学位論文要旨



No 128157
著者(漢字) 村上,成文
著者(英字)
著者(カナ) ムラカミ,シゲフミ
標題(和) 細胞伸長を抑制する低分子化合物の探索によるCADM1シグナル伝達経路の解析
標題(洋)
報告番号 128157
報告番号 甲28157
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3816号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,洋史
 東京大学 教授 井上,純一郎
 東京大学 教授 清木,元治
 東京大学 准教授 石川,俊平
 東京大学 准教授 池上,恒雄
内容要旨 要旨を表示する

がんは日本人の死因の第一位であり、病態の解明や新規予防、診断および治療法の早急な確立が求められている。がんは多段階の遺伝子異常を経て発生することが知られているが、とりわけ浸潤、転移能の獲得は悪性度を左右する重要なステップであることから、がん細胞が浸潤・転移する機構の解明は、がん生物学の主要な課題である。

当研究室はこれまでに新規がん抑制タンパク質として CADM1 を同定した。CADM1 は免疫グロブリン・スーパーファミリー細胞接着分子 (IgCAM) に属し、多くの上皮組織で細胞間接着を担う。また、CADM1 は肺がんをはじめとした多くのがんで発現が低下することが報告され、がん抑制の生理的意義が明らかにされた。このようながんでは、CADM1 の機能喪失が細胞間接着の破綻を招くことで浸潤・転移を促進する可能性が考えられる。これに対し、臓器浸潤を特徴とする成人 T 細胞白血病 (ATL)、並びに高転移性の小細胞肺がん (SCLC) においては、CADM1 がむしろ高発現することが明らかになった。したがって、これらの細胞では CADM1 の機能が細胞の運動能や転移能の上昇に寄与するとともに、血管内皮との相互作用を介して積極的に他の臓器への浸潤に関与する可能性が考えられる。CADM1 は細胞外からの接着に関するシグナルを細胞内へ伝達して様々な反応を時空間的に制御すると考えられることから、このような CADM1 の機能の多様性は、CADM1 が細胞内へシグナルを伝達する経路の下流分子や制御機構の相違がその一因と考えられる。

本研究では、細胞接着分子 CADM1 の細胞内シグナル伝達経路を独自の系を用いて明らかにすることを目的とした。そこで、CADM1 の細胞間接着を介したシグナル伝達を、細胞を用いて評価する in vitro の検出系の構築を試みた。この系は、CADM1 の細胞外断片と免疫グロブリン (IgG) の Fc 領域を融合したタンパク質 (CADM1-Ecto-Fc) をカバーガラスに固相化し、そこに CADM1 を恒常的に発現するイヌ腎臓由来上皮細胞株 MDCK (MDCK+CADM1) を重層培養することにより、CADM1 分子のトランス・ホモ相互作用に基づく細胞伸長を指標として、CADM1 シグナル伝達経路の活性化を評価するものである。

MDCK+CADM1 細胞を CADM1-Ecto-Fc 上で一定時間培養した後、平面に拡がった形態を示す細胞が観察されたため、1 細胞あたりの細胞表面積を定量し、免疫グロブリン IgG 分子を固相化したカバーガラス上で培養した細胞の表面積と比較した。その結果、CADM1-Ecto-Fc 上で培養した細胞は、コントロール IgG 上の細胞に比べて約2 倍の細胞面積を示した。これは、CADM1 のトランス・ホモ相互作用により、特異的に細胞伸長が起こることを示しており、細胞間接着が形成される初期過程に対応すると考えられる。さらに、ここで観察された細胞伸長が CADM1 のトランス・ホモ相互作用によるものであるならば、抗 CADM1 抗体の添加によって阻害されることが予想される。そこで、上記の系に抗 CADM1 抗体 9D2 を添加して実験したところ、予想した通り、細胞伸長が見られなくなることが明らかになった。また、この変化は細胞形態形成や、その維持に重要な働きをするアクチンの重合を阻害する化合物 Cytochalasin D によっても抑制された。以上のことから、CADM1 のトランス・ホモ相互作用によってアクチンを介した細胞伸長が誘導されること、また、構築した系が CADM1 のトランス・ホモ相互作用を介した細胞内シグナル伝達経路の活性を評価するのに有効であることが明らかになった。

