学位論文要旨



No 128213
著者(漢字) 江本,範子
著者(英字)
著者(カナ) エモト,ノリコ
標題(和) 肺がんでエピジェネティクス異常による発現抑制を受けるmicroRNAの検索
標題(洋)
報告番号 128213
報告番号 甲28213
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3872号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 黒川,峰夫
 東京大学 准教授 池田,均
 東京大学 講師 山内,敏正
 東京大学 講師 山口,泰弘
 東京大学 講師 村川,知弘
内容要旨 要旨を表示する

今回の研究では小分子RNAのグループの1種のmicroRNAという約22塩基長の一本鎖のタンパクをコードしないRNA分子鎖を対象とした。miRNA鎖は、特定の遺伝子より転写されたmRNAの3'UTRとほぼ相補的に結合してmRNAからタンパクへの翻訳過程を阻害することにより特定遺伝子の翻訳抑制が行われる。よってmiRNAの発現異常、機能低下により細胞の機能異常、がん化につながると考えられている。

またアプローチの方法としてはがんにおけるエピジェネティクス機構の異常を抽出することを選択した。エピジェネティクスとは、塩基配列の変化によらずに細胞分裂を経ても遺伝子発現における情報を安定的に伝達する分子機構であり、DNAのメチル化修飾やヒストンタンパク質の修飾の機構が含まれているが、がんにおいてはmiRNAもエピジェネティクス異常による発現制御をうけていることが指摘されている。今回は特にDNAのメチル化の異常により発現制御をうけることによって、細胞のがん化に寄与するようながん抑制的なmiRNAを抽出することを目指した。

研究の初期段階ではin silico解析による候補miRNAの絞り込みを行った上で、細胞株によるin vitro実験を施行し、肺がん細胞株のエピジェネティクス異常と個々のmiRNAの関連性を検討し、がん抑制的に働く候補miRNAを抽出した。さらにその結果を踏まえて候補miRNAについて臨床検体での検討を加え、実際の症例において機能していると考えられるmiRNAを最終的に選んだ。さらにその機能についてin vitro実験による検討を加えて、肺がんについての分子生物学的知見を深めることを研究の目的とした。

まず各miRNAのゲノム上の位置とCpGアイランドとの配列の位置関係について3条件を設定した。まずCpGアイランド内のmiRNA、次にCpGアイランドの1 kbp以内の下流に存在するmiRNA、そしてmiRNAの位置する遺伝子上のプロモーターがCpGアイランド内にあるmiRNAである。解析可能な678種のmiRNAから上記の条件によるin silico解析によって55種を絞り込んだ。

これらの候補miRNAを次にin vitroで解析した。肺がん細胞株のH1755、H2347、H1650、H1975、Calu-1、A549、H441、LC1Sqを使用し5-aza-CDRを用いて細胞の脱メチル化処理を行い、処理前後のmiRNAの発現プロフィールの変化を候補miRNA間で比較した。処理前は正常肺組織と比較して発現が25 %以下であること、および脱メチル化処理により発現が4倍に回復することを条件として絞込み、14種の候補miRNAを選んだ。

次に、臨床検体におけるこれらの14候補miRNAの発現を比較した。使用した検体は肺腺がん10症例および扁平上皮がん5症例の計15症例で、これらの臨床症例をがん部分および非がん部分の各々の組織よりRNAを抽出し、miRNAの発現を比較したところ、7候補(miR-126, miR-34b, miR-203, miR-30e, miR-449a, miR-486, miR-139)について腺がん症例で共通してがん部の組織で発現が減少していることを発見した。

このうち、CpGアイランド内に配列があるmiR-203について解析を継続した。

発現減少がみられたA549細胞およびH441細胞でバイサルファイトシークエンスを施行し、mir-203の直上CpGサイトのメチル化を検出した。次に細胞の5-aza-CDRによる脱メチル化処理を行いmiRNAの発現量の変化を調べたところ、処理前後でH441細胞では約5倍に、A549細胞では約20倍以上にmiR-203の発現が回復していることから、2種の肺腺がん細胞株においてmiR-203がエピジェネティック異常により発現抑制を受けていることを示した。

次に臨床検体でのmiR-203の発現量について調べたところ、腺がん20症例では16例(80 %)でmiR-203の発現減少がみられることがわかった。

次に腺がん症例78例、扁平上皮がん症例17例、腺扁平上皮がん症例1例の計96症例の臨床検体を用いてCOBRA法によるメチル化解析を施行した。COBRAのメチル化がみられた症例は全体で71例(74 %)、組織別にみても腺がん症例で57例(73%)、扁平上皮がん症例で13例(76 %)と高率であった。しかしながらメチル化の有無と手術検体の病理組織像および性別、病期、喫煙の有無、EGFR変異の有無、再発の有無などの臨床情報についての相関は得られなかった。

