学位論文要旨



No 128211
著者(漢字) 稲田,修士
著者(英字)
著者(カナ) イナダ,シュウジ
標題(和) 携帯情報端末を用いた2型糖尿病に対するセルフケアシステムの開発
標題(洋)
報告番号 128211
報告番号 甲28211
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3870号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 矢冨,裕
 東京大学 准教授 植木,浩二郎
 東京大学 講師 山内,敏正
 東京大学 准教授 島津,明人
 東京大学 准教授 深柄,和彦
内容要旨 要旨を表示する

【背景】 2型糖尿病の治療においては食事や運動といった生活習慣を変えていく取り組みが必要である。そのため、糖尿病をセルフマネージメントするための教育が治療のアウトカム改善に重要であるとされている。糖尿病の患者教育で自己効力感を中心においた教育プログラムの有用性が示されており、その中でセルフモニタリングという手法が頻用されている。これまで食事のセルフモニタリングは紙に記録して自分でカロリーを算出するという方法でなされていた。しかし、この方法には記録の日時の把握が不可能であるという欠点や、食事を記録し、栄養素を計算するという手間が非常に煩雑であるためセルフモニタリングの継続が困難であるという欠点があり、限定的にしか用いられていなかった。この欠点を克服できる方法として携帯情報端末を用いたセルフモニタリングシステムを開発した。このシステムにより実際の臨床場面でセルフモニタリングが実行可能なものとなり、食事療法が行いやすくなる可能性がある。これらの評価のためには無作為化介入研究を行う必要があるが、これまで2型糖尿病のセルフケアシステムに関する研究は少なく、介入による効果量の推定は困難であった。そのため効果量の推定のために予備研究を行う必要がある。

また食事と心理社会的因子に関連があるとされているが、2型糖尿病患者における食事と心理社会的因子に関しての検討は非常に少ない。携帯情報端末を用いたセルフモニタリングシステムを使用することにより、生活状況下での食事と心理社会的因子の関連についてよりバイアスの少ない形で評価を行うことができるようになった。食習慣は不安、抑うつ、ストレスにより悪化する可能性があり、それらの関連が明確になれば、セルフケアシステムとしての有効性を高められる可能性がある。

よって本研究は、2型糖尿病患者を対象に本ソフトウェアを使用した無作為化介入研究を行う前段階として効果量推定のための予備研究を行うこと、およびシステムの妥当性を評価することを第一の目的とした。そして、本ソフトウェアを用いたcomputerized ecological momentary assessmentの手法により生活環境下での食事摂取量と気分をはじめとした心理社会的因子を記録し、食事摂取量と心理社会的因子の関連を調べることを第二の目的とした。

【方法】 東京大学医学部附属病院糖尿病・代謝内科にかかりつけの2型糖尿病患者を対象とした。除外基準として下記の6項目を設定した。1) 直近に測定したHbA1c(NGSP)が8.%以上の患者、2) 精神疾患を加療中である患者、3) 他の疾患で厳格な食事制限(蛋白制限0.5g/kg以下、塩分制限5g以下)を行っている患者、4) 認知障害などにより意思の疎通に困難を生じる患者、5) 全身状態が研究参加に耐えられないと判断される患者、6) その他、研究責任(分担)医師が被験者として不適当と判断した患者。

研究に同意した参加者は6か月間セルフケアシステムを使用した。セルフケアシステムは食事記録機能、体重・血圧の自動入力機能、グラフによるフィードバック機能で構成された。使用期間にはセルフモニタリング用ソフトウェアをインストールした携帯情報端末、血圧計、体重計が貸与され、食事の摂取のたびに食事摂取量、食事の状況の記録を行うよう求められた。また、記録を行うたびに日々の食事摂取量と体重などをグラフ化してフィードバックされた。主要アウトカムは食物摂取頻度調査を用いて評価した食事摂取量、The Multidimensional Diabetes Questionnaireにより評価した糖尿病治療に関する自己効力感とした。また副次的アウトカムは体重、HbA1c、血清脂質とした。各アウトカムの使用前後の変化をWilcoxonの符号付き順位和検定を行った。有意水準は0.05とし、解析にはDr.SPSS II for Windows 11.0.1 (SPSS, Chicago, IL, USA)を用いた。

心理社会的因子の評価のため問診機能を組み込み、一日4回、不安、抑うつ、ストレスをVisual Analog Scaleで携帯情報端末に記録をしてもらった。その記録結果を用いて食事の状況や食事に先行する気分とセルフモニタリングのために記録した食事摂取量の関係についてマルチレベルモデルを用いて解析を行った。統計解析はSAS9.1 for Windows(SAS Institute Inc., Cary, NC, USA.)を用いて行い、変量効果の設定、誤差項の自己相関などは先行研究にしたがって赤池情報量規準(AIC)を参考に選択した。

