学位論文要旨



No 128184
著者(漢字) 小池,進介
著者(英字)
著者(カナ) コイケ,シンスケ
標題(和) 統合失調症発症前後における、近赤外線スペクトロスコピィを用いた認知課題施行中の前頭側頭部脳血流に関する研究
標題(洋)
報告番号 128184
報告番号 甲28184
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3843号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 齊藤,延人
 東京大学 教授 川上,憲人
 東京大学 准教授 吉内,一浩
 東京大学 准教授 坂井,克之
 東京大学 講師 後藤,順
内容要旨 要旨を表示する

【背景】

統合失調症は、幻覚・妄想などの陽性症状、感情の平板化・無気力・言語の貧困化などの陰性症状と、遂行機能障害・作業記憶障害などの認知機能障害といった高次脳機能が障害される疾患である。一般人口の中で約0.7%が発病し、好発年齢は思春期から成年期である。統合失調症の治療は対症療法のみで、社会復帰のみならず症状寛解も難しい疾患であり、かつ人生早期に発症し、その後の人生に深いダメージを与え続ける。世界保健機構と世界銀行が制定した障害調整生命年では、非感染性疾患・障害の1.5%(16位)を占めるとされる。統合失調症の治療としては、臨床病期に応じた支援と治療が非常に重要である。しかし、現在においては臨床像のみで症状や状態を判断するしかなく、客観的に評価できる指標は乏しい。

近赤外線スペクトロスコピィ(NIRS)は、近赤外光がヘモグロビンで一部吸収される特徴を利用して、組織内のヘモグロビン濃度変化を検出する方法である。NIRSは、コストが低廉で持ち運び可能で、体動アーチファクトに比較的耐性があり、ベッドサイドで、自然な姿勢で、脳機能変化の時間経過に沿った解析ができる特徴があるため、精神疾患の脳機能の検討に適している。提示課題として文字版語流暢性課題での検討が多い。文字版語流暢性課題は、長期言語記憶から回答の言葉を呼び出すだけでなく、すでに答えた言葉を覚えておく言語性の作業記憶、不適切な言葉の抑制、これら認知的作業に対する注意持続、遂行機能など、複数の認知領域の機能を要し、統合失調症患者では課題成績が低下することが知られている。過去の検討でも、慢性期統合失調症において前頭葉の機能低下が報告されている。

【目的】

本研究は、多チャンネルNIRS機器を用いて、すでに過去の検討で行われ、先進医療にも承認されている文字版語流暢性課題中の前頭側頭部血流変化を、精神病発症超危険群、初回エピソード精神病、慢性期統合失調症の各臨床病期に該当する被験者および健常対照者について計測し、血流変化の違いを検討する。各臨床病期の前頭側頭部血流変化パターンを検討することで、統合失調症で認められる高次脳機能障害が、どの臨床病期から認められ、どのように変化していくのか推定し、考察していく。

【方法】

精神病発症超危険群22名、初回エピソード精神病群27名、慢性期統合失調症群38名、および健常対照群30名を対象とした。52チャンネルNIRS装置を用い、文字版語流暢性課題施行中のヘモグロビン濃度変化を計測した。この課題は全160秒間で、60秒間のtask区間と、前30秒および後70秒からなるpre-taskおよびpost-task区間からなる。task区間では指定された1語で始まる単語をできるだけ多く作り発語するよう被験者に指示した。その前後のベースライン区間で日本語の母音「あ・い・う・え・お」を繰り返し、脳活動を差し引くことで、文字版語流暢性課題で起こった変化パターンを検討した。得られた平均変化量を、一元配置分散分析で4群間に有意な差があるか検討した。多項目について検定を行うため、False discovery rate補正を行った。次に、有意なチャンネルに関してはpost-hoc Tukey-Welsch検定を用い、群間差を検討した。また、各臨床病期において健常対照群との血流変化の違いを検討するため、Cohenの効果量を用いて各臨床病期と健常対照群との差の程度を求めた。症状との相関を見るため、平均ヘモグロビン濃度変化と臨床指標とのピアソンの積率相関係数を各チャンネルで算出した。

