学位論文要旨



No 128152
著者(漢字) 田中,麻理子
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,マリコ
標題(和) 膵癌の分子病理学的検討 : 膵前癌病変における胃型形質の発現を出発点として
標題(洋)
報告番号 128152
報告番号 甲28152
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3811号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清木,元治
 東京大学 連携教授 中村,卓郎
 東京大学 准教授 大西,真
 東京大学 准教授 池田,均
 東京大学 講師 高澤,豊
内容要旨 要旨を表示する

要旨

膵癌は予後不良な上皮系腫瘍で、早期診断・早期治療のための研究解明が急務である。本研究ではヒト浸潤性膵管癌とその前癌病変を対象に、前癌病変から浸潤癌にかけて発現する分子として胃の上皮細胞間接着分子Claudin-18と転写因子EVI1を同定し、それらの発現の意義を検討した。

浸潤性膵管癌の前癌病変は膵上皮内腫瘍性病変 (pancreatic intraepithelial neoplasia: PanIN)、膵管内乳頭粘液性腫瘍 (intraductal papillary mucinous neoplasm: IPMN)、粘液性〓胞腫瘍 (mucinous cystic neoplasm: MCN)の3種類があり、中でもPanINについてはその発癌プロセスについて形態学的変化と遺伝子異常の蓄積を加味したPanIN-carcinoma progression modelが提示されている。浸潤性膵管癌における重要な遺伝子異常はKRAS、CDKN2A/p16、SMAD4/DPC4、p53遺伝子の変異で、特にKRAS遺伝子の変異は膵発癌の早期から認められる。

さて、膵前癌病変はしばしば胃上皮細胞を模倣した形態を呈し、胃型形質マーカーの発現が認められる。この形態変化を踏まえ、胃の上皮細胞間接着分子であるClaudin-18 (以下CLDN18) に注目し膵腫瘍におけるCLDN18の発現を免疫組織学的に検討した。結果、これまで報告されてきた胃型形質マーカーMUC5ACやMUC6等と比べてCLDN18が特異度と感度の高い、かつ早期病変まで検出ができる膵腫瘍性病変の関連マーカーとなりうることを明らかにした。

さらに、発現アレイデータを用いて胃特異的に発現する遺伝子群を潜在的に制御しうる転写因子の中で膵腫瘍組織や膵癌細胞株においてCLDN18と密な発現相関を示す転写因子を探索し、候補の中から血液系腫瘍でoncogenicな役割を持ち、他臓器の癌においてKRASとの関連が報告されている転写因子EVI1に着目した。

免疫組織学的検討においてEVI1は正常膵管上皮では発現しないが、前述の3種類の膵前癌病変および浸潤性膵管癌で広く発現することが見出された。EVI1の陽性率はPanINで100%、IPMNで96.9%、MCNで100%、浸潤性膵管癌で89.1%であった。

また、膵管上皮細胞株 (以下HPDE細胞) と膵癌細胞株においてもEVI1の発現が認められた。EVI1を抑制するとこれらのEVI1陽性膵癌細胞は丸い細胞形態をとるようになり、細胞増殖能と細胞移動能が低下した。また細胞周期解析ではEVI1抑制によりG0/G1期の細胞数が増加し、nocodazol処理によって見られるG2/M期への集積も見られなくなることが確認された。

これらの表現型の背景にあるメカニズムを調べるためEVI1の下流としてこれまで報告されてきた転写因子やシグナル経路を検索したが、その多くは膵癌細胞においてはEVI1発現量の変化に伴う変動を示さなかった。そこで細胞増殖能や細胞移動能に関わるシグナル経路としてRAS-MAPK経路に注目したところ、EVI1の抑制によりKRASの発現が低下し、KRASの下流であるERKのリン酸化も低下した。さらにERKの下流にあるp27はEVI1抑制に伴い発現が上昇することが見出された。すなわち膵癌においてはEVI1→KRAS→ERKという経路が存在し、p27の発現量を調節して細胞周期を制御することが示唆された。

