学位論文要旨



No 128169
著者(漢字) 小尾,正太郎
著者(英字)
著者(カナ) オビ,ショウタロウ
標題(和) 流れずり応力による内皮前駆細胞の分化誘導に関する研究
標題(洋)
報告番号 128169
報告番号 甲28169
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3828号
研究科 医学系研究科
専攻 生体物理医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 牛田,多加志
 東京大学 特任准教授 宇野,漢成
 東京大学 講師 増谷,佳孝
 東京大学 准教授 渡部,徹郎
 東京大学 講師 重松,耕宏
内容要旨 要旨を表示する

最近、出生後の血管新生に関与する血管内皮前駆細胞(Endothelial Progenitor Cell: EPC)が、成人の末梢血から分離された。EPCは骨髄から末梢血に動員され、既存の血管の内皮細胞に接着し、内皮層を通り抜けて組織に遊走した後、増殖・分化して新たな血管を構築する。この過程においてEPCは血流や組織液の流れに起因する力学的刺激であるずり応力(剪断応力)を受けると考えられる。EPCがずり応力にどの様に反応するかについての最初の報告は東大の山本らによって行われた。ヒトの末梢血由来のEPCに流れ負荷装置で定量的なずり応力を作用させる実験により、EPCがずり応力に反応して形が類円形から細長く変わり、その長軸を流れの方向に向けて配列することや細胞増殖能が促進されることが示された。また、EPCが成熟型の血管内皮細胞へ分化する過程がずり応力により格段に加速されることやコラーゲンゲル内での管腔形成が促進されることも判明した。その後、ずり応力に対するEPCの力学応答に関する多くの研究が行われ、ずり応力がEPCの一酸化窒素やプロスタグランディンF1αなどの血管拡張物質の産生や抗血栓活性を有するトロンボモデュリンの発現を増加することや、線溶作用のある組織型プラスミノーゲン・アクチベータの放出や活性酸素の消去に関わるスーパーオキシドディスムターゼの活性と遺伝子発現を増加させることなどが明らかにされた。しかし、ずり応力によりEPCが成熟内皮細胞へ分化が誘導されるとき動脈内皮に分化するのか、あるいは静脈内皮に分化するのかについてはまだ解明されていない。そこで、本研究ではヒト末梢血由来EPCの動静脈分化に対するずり応力の効果について解析した。さらに、近年、細胞治療や再生医療に使う細胞ソースとなるヒト臍帯血中に存在するEPCが末梢血EPCと同様にずり応力に反応するかどうかについても検討を加えた。

1)末梢血EPCの動静脈分化に及ぼす流れずり応力の効果に関する検討。

ヒト末梢血から密度勾配遠心法により単核球を精製し、内皮用培地で培養して接着した細胞をEPCとして使用した。EPCを回転円盤型流れ負荷装置に入れ定量的な流れずり応力(1.25 dynes/cm2)を6時間あるいは24時間負荷し、動脈内皮マーカーであるephrinB2、Notch1/3、Hey1/2、ALK1と静脈内皮マーカーであるEphB4、NRP2のmRNAレベルの変化をリアルタイムPCRで解析した。その結果、動脈内皮マーカーのmRNA発現レベルは反応の大きさに違いは見られるが、全て増加すること、一方、静脈内皮マーカーは逆に減少することが示された。ephrinB2蛋白の発現変化をウェスタンブロットで解析したところ、ephrinB2の蛋白レベルはずり応力開始12時間後に増加し始め、流れ負荷24時間後にはコントロールの約3倍に増加した。

流れ負荷で見られたephrinB2とEphB4の遺伝子発現の変化が力学的刺激であるずり応力に依存している否かを確認するため、EPCに異なる粘度を持つ2種類の培養液による流れ負荷を行った。ずり速度の増加に伴ってephrinB2のmRNAレベルは増加し、逆にEphB4のmRNAレベルは減少したが、粘度の高い培養液と低い培養液で反応の大きさが異なった。同じずり速度では常に粘度の高い培養液による負荷、すなわちより高いずり応力が作用した場合に反応が大きかった。他方、同じずり応力では粘度の高い培養液と低い培養液による反応の大きさの違いは見られなかった。このことは流れ負荷によるephrinB2およびEphB4の遺伝子応答はずり速度ではなく流れずり応力に依存することを示している。

