学位論文要旨



No 128146
著者(漢字) 今井,孝彦
著者(英字)
著者(カナ) イマイ,タカヒコ
標題(和) 単純ヘルペスウイルス1型(HSV-1)感染細胞における膜タンパク質輸送制御機構の解明と病態への関与
標題(洋)
報告番号 128146
報告番号 甲28146
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3805号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 俣野,哲朗
 東京大学 教授 井上,純一郎
 東京大学 教授 鈴木,洋史
 東京大学 准教授 三室,仁美
 東京大学 准教授 秋山,泰身
内容要旨 要旨を表示する

単純ヘルペスウイルス (HSV: herpes simplex virus) は、ヒトに口唇ヘルペス、性器ヘルペス、角膜炎、脳炎、新生児ヘルペスなど多様な疾患を引き起こす。HSVには2種類の型があり、口、手指等の上半身に感染するのは主に1型(HSV-1)、性器等の下半身に感染するのは主に2型(HSV-2)であるが、この棲み分けは厳密なものではなく、性器ヘルペスの病変からも、HSV-1が多数分離される。脳炎は特に恐ろしく、無治療での致死率は70~90%と非常に高い。ノーベル賞の受賞対象となった抗ヘルペスウイルス剤、アシクロビルの投与で致死率は10%程度に低下するが、生存した患者の2/3には中および重度の後遺症が残る。また、性病としてのHSVの重要性は高く、米国では年間約50万人が性器ヘルペスの初感染に罹り、約1000万人が再発性の性器ヘルペスで苦しむ。HSV感染症の問題は、(i) 年間5~6回繰り返し再発し、それが十数年続く、すなわち根治が困難であるため、患者にとって精神的苦痛が大きい、(ii) 感染しても発症せず、無症状でウイルスを排出してしまう場合が多く、本人も疾患に気づかないまま次の相手に移してしまう、すなわち予防が困難である、の2点に集約される。米国におけるHSV感染症の医療費は、年間約30億ドルとも試算されるほど、HSV研究の重要性は明らかである。

本研究では、HSV-1がコードしている遺伝子の中の一つである、プロテインキナーゼUs3に着目した。Us3のキナーゼ活性は生体内におけるウイルス増殖および病原性に関与しており、Us3欠損ウイルスおよびキナーゼ活性消失ウイルスはマウス病態モデルにおいてウイルス増殖および病原性が著しく低下する。また、Us3は感染細胞のアポトーシスを阻害し、カプシドの核膜通過を促進するといった多彩な機能を有している。このように、Us3はHSV-1感染において、効率的なウイルス増殖および病原性発現に様々な側面から寄与していることが明らかになりつつある。しかし数あるUs3の機能のうち、ウイルス増殖や病原性に関与するものについては不明な点が多い。本研究では、Us3が引き起こす多彩な感染現象のうち、膜タンパク質輸送制御という機能に着目し、この膜タンパク質輸送制御が、HSV-1の病態や宿主免疫回避に及ぼす影響を検証した。

第一章単純ヘルペスウイルスエンベロープ糖タンパク質gBのリン酸化による細胞表面量制御機構の解明と病態への関与

筆者の研究室の先行研究により、単純ヘルペスウイルスエンベロープ糖タンパク質gB (gB: glycoprotein B) は、HSV-1プロテインキナーゼUs3によってリン酸化を受け、その細胞表面量が抑制されることが報告されている(A. Kato and J. Arii et al., 2009. J.Virol.)。この結果はウイルスプロテインキナーゼがリン酸化反応を介して、宿主細胞のメンブレントラフィックを制御するという、ウイルスプロテインキナーゼの全く新しい機能を示唆している。

