学位論文要旨



No 128181
著者(漢字) 有薗,美沙
著者(英字)
著者(カナ) アリゾノ,ミサ
標題(和) アストロサイトにおけるCa2+シグナルの空間的制御機構
標題(洋) The spatial regulation of Ca2+ signaling in astrocytes
報告番号 128181
報告番号 甲28181
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3840号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 尾藤,晴彦
 東京大学 教授 廣瀬,謙造
 東京大学 教授 狩野,方伸
 東京大学 准教授 喜多村,和郎
 東京大学 特任准教授 河崎,洋志
内容要旨 要旨を表示する

脳は主にニューロンとグリア細胞で構成されている。グリア細胞の一種であるアストロサイトは、細胞体とそれをとりまく複数の突起からなる星型の形態に特徴づけられ、長い間イオン環境の維持や神経細胞への栄養分の補給といった、脳のホメオシタシスのみを担う消極的な細胞として認識されてきた。しかしCa2+イメージング技術の開発によってアストロサイトの活発なCa2+シグナルが可視化されたことを機に、神経活動の制御、局所脳血流の調節といったアストロサイトの積極的な脳機能への関与が次々と明らかにされている。

アストロサイトは複数の突起を通して十万個以上ものシナプスと同時に血管と接しているため、一つの細胞でも大きな影響力をもちうる。アストロサイトによる神経細胞、血管細胞の積極的な制御は、主にアストロサイトの代謝型グルタミン酸受容体(mGluR)活性化による細胞内Ca2+上昇が介している。したがってアストロサイトの他の細胞への影響力は、mGluRが引き起こすCa2+シグナルの波及する範囲に依存すると考えられる。突起における局所的なCa2+シグナルはその突起の周辺のみを制御する一方、細胞体も含む全体的なCa2+シグナルは複数の突起の周辺細胞に影響し、それらの活動を同期してしまう可能性がある。アルツハイマー病やてんかんのモデルマウスの大脳皮質では時空間的に異常なCa2+シグナルが報告されており、健常な脳機能にはアストロサイトのmGluR依存的Ca2+シグナルの精確な空間的制御が必要であることが示唆される。しかしながらアストロサイトのCa2+シグナルは、主に細胞体のCa2+シグナルしか検出できないCa2+指示薬を用いて研究されており、突起を含むアストロサイト細胞内での詳細なCa2+シグナルについてはほとんど知られていない。そこで本研究においては、mGluR依存的Ca2+シグナルを空間的精度のよいCa2+イメージング法を用いて可視化し、その空間的制御機構を解明することを目的とした。

[結果]

1. 蛋白質性Ca(2+)センサーはアストロサイトの詳細なCa(2+)シグナルを検出できる

単一細胞における詳細なCa(2+)シグナルを観察するために、ラットの海馬の神経細胞と共培養した突起を保持するアストロサイト(DIV 7~13)に蛋白質性Ca(2+)センサーGCaMP2を発現させた。このアストロサイトを用いて自発的Ca(2+)動態を観察したところ、突起のCa(2+)シグナルにいたるまで詳細に可視化され、このCa(2+)シグナルパターンが脳スライスで報告されているものと同じ性質をもっていることが分かった。

2. mGluR依存的Ca(2+)シグナルはアストロサイトの突起から開始される

上記のCa(2+)イメージングの系を用いてmGluR刺激に対するアストロサイトの反応の空間的性質を調べた。mGluRアゴニスト(DHPG)でGCaMP2を発現させたアストロサイトの細胞全体を同時に刺激したところ、ほぼ全ての細胞で突起からCa(2+)上昇が始まった。蛋白質性Ca(2+)センサーGCaMP3をgene gunで導入したラットの脳スライスのアストロサイトにおいても、ほとんどの細胞でDHPG刺激に伴い突起からCa(2+)上昇がみられた。これらの実験によって突起がmGluR依存的Ca(2+)シグナルの開始点であることが明らかになった。

3. アストロサイトの突起ではmGluR5の密度が高い

次にアストロサイトのmGluR依存的Ca(2+)シグナルの開始点を突起に限局している要因を同定することを試みた。まずCa2+貯蔵庫である小胞体と、小胞体膜上のCa(2+)チャネルであるIP3受容体の分布を免疫染色法により調べたところ、両者とも細胞に一様に分布していた。またcaged IP3 を用いてCa2+放出を促したところ、Ca(2+)放出能力は細胞体でも突起でも同様に備わっていることが分かった。一方でCa(2+)放出を引き起こす引き金になる細胞膜上のmGluR5の分布を調べたところ、突起に有意に高い密度で分布していることが明らかになった。以上により、mGluR5が突起に偏在することによって、突起がmGluR依存的Ca(2+)シグナルの開始点となっている可能性が示唆された。