また、EVI1はスプライシングバリアントの多い転写因子であり、最も代表的なスプライシングバリアントであるEVI1以外に、MDS1遺伝子とのin-flameスプライシングにより生じるMDS1/EVI1、6番目と7番目のZFを含む領域を欠失したΔ324 EVI1の頻度が高い。今回扱ったHPDE細胞や膵癌細胞はMDS1/EVI1、EVI1、Δ324 EVI1のいずれのスプライシングバリアントも発現していたので、中でもこれまであまり報告のないΔ324 EVI1について膵癌細胞における機能解析を行った。Δ324 EVI1を単独に抑制すると細胞増殖能、細胞移動能、細胞周期は殆ど影響を受けなかったが、MDS1/EVI1とEVI1を抑制した時と同様、細胞が類円形に近くなり、かつERKのリン酸化が低下した。EGF刺激によるERKのリン酸化の上昇を評価すると、MDS1/EVI1、EVI1、Δ324 EVI1の3種類を全て抑制した時に最も強くERKのリン酸化の上昇が抑えられ、続いてMDS1/EVI1とEVI1の2種類を抑制した時が二番目に強く上昇が抑えられ、Δ324 EVI1のみを抑制した時は上昇が抑制されるもののその程度は最も弱かった。EVI1はproximal zinc finger (ZF) とdistal ZFの2つのZFドメインを持つが、Δ324 EVI1はproximal ZFドメインの一部を欠失しており、proximal ZFドメイン依存的な機能を喪失している一方で、distal ZFドメイン依存的な機能については保持していることが予想される。今回の結果からEVI1がproximal ZFドメインとdistal ZFドメインの両者を介してERKのリン酸化を調節しうること、Δ324 EVI1は細胞増殖能、細胞移動能、細胞周期などに影響を与えるほどの機能はないもののdistal ZFドメインを介して細胞形態には影響を及ぼしうる可能性が示唆された。

最後に、EVI1がKRASの発現量を調節するメカニズムとしてmicroRNA (miRNA) の介在を検討した。EVI1の標的となりうるmiRNA群とKRASを標的としうるmiRNA群とに共通するmiRNAに注目し、膵癌細胞においてEVI1の抑制によりmicroRNA-181とmicroRNA-96の発現が上昇することを明らかにした。さらにEVI1はこれらのmiRNAの発現調節を転写レベルで行い、また、これらのmiRNAが実際にKRASを負に制御していることを見出した。

以上から、本研究を通して、形態学を端緒として同定し得たCLDN18とEVI1が膵腫瘍性病変を早期から検出できる有用な腫瘍関連マーカーとなりうること、血液系腫瘍で重要視されてきたEVI1遺伝子が膵癌細胞でも腫瘍促進的な機能を有し、その背景の一つとしてEVI1がmiRNAを介して膵発癌のinitiatorとして重要であるKRASを正に制御し、その下流のERKのリン酸化、p27の発現量を調節する経路があることを明らかにした。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は膵癌の早期診断・早期治療のための研究解明を行うことを目的とし、ヒト浸潤性膵管癌 (以下PDAC) とその前癌病変において胃型形質が発現することに基づいて、これらの腫瘍性病変で発現する分子として上皮細胞間接着分子Claudin-18 (以下CLDN18) と転写因子EVI1を同定し、それらの発現の意義を検討したものであり、下記の結果を得ている。

1.ヒト正常膵組織及び腫瘍性膵組織を用い、浸潤性膵管癌の前癌病変とされる膵上皮内腫瘍性病変 (PanIN)、膵管内乳頭粘液性腫瘍 (IPMN)、粘液性〓胞腫瘍 (MCN)、ならびにPDACについてCLDN18発現を免疫組織学的に検討した。非腫瘍性膵組織ではCLDN18の発現は認められなかった。一方、PanINの96.9%、IPMNの95.3%、MCNの80%、PDACの69.9%でCLDN18の発現が認められた。これまで膵腫瘍マーカーとして報告されてきた胃型形質マーカーMUC5ACやMUC6等との発現比較では、CLDN18は既報告のマーカーよりも特異度と感度が高く、かつ早期病変まで検出可能な膵腫瘍性病変関連マーカーとなりうることが明らかとなった。また、膵癌細胞株に対してPhorbol 12-myristate 13-acetate (以下PMA) およびPKC阻害剤を用いた検討からは、CLDN18の発現がPKC経路の活性化に依存してPMAにより誘導されることが確認され、膵発癌早期のCLDN18の発現においてPKC経路の活性化が関与している可能性が示された。