【結果】 9名が機器の使用期間を終了し、うち8名が使用前後の評価を完遂した。セルフケアシステムの使用前後で一日の平均摂取カロリーは低下する傾向(使用前1742±340 kcal/日、使用後1595±256 kcal/日;p=0.050)を認めた(図1)。副次評価項目ではHDLコレステロールが使用前後で有意に上昇した(使用前60.3±15.0 mg/dl、使用後68.3±17.7 mg/dl;p=0.025)。

使用感としては食事入力に関しては使いやすいという意見と使いにくいという意見の両方が見られたが、8人中7人が使用前より食事をセルフコントロールできるようになったと回答した。

食事摂取量と心理社会的因子の関連については食事の種類ごとに層別化して検討した。食事摂取量と関連する因子として、食事の同席者、食事の場、目標カロリーをモデルに組み込んで、不安、抑うつ、ストレスについて別々に検討を行った。不安については朝食で有意な負の効果を示し(-1.8047±0.7633 kcal/point; p=0.0185)、抑うつに関しては昼食で有意な負の効果を示し(-3.6393±0.9826 kcal/point; p=0.0002)、ストレスでは昼食、夕食で有意な負の効果を、間食で有意な正の効果を示した(昼食:-1.7259±0.4369 kcal/point; p<0.0001、夕食:-1.2209±0.5118 kcal/point; p=0.0175、間食:1.2513±0.5403 kcal/point; p=0.0216)(図2)。その他、ひとりで食べる食事では複数で食べる食事より食事が高いこと、摂取量が昼食や夕食は外食での食事摂取量が高く、間食については自宅で食べる場合や外食で食べる場合には職場で食べるときより摂取量が高いことが示された。

【考察】 今回、介入期間前後で摂取カロリーが低下する傾向が示された。本研究において開発されたセルフケアシステムは使用者の食事摂取量の減少に有効である可能性があることが示唆された。ただし全使用者の解析では体重やHbA1cの低下が見られておらず、無作為化介入研究のときにはこの点を評価できる実験計画の立案が必要である。自己効力感については有意な変化を認めなかった。糖尿病の治療においては食事摂取量の低下よりは客観的な指標であるHbA1cが重視されており、食事のみの変化では糖尿病に対処できるという自信が得られなかった可能性がある。

本研究の結果をもとに検出率を0.8として無作為化介入研究を行う場合に必要なサンプル数を算出すると、摂取カロリー150kcalの低下については 1群につき36名、自己効力感5点の向上については1群につき100名が必要と推定された。

使用感の点では全体の食事の入力実施率は77.2%であった。使用感に関するアンケートからは食事メニューの少なさの問題もあり、入力のしやすさには賛否があったものの、セルフケアに役立ったという回答が多かった。食事入力方法の改善、アクセス手段の多様化などにより、さらなる改善を期待できると考えられる。

また、通常の食事においては気分の点数が高いほど食事量が低下し、間食においてはストレスが高いほど食事摂取量が増加することが示された。本研究は2型糖尿病の患者を対象としてcEMAを用いて食事摂取量と心理社会的因子の関連について評価した初めての研究である。また非摂食障害患者に関して通常の食事と間食をあわせて評価した最初の論文でもある。

過去の研究においても通常の食事と間食では気分に影響が異なることが示されていた。本研究ではバイアスのより少ない方法で、より長期間の記録を用いて、個々の気分に関して評価することができた。今回、三食の食事と間食で気分の変化に伴う食事量の変化の方向性が異なっている理由としては、通常の食事と間食では、食事量を決める上での身体的な要素と行動的な要素のバランスが異なっている可能性がありうる。

このことをふまえて、ストレスが高いときや、食事記録時に複数での食事が多いときや外食回数が多いときに食事摂取量に注意するよう促すようなメッセージを出すといった工夫をすることで、セルフケアシステムとしての有用性を改善し、さらには日常生活下で携帯端末を用いて認知行動療法を提供できるようになっていく可能性がある。

【結論】本研究において開発されたセルフケアシステムは使用者の食事摂取量の減少に有効である可能性がある。今後、無作為化介入研究により検討を行っていく必要がある。また朝食、昼食、夕食、間食によって異なるものの、食事の同席者の有無、食事の場、気分が食事摂取量に影響する因子となりうることが示された。

平均摂取カロリーは使用前1742 kcal/日、使用後1595 kcal/日。検定はWilcoxonの符号付き順位和検定を行ったところ、使用前後で摂取カロリーが低下する傾向を認めた。