【結果】

task区間の酸素化ヘモグロビン濃度変化は、50チャンネルで群間差を認めたが、脱酸素化ヘモグロビン濃度変化では群間差を認めるチャンネルはなかった。酸素化ヘモグロビン濃度変化に関してpost-hoc Tukey-Welsch検定の結果は概ね3つに分類でき、(1)臨床病期早期から後期まで同程度に酸素化ヘモグロビン濃度変化の減少を認める、(2)臨床病期の進行に沿った酸素化ヘモグロビン濃度変化の減少を認める、(3)慢性期においてのみ酸素化ヘモグロビン濃度変化の減少を認める、となった(図1)。NIRSプローブ位置のMRI計測から推定されたチャンネル位置と脳部位との対応を用いると、分類(1)は両側腹外側前頭前野および前部側頭皮質、および前頭極前頭前野、分類(2)および(3)は両側背外側前頭前野および右腹外側前頭前野領域と推測された(図1)。各臨床病期と健常対照群との酸素化ヘモグロビン濃度変化の比較によると、精神病発症超危険群および初回エピソード精神病群では、左腹外側前頭前野の差が最大であった(図2)。しかし、慢性期統合失調症群と健常対照群との比較によると、背外側前頭前野の差が最大であった(図2)。

NIRS信号と臨床指標との相関では、初回エピソード精神病群において、陽性症状得点と右前部側頭皮質における酸素化ヘモグロビン濃度変化に有意な正の相関関係を認めた。また、慢性期統合失調症群において機能の全体的評定尺度得点と前頭極前頭前野における酸素化ヘモグロビン濃度変化に正の相関関係を認めた。

【考察】

本研究は、精神病発症超危険群、初回エピソード精神病群、慢性期統合失調症群の各臨床病期に該当する被験者および健常対照群について、文字版語流暢性課題遂行中の前頭側頭部血流変化を多チャンネルNIRS機器を用いて計測し、血流変化パターンの違いを検討した。両側腹外側前頭前野、両側前部側頭皮質、および前頭極前頭前野領域では、臨床病期早期から後期まで同程度に酸素化ヘモグロビン濃度変化の減少を認め、両側背外側前頭前野および右腹外側前頭前野領域では、臨床病期の進行に沿った酸素化ヘモグロビン濃度変化の減少を認めた。

臨床病期の群間差に注目した検討では、酸素化ヘモグロビン濃度変化の減少パターンが脳領域によって異なることを示した(図1)。両側腹外側前頭前野、両側前部側頭皮質、および前頭極前頭前野領域では、臨床病期早期から臨床病期後期と同程度の機能障害を有することを示唆した。さらに、効果量に基づく検討によると、精神病発症超危険群および初回エピソード精神病群では左腹外側前頭前野領域の活動低下が最も大きかった(図2)。過去の神経心理研究によると、精神病発症危険群の時点で、言語記憶や処理速度といった領域で、健常対照群と比して障害の程度が大きい。前頭葉機能の局在化の視点から見ると、言語操作はBroca野、つまり優位半球の腹外側前頭前野が主たる活動領域と考えられている。本研究の左腹外側前頭前野領域の活動低下は、過去の神経心理研究における結果と一致する。神経心理研究では、言語記憶の成績が発症や社会機能障害を予測しうることを示唆しており、NIRSによる左腹外側前頭前野の血流変化を検討することで、発症予測や予後予測に関する客観的指標として臨床応用できる可能性を示唆している。

一方、両側背外側前頭前野および右腹外側前頭前野領域では、健常対照群>精神病発症超危険群>初回エピソード精神病群>慢性期統合失調症群となる傾向を認めた(図1)。背外側前頭前野領域は作業記憶で中心的な役割をしているとされ、神経心理研究では、統合失調症における作業記憶の障害が報告されている。機能的核磁気共鳴法を用いた研究でも、初回エピソード精神病や慢性期統合失調症において背外側前頭前野の活動低下が指摘されてきた。その一方で、精神病発症超危険群においては、他の認知機能と比して、作業記憶の障害の程度が小さい。機能的核磁気共鳴法を用いた研究においても、統合失調症群で認められる背外側前頭前野の活動低下は、精神病発症超危険群では認められない。本研究においても、慢性期統合失調症群では健常対照群と比して、背外側前頭前野の血流変化が最も低下した脳部位であったが、精神病発症超危険群では血流変化に有意差は認められず、過去の研究結果を追認するものと考えられる(図2)。

本研究では、過去の慢性期統合失調症研究と同様、慢性期統合失調症群において機能の全体的評定尺度得点と前頭極前頭前野領域の酸素化ヘモグロビン濃度変化に正の相関関係を認めた。前頭極前頭前野は、他の前頭葉機能を統合し、ヒト特有の自我、他者理解、メンタライジングを担うとされ、ヒトの日常生活における社会機能に直接関係する。本研究においても過去の研究を追認し、社会機能障害を客観的に測定できる可能性を示唆した。初回エピソード精神病群においてこの傾向が認められないのは、治療開始後平均8週で計測しており、今後の経過によりさらに機能の全体的評定尺度得点が変化するため、と考えられる。酸素化ヘモグロビン濃度変化および機能の全体的評定尺度得点が、時間の経過の中でどう変化していき、酸素化ヘモグロビン濃度変化がどの時点で社会機能障害を反映するのか、また転帰を予測できるのかどうか、検討を続ける必要がある。

