学位論文要旨



No 128197
著者(漢字) 岡﨑,佐智子
著者(英字)
著者(カナ) オカザキ,サチコ
標題(和) 脂肪肝における中性脂質水解酵素の病態生理学的意義 : ホルモン感受性リパーゼ過剰発現系を用いた解析
標題(洋)
報告番号 128197
報告番号 甲28197
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3856号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 矢冨,裕
 東京大学 特任准教授 後藤田,貴也
 東京大学 教授 永井,良三
 東京大学 教授 児玉,龍彦
 東京大学 講師 高橋,倫子
内容要旨 要旨を表示する

脂肪肝とは、肝臓に中性脂肪(TG)やコレステロールエステル(CE)などの中性脂質が蓄積した病態である。糖尿病や肥満、メタボリックシンドロームを有する患者は、高率に脂肪肝を合併することから、脂肪肝がこれらの病態形成に果たす役割が注目されているだけでなく、脂肪肝自体、肝炎、肝硬変、肝癌へ進展することから、その病態解明が望まれている。脂肪肝には、アルコール性と、非アルコール性のものがあり、近年著増しているのは、非アルコール性脂肪肝(non-alcoholic fatty liver: NFL)である。このうち、肝炎を伴うものを、非アルコール性脂肪肝炎(non-alcoholic steatohepatitis: NASH)と呼ぶ。NASH はさらに肝硬変、肝癌へ進展することが知られている。これらの病態を総称して、非アルコール性脂肪性肝疾患(non-alcoholic fatty liver disease:NAFLD)と呼んでいる。

これら脂肪肝とそれに続発する病態の発症・進展のメカニズムを説明する仮説として、「2ヒットセオリー」が考えられている。即ち、これらに共通して認められる「肝臓への脂質の蓄積」(NFL)を第1ヒットとして、これに炎症刺激など何らかの第2ヒットが加わることにより、NFL は NASH へと進展、これが更に肝硬変、肝癌へとつながる、との仮説である。この第1ヒットのメカニズムやこれに関与する分子は完全に解明されておらず、第1ヒットから第2ヒットへの進展のメカニズムも謎である。そのため、脂肪肝に対する有効な治療法は、メタボリックシンドロームの包括的治療を除いては他に特効薬がないのが現状であり、病態解明が望まれる。

第1ヒットとなる肝臓への中性脂質(TG・CE)の蓄積は、中性脂質の合成と分解のバランスにより制御される。中性脂質は小胞体(ER)において合成され、油滴に蓄積する。中性脂質の合成を担う酵素群は、これらの酵素群の mRNA 発現を支配する転写因子、SREBP-1c、SREBP-2、ChREBP により制御されている。肥満やメタボリックシンドロームの病態においては、SREBP-1c や ChREBP が活性化されることにより中性脂質合成系遺伝子群が活性化され、同時に、過食や肥満により、中性脂質合成の基質であるグルコース、遊離脂肪酸(FFA)、コレステロールが肝臓へ流入することにより、中性脂質の合成が亢進、これが脂肪肝の引き金となることが分かってきている。一方、中性脂質(TG・CE)の水解経路については、水解を担う中性脂質(TG・CE)水解酵素が重要であると考えられ、我々のグループを含む複数の研究室により、これらの酵素が同定されてきた。

細胞内の中性脂質(TG・CE)水解酵素としては、従来ホルモン感受性リパーゼ(HSL)が唯一と考えられてきた。HSL は、TG と CE を水解できる多機能酵素である。しかし、我々の研究室の HSL 欠損マウスの解析から、細胞内での TG 水解、 CE 水解を担う酵素は HSL 以外にもあることがわかり、その後、我々を含む複数グループの研究から、新規な TG 水解酵素(TG lipase (TGL))として、adipose triglyceride lipase(ATGL)、triacylglycerol hydrolase (TGH)-1、TGH-2 が同定され、新規な中性CE水解酵素(neutral CE hydrolase (nCEH))として NCEH-1 が同定された。これらの欠損マウスを用いた解析から、肝臓の TGL の33%は ATGL、10%は HSL によること、肝臓の nCEH 活性の50-80%は HSL によることが分かってきた。実際、ATGL 欠損のマウスやヒト(中性脂質蓄積症(ATGL やその補因子 CGI-58 の欠損症))においては肝臓 TG 含量が増加し、HSL 欠損のマウスの肝臓には CE が蓄積する。それではこれらのリパーゼが、NFL における脂質蓄積、それに続発する NASH などの病態にどのような意義を持つのか、重要な研究課題と考えられる。