次にずり応力によるephrinB2の遺伝子の発現増加が転写調節なのか転写後調節なのかについて検討した。ランオンアッセイを行ったところ、ずり応力がephrinB2の転写を有意に促進することが示された。一方、アクチノマイシンD処理後のephrinB2のmRNAレベルの変化を競合的PCRで測定したところ、ずり応力はephrinB2のmRNAの安定化に影響しないことが分かった。さらに転写調節に関わる遺伝子のずり応力応答配列を明らかにするため、クローニングして得たヒトephrinB2DNAのプロモータを使ったルシフェラーゼアッセイを行った。その結果、ずり応力を負荷するとルシフェラ-ゼ活性が静的条件より明らかに上昇することが示された。また、プロモータの長さを転写開始点よりも上流106塩基まで短くすると、ずり応力による転写促進効果が消失した。これらの結果から、ずり応力は転写を亢進してephrinB2の遺伝子発現を増加させることと、この反応に関わるずり応力応答配列は転写開始点から上流106塩基間に存在することが分かった。

その範囲の塩基配列は既知の転写因子Sp1が結合するモチーフを含むことから、これがずり応力応答配列として働いているかどうかを探るためゲルシフトアッセイを行なった。静的条件あるいは流れずり応力を負荷した細胞から得た核蛋白と放射性同位元素で標識したSp1結合モチーフを含むオリゴヌクレオチドを反応させたところ、ずり応力負荷で明瞭な蛋白-DNA複合体が形成された。この蛋白-DNA複合体はSp1の結合モチーフの塩基配列に変異を入れると形成されなくなり、Sp1の抗体でバンドシフトを示した。また、流れずり応力を24時間負荷したEPCの染色体DNAからSp1で免疫沈降したものをテンプレイトとしてSp1結合モチーフの塩基配列に対応したプライマーを使ってPCR増幅するクロマチン免疫沈降法を行なったところ、Sp1が結合している部位はephrinB2プロモータにあるSp1結合モチーフであることが確認された。これらの所見からずり応力がSp1を活性化し、それがephrinB2遺伝子のプSp1結合モチーフに結合することでephrinB2の転写が促進を受けると考えられた。

以上より、流れずり応力は末梢血EPCを静脈内皮より動脈内皮に分化を誘導することと、流れずり応力による動脈のマーカーephrinB2遺伝子の発現増加は転写因子Sp1の活性化による転写亢進を介していることが明らかとなった。

2)臍帯血EPCに対する流れずり応力の効果に関する検討

末梢血由来EPCより未分化なヒト臍帯血由来CD133陽性細胞をEPCとして流れ負荷実験を行った。このEPCに回転円盤型流れ負荷装置で定量的なずり応力(2.5 dynes/cm2)を作用させたところ、様々な応答を起こすことが判明した。ディッシュへの接着性に関しては、静的条件下に置いた細胞と比較し、ずり応力が作用した細胞では接着数が有意に増加した。Boyden chamberを用いた測定で流れずり応力がEPCの遊走能を亢進することが示された。また、ずり応力はEPCの増殖を促進する一方、アポトーシスを抑制する作用のあることが、H2O2処理後の断片DNA量をELISAで測定する実験で示された。さらにEPCをコラーゲンゲルに播種して顕微鏡観察するアッセイではずり応力が作用したEPCでは明らかに管腔形成が亢進することが示された。