【結語】

本研究は、精神病発症超危険群、初回エピソード精神病群、慢性期統合失調症群の各臨床病期に該当する被験者および健常対照群について、文字版語流暢性課題遂行中の前頭側頭部血流変化を多チャンネルNIRSを用いて計測し、血流変化パターンの違いを検討した。両側腹外側前頭前野、両側前部側頭皮質、および前頭極前頭前野領域では、臨床病期早期から後期まで同程度に酸素化ヘモグロビン濃度変化の減少を認めた。両側背外側前頭前野および右腹外側前頭前野領域では、臨床病期の進行に沿った酸素化ヘモグロビン濃度変化の減少を認めた。本研究は横断面での研究で、今後経時的な検討が必要であるが、NIRSを用いて精神病発症前後の精神症状・機能を客観的に計測し、臨床病期を予測しうる客観的指標となる可能性を見出した。

図1.臨床病期に基づいた3分類の血流変化パターン

略称:HC, 健常対照群; UHR, 精神病発症超危険群; FEP, 初回エピソード精神病群; ChSZ, 慢性期統合失調症群

左図は相当する脳領域を図示したもので、右図は典型的なパターンを示したチャンネルにおける酸素化ヘモグロビン濃度変化をプロットしたもの。臨床病期に基づいて、(1)臨床病期早期から後期まで同程度に酸素化ヘモグロビン濃度変化の減少を認める(黄)、(2)臨床病期の進行に沿った酸素化ヘモグロビン濃度変化の減少を認める(赤)、(3)慢性期においてのみ酸素化ヘモグロビン濃度変化の減少を認める(緑)、に分類できる。NIRSプローブ位置のMRI計測から推定されたチャンネル位置と脳部位との対応を用いると、分類(1)は両側腹外側前頭前野および前部側頭皮質、および前頭極前頭前野、分類(2)および(3)は両側背外側前頭前野および右腹外側前頭前野領域と推測された。

図2.各臨床病期と健常対照群との比較

2群間の酸素化ヘモグロビン濃度変化の差をCohenの効果量を用いて図示し、それぞれの効果量の最大値を持つチャンネルを矢印で示した。精神病発症超危険群(図上、ch40: Cohen's d=0.92)および初回エピソード精神病群(図中、ch51: d=1.08)では、左腹外側前頭前野の差が最大であった。しかし、慢性期統合失調症群と健常対照群との比較によると、背外側前頭前野の差(図下、ch25: d=1.53)が最大であった。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は多チャンネル近赤外線スペクトロスコピィ機器を用いて、文字版語流暢性課題中の前頭側頭部血流変化を、精神病発症超危険群、初回エピソード精神病、慢性期統合失調症の各臨床病期に該当する被験者および健常対照者について計測し、血流変化の違いを検討したものであり、下記の結果を得ている。

1. 臨床病期の群間差に注目した検討では、酸素化ヘモグロビン濃度変化の減少パターンが脳領域によって異なることを示した。両側腹外側前頭前野、両側前部側頭皮質、および前頭極前頭前野領域では、臨床病期早期から臨床病期後期と同程度の機能障害を有することを示唆した。一方、両側背外側前頭前野および右腹外側前頭前野領域では、健常対照群>精神病発症超危険群>初回エピソード精神病群>慢性期統合失調症群となる傾向を示した。この結果により、臨床病期を客観的に把握できる指標となる可能性を見出した。

2. 臨床指標との相関では、過去の慢性期統合失調症研究と同様、慢性期統合失調症群において機能の全体的評定尺度得点と前頭極前頭前野領域の酸素化ヘモグロビン濃度変化に正の相関関係を示し、症状把握の客観的指標となることを見出した。

以上、本論文は各臨床病期の前頭側頭部血流変化パターンを検討することで、統合失調症で認められる高次脳機能障害が、どの臨床病期から認められ、どのように変化していくのか明らかにしたものである。本研究は近赤外線スペクトロスコピィを用いて精神病発症前後の精神症状・機能を客観的に計測し、臨床病期を予測しうる客観的指標となる可能性を見出したものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

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