学位論文要旨



No 128159
著者(漢字) 山本,奈央子
著者(英字)
著者(カナ) ヤマモト,ナオコ
標題(和) EGFRチロシンキナーゼ阻害薬による副作用発現機構の解析
標題(洋)
報告番号 128159
報告番号 甲28159
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3818号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学医科学研究所 教授 中村,祐輔
 東京大学 教授 長瀬,隆英
 東京大学 教授 佐藤,伸一
 東京大学 教授 中島,淳
 東京大学 准教授 荒川,義弘
内容要旨 要旨を表示する

【序文】

近年本邦では、手術不能再発非小細胞肺癌に対してepidermal growth factor receptor (EGFR) チロシンキナーゼ阻害剤であるゲフィチニブおよびエルロチニブが用いられ、良好な治療成績を上げている。薬剤開発当初は、このような特定の分子に対して選択性を示すように設計された分子標的治療薬に関しては、副作用が少ないことが期待されていたが、実際の臨床においては、従来の抗がん剤治療とはスペクトルの異なる副作用が高頻度に認められる例が明らかとなってきており、臨床上の課題ともなっている。皮疹、掻痒、皮膚乾燥、ざ瘡等の皮膚障害はEGFRキナーゼ阻害薬服用患者において最も高頻度に認められる副作用の1つであり、その発症頻度および重症度はEGFRキナーゼ阻害薬間で大きく異なることが知られている。特にエルロチニブによる皮膚障害は頻度、重症度ともに高く、患者のquality of life (QOL) に大きな影響を与えうる。

これまでにEGFRキナーゼ阻害薬による皮膚障害に関し、その病態生理的メカニズムとして、EGFR阻害を起点とした、皮脂腺および毛嚢上皮の傷害および表皮の増殖・分化異常とそれに伴う炎症反応からなる一連の反応が提唱されている。一方、これまでに報告されているEGFRに対する解離定数から、各薬物の臨床用量におけるEGFRチロシンキナーゼに対する占有率を算出したところ、エルロチニブおよびゲフィチニブにおいてそれぞれ100%および99%と差が無いことから、エルロチニブによる重症の皮膚障害にはEGFR阻害以外の他の何らかの因子が寄与していると推察された。これまでに、エルロチニブおよびゲフィチニブがEGFRだけでなく複数のオフターゲットキナーゼにも結合することが明らかとなっているが、皮膚障害の増悪との関連性に関しては明らかにはなっていない。そこで本研究では、エルロチニブ服用に伴う皮膚障害重症化の分子メカニズムを理解することを目的として、皮膚障害重症化とオフターゲットキナーゼ阻害の関連性に着目し、解析を行った。

【方法および結果】

1. 臨床用量のエルロチニブおよびゲフィチニブによるオフターゲットキナーゼへの占有率の比較

ハイスループット測定法によって求められたヒトキナーゼに対するKd値の報告に基づき、臨床用量で連投されて定常状態に達した際の両薬物の平均血漿中非結合型濃度を考慮して、317種類のヒトキナーゼに対する占有率を算出したところ、両薬物間で阻害率の異なるオフターゲットキナーゼとして、serine/threonine kinase 10 (STK10) およびste20-like kinase (SLK) の2種類が見出された。STK10に対する占有率はエルロチニブで92%、ゲフィチニブで12%、またSLKに対する占有率はエルロチニブで89%、ゲフィチニブで7%と算出された。STK10およびSLKはともにSte20ファミリーに属するセリン/スレオニンキナーゼであり、STK10は主にリンパ球に発現し、IL-2の発現や細胞の遊走性といったリンパ球性の反応を負に制御することが知られている。一方、SLKは生体内にユビキタスに発現しているが、リンパ球における機能に関しては未知の分子である。STK10あるいはSLKの阻害によるリンパ球の活性化は皮膚障害を含む炎症反応を増悪させ、エルロチニブ服用に伴う重症の皮膚障害に関与する可能性が想定されることから、本研究ではSTK10およびSLKに焦点を当て、検討を行った。

