PCR法によりウイルスmRNA合成が変化していることが示された。さらにインターフェロンバイオアッセイにより、これまでV/C蛋白の機能として注目されていた1型インターフェロン誘導には変化が無いことが示された。

5.マウス神経系でのウイルス感染を可視化するために、マウス脳で高い増殖性を示すrMV-CAMPHに外来の蛍光蛋白であるEGFP遺伝子を挿入したrMV-CAMPH-EGFPを作出した。rMV-CAMPH-EGFPはin vitroにおいて親株であるrMV-CAMPHと遜色のないウイルス増殖を示した。rMV-CAMPH-EGFPのウイルス増殖は、培養細胞およびマウス脳においてEGFPの蛍光観察によって可視化できることが示された。

6.rMV-CAMPH-EGFPのマウス脳初代培養におけるウイルス増殖はEGFPの蛍光観察によって経時的に観察できることが示された。また蛍光免疫染色法によりウイルスは主としてマウス神経細胞に感染していることが示された。rMV-CAMPH-EGFPはヒト神経系細胞株でも著しい増殖を示し、多核巨細胞形成を伴わないウイルス感染も可視化できることが示された。

以上、本論文はげっ歯類脳馴化株MV-CAMR40においてH、VおよびC蛋白がマウスにおける神経病原性発現に重要な役割を果たすことを明らかにした。また外来の蛍光蛋白を発現する神経指向性組換えMVを作出し、in vivoおよびin vitroでの解析に有用であることを示した。本研究はMVによる神経病原性発現機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク