学位論文要旨



No 128193
著者(漢字) 稲田,晴彦
著者(英字)
著者(カナ) イナダ,ハルヒコ
標題(和) 時間外診療の特別料金導入が一自治体病院の救急外来受療率に与えた影響
標題(洋)
報告番号 128193
報告番号 甲28193
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3852号
研究科 医学系研究科
専攻 社会医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋本,英樹
 東京大学 教授 大江,和彦
 東京大学 教授 矢作,直樹
 東京大学 准教授 松山,裕
 東京大学 講師 玉井,久義
内容要旨 要旨を表示する

1. 序文

近年我が国では、救急患者数が増加しており、救急車や救急医療機関の不要・不急の利用に伴う支障、救急医療を担う勤務医の疲弊が指摘されている。

対策の一つとして、二次・三次救急医療機関の外来(救外)において、時間外診療を選定療養として係る費用(特別料金)を患者に請求する動きが全国に広がっている。特別料金導入の主な目的は、軽症患者の受診を抑制し、重症患者の治療に専念するとともに、医療従事者の過労を防ぐこと、とされている。請求対象や金額は医療機関により異なるが、時間外に受診した軽症患者に対して、数百円から5,000円程度が、通常の費用に加えて請求される。この特別料金は全額患者負担であるため、患者が自己負担する医療費(患者負担額)は高額となる。

救外における患者負担額増加が患者の受診行動や健康に与える影響について、主に米国で行われた先行研究の結果をまとめると、比較的若く、健康で、職に就いている被保険者に対して、100ドルを超えない程度の救外患者負担であれば、軽症患者の受診が選択的に抑制され、健康への悪影響もほとんど見られないが、高齢者や低所得者では、必要な受診が抑制されたり、健康への悪影響が生じたりする可能性が示唆されている。

我が国の特別料金が救外受診数に与えた影響を検討した先行研究は2つあるが、いずれも受診数の集計データを用いた分析であり、受診数に影響を与える特別料金以外の要因の調整や、サブグループにおける影響の違いの検討などは行われていない。そのため、特別料金導入が救外受診数に与えた影響を、患者個人単位のデータを用いて分析し、救外利用適正化について検討する必要がある。

本研究の目的は、患者個人単位のデータを用いて、性、年齢やその他救外受診数に与える要因の影響を調整した上で、一自治体病院の救外において導入された軽症患者を対象とする特別料金が、患者の受診行動に与えた影響、特に、救外の重症患者と軽症患者の受診数の変化を定量化し、救外の適正利用に資することである。

2. 方法

2008年4月に特別料金を導入した一自治体病院の救外を受診した患者を対象とした。特別料金導入前後各3年間におけるすべての受診(160,306件)の月別集計データ(データ(1))と、2007年4月・10月と2008年4月・10月の各月3週間におけるすべての受診(5,893件)の患者個人単位のデータ(データ(2))を収集した。データ(2)では、患者の救外受診日時、性、年齢階級、居住地、救急車利用の有無、特別料金請求の有無、救外受診後の転帰などの項目に加えて、受診後入院した患者については、入院の主傷病名や退院時転帰も得て、外来と入院のデータを連結した。患者の重症度は、救外受診後に入院したか帰宅したか(入院、非入院)、救急車で来院したかそれ以外の手段で来院したか(救急車、非救急車)、によって分類した。

データ(1)・(2)いずれも、各受診数を従属変数とするポアソン回帰モデルを作成して解析した。データ(1)では、特別料金(導入前、導入後)、月(1月から12月)、受診時間帯(時間外、時間内)を独立変数とし、当該月の受診時間帯別の時間数をオフセット項とすることで、1時間あたりの受診数を独立変数に回帰した。2008年度以降の時間外に受診した患者のみが特別料金の対象であるため、特別料金と受診時間帯との交互作用も投入した。

