学位論文要旨



No 128176
著者(漢字) 藤井,義大
著者(英字)
著者(カナ) フジイ,ヨシヒロ
標題(和) 減数分裂特異的分子SYCE1の体細胞発現によるDNA損傷抵抗性の誘導
標題(洋)
報告番号 128176
報告番号 甲28176
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3835号
研究科 医学系研究科
専攻 生体物理医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 牛田,多加志
 東京大学 准教授 中川,恵一
 東京大学 講師 林,墾
 東京大学 特任講師 川津,正人
 東京大学 講師 熊野,恵城
内容要旨 要旨を表示する

がんの治療法において、外科的治療、化学療法、放射線療法は3本柱を成すが、個々のがん、個々の症例で治療の反応性が異なるため、個々のがんの特性を踏まえた治療が重要である。放射線療法と多くの化学療法は、主としてDNA二本鎖切断によって抗腫瘍効果を発揮するため、DNA二本鎖切断の細胞応答のメカニズムを理解し、個々のがん細胞におけるDNA損傷への応答能力の特性を知ることは極めて重要である。一方、近年、通常は精巣や卵巣といった生殖細胞 のみで発現を示す蛋白質が、がん細胞に異所的に発現していることが数多く報告されている。このような蛋白質は、がん精巣抗原(cancer testis antigen:CTA)とも呼ばれ、その特異的な発現のパターンから、がん治療の新たなターゲットとして期待されている。しかし、それらの分子の体細胞での役割は殆ど明らかにされていない。本研究では、減数分裂特異的な構造物であるシナプトネマ複合体の形成分子の1つであるSYCE1のがん細胞での発現と体細胞での役割について検討した。

まず、RT-PCR法、及び、ウエスタンブロット法により、様々ながん細胞株におけるSYCE1の発現の有無について調べたところ、HT1080 (ヒト線維肉腫細胞)とH358(ヒト肺腺がん細胞)においてその発現が検出され、SYCE1ががん精巣抗原であることが確認された。続いて、正常体細胞株にSYCE1を安定発現させ、SYCE1の発現が体細胞におけるDNA損傷応答能をはじめとする細胞の性質にもたらす影響について検討を行った。まず、野生細胞株とSYCE1発現細胞株を放射線とシスプラチンで処理後、コロニー形成法により細胞生存率を比較した。その結果、SYCE1発現細胞は、野生株に比べ、細胞生存率が上昇し、放射線とシスプラチンに対する抵抗性を示した。そのメカニズムを明らかにするために、DNA損傷に応答するシグナル伝達経路で働く分子の挙動の変化を調べた。まず、SYCE1発現細胞において、DNA二本鎖修復経路の一つである相同組換え修復の初期過程において中心的な役割を担う分子であるRAD51について免疫染色を行ったところ、放射線照射時のフォーカス形成が増加し、その機能が亢進していることが明らかになった。さらに、SYCE1発現細胞において、RAD51の上流で働いているATM、γH2AX、BRCA1、53BP1などの機能の亢進も観察できた。具体的には、RAD51と同様に、放射線照射時のBRCA1と53BP1のフォーカス形成が増加していた。また、放射線非照射時においてγH2AXのフォーカス形成が増加しており、内因性のDNA損傷が蓄積していることが示唆された。さらに、ウエスタンブロット法により、DNA損傷応答の初期における重要なセンサー分子であるATMの蛋白質量が、放射線非照射時と照射時の両方において増加していることも分かった。更に、免疫沈降・ウエスタンブロット法を用いて、ATM自身を活性化して下流へシグナルを伝達するのに重要なATMのセリン1981番の自己リン酸化能を調べたところ、SYCE1発現細胞においてATMの自己リン酸化が有意に亢進していることが明らかになった。逆に、SYCE1を発現するがん細胞において、siRNAを用いてSYCE1の発現を抑制した場合には、上記の放射線とシスプラチンに対する抵抗性やDNA損傷応答分子の機能の亢進の表現型が回復することも確認できた。

