学位論文要旨



No 128148
著者(漢字) 神家,有斗
著者(英字)
著者(カナ) カミヤ,ユウト
標題(和) TGF-βファミリーシグナルの抑制機構とiPS細胞樹立への応用
標題(洋)
報告番号 128148
報告番号 甲28148
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3807号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 谷口,維紹
 東京大学 教授 栗原,裕基
 東京大学 教授 清木,元治
 東京大学 講師 紙谷,尚子
 東京大学 准教授 辻,浩一郎
内容要旨 要旨を表示する

生体内のシグナル伝達経路は過剰に活性化されると細胞の恒常性が損なわれるため、多くの場合内因性の抑制機構を兼ね備えている。また、病態において過剰に活性化されたシグナルを調節するために、近年では受容体などの酵素活性を阻害する低分子化合物が開発され、医療への応用に注目が集まっている。 TGF-βファミリーは、TGF-β、アクチビン、骨形成因子 (BMP) 等によって構成され、そのシグナルは、胚発生から成体組織の恒常性維持に至るまでさまざまな場面で重要な働きを担う。また、ヒトにおけるTGF-βファミリーシグナル伝達の異常は様々な疾患の原因となることが知られている。TGF-βファミリーシグナルの制御機構を詳細に解明するため、本研究の前半部では内因性の主要なTGF-βファミリーシグナルの抑制因子である抑制型SmadがTGF-βならびにBMPシグナルを特異的に抑制する分子機構の解析を行い、後半部では低分子化合物によるTGF-βシグナルの抑制が人工多能性幹 (iPS) 細胞の樹立において果たす役割について検討した。

抑制型SmadであるSmad6とSmad7は特異型Smadと共有型Smadを介したTGF-βファミリーシグナル経路のアンタゴニストとして働く内因性の主要な因子である。抑制型Smadは様々な機序でTGF-βファミリーシグナルを抑制することが知られているが、I型受容体に直接相互作用する過程がシグナル抑制に最も重要であるとされている。哺乳類で7種類同定されているTGF-βファミリーのI型受容体は、TGF-β/アクチビン型のシグナルを伝えるALK-4/5/7サブファミリーとBMP型のシグナルを伝えるALK-1/2サブファミリーおよびALK-3/6サブファミリーの3つに分類される。Smad7は全てのI型受容体サブファミリーとの親和性が強くTGF-β/アクチビンとBMPシグナルの広範囲な抑制機能を持つ一方、Smad6はBMPシグナルを伝えるI型受容体の中でもALK-3/6サブファミリーとの親和性が選択的に強く、特異的なシグナル抑制機能を持つ。このSmad7とSmad6のI型受容体サブファミリー選択的な抑制はお互いの相互作用の様式の差異に起因していることが過去の報告により明らかにされている。Smad7とSmad6の両方ともALK-3/6サブファミリーにMH2ドメインを介して結合し、そのシグナルを抑制する。Smad7はTGF-β I型受容体であるALK-5にMH2ドメインを介して結合するものの、その結合はSmad7のNドメインによって亢進され、MH2ドメインのみではTGF-βシグナルを抑制するのに不十分である。また、Smad7のMH2ドメイン内の塩基性グルーブ(塩基性アミノ酸から構成される溝)がALK-5への結合に重要な役割を果たす。さらにSmad6はALK-3/6サブファミリーと安定的に結合するがALK-1/2サブファミリーとの親和性は低く、受容体サブファミリー選択的なBMPシグナル抑制活性を持つ。つまりSmad7とSmad6の間にはI型受容体への親和性にサブファミリーごとの多様性があり、その結果、シグナル抑制活性に違いが生まれる。その選択性によりTGF-βファミリーシグナルが精緻に調節されていると考えられている。しかし、各抑制型SmadとI型受容体の相互作用を司る詳細な分子機構は十分に解明されていない。そこで本研究においては、ALK-2 がSmad6とSmad7に対して異なる抑制感受性を持っているということを利用し、Smad7におけるI型受容体相互作用領域の同定を試みた。