4. mGluR5の突起-細胞体間の移動は阻止されている

流動モザイクモデルによれば、細胞膜上の分子は側方拡散によって移動することができる。これに対して細胞によっては分子の局在を維持させるために拡散障壁を築いているものがある。そこで私はアストロサイトにおけるmGluR5の偏在維持にmGluR5の拡散制御が関わっているかを検討した。mGluR5の側方拡散運動を可視化するために、内在性のmGluR5をその細胞外ドメインを認識する抗体を介して、量子ドット(QD)という半導体からなるナノ結晶で標識した(mGluR5-QD)。量子ドットは従来の有機色素よりも明るく光安定性が高いという利点から長時間一分子の動態を追うのに非常に有用である。13 Hzで取得した内在性のmGluR5-QDの動態を解析したところ、突起のmGluR5-QDは細胞体のmGluR5-QDに比べて拡散係数が大きく、自由拡散している分子の割合が大きいことが明らかになった。次に長時間(10分間)mGluR5-QDの拡散を観察したところ、mGluR5-QDは突起-細胞体間の移動が一切できないことが明らかとなった。この結果から突起-細胞体の境界にmGluR5-QDの移動を阻止している障壁が存在することが示唆された。続いて他の分子も同様の動態を示すかを調べた。その結果、検証したmGluR5以外の分子(リン脂質であるDOPE、アストロサイトに発現しているATP受容体であるP2X7受容体)は突起と細胞体における動態に差はなく、突起-細胞体間も移動することができた。これらの結果から、mGluR5の動きを突起-細胞体間を阻止している障壁はmGluR5選択的に作用することが明らかになった(mGluR5選択的障壁)。

5. mGluR5またはその細胞内C末端の過剰発現は、mGluR5の偏在の消散と細胞全体で開始するmGluR依存的Ca(2+)シグナルを引き起こす

mGluR5がmGluR5選択的拡散障壁を乗り越えられる条件を探索したところ、mGluR5を過剰発現したアストロサイトにおいては突起と細胞体におけるmGluR5-QDの動態の差が消失し、mGluR5-QDが突起-細胞体間を移動できることが明らかになった。また、複数の分子との相互作用部位であると報告されているmGluR5の細胞内C末端領域を過剰発現した場合もmGluR5の全長を発現した場合と同様に、mGluR5-QDが細胞区画間を移動できることが分かった。これらの結果からmGluR5選択的拡散障壁の機能発現にはmGluR5の細胞内C末端における他の分子との相互作用が必要であることが示唆された。さらにmGluR5またはそのC端を過剰発現した細胞においてmGluR5の分布を調べたところ、突起へのmGluR5の偏在が消失していた。これらの細胞のmGluR刺激に対する反応性を観察したところ、突起と細胞体で同時にCa2+上昇が起こる細胞の割合が飛躍的に増えた。mGluR5が突起-細胞体間を移動できる細胞においてはmGluR5の偏在が消失し、mGluR依存的Ca2+シグナルの開始点が突起に限局しなくなるということが明らかになった。mGluR5選択的拡散障壁は突起へのmGluR5の偏在を介してmGluR依存的Ca2+シグナルの開始点を突起に限定していることが示唆された。

[考察]

本研究によりアストロサイトは、mGluR5選択的拡散障壁をもうけることで入力が突起に限局していない場合でもmGluR依存的Ca(2+)シグナルを突起から開始する性質があることが示唆された。突起におけるmGluR依存的Ca(2+)シグナルの生じやすさはアストロサイトと神経細胞または血管細胞との情報伝達効率を高め、細胞体におけるCa2+シグナルの生じにくさは突起から突起への細胞内の異常なCa(2+)シグナルの伝播を妨げていると考えられる。また、アストロサイトの活動を時空間的に正確に評価するためには、アストロサイトの突起のCa(2+)シグナルを検出できる系を用いることが非常に重要であることが分かった。

mGluR5を過剰発現したアストロサイトにおいてmGluR5は突起-細胞体間を移動でき、突起におけるmGluR5の偏在と突起特異的なmGluR依存的Ca(2+)シグナルを開始する性質が失われることが示された。これらの結果は、実際にアストロサイトにおいてmGluR5の過剰発現がみられるてんかんやアルツハイマーなどの実験モデルで観察される異常なCa2+シグナルパターンもまた、mGluR5選択的拡散障壁の機能不全を介している可能性を示唆している。今後mGluR5選択的拡散障壁の構成要素を同定し、拡散障壁の欠損した個体の表現型を解析することで、アストロサイトのCa(2+)シグナルの空間的制御のin vivoにおける生理的意義が明らかになることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は神経細胞、血管細胞の積極的な制御を主に担うアストロサイトの代謝型グルタミン酸受容体(mGluR)依存的Ca(2+)シグナルの空間的制御機構の解明を試みたものであり、以下の結果を得ている。