2. エルロチニブおよびゲフィチニブのSTK10およびSLKに対するIC50値の測定

STK10およびSLKのキナーゼ活性が臨床用量のエルロチニブにより実際に阻害されるか確認するため、ヒトSTK10、SLKおよびそれらのマウス・オルソログに対するエルロチニブおよびゲフィチニブのIC50値を組み換えタンパク質を用いたin vitroのアッセイにより測定した。ヒトSTK10に対するエルロチニブおよびゲフィチニブのIC50値はそれぞれ160 nMおよび1300 nMであった。ヒトSLKに対するエルロチニブおよびゲフィチニブのIC50値はそれぞれ830 nMおよび5200 nMであった。これらの結果に基づき、臨床用量でのSTK10に対する阻害率を算出したところ、エルロチニブでは約60%である一方、ゲフィチニブではわずか4%であることが推定された。また、SLKに対する阻害率はSTK10と比べてやや低く、エルロチニブではおよそ25%であるのに対し、ゲフィチニブではほとんど阻害は認められないことが示された。

3. エルロチニブはリンパ球に作用してIL-2分泌および細胞遊走性を亢進させる

リンパ球のIL-2分泌能に対するエルロチニブおよびゲフィチニブの影響を比較するため、ヒト白血病T細胞由来細胞株であるJurkat E6-1細胞をモデルとして用い、リンパ球活性化刺激により培地中に放出されるIL-2濃度をELISA法により測定した。エルロチニブを培地中に添加した場合、添加濃度依存的にIL-2分泌量の増大が観察されたが、ゲフィチニブの場合はほとんど影響が認められなかった。これらの結果によりエルロチニブが臨床用量においてリンパ球からのIL-2分泌を亢進させることが示唆された。

エルロチニブおよびゲフィチニブのリンパ球遊走に対する影響はトランスウェルを用いたケモタキシス・アッセイにより解析した。ケモカインによって誘引される細胞数に対してエルロチニブおよびゲフィチニブ暴露が与える影響を評価したところ、エルロチニブおよびゲフィチニブは共に誘引される細胞数を増加させたが、リンパ球遊走に対するEC50値はエルロチニブにおいて470 nM、ゲフィチニブにおいて1400 nMと算出され、その程度はエルロチニブがゲフィチニブより強かった。これらの結果によりエルロチニブが臨床用量においてリンパ球遊走性を亢進させることが示唆された。

4. STK10の阻害はエルロチニブによるリンパ球活性化亢進の主要な要因である

エルロチニブによるリンパ球の活性化がSTK10およびSLKの阻害を介して生じているのか否かを検証するために、RNAiによるSTK10およびSLKの遺伝子発現抑制の影響を解析した。STK10を発現抑制したJurkat E6-1細胞においてはコントロール処理群と比較して、IL-2 mRNA発現誘導が2倍に増大した一方で、SLK発現抑制群においては変化は認められなかった。さらに、臨床濃度のエルロチニブを添加したところ、SLKを遺伝子発現抑制したJurkat E6-1細胞およびコントロール細胞においては、IL-2 mRNA発現量の有意な増大が観察された一方で、STK10の遺伝子発現抑制条件下では顕著な差異は認められなかった。また、IL-2のタンパク質レベルでの培地中放出量に関してもmRNAレベルでの発現量変化と一致した傾向が観察された。これらの結果により、エルロチニブによるIL-2の分泌誘導の増大は、エルロチニブによるSTK10の阻害を介して生じる、転写レベルにおける発現誘導の増大に起因するものと考えられた。同様にJurkat E6-1細胞に対してsiRNA導入し、ケモカインによる細胞遊走アッセイを行った。STK10の遺伝子発現抑制条件下においては、コントロールおよびSLK遺伝子発現抑制条件下と比較してケモカインにより誘引される細胞数の増大が観察された。培地中に臨床濃度のエルロチニブを添加したところ、SLKを遺伝子発現抑制したJurkat E6-1細胞およびコントロール細胞においてはケモカインによる遊走細胞数の増大が観察された一方で、STK10の遺伝子発現抑制条件下では変化は認められなかった。これらの結果より、エルロチニブによるリンパ球遊走性の亢進に関してもSTK10の阻害を介して生じていると考えられた。

