学位論文要旨



No 128150
著者(漢字) 杉山,貴紹
著者(英字)
著者(カナ) スギヤマ,タカアキ
標題(和) 麻疹ウイルスを用いた乳癌治療用ベクター開発の基礎的研究
標題(洋)
報告番号 128150
報告番号 甲28150
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3809号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中村,祐輔
 東京大学 教授 岩本,愛吉
 東京大学 教授 北,潔
 東京大学 教授 川口,寧
 東京大学 講師 鯉沼,代造
内容要旨 要旨を表示する

麻疹ウイルス(measles virus; MV)は牛疫ウイルス, イヌジステンパーウイルスなどと共にパラミクソウイルス科・モービリウイルス属に分類され、 約16kbの一本鎖(-)RNAをゲノムに持つウイルスである。当研究室では我が国で分離されたMVの野生型株 MV-HL株の全長ゲノムのcDNAクローンを挿入したプラスミドを作製し、それを元に感染性を持つウイルスを作出する「リバースジェネティクス系」を確立している。全長ゲノムcDNAの各構造蛋白遺伝子間には制限酵素認識配列が導入してあるため、遺伝子組換えウイルスの作出が容易であり、新型のワクチンやウイルスベクターの開発に有用である。

乳癌は女性のがんの中で患者数が最も多く、年間死亡者数も上位に位置する重要な疾患である。特に転移性の乳癌では従来の治療法に耐性を持つものが多く、新しい治療法の開発が強く求められている。新規癌治療法の一つとして近年、ウイルスを癌細胞に感染させて殺させることにより治癒を図る「ウイルス療法」の開発研究が国際的にも著しく進展しており、前臨床研究、および臨床試験が積極的に行われている。MVは、レトロウイルスやアデノウイルスと異なりその生活環が細胞質に限局されており、複製の過程でDNAに逆転写されることもないため宿主細胞の染色体にウイルス由来の配列が挿入される心配が無い。また病原性に関する研究が進み、ウイルスゲノム上の弱毒化に関わる領域が数多く明らかされてきていることから人工的に遺伝子を改変することによって安全性の高いウイルスベクターが作出できることが期待される。本研究ではリバースジェネティクス系を用いて、MVを用いた乳癌治療用ベクター開発の基礎的研究を行なった。

MVは免疫系細胞でのみ発現しているsignaling lymphocyte activation molecule (SLAM)を主な受容体として利用し、全身のリンパ組織を中心に感染及び増殖して、リンパ球減少と一過的な免疫抑制を引き起こすことが知られている。ヒトの乳癌細胞株はSLAMを発現していないが、筆者は野生型MVのMV-HL株が種々の乳癌細胞株(MCF7, MDAMB453, SKBR3)において、SLAMとは別の機構で効率よく感染及び増殖し、最終的に死滅させることを独自に発見した。筆者はMVが元々持つ乳癌細胞への細胞傷害性を治療に応用するという着想の下、MV粒子の表面に発現し、受容体と直接結合する表面タンパクであるヘマグルチニン(H)をコードする遺伝子にSLAMを受容体として利用できなくなるアミノ酸変異を導入した組換えウイルス(rMV-SLAMblind)を作出した。組換えウイルスrMV-SLAMblindを培養細胞に感染させたところ、乳癌細胞株への感染性は親株のMVと同等に保っていたが、SLAM陽性のリンパ球系細胞株への感染性はほぼ完全に失われていた。

過去の研究で行われた麻疹患者や実験的にMVを感染させたサルの病理学的解析から、MVはリンパ指向性が強く、体内での増殖部位はSLAMの発現部位とよく相関しており、白血球減少や免疫抑制を始めとする麻疹の主要な病原性はSLAMの利用によって説明できることが示唆されていた。このことから、筆者はSLAMを利用できないrMV-SLAMblindはin vivoにおいて弱毒化され、病原性を失うと予想した。一方で、乳癌細胞株へのin vitroでの傷害性は親株のMVと同等に保たれていたことから、rMV-SLAMblindは新規乳癌治療用ベクターの候補として有望なのではないかと考えた。そこで、以下の一連の実験を行いrMV-SLAMblindの乳癌治療用ベクターとしての有用性について検討した。