1. 単一細胞における詳細なCa(2+)シグナルを観察するために、ラットの海馬の神経細胞と共培養したアストロサイト(DIV 7~13)に蛋白質性Ca(2+)センサーGCaMP2を発現させたところ、先行研究では検出が困難であった突起のCa(2+)シグナルにいたるまで検出できた。mGluRアゴニスト(DHPG)でGCaMP2を発現させたアストロサイトの細胞全体を同時に刺激したところ、ほぼ全ての細胞でCa(2+)上昇が突起から始まった。蛋白質性Ca(2+)センサーGCaMP3をgene gunで導入したラットの脳スライスのアストロサイトにおいても、ほとんどの細胞でDHPG刺激に伴い突起からCa(2+)上昇がみられた。これらの実験によってアストロサイトの突起がmGluR依存的Ca(2+)シグナルの開始点であることが明らかになった。

2. Ca(2+)貯蔵庫である小胞体と、小胞体膜上のCa(2+)チャネルであるIP3受容体の分布を免疫染色法により調べたところ、両者とも細胞に一様に分布していた。またcaged IP3 を用いてCa(2+)放出を促したところ、Ca(2+)放出能力は細胞体でも突起でも同様に備わっていることが分かった。一方でCa(2+)放出を引き起こす引き金になる細胞膜上のmGluR5の分布を調べたところ、突起に有意に高い密度で分布していることが明らかになった。以上により、mGluR5がアストロサイトの突起に偏在することによって、突起がmGluR依存的Ca(2+)シグナルの開始点となっている可能性が示唆された。

3. 量子ドット(QD)で標識した内在性のmGluR5(mGluR5-QD)の動態を調べたところ、突起のmGluR5-QDは細胞体のmGluR5-QDに比べて拡散係数が大きく、自由拡散している分子の割合が大きいことが明らかになった。次に10分間mGluR5-QDの拡散運動を観察したところ、mGluR5-QDは突起―細胞体間の移動が一切できないことが明らかとなった。この結果から突起―細胞体の境界にmGluR5-QDの移動を阻止している障壁が存在することが示唆された。続いてmGluR5以外の分子も同様の動態を示すかを調べた。その結果、検証したリン脂質であるDOPE、アストロサイトに発現しているATP受容体であるP2X7受容体は、突起と細胞体における動態に差はなく、突起―細胞体間も移動することができた。これらの結果から、mGluR5の動きを突起―細胞体間を阻止している障壁はmGluR5選択的に作用することが明らかになった(mGluR5選択的拡散障壁)。

4. mGluR5を過剰発現したアストロサイトにおいては突起と細胞体におけるmGluR5-QDの動態の差が消失し、mGluR5-QDが突起―細胞体間を移動できることが明らかになった。また、複数の分子と相互作用することが知られているmGluR5の細胞内C末端領域を過剰発現した場合もmGluR5の全長を発現した場合と同様に、mGluR5-QDが細胞区画間を移動できることが分かった。これらの結果からmGluR5選択的拡散障壁の機能発現にはmGluR5の細胞内C末端における他の分子との相互作用が必要であることが示唆された。mGluR5またはそのC端を過剰発現した細胞においては、突起へのmGluR5の偏在が消失していた。さらに、これらの細胞のmGluR刺激に対する反応性を観察したところ、突起と細胞体で同時にCa(2+)上昇が起こる細胞の割合が飛躍的に増えた。mGluR5が突起―細胞体間を移動できる細胞においてはmGluR5の偏在が消失し、mGluR依存的Ca(2+)シグナルの開始点が突起に限局しなくなるということが明らかになった。アストロサイトにおけるmGluR5選択的拡散障壁は突起へのmGluR5の偏在を介してmGluR依存的Ca(2+)シグナルの開始点を突起に限定していることが示唆された。

以上、本論文ではアストロサイトの機能に重要なmGluR依存的なCa(2+)シグナルの開始点が突起にあることを明らかにし、この性質はmGluR5選択的拡散障壁によるmGluR5の突起への偏在によって維持されているという示唆を得た。本研究はこれまで全く未知に等しかったアストロサイトのCa(2+)シグナルの空間的制御機構解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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