5. エルロチニブ投与によるリンパ球性反応の活性化は刺激性皮膚炎を増悪させる

一連のin vitro実験の結果から、エルロチニブによるSTK10の阻害を介したリンパ球活性の増大が皮膚障害の増悪に寄与している可能性が想定されたため、マウスを用いた刺激性皮膚炎モデルによる検証を行った。刺激性皮膚炎の評価は、クロトンオイルを耳介に塗布し、24時間後の耳介の腫脹を計測して行った。クロトンオイルの塗布と共にエルロチニブあるいはゲフィチニブを、マウスにおけるSTK10の阻害率が臨床用量におけるヒトSTK10阻害率とほぼ同等となるように経口投与し、影響を評価した。耳介の腫脹はコントロールと比較し、エルロチニブ投与により顕著に増大した一方で、ゲフィチニブ投与による変動は観察されなかった。またこの際、エルロチニブはJurkat E6-1細胞と同様、マウスより単離したリンパ節細胞に関してもIL-2産生およびリンパ球遊走性亢進等のリンパ球活性の増大を引き起こすことが示された。さらに、組織切片染色を用いて耳介へのリンパ球浸潤の度合いを計測したところ、炎症部位においてエルロチニブ投与群においてのみ浸潤リンパ球数の増加が認められた。抗IL-2中和抗体あるいはTリンパ球の活性を選択的に抑制する免疫抑制剤であるFTY720の影響を同様の刺激性皮膚炎モデルを用いて検討したところ、抗IL-2中和抗体あるいはFTY720の投与によって、エルロチニブによる耳介腫脹の増大作用は減弱することが確認された。これらの結果から、エルロチニブ投与によるリンパ球活性化の亢進により皮膚炎症が増悪する可能性が示唆された。

【まとめと考察】

本研究では皮膚障害重症化とオフターゲットキナーゼ阻害の関連性に着目し、In vitroの解析から、(1)エルロチニブが臨床用量においてSTK10の阻害を介し、リンパ球のIL-2分泌や遊走性などリンパ球活性を亢進させること、また、刺激性皮膚炎モデルマウスを用いたin vivo解析により、(2)エルロチニブ投与条件下では、炎症部位局所においてリンパ球活性化と炎症反応が増強されることを示した。これらの結果からエルロチニブによるオフターゲットキナーゼSTK10の阻害がリンパ球の活性増大を介して、皮膚障害の増悪に関与していることが示唆された。

本研究から、臨床用量における薬物の定常状態血漿中非結合型濃度を考慮したオフターゲットキナーゼ阻害プロファイルの網羅的解析手法は、個々のキナーゼタンパク質の生理機能に関する情報を加味することで、薬理作用および副作用を推定する上で有用な手法となることが示唆された。さらに、本研究を通して得られる分子メカニズムの理解は、臨床における副作用マネジメントの方法論を模索する上でも、また今後より安全な新規キナーゼ阻害薬の創薬を考える上でも、重要な基盤情報を与えるものと考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、EGFRキナーゼ阻害薬であるエルロチニブ服用に伴う皮膚障害重症化の分子メカニズムを明らかにするため、類似のEGFRキナーゼ阻害薬であるゲフィチニブとの比較を行い、エルロチニブとゲフィチニブのオフターゲットキナーゼ阻害プロファイルの差異と皮膚障害重症度の差異の関連性に着目して解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. EGFRを主要標的とするキナーゼ阻害薬であるエルロチニブおよびゲフィチニブに関して、317種類のヒトキナーゼに対する結合定数をハイスループット法によって測定した報告に基づき、臨床用量における定常状態平均血漿中非結合型薬物濃度を考慮して占有率を算出したところ、両薬物間で占有率の異なるオフターゲットキナーゼとして、serine/threonine kinase 10 (STK10) およびste20-like kinase (SLK) の2種類が見出された。STK10に対する占有率はエルロチニブで92%、ゲフィチニブで12%、またSLKに対する占有率はエルロチニブで89%、ゲフィチニブで7%と算出された。