2.発現アレイデータを用いて胃特異的に発現する遺伝子群を潜在的に制御しうる転写因子の中で膵腫瘍組織や膵癌細胞株においてCLDN18と密な発現相関を示す転写因子を探索し、転写因子EVI1に着目した。正常膵、膵前癌病変およびPDACの免疫組織学的検討から、EVI1は正常の形態を維持した膵管上皮に発現しない一方、ほぼすべての膵前癌病変でび漫性に発現することが確認された。膵腫瘍性病変におけるEVI1の発現範囲はCLDN18よりも広く、かつ組織亜型に依存しておらず、EVI1が腫瘍性上皮の検出に際して極めて優れたマーカーとなりうることが示された。

3.膵管上皮細胞とEVI1陽性膵癌細胞の細胞増殖、細胞移動能、細胞周期に対するEVI1の影響について、EVI1に対するsiRNAを用いたノックダウン実験で検討した。EVI1を抑制するとこれらのEVI1陽性細胞は丸い細胞形態をとるようになり、細胞増殖能 (MTT assay) と細胞移動能 (wound healing assay) が低下し、また細胞周期解析ではEVI1抑制によりG0/G1期の細胞数が増加し、nocodazol処理によって見られるG2/M期への集積も見られなくなることが確認された。さらに、膵管上皮細胞や膵癌細胞においてEVI1が細胞増殖、細胞移動能、細胞周期に影響を及ぼすという結果の背景にあるメカニズムとしてRAS-MAPK経路を検討したところ、EVI1ノックダウン実験にて定量的RT-PCRおよびwestern blottingを用い、EVI1の抑制によりKRASの発現が低下し、KRASの下流であるERKのリン酸化も低下することが示された。さらにERKの下流にあるp27はEVI1抑制に伴い発現が上昇することが見出された。すなわち膵管上皮細胞および膵癌細胞においてEVI1は細胞増殖・細胞移動・細胞周期に対し正の作用をもたらし、その過程にはKRAS、ERKのリン酸化、p27が関与しうることが明らかとなった。

4.EVI1のスプライシングバリアントの中で代表的なものはMDS1/EVI1、EVI1、ΔEVI1であり、これまであまり報告のないΔ324 EVI1について膵癌細胞における機能解析を行った。Δ324 EVI1を単独に抑制すると細胞増殖能、細胞移動能、細胞周期は殆ど影響を受けなかったが、MDS1/EVI1とEVI1を抑制した時と同様、細胞が類円形となり、ERKのリン酸化が低下した。EGF刺激によるERKのリン酸化の上昇については、MDS1/EVI1、EVI1、Δ324 EVI1の3種類を全て抑制した時に最も強くERKのリン酸化の上昇が抑えられ、続いてMDS1/EVI1とEVI1の2種類を抑制した時が二番目に強く上昇が抑えられ、Δ324 EVI1のみを抑制した時は上昇が抑制されるもののその程度は最も弱かった。即ち、EVI1の代表的な3つのバリアントはいずれもERKのリン酸化に影響を及ぼすことが示された。

5.EVI1がKRASの発現量を調節するメカニズムを検討した。In silico解析から、EVI1の標的となりうるmicroRNA群とKRASを標的としうるmicroRNA群とに共通するmicroRNAを検討対象とし、膵癌細胞においてEVI1の抑制によりmicroRNA-181とmicroRNA-96の発現が上昇することを明らかにした。さらにEVI1はこれらのmicroRNAの発現調節を転写レベルで行い、また、これらのmicroRNAの過剰発現系を用い、これらのmicroRNAが実際にKRASを負に制御していることを見出した。

以上、本論文は形態学を端緒として同定したCLDN18とEVI1が膵腫瘍性病変を早期から検出できる有用な腫瘍関連マーカーとなりうること、血液系腫瘍で重要視されてきたEVI1遺伝子が膵癌細胞でも腫瘍促進的な機能を持ち、その背景の一つとしてEVI1がmicroRNAを介して膵発癌のinitiatorとして重要とされるKRASを正に制御し、その下流のERKのリン酸化、p27の発現量を調節する経路があることを明らかにした。本研究は未だ研究の途上段階にある、膵発癌初期に起こりうるメカニズムの一端を解明するに際して重要な貢献を為すと思われ、学位の授与に値するものと考えられる。

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