本研究では、このgBリン酸化の生物学的意義と細胞表面量の制御機構の解明という二点に着目した。gBのリン酸化の生物学的意義の解明の項では、まずこのリン酸化の病態における意義を検証した。gBのリン酸化部位をアラニンに置換したウイルス(gB-T887A)をマウスに角膜に感染させ、角膜おけるウイルス増殖とヘルペス性角膜炎および眼周囲の皮膚炎の症状を調べたところ、このウイルスの病原性は復帰株と比して著しく低下していた。さらに、筆者らはgB-Thr887のリン酸化を特異的に認識するモノクローナル抗体を作製し、感染細胞におけるUs3によるgB-Thr887リン酸化の意義を検証した。リン酸化抗体を用いた蛍光抗体法により、gBリン酸化は感染細胞内においてその局在を制御していることが示唆され、特にリン酸化によって細胞膜への発現が阻害されていることが示唆された。

gBの細胞表面量の制御機構の解明の項では、gBリン酸化部位(gB-T887)とごく近傍に存在する二つのエンドサイト-シスモチ-フ(gB-LL871とgB-Y889)との関係性を検証した。これら三つの配列にあらゆる組み合わせで変異を導入したウイルスを作製し、gB細胞表面量、gB細胞内輸送、細胞内におけるウイルス増殖、またマウスにおける神経病原性を調べた。感染細胞においてgBのエンドサイト-シス量の制御は、これら三つの配列によって協調的かつ厳密に行われていることが示唆され、この制御はgBの細胞表面量の制御にも寄与していることが示唆された。またこれら三つの配列のうち、Tyr-889が最もgBの細胞内輸送、細胞表面量制御、また培養細胞におけるウイルス増殖に寄与しており、マウスにおける神経病原性にも重要であることが示唆された。

以上の結果は、HSV-1がコ-ドするプロテインキナ-ゼUs3によるgB-Thr887のスレオニンのリン酸化が、マウス角膜におけるウイルス増殖および病原性発現に寄与していることを示している。また、Us3はgB-Thr887をリン酸化し、エンドサイト-シスを促進することによってgBの細胞表面量を抑制していることが明らかとなった。さらに、HSV-1はgB-Thr887のリン酸化と二つのエンドサイト-シスモチ-フという異なる三つの機構でgBの輸送を制御し細胞表面量を調節していることが示唆され、gB輸送の厳密な制御がHSV-1の病態に深く関係していることが示唆された。これらの結果は、ウイルスプロテインキナ-ゼが膜タンパク質の細胞表面量を制御することにより、ウイルスの病原性を制御するという全く新しい概念を提唱するものである。

第二章 Us3による宿主免疫回避機構の解明

第一章で述べた通り、ウイルスプロテインキナ-ゼUs3がHSV-1エンベロ-プ糖タンパク質であるglycoprotein B (gB)の887番目のスレオニン(gB-Thr887)をリン酸化し、その細胞表面における発現量を抑制することが示された。本研究では、他の膜タンパク質もUs3によるリン酸化を受け、その細胞表面量が制御されるのではないかという仮説を立て、ウイルス感染時に細胞表面量が抑制されることが知られているMHC class Iに着目した。

得られた結果は以下の通りである。 (i) 野生型ウイルス感染細胞と比してYK511(Us3-K220M)感染細胞において、MHC class Iの細胞表面量抑制が減弱した。 (ii) Us3によるMHC class Iの細胞表面量抑制により、in vitroにおいて細胞傷害性T細胞(CTL)の活性化が抑制され、in vivoにおいてCTLの誘導が阻害された。 (iii) 復帰株と比べ、YK511(Us3-K220M)はマウスに感染4日後にウイルス増殖が著しく低下していたが、CD8 depletionによりこの増殖の低下が一部回復した。これらの結果は、HSV-1がUs3によってMHC class Iの細胞表面量を抑制し、CTLから回避することによって、効率的なウイルス増殖を行っていることを示唆している。