以上の結果をもとに、この検出系を用いて標的分子が明らかにされている 104 種類の低分子阻害化合物の中から、CADM1 シグナル伝達を抑制する化合物の探索を行った。その結果、9 種類の低分子阻害化合物が CADM1 を介した細胞伸長を 60% 以下に抑制することを見出した。そして、興味深いことに、シグナルタンパク質である PI3 キナーゼ (PI3K) を標的とする 2 つの異なる化合物 Wortmannin および LY294002 が細胞伸長に対して抑制効果を示した。そこで、一方の化合物 LY294002 が示す細胞伸長抑制効果を様々な化合物濃度で調べた結果、LY294002 は濃度依存的な抑制効果を示すことが明らかになった。さらに、細胞を LY294002 存在下に一定時間培養後、化合物非存在下で培養すると細胞伸長が回復したことから、LY294002 の細胞伸長抑制効果は不可逆的な細胞毒性によるものではないことが示された。

このようにして同定した化合物の標的分子については、CADM1 との相互作用に関する解析が不可欠である。すなわち、CADM1 のトランス・ホモ相互作用によって生じるシグナル伝達の、どの位置にどのようにしてこれらの標的分子が関与し、発現量の変化やタンパク質の構造、活性変化を生じるのか、またヒトのがん進展におけるこれら標的分子の意義は何か、などについての検討が必要である。しかし、低分子化合物が阻害する分子はしばしば単一ではなく複数存在し、また単一の酵素であっても複数のサブユニット分子群からなることが多い。そこで、CADM1 を介した細胞伸張能を阻害する真の標的分子を同定する目的で、本研究では、CADM1 と PI3K との関わりに焦点を絞り解析を進めた。

まず、伸長細胞内において PI3K が活性化する可能性を検討するため、PI3K 生成産物である PIP3 の局在を観察した。この目的で、CADM1 を恒常的に発現する MDCK 細胞を用いて、PIP3 に特異的に結合する Akt の PH ドメインに GFP を融合したタンパク質 GFP-Akt-PH の細胞内局在を解析した。その結果、PIP3 が細胞膜先端部に集積する様子が観察された。さらに、伸長細胞における Akt の活性化をリン酸化型 Akt 認識抗体を用いたウエスタンブロッティングによって調べた結果、非伸長細胞に比べてリン酸化型 Akt シグナルが増加することが分かった。以上の結果は、CADM1 を介した細胞間接着によって PI3K 経路のシグナル伝達が生じることを示している。また、Akt および細胞運動に必要とされるラメリポディア形成に働く Rac の阻害化合物では、細胞伸長が部分的に抑制されたことから、Akt および Rac が PI3K の下流で細胞伸長に必要な働きをすると考えられる。

ここで、CADM1 のシグナル伝達は、膜貫通型タンパク質である CADM1 の細胞内領域を介して行われると考えられることから、細胞内領域を欠失した変異 CADM1 タンパク質 ΔCT を発現する細胞を作製した。その結果、ΔCT は野生型 CADM1 タンパク質と同様に細胞間接着部位に局在を示したにもかかわらず、細胞伸長を誘導しないことが明らかになった。

所属研究室では、CADM1 の結合分子として、MAGUK ファミリータンパク質である MPP3 を同定している。MAGUK ファミリータンパク質は、ファミリータンパク質間で複合体をつくり、シグナルタンパク質の足場として機能すると考えられている。事実、MPP3 は他の MAGUK ファミリータンパク質 Dlg と結合することが報告されている。さらに、この Dlg はチロシン残基のリン酸化依存的に PI3K と結合することが知られている。そこで、ヒト結腸癌由来細胞株 Caco-2 を用いた共焦点顕微鏡解析を行ったところ、内在性 CADM1、MPP3、Dlg、さらに PI3K の調節サブユニットである p85 が細胞間接着部位で共局在することが明らかになった。さらに、コンフルエントに培養した Caco-2 細胞を用いて、Dlg に対する抗体による免疫沈降を行った結果、Dlg とともに CADM1、MPP3、p85 が共沈することが分かった。以上のことから、CADM1 は MAGUK ファミリータンパク質との結合を介して PI3K を活性化する可能性が示された。