そこで、本研究では、中性脂質(TG・CE)水解酵素の脂肪肝における病態生理学的意義の解明を目的とした。上述の中性脂質水解酵素群のうち、HSL は、肝臓に内因性に発現し、TGと CE の両方を水解できる唯一の多機能酵素である。そこで、 HSL をアデノウィルスを用いてマウスの脂肪肝に過剰発現することにより、HSL 過剰発現とそれによる TG・CE 水解酵素活性上昇が、脂肪肝や糖脂質代謝動態に及ぼす影響を解析した。

1) 食餌性脂肪肝モデルにおけるin vivo での HSL の過剰発現系の確立

一般には、脂肪肝とは TG の蓄積する疾患と認識されているが、脂肪肝には、TG の蓄積する脂肪肝だけでなく、CE の蓄積する脂肪肝もある。そのため本研究では、まず、マウスにおいて様々な高脂肪食を用いることにより、TG、CE の蓄積の機序と程度が様々な脂肪肝モデルを作成した。その結果、シュクロース食は4週間の投与で TG 蓄積の優位な脂肪肝を来すこと、2% コレステロール食では2週間の投与で CE 蓄積の優位な脂肪肝を来すこと、Paigen 食(1.25% コレステロール+0.5% コール酸+15% ココアバター)では2週間の投与で TG 蓄積は認めないが著しい CE 蓄積を来すことが分かった。そこで次に、これら種々の脂肪肝モデルを用いて、in vivo での HSL の詳細な機能解析を行うことを目的に、組み換えアデノウィルスを用いた HSL のin vivo 肝臓での過剰発現系を確立した。HSL の過剰発現を、蛋白レベル、mRNA レベル、酵素活性(TGL 活性と nCEH 活性)の測定により確認、この系を用いて、種々の脂肪肝における HSL 過剰発現の in vivo 解析を行った。

2)シュクロース食、2%コレステロール食における検討―HSL による TG・CE 蓄積の制御

最初に、TG が優位に蓄積するモデルであるシュクロース食における HSL の過剰発現の影響を解析した。その結果、HSL の過剰発現は、シュクロース食により増加した肝臓内 TG 含量、肝臓内 CE 含量を正常化することが分かった。TG 水解の結果産生される FFA は、 PPARαをリガンド活性化することにより、β酸化を亢進させ、FFA は燃焼していることが示唆された。一方、CE 水解の結果産生される遊離コレステロール(FC)は、LXR をリガンド活性化することにより、CYP7αを介して、胆汁酸へ変換され肝細胞外へ efflux していることが示唆された。HSL の過剰発現は細胞内中性脂質含量を制御しているだけでなく、その代謝産物はこれら核内受容体によるホメオスターシス機構により代謝されていることが示唆された。

CE が優位に蓄積するモデルである2% コレステロール食においても、シュクロース食と同様に、HSL の過剰発現により中性脂質の蓄積が完全に抑制されることが分かった。以上の検討から、脂肪肝において油滴に蓄積する TG・CE の制御における、肝臓 HSL の重要性が示唆された。

3)Paigen 食における検討- HSL 代謝産物の FC による致死的肝炎

次に、CE 蓄積性脂肪肝のもうひとつのモデルである Paigen 食モデルにおいて、HSL 過剰発現の効果を検討した。すると、意外なことに、Paigen 食においては HSL 過剰発現により、マウスが致死的な肝炎を発症することが分かった。HSL 過剰発現はこの Paigen 食モデルにおいても、蓄積した肝臓内 CE をほぼ完全に正常化したが、上述のシュクロース食、2%コレステロール食モデルと異なり、HSL による CE 水解亢進は肝臓内 FC の増加を来たし、これに伴い、肝細胞逸脱酵素 ALT の増加を認めた。Paigen 食に含まれる胆汁酸は CYP7α の活性を低下させることから、Paigen 食においては LXR-CYP7α を介した FC のホメオスターシス機構が抑制されていると考えられ、HSL の代謝産物である FC は、LXR を介した efflux 機構の破綻により、細胞内に異常蓄積し、それによる細胞毒性を来した可能性が示唆された。

4) db/db マウスにおける検討―HSL 代謝産物の FC の蓄積による肝炎

より病態生理的な肥満、脂肪肝のモデルである db/db マウスにおいても HSL 過剰発現により肝臓内 FC は有意に増加、更に肝臓内 FC 含量と ALT には正の相関関係が認められたことから、HSL 過剰発現による FC の増加とそれによる肝炎が示唆された。