近年、ヒストンの翻訳後修飾やクロマチン構造の変化がATMの機能の制御において重要な役割を果たすことが示唆されている。そこで、SYCE1発現細胞における各種ヒストンの修飾の変化を調べたところ、転写、複製、修復などに関わるという報告のあるヒストンH4のリジン12のアセチル化の亢進が観察された。これらの結果より、SYCE1が体細胞において発現すると、ヒストンH4のアセチル化の亢進とクロマチン構造の変化をもたらし、ATM、γH2AX、53BP1、BRCA1などのDNA損傷応答の初期のシグナル伝達を活性化し、最終的にRAD51などのDNA損傷修復系が亢進することにより、放射線とシスプラチンに対する抵抗性を獲得すると考えられる。ATMの機能亢進をもたらす腫瘍精巣抗原はこれまでに報告されておらず、本研究により、減数分裂特異的分子の体細胞での発現によるDNA損傷応答の新たな制御機構を発見することが出来た。今後、本研究で亢進することが確認されたヒストンH4リジン12のアセチル化を制御するTip60、HAT1などのアセチル化酵素や、アセチル化の補助をする働きのあるASF1などの分子の挙動の変化に着目して、SYCE1によるDNA損傷応答の制御機構の詳細を明らかにしていきたい。

近年、がん精巣抗原を標的としたがん治療の試みがなされている。SYCE1を発現するがんにおいては、SYCE1分子そのものが治療の標的となり得る。その上、ATM分子を中心としたDNA損傷応答・修復系が亢進していることから、SYCE1を発現するがんにおいてATM阻害剤を投与することにより、放射線やシスプラチンに対する抵抗性を解除することによってDNA損傷性の治療効果を高めるという治療戦略も考えられる。このような臨床応用につながる基盤研究としてもこの研究を発展させていきたい。

審査要旨 要旨を表示する

本研究では、減数分裂特異的な構造物であるシナプトネマ複合体の形成分子の1つであるSYCE1のがん細胞での発現と体細胞での役割について検討したものであり、下記の結果を得ている。

1、まず、RT-PCR法、及び、ウエスタンブロット法により、様々ながん細胞株におけるSYCE1の発現の有無について調べたところ、HT1080 (ヒト線維肉腫細胞)とH358(ヒト肺腺がん細胞)においてその発現が検出され、SYCE1ががん精巣抗原であることが確認された。

2、続いて、正常体細胞株にSYCE1を安定発現させ、SYCE1の発現が体細胞におけるDNA損傷応答能をはじめとする細胞の性質にもたらす影響について検討を行った。まず、野生細胞株とSYCE1発現細胞株を放射線とシスプラチンで処理後、コロニー形成法により細胞生存率を比較した。その結果、SYCE1発現細胞は、野生株に比べ、細胞生存率が上昇し、放射線とシスプラチンに対する抵抗性を示した。

3、そのメカニズムを明らかにするために、DNA損傷に応答するシグナル伝達経路で働く分子の挙動の変化を調べた。まず、SYCE1発現細胞において、DNA二本鎖修復経路の一つである相同組換え修復の初期過程において中心的な役割を担う分子であるRAD51について免疫染色を行ったところ、放射線照射時のフォーカス形成が増加し、その機能が亢進していることが明らかになった。

4、さらに、SYCE1発現細胞において、RAD51の上流で働いているATM、γH2AX、BRCA1、53BP1などの機能の亢進も観察できた。また、放射線非照射時においてγH2AXのフォーカス形成が増加しており、内因性のDNA損傷が蓄積していることが示唆された。

5、さらに、ウエスタンブロット法により、DNA損傷応答の初期における重要なセンサー分子であるATMの蛋白質量が、増加していることも分かった。更に、免疫沈降・ウエスタンブロット法を用いて、ATM自身を活性化して下流へシグナルを伝達するのに重要なATMのセリン1981番の自己リン酸化能を調べたところ、SYCE1発現細胞においてATMの自己リン酸化が有意に亢進していることが明らかになった

6、SYCE1発現細胞における各種ヒストンの修飾の変化を調べたところ、転写、複製、修復などに関わるという報告のあるヒストンH4のリジン12のアセチル化の亢進が観察された。これらの結果より、SYCE1が体細胞において発現すると、ヒストンH4のアセチル化の亢進をもたらし、ATM、γH2AX、53BP1、BRCA1などのDNA損傷応答の初期のシグナル伝達を活性化し、最終的にRAD51などのDNA損傷修復系が亢進することにより、放射線とシスプラチンに対する抵抗性を獲得すると考えられる。

以上、ATMの機能亢進をもたらす腫瘍精巣抗原はこれまでに報告されておらず、本研究により、減数分裂特異的分子であるSYCE1のがん細胞での異所性発現によるDNA損傷応答の新たな制御機構を発見することが出来た。この研究による発見はこれからのがん治療に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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