データ(2)では、特別料金、月(4月、10月)、受診時間帯に加えて、性(男、女)、年齢階級(0~5歳、6~17歳、18~44歳、45~64歳、65~74歳、75歳以上)を独立変数とし、3週間の受診時間帯別の時間数と当該月における性・年齢階級別人口との積をオフセット項とすることで、1人時あたりの受診数(受療率)を回帰した。特別料金請求対象外であった患者の一部は解析対象から除外した。また、特別料金導入とほぼ同時期に起きた重要な変化として、研究対象病院の循環器内科が休止し、循環器疾患が疑われる救急患者は市外に搬送されるようになったため、循環器疾患による受診も、解析から除外した。

3. 結果

データ(1)において、年度・月別の各受診数を検討したところ、入院数と救急車数は、特別料金導入前後に大きな変化を認めなかった。一方、非入院数と非救急車数は、導入後に伴って6割程度に減少していた。

データ(1)からポアソン回帰モデルを作成した結果、特別料金導入後に時間外の受診数は、入院は0.93(95%信頼区間 0.90-0.96)倍、非入院は0.52(同0.52-0.53)倍、救急車は0.98(同0.95-1.01)倍、非救急車は0.52(同0.52-0.53)倍になっていた。

データ(2)で、2008年度の受診のうち、特別料金を請求されたのは、48.4%であった。データ(2)からポアソン回帰モデルを作成した結果、特別料金導入後に時間外の受療率は、入院は0.97(同0.80-1.17)倍、非入院は0.67(同0.62-0.73)倍、救急車は1.15(同0.93-1.41)倍、非救急車は0.66(同0.60-0.71)倍になっており、非入院と非救急車の受療率は大きく減少していたが、入院と救急車の受療率は有意な変化を認めなかった。女性は男性よりも受療率が低かったが、18~44歳では男性よりも女性の受療率が特に入院で高かった。年齢階級別の受療率では、18~44歳が概ね最も低く、乳幼児や高齢者では高くなっていた。乳幼児は非入院や非救急車の受療率が特に高く、75歳以上の高齢者は入院や救急車の受療率が特に高かった。

4. 考察

データ(1)では、特別料金導入の受診数に対する影響は、比較的軽症と考えられる非入院と非救急車の患者で特に大きかった。比較的重症と考えられる入院の数も減少していたが、データ(2)で2007年度の時間外に救外受診後に循環器疾患で循環器内科病棟に入院した患者は全時間外入院の7.3%であったことから、データ(1)における時間外入院数の7%の減少は、循環器内科が休止したことでほぼ説明されると考えられる。データ(2)でも、特別料金導入前後の受療率は、非入院と非救急車で大きく減少した一方、入院と救急車では有意な変化を認めず、データ(1)の結果と概ね一致していた。さらに、データ(1)では、特別料金導入の影響は、導入3年後も継続していた。

データ(2)で、男性の受療率が女性よりもやや高いこと、年齢階級別の各受療率が乳幼児と高齢者で高くU字型カーブを描いていること、乳幼児は非入院や非救急車の受療率が特に高く、高齢者は入院や救急車の受療率が特に高いことは、いずれも患者調査の結果と一致していた。重症患者の受診数や受診率は大きな変化がなく、軽症患者の受診は大幅に減少するという、国内外の多くの先行研究と矛盾しない結果が得られていることとあわせて、一病院で行われた研究ではあるものの、本研究の一般化可能性を高めていると考える。

非入院と非救急車の受療率が6割程度に減少したが、救外を受診しなかった4割の患者がどのような代替行動を取ったのかは、結果を解釈する上で重要な点である。先行研究では、救外受診が減少したことに伴う代償的な一般外来の受診増加は見られなかったと報告されており、また、本研究でも、特別料金導入後に地域内の夜間急患センターや他の救急医療機関の受診数はほとんど変化しなかった。ゆえに、救外を受診しなかった時間外の軽症患者の多くは、他の医療機関を受診したのではなく、受診自体をしなかった可能性が高いと考えられる。