SLAM以外のMV受容体として、現在までにCD46とPVRL4 (poliovirus receptor-related 4) が同定されている。CD46は赤血球を除く全てのヒトの細胞表面に発現しており、MVのワクチン株のみの受容体として機能することが知られている。殆どの野性型MVはCD46を受容体として利用することができない。一方、PVRL4 は細胞間接着分子でnectin familyのメンバーであり、乳癌、卵巣癌、肺癌において発現の亢進が報告されている蛋白である。PVRL4は野性型株とワクチン株の両方の受容体として機能することが報告されている。両者の発現をflow cytometryで解析したところ、共に乳癌細胞株での発現が検出されたため、これらの分子がMVの乳癌細胞への感染に関与しているかどうかを検討した。まず、抗CD46抗体および抗PVRL4抗体を用いて、rMV-SLAMblindの乳癌細胞株への感染阻害実験を行った。その結果、rMV-SLAMblindの乳癌細胞株への感染は抗CD46抗体では全く阻害できなかったが、抗PVRL4抗体によってほぼ完全に阻害されることが分かった。また、MV非感受性細胞株にCD46またはPVRL4遺伝子を過剰発現させ、感染実験を行なったところ、CD46を過剰発現させた場合は対照と比較してrMV-SLAMblindの感染性に全く変化は見られなかったが、PVRL4を発現させた場合ではrMV-SLAMblindの感染性が有意に上昇した。以上の結果から、CD46はrMV-SLAMblindの受容体としては機能せず、PVRL4が乳癌細胞への感染に関与していることが示唆された。

次にrMV-SLAMblindのヒト正常細胞へのin vitroでの感染性を検討した。ヒト臍帯静脈内皮細胞(HUVEC)、ヒト皮膚繊維芽細胞(NHDF)およびヒト乳腺上皮細胞(HMEC)を用いて感染実験を行ったところ、対照のワクチン株であるrMV-EdmonstonはCD46を介して効率よく感染して細胞傷害性を発揮したのに対し、rMV-SLAMblindはこれらの細胞に殆ど感染せず、細胞の生存率にも全く影響を与えなかった。したがってrMV-SLAMblindはユビキタスに発現しているCD46を利用しないことからCD46陽性の正常細胞への非特異的な感染が起こりにくいものと思われた。

rMV-SLAMblindのin vivoでの抗腫瘍効果を検討するため、SCID (severe combined immune deficienty) マウスの皮下にヒト乳癌細胞株(MDA-MB-453)を移植し、腫瘍を形成させ治療実験を行なった。rMV-SLAMblindを腫瘍内投与し、投与後の腫瘍の体積を経時的に測定した。その結果、組換えウイルスを腫瘍内投与した群ではウイルスを投与しない群と比較して腫瘍の顕著な縮小または成長の抑制がみられた。また、rMV-SLAMblind投与群はrMV-Edmonston投与群と比較した場合でも、顕著に腫瘍の成長が抑制されていることが分かった。したがってrMV-SLAMblindはin vivoで抗腫瘍効果を発揮し、それがワクチン株のrMV-Edmonstonよりも顕著に高いことが示唆された。

担癌マウスの体内におけるウイルスの局在を調べるため、リバースジェネティクス系を用いてrMV-SLAMblindのゲノムにレポーターとしてホタルルシフェラーゼ遺伝子を挿入したウイルス(rMV-luc-SLAMblind)を作出した。これをMDA-MB-453腫瘍を皮下に形成させた担癌マウスに腫瘍内投与した。感染10時間後および1, 2, 4, 7, 14, 21日後に基質であるD-ルシフェリンをマウスに皮下投与し、bioluminescense imaging(BLI)を行った。その結果、ルシフェラーゼによる発光が腫瘍から検出され、それ以外の部位からは発光が検出されなかった。またmagnetic resonance imaging (MRI)も行い、BLIの画像データと融合させた。その結果、MRI画像上での腫瘍とBLI画像上での発光の領域がよく重なりあっており、ウイルスが腫瘍の内部でのみ特異的に増殖していることが示唆された。また、rMV-luc-SLAMblindの尾静脈投与も行い同様の実験を行なったところ、腫瘍内投与に比べて投与直後の発光強度は低かったものの腫瘍からルシフェラーゼによる発光が検出された。したがって、尾静脈投与でもウイルスが腫瘍に到達できることが示唆された。

rMV-SLAMblindのin vivoでの安全性を検討するため、カニクイザル1匹とアカゲザル2匹を用いて、接種実験を行った。カニクイザルとアカゲザルは野性型MVを感染させると発疹、食欲減退、リンパ球減少、ウイルス血症等の症状を示す麻疹のモデル動物である。麻疹に対する中和抗体を持たないサルにrMV-SLAMblindを皮下接種し、臨床症状(発疹、下痢、食欲減退)の有無、血中のリンパ球数およびウイルス血症の有無を経時的に測定したところ、野生型麻疹ウイルスの感染でみられるような上記の症状は全く観察されず、rMV-SLAMblindが親株の野性型MVと比べ、高度に弱毒化されていることが示唆された。