まず、Smad6とSmad7のN ドメインとMH2 ドメインのどちらにALK-2シグナル抑制能の違いを生み出す要因があるのかを検討した。それぞれの領域を交換したキメラタンパク質のALK-2シグナルの抑制能とALK-2への結合能を検討した結果、ALK-2シグナルに対するSmad7選択的な抑制作用はMH2ドメインに依存していることが示された。さらに、全てのSmadタンパク質のC末端近傍に存在して、受容体特異型SmadにおいてはI型受容体に選択的に相互作用するのに必要なL3 ループと呼ばれるループ構造の役割を検討した。その結果、抑制型SmadのL3 ループは受容体との結合に必須であるものの、ALK-2に対する抑制効果および親和性の差異を決定する領域ではないということが示された。さらに、Smad7とSmad6の間のキメラタンパク質を段階的に作成し、ALK-2に対する抑制効果および結合能を検討した結果、Smad7のアミノ酸残基331-361領域と379-386領域がALK-2に結合し、そのシグナルを強く抑制するために重要であることが示された。今回新たに同定された2つの領域は以前よりI型受容体との相互作用に関与していることが示唆されていた塩基性グルーブやL3 ループといった構造とは別のものである。予測プログラムを用いたSmad7のMH2ドメインの3次元立体構造の構築により、以上の結果から同定した領域の分子構造上の位置のマッピングを行なったところ、これらの領域はアミノ酸配列上では離れて位置するが、立体構造上ではそれぞれL3 ループと同じ分子面でループ構造を持ち、three-finger like 構造を形成していた。よって、Smad7はthree-finger like構造を介して3本の指で掴むようにしてBMP I型受容体に結合すると思われる。一方、塩基性グルーブはL3 ループを挟んでループ構造とは異なる分子面に位置しており、Smad7は2つの異なる分子面を利用してBMP I型受容体に結合することが示唆された。さらに、過去の報告や本論文におけるSmad6とSmad7の構造比較から、新たに同定した2つの領域はSmad6とSmad7の間で特に構造が異なる領域であることが予測された。また、Smad6は塩基性グルーブのみを介してALK-3と結合することが示唆されたことから、2つのループ構造がSmad7特有なI型受容体相互作用様式の維持に重要であるということが考えられた。

Smad7の異常な発現によりTGF-βファミリーシグナルによって維持されている恒常性が崩れ、がんや免疫疾患の発症と関連が示唆されている。一方で、TGF-βやBMPシグナルが線維症やがんの転移・悪性化に寄与するということも知られており、本研究で得られた機能特異的な領域の同定はSmad7を利用した治療法の開発のために重要な意義を持つと考えられる。

TGF-βシグナルやBMPシグナルを制御する方法として抑制型Smadの導入の他に、I型受容体のキナーゼ活性を阻害する低分子化合物の開発が進められており、基礎研究から臨床などの場面で利用されつつあるが、近年ではiPS細胞の樹立効率を調節することが明らかになりつつある。iPS細胞は、山中因子とよばれるOct4、Sox2、Klf4、c-Mycの4つの転写因子を導入することで分化した体細胞のリプログラミングを誘導し、人工的に多能性幹細胞としての性質を獲得した細胞である。リプログラミング過程は多段階であり、初期のステップでは線維芽細胞が間葉系の性質を失い、上皮系細胞特有の性質を獲得するいわゆるMETが起こる。続く中期過程で、内在性の未分化性マーカーの発現が上昇し、後期過程になると未分化性の維持と自己増殖能の亢進が起こることにより、多能性幹細胞としての性質が安定化する。TGF-β I型受容体阻害剤はヒトiPS細胞の誘導効率を飛躍的に向上させることが報告されており、TGF-βシグナルが上皮間葉移行 (EMT)を誘導することから、TGF-βシグナルの阻害によるiPS細胞の誘導効率の上昇がMETの誘導によるものだと考えられるが、実際にそのことを証明した報告はない。そこで本研究ではまずMET誘導における各リプログラミング因子の役割を検討し、METが起こる初期課程におけるTGF-βシグナル阻害剤のiPS細胞樹立における効果を検討した。

Oct4、Sox2、Klf4の各因子をそれぞれ単独あるいは種々の組み合わせでマウス胎生線維芽細胞(MEF)に導入した実験により、線維芽細胞のMETにはKlf4が最も重要な役割を担うが、Oct4やSox2もKlf4と協調的に働いて一部の上皮細胞マーカーの発現上昇に寄与することが示された。次に、上皮系マーカーの一つであるClaudin11のMEFにおける発現上昇を指標に、シグナル伝達経路を修飾する低分子化合物の中から探索することを試みた結果、TGF-β I型受容体の阻害剤であるE-616452がClaudin11の発現を強く上昇させることが明らかになった。しかし、Klf4を導入した時と比べて他のMET関連遺伝子の発現変動は限定的であった。最後に、iPS細胞誘導の初期段階においてTGF-βシグナルの阻害が山中4因子からKlf4を除いたOct4、Sox2、c-Mycの3因子導入によるiPS細胞誘導効率に影響を与えるかについて検討した。その結果、3因子導入後翌日からE-616452を加える方が導入後7日目以降から加えるよりもiPS細胞様のコロニー形成効率が高いことが分かった。以上の結果より、TGF-βシグナル阻害剤はリプログラミング初期で重要な役割を果たすKlf4の機能の一部を代替し、Klf4非依存的なiPS細胞の樹立に有用であることが示された。

TGF-βシグナル阻害剤はSox2代替作用も持つことが過去の報告より示唆されているが、リプログラミング初期ではなく中期以降でその効果を発揮することが示唆されている。TGF-βシグナルを阻害することはiPS誘導過程の様々なステップでリプログラミングの亢進に寄与すると考えられる。また、TGF-βシグナルの抑制は限定的なMET促進作用しか示さなかったが、今後よりMETを広範囲にMET関連遺伝子の変化を誘導する化合物を探索することによって、さらに効率的にKlf4非依存的にiPS細胞を誘導することができると期待される。