次にmiR-203の強制発現ベクターを作成した。これを細胞へ遺伝子導入し、miR-203を強制発現させたH441細胞の細胞遊走能の変化についてwound healing assayの手法で調べた。実験開始20時間後の細胞の移動距離は、コントロール細胞の42.2 μmに対して、miR-203発現細胞では0.8 μmであり、miR-203の強制発現細胞において遊走能が有意に低下していることを発見した。

今回、in silico解析、細胞株および臨床検体の解析を経て当初に対象としたmiRNA全体の約1 %の7種にまで絞り込むことが可能であった。そのうち、CpGアイランド上のmiR-34bの属するmiR-34ファミリーおよびmiR-126がそれぞれすでに肺がんにおける腫瘍抑制的な関連性が指摘されていることから、今回の絞り込み検索では客観的に有意な結果が得られたと考えた。

現在までmiR-203は多種のがんで腫瘍抑制的な効果があることが報告されてきたが、肺がんとの直接的なかかわりについては報告がなかった。我々は、腺がん症例の臨床検体を用いてmiR-203が臨床例において高頻度に発現が減少していることをリアルタイムPCRにより定量的に解析した。また、我々は肺がん細胞株(H441、A549)で初めて、mir-203配列近傍のCpGアイランドがDNAメチル化を受けており、miR-203がエピジェネティクス異常で発現抑制を受けていることを指摘した。

また、肺がん臨床症例についてCOBRAを用いたメチル化解析およびmiRNAの発現解析を行い、mir-203配列直上のCpGサイトは臨床検体においても異常なメチル化が存在することを96症例の解析において約70 %以上の高率で検出した。このようなメチル化の異常はIA期の早期がん症例においても広汎にみられていた。

さらにmiR-203の強制発現ベクターを作成し、遺伝子導入して細胞の機能解析を行った。その結果H441細胞でのmiR-203の発現上昇により、細胞の遊走能が低下するという機能変化を発見し、miR-203が、がん細胞の浸潤性と関連していることを示した。

以上、肺腺がん臨床検体での共通したmiR-203の発現低下、肺がん臨床検体での高頻度なmir-203直上CpGサイトのメチル化が明らかになったが、臨床例での解析では病理組織像などとの明らかな相関はなく、癌細胞の形質にどの程度関与しているかは明らかではないが、in vitroで肺腺がん細胞でのDNAメチル化による発現抑制の機構とmir-203発現上昇による細胞遊走能の変化を示すことができた。

今回の肺がんにおけるmiRNAの解析により、新たに肺がんに関する分子生物学的知見を得ることができた。このような知見の積み重ねにより、個別医療に対応した臨床情報が将来利用可能になるであろうと考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は肺がんにおいてDNAのメチル化の異常により発現制御をうけているがん抑制的なmiRNAを抽出することにより、肺がんの分子生物学的な機序を明らかにする目的で試みられ、下記の結果を得ている。

1.CpGアイランドとゲノム上のpri-miRNA配列の位置関係でin silico解析による候補miRNAの絞り込みを行った上で、肺がん細胞株の脱メチル化処理によるin vitro実験を施行し、候補miRNAについて臨床検体での発現を検索し腺がん症例において発現が共通して低下しているmiRNAとしてmiR-203を抽出した。

2.肺がん細胞株A549細胞およびH441細胞でmir-203の直上CpGサイトのメチル化を検出し、細胞の5-aza-CDRによる脱メチル化処理を行いmiRNAの発現量の変化より、miR-203がエピジェネティック異常により発現抑制を受けていることを示した。

3.臨床検体でのmiR-203の発現量について調べたところ、腺がん20症例では16例(80 %)でmiR-203の発現減少がみられることがわかった。

4.96症例の臨床検体を用いてCOBRA法によるメチル化解析を施行し、全体で71例(74 %)、組織別にみても腺がん症例で57例(73%)、扁平上皮がん症例で13例(76 %)と高率なメチル化を検出した。早期がんにおいても高い陽性率は変わらなかった。しかし、miR-203のメチル化の有無と相関する臨床情報は得られなかった。

5.miR-203を強制発現させたH441細胞の細胞遊走能の変化についてwound healing assayの手法で調べ、実験開始20時間後の細胞の移動距離は、コントロール細胞の42.2 μmに対して、miR-203発現細胞では0.8 μmであり、肺腺がん細胞株のmiR-203の強制発現系において遊走能が有意に低下していることを発見した。

以上、本論文は肺がんでがん抑制的に機能すると考えられるmiR-203について検討した。本研究はがんで機能するmiRNAの解明に役割を果たすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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