EPCの分化に関しては内皮マーカーの細胞表面蛋白の発現変化をフローサイトメトリーで測定した。その結果、内皮細胞マーカーであるKDR、Flt1、VE-cadherin、Tie2の蛋白発現がずり応力で著明に増加することが示された。遺伝子の発現に関してリアルタイムPCRで検討したところ、ずり応力によりKDR、Flt1、VE-cadherin、Tie2のmRNAレベルがいずれも有意に増加するのが観察された。また、EPCに異なるレベルのずり応力(0.25から2.5 dynes/cm2)を48時間負荷してKDR、Flt1、VE-cadherin、Tie2の蛋白発現の変化を測定したところ、蛋白の発現増加は流れずり応力の強さに依存していることが分かった。これらの結果から、ずり応力が末梢血EPCと同様に臍帯血EPCを成熟内皮細胞へ分化誘導すると考えられた。

以上より、臍帯血EPCはずり応力に反応して接着、遊走、増殖、脈管形成、抗アポトーシスといった細胞機能が亢進することが示された。また、ずり応力は末梢血EPCと同様に臍帯血EPCを成熟内皮細胞へ分化を誘導する作用のあることが明らかになった。

今後、EPCがどの様にずり応力を認識し、その情報を細胞内部に伝達し細胞応答を起こすのかといった力学刺激のセンシング機構が明らかになると、生体におけるEPCを介した血管新生や血管リモデリングの分子機構の理解がさらに深まると思われる。また、今回の結果はEPCなどの未分化な細胞を使う再生医療において、ずり応力などの力学的刺激を細胞の分化を制御するツールとして応用できることを示している。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、出生後の血管新生に関与する血管内皮前駆細胞(Endothelial Progenitor Cell: EPC)が血流や組織液の流れに起因する力学的刺激であるずり応力(剪断応力)の影響を受けて動脈内皮に分化するのか、それとも静脈内皮に分化するのかを明らかにするため、流れずり応力負荷装置を用いてヒト末梢血由来EPCにずり応力を負荷して動静脈分化に対するずり応力の効果について解析した。さらに、近年、細胞治療や再生医療に使う細胞ソースとなるヒト臍帯血中に存在するEPCが末梢血由来EPCと同様にずり応力に反応するかどうかについても検討を加え、下記の結果を得た。

1.ヒト末梢血由来EPCに定量的な流れずり応力(1.25 dynes/cm2)を6時間あるいは24時間負荷し、動脈内皮マーカーであるephrinB2、Notch1/3、Hey1/2、ALK1と静脈内皮マーカーであるEphB4、NRP2のmRNAレベルの変化をリアルタイムPCRで解析した。その結果、動脈内皮マーカーのmRNA発現レベルは反応の大きさに違いは見られるが、全て増加すること、一方、静脈内皮マーカーは逆に減少することが示された。ephrinB2蛋白の発現変化をウェスタンブロットで解析したところ、ephrinB2の蛋白レベルはずり応力開始12時間後に増加し始め、流れ負荷24時間後にはコントロールの約3倍に増加した。

2.流れ負荷で見られたephrinB2とEphB4の遺伝子発現の変化が力学的刺激であるずり応力に依存しているか否かを確認するため、EPCに異なる粘度を持つ2種類の培養液による流れ負荷を行った。ずり速度の増加に伴ってephrinB2のmRNAレベルは増加し、逆にEphB4のmRNAレベルは減少したが、粘度の高い培養液と低い培養液で反応の大きさが異なった。同じずり速度では常に粘度の高い培養液による負荷、すなわちより高いずり応力が作用した場合に反応が大きかった。他方、同じずり応力では粘度の高い培養液と低い培養液による反応の大きさの違いは見られなかった。このことは流れ負荷によるephrinB2およびEphB4の遺伝子応答はずり速度ではなく流れずり応力に依存することを示している。

3.ずり応力によるephrinB2の遺伝子の発現増加が転写調節なのか転写後調節なのかについて検討した。ランオンアッセイを行ったところ、ずり応力がephrinB2の転写を有意に促進することが示された。一方、アクチノマイシンD処理後のephrinB2のmRNAレベルの変化を競合的PCRで測定したところ、ずり応力はephrinB2のmRNAの安定化に影響しないことが分かった。