以上の実験から、rMV-SLAMblindは担癌マウスで抗腫瘍効果を発揮する一方で、サルに対しては病原性を失っていることが確認された。またrMV-SLAMblindはユビキタスに発現しているCD46ではなく、PVRL4を利用して細胞に感染していることから、MVのワクチン株と比較して正常組織への非特異的な感染がより少なく、腫瘍特異性が高い可能性が示唆された。またMVワクチン株と比べてその抗腫瘍効果は顕著に高かった。したがって、本研究の結果はrMV-SLAMblindが新規乳癌治療用ベクターの有望な候補であることを示唆するものである。

さらに、rMV-SLAMblindはPVRL4の発現亢進が報告されている卵巣癌、肺癌にも応用できる可能性があるほか、リバースジェネティクス系を用いてサイトカイン等の治療遺伝子を発現させることで、より有効性を高めたベクターを開発できるなどその応用可能性は広い。本研究で得られた知見を基に、今後の研究でより完成度の高い癌治療用ベクターの開発が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、野生型麻疹ウイルスHL株のリバースジェネティクス系を用いて乳癌治療用ウイルスベクターを開発するための基礎的研究を行ったものであり、下記の結果を得ている。

1. 野生型麻疹ウイルスHL株が主要な受容体であるsignaling lymphocyte activation molecule (SLAM)を発現しないヒト乳癌細胞株(MCF7, MDAMB453, SKBR3)に効率よく感染し、死滅させることを発見した。リバースジェネティクス系を用いてウイルスのH蛋白のSLAMとの相互作用に必要な領域にアミノ酸置換を導入した組換えウイルス(rMV-SLAMblind)を作出したところ、rMV-SLAMblindはSLAM陽性リンパ球系細胞株への感染性をほぼ完全に失っていたが、乳癌細胞株への感染性と傷害性は保持していた。

2. SLAM以外の麻疹ウイルス受容体であるCD46およびPVRL4(poliovirus receptor-related 4)に対する抗体を用いて、rMV-SLAMblindの乳癌細胞株への感染阻害実験を行ったところ、抗CD46抗体は感染を阻害しなかったが、抗PVRL4抗体は感染をほぼ完全に阻害した。また、麻疹ウイルス非感受性細胞株にCD46またはPVRL4遺伝子を過剰発現させたところ、PVRL4を発現させた場合にのみrMV-SLAMblindの感染性が有意に上昇した。以上の結果から、rMV-SLAMblindはCD46を受容体として利用せず、PVRL4を乳癌細胞への感染に利用することが示唆された。

3. ヒト臍帯静脈内皮細胞、ヒト皮膚繊維芽細胞およびヒト乳腺上皮細胞に対するウイルスの感染性を検討したところ、麻疹ワクチン株であるrMV-Edmonston はこれらの細胞に効率よく感染して細胞傷害性を発揮したのに対し、rMV-SLAMblindは殆ど感染せず、細胞の生存率にも影響を与えなかった。

4. ヒト乳癌細胞株MDA-MB-453のマウス皮下腫瘍モデルにおいて、rMV-SLAMblindを腫瘍内投与した群では、ウイルス非投与群およびrMV-Edmonston投与群に比べて顕著な腫瘍の成長抑制が認められた。

5. rMV-SLAMblindのゲノムにホタルルシフェラーゼ遺伝子を挿入した組換えウイルス(rMV-luc-SLAMblind)を作出した。MDA-MB-453腫瘍を皮下に形成させたマウスにrMV-luc-SLAMblindを腫瘍内投与し、bioluminescense imagingおよびmagnetic resonance imaging を行ったところ、ウイルスが腫瘍内部で特異的に増殖していることが示された。また、末梢の静脈から投与した場合でもウイルスが腫瘍に到達し、増殖できることが示唆された。

6. カニクイザルとアカゲザルにrMV-SLAMblindを皮下接種したところ、野生型麻疹ウイルスの感染でみられるような麻疹様の臨床症状は観察されず、rMV-SLAMblindが親株の野性型MVと比べ、高度に弱毒化されていることが示された。

以上、本論文は組換え麻疹ウイルスrMV-SLAMblindがPVRL4を介して乳癌細胞に感染し抗腫瘍効果を発揮する一方で、ウイルスの本来の毒性を失っていることを示した。また、同ウイルスが麻疹ワクチン株と比較して抗腫瘍効果が顕著に高く、正常細胞への非特異的な感染が少ないことを示した。本研究は、より安全性と有効性の高い乳癌治療用ウイルスベクターの開発に繋がる重要な知見を与えたと考えられ、学位の授与に値するものである。

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