特別料金導入後に、受診を遅らせたために重症化したケースが増加したのか否かは、特別料金導入の成否を論じる上で重要である。データ(2)を用いて、救外からの入院患者のうち院内で死亡した患者の割合を特別料金導入前後で比較したところ、8.2%から16.3%に有意に増加していた。入院の主傷病名が脳卒中である患者(68人)に限りカルテを確認し、発症または発見から救外受診までの時間を特別料金導入前後で比較したが、中央値はいずれも80.5分で有意差は認めず、脳卒中の患者に限れば、特別料金導入に伴う受診の遅れは否定的であった。救外からの入院患者の院内死亡割合が特別料金導入後に増加した理由は不明であり、さらなる検討が必要である。

本研究では、特別料金が請求されない時間内に受診した患者や、請求対象外の患者を対照群とすることを考慮したが、それらの患者は、時間外の請求対象の患者と比べて、利用可能な医療機関、年齢階級、社会経済因子などで異なる点が大きいため、対照群としては不適切であると考え、前後比較を行った。研究対象病院における循環器内科休止以外の、救外受診数に影響しそうな変化の存在や、それによる影響は不明であるが、データ(1)で特別料金導入前3年間と導入後3年間の受診数の変化はそれぞれ小さく、2008年3月までと4月以降ほどの変化は他の時期には観察されていないため、特別料金導入による影響は概ね正しく推定できたと考える。

5. 結論

一自治体病院の救外で時間外診療の特別料金を導入したところ、非入院や非救急車の受療率は6割程度に減少したが、入院や救急車の受療率はほとんど変化がなかった。軽症患者が集中し、重症患者の診療に支障を来している救急医療機関において、軽症患者を対象とする時間外の特別料金を導入することで、非入院や非救急車の受診を選択的に減らせる可能性が示唆された。特別料金導入が患者の受診行動や健康に与えた影響は、今後さらなる検討が必要である。

審査要旨 要旨を表示する

近年我が国では、救急患者数が増加しており、救急医療機関の不要・不急の利用に伴う支障や、救急医療を担う勤務医の疲弊が指摘されている。対策の一つとして、二次・三次救急医療機関の外来(救外)において、時間外診療を選定療養として係る費用(特別料金)を患者に請求する動きが全国に広がっている。本研究の目的は、患者個人単位のデータを用いて、性、年齢などの要因の影響を調整した上で、軽症患者を対象として導入された特別料金が一自治体病院の救外受診数に与えた影響を定量化することである。

本研究は、2008年4月に特別料金を導入した一自治体病院(二次救急医療機関)の救外を受診した患者を対象とした。特別料金導入前後各3年間におけるすべての受診(160,306件)の月別集計データ(データ(1))と、2007年4月・10月と2008年4月・10月の各月3週間におけるすべての受診(5,893件)の患者個人単位のデータ(データ(2))を収集した。データ(2)では、患者の救外受診日時、性、年齢階級、救急車利用の有無、救外受診後の転帰などの項目を得た。患者の重症度は、救外受診後に入院したか帰宅したか(入院、非入院)、救急車で来院したかそれ以外か(救急車、非救急車)、によって分類した。

統計解析は、データ(1)・(2)いずれも、重症度別の各受診数を従属変数とするポアソン回帰モデルを作成して行った。データ(1)では特別料金(導入前、導入後の2値)、月、受診時間帯(時間外、時間内の2値)を、データ(2)では、さらに、性、年齢を独立変数とし、それぞれオフセット項を適切に指定することで、1時間あたりの受診数または1人時あたりの受診数(受療率)を独立変数に回帰した。

その結果、特別料金導入後に、比較的軽症と考えられる非入院や非救急車の受診数や受療率は導入前の6割程度に減少したが、入院や救急車ではほとんど変化がなかった。患者の受診行動や健康に対する影響は、今後さらなる検討が必要である。

以上、本論文は、二次の救外において、軽症患者を対象とする時間外の特別料金を導入することで、受診後の入院を必要としない軽症患者の受診を選択的に減らせる可能性を示した。本研究は、地域における救急医療体制の維持および医療機関の機能分化を考える上で社会的・政策的に重要であり、学位の授与に値するものと考えられる。

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