構築した系では、細胞間でみられる多種多様なタンパク質相互作用の中から、CADM1 タンパク質のホモフィリックな相互作用を特異的に検出することが可能である。さらに、固相化するタンパク質を変換することで、CADM1 と他の異なるタンパク質とのヘテロフィリックな相互作用を解析することも可能であり、CADM1 のもつ多彩な機能の解明につながると考えられる。がん進展の分子機構においては、細胞周期の調節や遺伝子の転写制御といった核内で起こるイベントだけではなく、CADM1 のように細胞間相互作用に基づいて形態や増殖を制御する機構が重要である。これらの解析は、ヒトのがんの進展に関わる新たな分子群の同定、ならびに分子機構の解明に有用な情報を与えるものと期待される。また、がんの進展を抑制する薬剤開発研究における第一歩となる、候補シード化合物の同定にも結びつく重要な研究であると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はがんの進展において重要な役割を演じていると考えられる細胞接着分子 CADM1 のシグナル伝達経路を明らかにするため、カバーガラス上に CADM1 タンパク質を固相化し、CADM1 を恒常的に発現するイヌ腎臓上皮由来細胞株 MDCK (MDCK+CADM1) を培養する系を用いて、CADM1 下流分子の働きを抑制する低分子化合物の探索を行ったものであり、以下の結果を得ている。

1. CADM1 の細胞外断片と免疫グロブリン (IgG) の Fc 領域を融合したタンパク質 (CADM1-Ecto-Fc) をカバーガラスに固相化し、そこに MDCK+CADM1 細胞を重層培養することにより、CADM1 分子のトランス・ホモ相互作用に基づく細胞形態変化を解析した。その結果、CADM1 のトランス・ホモ相互作用特異的に、アクチン骨格の再編成を伴った細胞伸長が誘導されることが示された。

2. 上記の検出系を用いて、細胞伸長を抑制する低分子阻害化合物の探索を行った結果、シグナルタンパク質である PI3K を標的とする 2 つの異なる化合物 Wortmannin および LY294002 を同定した。また、LY294002 は濃度依存的かつ可逆的に細胞伸長を抑制し、CADM1 の細胞間接着能には影響しないことから、細胞伸長を誘導する CADM1 の細胞内シグナル伝達を特異的に抑制することが示された。

3. CADM1 を恒常的に発現する MDCK 細胞を用いて、伸長細胞における PI3K の活性化の検出を行った。この目的で PI3K の生成産物である PIP3 の局在を調べた結果、これらが伸長した細胞膜先端部に集積することが示された。また、PI3K の下流で働く Akt および Rac が細胞伸長に必要であることが明らかになった。

4. 細胞内領域を欠失した変異 CADM1 タンパク質は、MDCK 細胞において野生型 CADM1 と同様に細胞間接着部位に発現する一方、細胞伸長を誘導しないことが示された。

5. CADM1 の細胞内領域断片と MAGUK タンパク質群に属する MPP3 および Dlg の N 末端領域に His タグを付加した断片を用いてプルダウンアッセイを行った結果、CADM1 は MPP3 および Dlg と複合体を形成することが示された。また、これらのタンパク質は、伸長した MDCK+CADM1 細胞において、細胞膜先端部で共局在することが示された。

6. コンフルエントに培養したヒト結腸癌由来細胞株 Caco-2 において、CADM1 は MPP3、Dlg に加えて PI3K の調節サブユニット p85 と細胞間接着部位で共局在することが示された。また、コンフルエント培養下の Caco-2 細胞において、抗 Dlg 抗体を用いた免疫沈降により、これらのタンパク質が複合体を形成することが示された。

以上、本論文は CADM1 を恒常的に発現するイヌ腎臓上皮由来細胞株 MDCK (MDCK+CADM1) において、CADM1 のトランス・ホモ相互作用に基づく細胞伸長を抑制する低分子化合物の探索を行い、CADM1 の下流で働くシグナルタンパク質として PI3K を同定した。本研究は、がん化において CADM1 が示す多様な役割の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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