審査要旨 要旨を表示する

胚発生過程、ヒトのさまざまな疾患および人工多能性幹 (iPS) 細胞樹立においてTGF-bファミリーシグナルは重要な役割を担っていると考えられている。本研究の前半部ではTGF-βファミリーシグナルの制御機構を詳細に解明するため、内因性の主要なTGF-βファミリーシグナルの抑制因子である抑制型Smad (Smad6およびSmad7) がTGF-βファミリーI型受容体 (ALK-1-7) を介したTGF-βならびにBMPシグナルを特異的に抑制する分子機構の解析を行い、後半部では低分子化合物によるTGF-βシグナルの抑制が人工多能性幹 (iPS) 細胞の樹立において果たす役割をリプログラミング初期過程に誘導される間葉-上皮移行 (MET) に着目した解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. ALK-2を介したBMPシグナルは2つの抑制型SmadのうちでもSmad7によって効果的な抑制作用を受けることが恒常活性型ALK-2を用いたルシフェラーゼレポーターアッセイにより示された。Smad6とSmad7をそれぞれN末端側のNドメインとC末端側のMH2ドメインに分けてALK-2シグナルを検討したところ、ALK-2シグナル抑制能の差異はMH2ドメインに依存していることが示された。

2. 特異型SmadにおいてI型受容体選択性を決定することが知られるL3 ループの役割を検討した結果、抑制型SmadのL3 ループは受容体との結合に必須であるものの、ALK-2に対する抑制効果および親和性の差異を決定する領域ではないということが示された。

3. Smad7とSmad6の間のキメラタンパク質を段階的に作成し、ALK-2に対する抑制効果および結合能を検討した結果、Smad7のアミノ酸残基331-361領域と379-386領域がALK-2に結合し、そのシグナルを強く抑制するために重要であることが示された。今回新たに同定された2つの領域は、以前よりI型受容体との相互作用に関与していることが示唆されていた塩基性グルーブやL3 ループといった構造とは別のものであることが示された。

4. 予測プログラムを用いたSmad7のMH2ドメインの3次元立体構造の構築により、以上の結果から同定した領域の分子構造上の位置のマッピングを行なったところ、これらの領域はアミノ酸配列上では離れて位置するが、立体構造上ではそれぞれL3 ループと同じ分子面でループ構造を持ち、three-finger like 構造を形成していた。よって、Smad7はthree-finger like構造を介して3本の指で掴むようにしてBMP I型受容体に結合すると考えられた。

5. これまでTGF-βI型受容体であるALK-5との結合に重要であるとされていたSmad7の塩基性グルーブもALK-2/3との相互作用に関与するということが示された。塩基性グルーブはL3 ループを挟んでthree-finger like 構造とは異なる分子面に位置しており、Smad7は2つの異なる分子面を利用してBMP I型受容体に結合することが示唆された。また、Smad6は塩基性グルーブのみを介してALK-3と結合することが示唆されたことから、2つのループ構造がSmad7特有なI型受容体相互作用様式の維持に重要であるということが考えられた。

6. 分化した細胞のiPS細胞へのリプログラミングを誘導するOct4、Sox2、Klf4、c-Myc の4因子を線維芽細胞 (MEF) にレトロウイルスにより導入すると、リプログラミングの初期で間葉-上皮移行 (MET) に特徴的なマーカー遺伝子の発現変動が定量的RT-PCRによって示された。4因子の導入によりMEFの細胞形態が間葉系細胞に特徴的な紡錘形から上皮細胞に特徴的な敷石状に転換することが認められた。

7. Oct4、Sox2、Klf4の各因子をそれぞれ単独あるいは種々の組み合わせでマウス胎生線維芽細胞 (MEF) に導入した実験により、線維芽細胞のMETにはKlf4が最も重要な役割を担うが、Oct4やSox2もKlf4と協調的に働いて一部の上皮細胞マーカーの発現上昇に寄与することが示された。

8.上皮系マーカーの一つであるClaudin11のMEFにおける発現上昇を指標に、シグナル伝達経路を修飾する低分子化合物の中から探索することを試みた結果、TGF-β I型受容体の阻害剤であるE-616452がClaudin11の発現を強く上昇させることが示された。しかし、Klf4を導入した時と比べて他のMET関連遺伝子の発現変動は限定的であった。

9. E-616452がOct4、Sox2、c-Mycの3因子導入によるiPS細胞誘導効率に影響を与えるかについてNanog-GFPノックインマウス由来のMEFを用いて検討した結果、E-616452処理を行った場合のみでGFP陽性のiPS細胞様のコロニーが形成されることが示された。GFP陽性コロニーの形成効率は3因子導入後翌日からE-616452を加える方が導入後7日目以降から加えるよりも高いことが示された。

以上、本論文は前半部でSmad7における新規のTGF-β ファミリー I型受容体相互作用様式を明らかにし、本研究で得られた機能特異的な領域の同定はTGF-βファミリーシグナルが異常に亢進することに起因する疾患に対するSmad7を利用した治療法の開発のために重要な意義を持つと考えられる。また、後半部ではKlf4非導入によるiPS細胞の誘導にTGF-βシグナルの阻害剤が有用であることが示唆されたことから、より安全で効率の良いiPS細胞樹立法の確立に貢献すると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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