まとめると、今回の研究結果から、脂肪肝の制御、病態における HSL の重要性が示唆された。即ち、a) HSL は肝臓内中性脂質含量を制御できること、b) HSLの代謝産物は PPARα、LXR を介した FFA と FC のホメオスターシス機構により代謝されること、c) このホメオスターシスが破綻した状態においては、FC が異常蓄積し、致死的な肝炎を誘発する可能性が示唆されること、が明らかとなった。

上述の通り、NAFLD において、NFL がどのようにして NASH に進展するのか、その第2ヒットのメカニズムは解明されていない。本研究からは、この第2ヒットが FC である可能性が示唆される。即ち、メタボリックシンドロームにおいて蓄積した肝臓内 CE(第1ヒット)から、中性 CE 水解酵素の作用により放出される FC が第2ヒットとなり、その細胞毒性により肝炎を来たし、NFL が NASH に進展する、という可能性が考えられる。

この仮説、FC による NASH の進展、には本研究以外にいくつかの根拠がある。第一に、ヒトの NAFLD において、NFL、NASH と進展するに伴い FC 含量が増加する、との報告がある。第二に、マウスを用いた研究において、TG の蓄積する脂肪肝よりも CE の蓄積する脂肪肝の方が肝炎を起こしやすいとの報告、高コレステロール食による肝臓内コレステロール含量の増加はミトコンドリアの FC 蓄積を来たし、肝炎を誘発するとの報告がある。第三に、LXRα 欠損マウスでは、FC efflux の障害に起因するホメオスターシス機構の破綻により、高コレステロール食による異常な肝臓内コレステロールの蓄積を来すが、このモデルにおいて、コレステロール脂肪肝に伴う著しい肝炎が認められている。これらの結果と本研究結果を併せ考えると、脂肪肝において、コレステロールの蓄積とそれに由来する FC が、NFL から NASH への進展を惹起する可能性が十分考えられる。

HSL をはじめとする中性脂質水解酵素が、メタボリックシンドロームの病態においてどのような制御を受けるのか、その結果遊離される FC はどのようなメカニズムで細胞毒性や肝炎を引き起こすのか、そのメカニズムの解明から、NAFLD の病態解明と新規治療法の開発が期待され、今後の重要な研究課題と考えている。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、脂肪肝における中性脂質水解酵素の病態生理学的意義を明らかにするため、細胞内の中性脂質(TG・CE)水解酵素として中性脂肪(TG)とコレステロールエステル(CE)を水解できる多機能酵素であるホルモン感受性リパーゼ(HSL)を組み換えアデノウィルスを用いてマウスの様々な脂肪肝に過剰発現することにより、脂肪肝や糖脂質代謝動態に及ぼす影響の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. 脂肪肝のシュクロース食、2% コレステロール食、Paigen 食、db/db マウスのいずれのモデルでも、HSL の過剰発現は、脂肪肝をほぼ完全に改善した。

2. HSLの過剰発現は、肝臓蛋白の TG・CE 水解酵素活性の上昇を伴っていた。リパーゼ活性の制御により、細胞内脂質蓄積が制御される可能性が示唆された。

3. HSL の過剰発現による脂肪肝の改善は、血中糖脂質代謝に変化を与えなかった。

4. 予想外なことに、コレステロールの著しく蓄積する脂肪肝モデルである、Paigen 食(1.25% コレステロール+0.5% コール酸+15% ココアバター)においては、HSL 過剰発現により、マウスが致死的な肝炎を発症した。このモデルにおいて、HSL 過剰発現により、肝臓内 CE 含量はほぼ正常化したが、肝臓内遊離コレステロール(FC)が増加し、これに伴い、肝細胞逸脱酵素 ALT が増加していた。この FC 上昇を伴う肝炎は、病態生理的なモデルである db/db マウスにおいても認められた。CE 水解酵素の代謝産物である FC の細胞毒性が肝炎の原因となる可能性が示唆された。

以上、本論文では、様々な脂肪肝モデルにおいて、HSL 過剰発現することにより、リパーゼ活性は肝細胞内の中性脂質含量を制御しうることを明らかにした。一方で、その代謝産物の一つである FC の細胞内への蓄積とその毒性により肝炎を引き起こす可能性があることが示唆された。FC は、非アルコール性脂肪肝(NFL)から 非アルコール性脂肪肝炎(NASH)の進展を引き起こす第2ヒットである可能性、中性脂質水解酵素は、NFL の発症、NASH への進展に重要な役割を持つ可能性があり、今後の課題と考えられた。

本研究は、近年著増している NASH の発症と進展の病態解明、特に中性脂質水解酵素の病態生理学的意義を中心とした分子機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値すると考えられる。

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