4.転写調節に関わる遺伝子のずり応力応答配列を明らかにするため、クローニングして得たヒトephrinB2DNAのプロモータを使ったルシフェラーゼアッセイを行った。その結果、ずり応力を負荷するとルシフェラ-ゼ活性が静的条件より明らかに上昇することが示された。また、プロモータの長さを転写開始点よりも上流106塩基まで短くすると、ずり応力による転写促進効果が消失した。これらの結果から、ずり応力は転写を亢進してephrinB2の遺伝子発現を増加させることと、この反応に関わるずり応力応答配列は転写開始点から上流106塩基間に存在することが分かった。

その範囲の塩基配列は既知の転写因子Sp1が結合するモチーフを含むことから、これがずり応力応答配列として働いているかどうかを探るためゲルシフトアッセイを行なった。静的条件あるいは流れずり応力を負荷した細胞から得た核蛋白と放射性同位元素で標識したSp1結合モチーフを含むオリゴヌクレオチドを反応させたところ、ずり応力負荷で明瞭な蛋白-DNA複合体が形成された。この蛋白-DNA複合体はSp1の結合モチーフの塩基配列に変異を入れると形成されなくなり、Sp1の抗体でバンドシフトを示した。

5.流れずり応力を24時間負荷したEPCの染色体DNAからSp1で免疫沈降したものをテンプレイトとしてSp1結合モチーフの塩基配列に対応したプライマーを使ってPCR増幅するクロマチン免疫沈降法を行なったところ、Sp1が結合している部位はephrinB2プロモータにあるSp1結合モチーフであることが確認された。これらの所見からずり応力がSp1を活性化し、それがephrinB2遺伝子のプロモーター領域のSp1結合モチーフに結合することでephrinB2の転写が促進を受けると考えられた。

6.ヒト臍帯血由来EPCに定量的なずり応力(2.5 dynes/cm2)を作用させて細胞機能を検討した。ディッシュへの接着性に関しては、静的条件下に置いた細胞と比較し、ずり応力が作用した細胞では接着数が有意に増加した。Boyden chamberを用いた測定で流れずり応力がEPCの遊走能を亢進することが示された。また、ずり応力はEPCの増殖を促進する一方、アポトーシスを抑制する作用のあることが、H2O2処理後の断片DNA量をELISAで測定する実験で示された。

7.ヒト臍帯血由来EPCの分化に関して細胞表面蛋白の発現変化をフローサイトメトリーで測定した。その結果、内皮細胞マーカーであるKDR、Flt1、VE-cadherin、Tie2の蛋白発現がずり応力で著明に増加することが示された。遺伝子の発現に関してリアルタイムPCRで検討したところ、ずり応力によりKDR、Flt1、VE-cadherin、Tie2のmRNAレベルがいずれも有意に増加するのが観察された。また、EPCに異なるレベルのずり応力(0.25から2.5 dynes/cm2)を48時間負荷してKDR、Flt1、VE-cadherin、Tie2の蛋白発現の変化を測定したところ、蛋白の発現増加は流れずり応力の強さに依存していることが分かった。これらの結果から、ずり応力が末梢血EPCと同様に臍帯血EPCを成熟内皮細胞へ分化誘導すると考えられた。

以上、本論文は流れずり応力がヒト末梢血由来EPCを静脈内皮より動脈内皮に分化を誘導することと、流れずり応力による動脈のマーカーephrinB2遺伝子の発現増加が転写因子Sp1の活性化による転写亢進を介していることを明らかにした。また、ヒト臍帯血由来EPCがずり応力に反応して接着、遊走、増殖、抗アポトーシスといった細胞機能が亢進すること、ずり応力が末梢血由来EPCと同様に臍帯血由来EPCを成熟内皮細胞へ分化を誘導する作用のあることを明らかにした。本研究は、生体におけるEPCを介した血管新生や血管リモデリングの分子機構の解明、さらには再生医療への応用に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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