YK511(Us3-K220M)はその病原性が著しく低下していることが示されており、上記の結果と合わせ、これらの性状はHSV-1ワクチンを考える上で理想的であると考えられる。実際、マウスにYK511(Us3-K220M)を免疫し、そのワクチン効果を調べたところ以下の結果を得た。(i) 免疫したマウスの膣および角膜に野生型ウイルスを接種したところ、両接種経路において病態および致死率の著しい減弱が認められた。(ii) また、YK511(Us3-K220M)および復帰株をマウス角膜に接種し、30日後の三叉神経節におけるウイルスDNA量を調べたところ、YK511(Us3-K220M)は復帰株と比して著しく潜伏能が低下しており、ワクチンとしての利用を考えた際、YK511(Us3-K220M)は安全である可能性が示唆された。

以上の結果は、ウイルスの宿主免疫回避機構を解明し、その機能を解除したウイルスは高い免疫誘導能を有していることを示しており、このようなウイルスが新しいワクチン開発のプラットフォ-ムとして利用できることを示唆している。

審査要旨 要旨を表示する

本研究では、単純ヘルペスウイルス1型(HSV-1)感染細胞において、ウイルスプロテインキナーゼUs3がウイルスエンベロープ膜タンパク質gBの輸送を制御するという現象の分子機構およびマウスにおける病原性への影響を明らかにすることを試みた。また、Us3が宿主の膜タンパク質の輸送をも制御することを検証し、以下の結果を得ている。

1.マウス角膜接種モデルにおいて、Us3によるgBのリン酸化は、生体内におけるウイルス増殖および病原性発現に寄与することが明らかになった。

2.gBのリン酸化を特異的に認識するリン酸化抗体を作製し、リン酸化gBの局在を調べたところ、gBはUs3によるリン酸化を受け、細胞膜での局在が阻害されることが示唆された。また、エンドサイトーシスアッセイの結果、gBはUs3によるリン酸化を受け、細胞表面から効率的にエンドサイトーシスされることが明らかになった。

3.gBのリン酸化はリン酸化部位の近傍にある二つのエンドサイトーシスモチーフ(Di-Leu871-872とTyr889)と協調して、gBの効率的なエンドサイトーシスおよび厳密な細胞表面量制御に寄与することが示唆された。

4.gBの輸送シグナル配列への変異導入によりマウスにおける神経病原性が著しく低下したことから、gBの厳密な輸送制御がマウスにおける神経病原性に寄与していることが示唆された。

5.宿主獲得免疫の中枢を担う膜タンパク質であるMHC class Iの輸送が、Us3によって阻害されることが示された。

6.Us3によるMHC class Iの細胞表面量抑制により、in vitroにおいて細胞傷害性T細胞(CTL)の活性化が抑制され、in vivoにおいてCTLの誘導が阻害された。さらにCD8 depletionにより、Us3によるCTLからの回避がマウスにおける効率的なウイルス増殖に重要であることが示唆された。

7.Us3のキナーゼ活性を消失した変異体であるYK511(Us3-K220M)を免疫したマウスの膣および角膜に野生体ウイルスを接種し、病原性を確認したところ、病態および致死率の著しい減弱が認められたことから、YK511(Us3-K220M)にはワクチン効果があることが明らかになった。さらに、YK511(Us3-K220M)とその復帰株をマウス角膜に接種し、30日後の三叉神経節におけるウイルスDNA量を調べたところ、YK511(Us3-K220M)は復帰株と比して著しく潜伏能が低下しており、ワクチンとしての利用を考えた際、YK511(Us3-K220M)は安全である可能性が示唆された。

以上、本論文はHSV-1型感染細胞においてウイルスがコードするプロテインキナーゼがウイルスおよび宿主の膜タンパク質の輸送を制御し、ウイルスの病原性および宿主免疫回避に寄与することを明らかにした。本研究は、これまでほとんど知見の無かったHSV-1の病原性発現機構の一端を解明し、さらに今日まで確立されていないHSV-1に対するワクチン開発への応用に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値すると考えられる。

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