2. ヒトSTK10, SLKに対するエルロチニブおよびゲフィチニブのIC50値を、組み換えタンパク質を用いたin vitroアッセイにより測定した。ヒトSTK10に対するエルロチニブおよびゲフィチニブのIC50値はそれぞれ160 nMおよび1,300 nM、ヒトSLKに対するエルロチニブおよびゲフィチニブのIC50値はそれぞれ830 nMおよび5,200 nMであった。これらの結果に基づき、臨床用量におけるSTK10に対する阻害率を算出したところ、エルロチニブでは約60%である一方、ゲフィチニブではわずか4%であることが推定された。また、SLKに対する阻害率はSTK10と比べてやや低く、エルロチニブではおよそ25%であるのに対し、ゲフィチニブではほとんど阻害は認められないことが示された。

3. ヒト白血病T細胞由来細胞株Jurkat E6-1細胞において、エルロチニブの培地中への添加により、添加濃度依存的にリンパ球活性化刺激に伴うIL-2分泌量の増大が観察されたが、ゲフィチニブの場合にはほとんど影響が認められなかった。また、エルロチニブおよびゲフィチニブがリンパ球遊走活性に与える影響を、ケモタキシス・アッセイにより解析したところ、エルロチニブおよびゲフィチニブは共にケモカインにより誘引される細胞数を増加させたが、そのEC50値はエルロチニブにおいて470 nM、ゲフィチニブにおいて1,400 nMと算出され、エルロチニブは臨床用量においてリンパ球遊走性を亢進させる一方で、ゲフィチニブによる影響はほとんどないと考えられた。

4. STK10およびSLKに対するsiRNAを用い、各遺伝子発現抑制の影響を解析したところ、STK10を発現抑制したJurkat E6-1細胞において、コントロール処理群と比較してリンパ球活性化刺激に伴うIL-2 mRNA発現誘導が2倍に増大した。一方、SLK発現抑制群においては変化が認められなかった。さらに、臨床濃度のエルロチニブ添加により、SLKを遺伝子発現抑制したJurkat E6-1細胞およびコントロール細胞においては、リンパ球活性化刺激に伴うIL-2 mRNA発現誘導の有意な増大が観察された一方で、STK10の遺伝子発現抑制条件下では顕著な差異は認められなかった。また、タンパク質レベルでのIL-2培地中放出量に関しても、mRNAレベルでの変化と一致した傾向が観察された。これらの結果より、エルロチニブによるIL-2分泌誘導の増大は、エルロチニブによるSTK10の阻害を介して生じる、転写レベルにおける発現誘導の増大に起因するものと考えられた。同様の条件下、ケモタキシス・アッセイを行ったところ、STK10の遺伝子発現抑制条件下においては、コントロールおよびSLK遺伝子発現抑制条件下と比較して、ケモカインにより誘引される細胞数の増大が観察された。臨床濃度のエルロチニブを添加したところ、SLKを遺伝子発現抑制したJurkat E6-1細胞およびコントロール細胞においてはケモカインによる遊走細胞数の増大が観察された一方で、STK10の遺伝子発現抑制条件下では変化は認められなかった。これらの結果より、エルロチニブによるリンパ球遊走性の亢進に関してもSTK10の阻害を介して生じていると考えられた。

5. マウスを用いた刺激性皮膚炎モデルによる検証の結果、クロトンオイルによる耳介の腫脹はコントロールと比較し、エルロチニブ投与により顕著に増大した一方で、ゲフィチニブ投与による変動は観察されなかった。さらに、耳介組織切片において、エルロチニブ投与群でのみ炎症部位における浸潤リンパ球数の増加が認められた。抗IL-2中和抗体あるいはTリンパ球の活性を選択的に抑制する免疫抑制剤であるFTY720の投与によって、エルロチニブによる耳介腫脹の増大作用は減弱することが確認された。これらの結果から、エルロチニブ投与によるリンパ球活性化の亢進により皮膚炎症が増悪している可能性が示唆された。

以上、本論文はエルロチニブ服用に伴う皮膚障害重症化の分子メカニズムの解析から、エルロチニブによるオフターゲットキナーゼSTK10の阻害がリンパ球の活性増大を介して、皮膚障害の増悪に関与していることを明らかにした。本研究を通して得られる分子メカニズムの理解および臨床用量における薬物の定常状態血漿中非結合型濃度を考慮したオフターゲットキナーゼ阻害プロファイルの網羅的解析手法は、臨床における副作用マネジメントの方法論を模索する上でも、また今後より安全な新規キナーゼ阻害薬の創薬を考える上でも、重要な基盤情報を与えるものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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