マルチレベルモデルを用いて推定された食事摂取量と気分の関連は多変量で推定されているが、気分の関連が有意なものについて、平均的な自宅での食事を例としてグラフ化した。朝食と不安、昼食と抑うつ、昼食および夕食とストレスでは気分の得点が高いほど食事摂取量が低下するが、間食とストレスでは気分の得点が高いほど食事摂取量が増加する。

図1.セルフケアシステム使用前後の摂取カロリーの変化

図2.食事摂取量と気分の関連

審査要旨 要旨を表示する

本研究は先行研究で開発したPDAを用いた食事記録システムをもとに2型糖尿病患者に対するセルフケアシステムの開発を行ったものである。食事の写真を用い、正確性を評価された食事記録システムをもとに開発された点、食事摂取量、体重、血圧を関連付けてフィードバックできる機能を有している点が新しい点である。生活状況下で食事摂取量の評価、フィードバックを行えるシステム単独での糖尿病治療に対する有用性はこれまで評価されておらず、当該システムによる無作為化介入研究が必要だが、本研究ではRCTに先立って予備研究として当該システム使用による食事摂取量、自己効力感の変化の評価およびシステムの妥当性の評価を試みたものである。

また、食事摂取量と定量的な不安、抑うつ、ストレスとの関連はこれまで非生活状況下での評価しかなされておらず、computerized ecological momentary assessmentの手法での評価はこれまでなされていなかった。本研究は生活状況下での介入プログラムの開発のために生活状況下での食事摂取量と心理社会的因子の関係の検討を行ったものであり、下記の結果を得ている。

1.2型糖尿病患者9名(男性3名、女性6名、平均年齢52.0±12.4歳、平均BMI30.0±10.3kg/m2)が生活状況下で6ヶ月間セルフケアシステムの使用を行った。使用後の評価が可能であった8人におけるセルフケアシステムの使用前後で一日の平均摂取カロリーは低下する傾向(使用前1742±340 kcal/日、使用後1595±256 kcal/日;p=0.050)を認めた。自己効力感に関しては有意な差を認めなかった。副次評価項目ではHDLコレステロールが使用前後で有意に上昇した(使用前60.3±15.0 mg/dl、使用後68.3±17.7 mg/dl;p=0.025)ものの体重、HbA1cに有意な変化を認めなかった。継続的に使用することができた6名では統計的に有意ではないものの一日の平均摂取カロリー、体重、HbA1cの低下が認められた。

2.1の結果に基づき無作為化介入研究における必要症例数の推定を行い、検出率0.8で150kcalの食事摂取量低下を評価するためには片群36名、5点の自己効力感の低下を評価するためには片群100名の症例数が必要なことを推定した。

3.上記の2型糖尿病患者9名に対してセルフケアシステムの実行可能性の評価として、入力実施率の評価と使用感に関するアンケートを行った。9名の使用期間中の3食の入力実施率は77.2%であった。食事入力に関しては使いやすいという意見と使いにくいという意見の両方が見られたが、8人中7人が使用前より食事をセルフコントロールできるようになったと回答した。これらの結果からセルフケアシステムの使用を希望している集団ではセルフケアシステムが実行可能であることを示した。

4.上記の2型糖尿病患者がセルフケアシステム使用期間中に入力した食事摂取量と心理社会的因子の関連についてマルチレベルモデルを用いて評価した。食事摂取量と関連する因子として、食事の同席者、食事の場、目標カロリーをモデルに組み込んで、不安、抑うつ、ストレスについて別々に検討を行った。不安については朝食で有意な負の効果を示し(-1.8047±0.7633 kcal/point; p=0.0185)、抑うつに関しては昼食で有意な負の効果を示し(-3.6393±0.9826 kcal/point; p=0.0002)、ストレスでは昼食、夕食で有意な負の効果を、間食で有意な正の効果を示した(昼食:-1.7259±0.4369 kcal/point; p<0.0001、夕食:-1.2209±0.5118 kcal/point; p=0.0175、間食:1.2513±0.5403 kcal/point; p=0.0216)。また、ひとりで食べる食事では複数で食べる食事より食事が高いこと、摂取量が昼食や夕食は外食での食事摂取量が高く、間食については自宅で食べる場合や外食で食べる場合には職場で食べるときより摂取量が高いことが示された。

以上、本論文は2型糖尿病患者におけるセルフケアシステムによる無作為化介入研究を行う上で必要な症例数の推定とセルフケアシステムの実行可能性の評価を行った。また、朝食、昼食、夕食、間食によって異なるものの、食事の同席者の有無、食事の場、気分が食事摂取量に影響する因子となりうることを明らかにした。今後のPDAを用いたセルフケアシステムの開発は今後の糖尿病治療における療養指導の改善に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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