学位論文要旨



No 128214
著者(漢字) 岡本,剛明
著者(英字)
著者(カナ) オカモト,タカアキ
標題(和) リンの骨芽細胞に及ぼす影響
標題(洋)
報告番号 128214
報告番号 甲28214
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3873号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鄭,雄一
 東京大学 教授 赤林,朗
 東京大学 准教授 鈴木,亨
 東京大学 准教授 小川,利久
 東京大学 講師 花房,規男
内容要旨 要旨を表示する

骨組織は、骨吸収と骨形成を繰り返す骨リモデリングにより、周囲の環境に対して最適な構造を維持しており、骨吸収は破骨細胞によって、また骨形成は骨芽細胞により担われている。これらの細胞は、全身性因子である副甲状腺ホルモンなどのホルモンに加え、サイトカインや接着分子を介した細胞間の種々のシグナル伝達によって連絡と協調を行い、分化・生存・活性化の調節をしている。一方、加齢やホルモンバランスの異常、ミネラル代謝異常といった様々な要因により、骨に存在する細胞の機能が変化し、骨リモデリングの動的平衡が崩れる事によって多くの骨疾患が引き起こされる。

こうした疾患の一つに、慢性腎臓病に認められる骨ミネラル代謝異常がある。近年慢性腎臓病に伴う骨ミネラル代謝異常が、異所性石灰化を含む全身性疾患としてとらえ直された。また慢性腎臓病患者では、骨吸収に比し骨形成が抑制されていることが示されていた。一方慢性腎臓病では、糸球体濾過量の低下により高リン血症が惹起され、高リン血症は異所性石灰化を促進するばかりではなく、血管平滑筋を骨芽細胞様細胞に分化させることによっても血管石灰化の原因となり、chronic kidney disease (CKD)患者の死因のリスクファクターであることも報告されている。従って高リン血症は、二次性副甲状腺機能亢進症の原因であるばかりではなく、特に血管平滑筋では自らシグナル分子として作用することが報告されている。このシグナリング分子としてのリンの作用機序として、リンは血管内皮細胞で活性酸素種(reactive oxygen species: ROS)産生を惹起するとともに、軟骨細胞などでは細胞の分化や増殖などを制御するシグナル伝達分子であるextracellular signal-regulated kinase (ERK)のリン酸化を惹起することが分かってきた。ROSとは酸素分子(O2)に由来する反応性の高い分子群のことで、スーパーオキシド(O2-)、過酸化水素(H2O2)やヒドロキシラジカル(・OH)などがある。シグナル伝達において、ROSは重要な役割を担うことが近年明らかになっており、ROSが骨細胞の分化や遺伝子発現といった骨代謝に影響を及ぼすことが示されていた。そこで、慢性腎臓病患者の骨代謝異常の発症におけるリンの作用、リンの骨芽細胞や骨形成に対する効果を明らかにすることを目的に、以下の検討を行った。

マウス骨芽細胞様細胞株MC3T3-E1細胞は、bone morphogenetic protein 2 (BMP2)に反応してアルカリホスファターゼ(ALP)などの骨芽細胞分化マーカーを発現する事が報告されており、骨芽細胞分化のモデル細胞として頻用されている。本細胞にリン酸Naバッファーを添加することにより、4-ニトロブルーテトラゾリウムクロライド(NBT)アッセイ法で評価したreactive oxygen species (ROS)産生が有意に上昇する事が明らかとなった。このROS産生の上昇は硫酸Naでは認められなかったことから、リンに特異的なものと考えられた。またリンによるROS産生の促進はナトリウム-リン共輸送体阻害剤であるfoscarnetにより抑制されたことから、リンが細胞内に流入することにより惹起されるものと考えられた。ROS産生の主な経路としては、xanthine oxidase、ミトコンドリア、およびNADPH oxidase が知られている。そこでリンによりROS産生に及ぼすこれらの経路の阻害剤の効果を検討した。その結果、NADPH oxidaseの阻害剤であるdiphenyliodonium (DPI)とapocyninにより、リンによるROS産生促進が抑制されることが明らかとなった。さらにNADPH oxidaseには、いくつかの分子が存在することが知られている。このうちMC3T3-E1細胞において発現が確認されているNADPH oxidase 1, NADPH oxidase 4のsiRNAを導入することにより、リンによるROS産生が抑制された。従ってリンは、NADPH oxidaseを介してROS産生を促進することが明らかとなった。 そこでさらにこのリンのROS産生が、骨芽細胞分化に及ぼす効果を検討した。MC3T3-E1細胞をBMP2で骨芽細胞分化を誘導し、同時にリンと培養することにより、リンはBMP2誘導性ALP活性の上昇を抑制することが明らかとなった。また代表的なROSの一つである過酸化水素 (H2O2)も、同様にBMP2誘導性ALP活性の上昇を抑制した。一方、硫酸NaはBMP2誘導性ALP活性を変化させなかった。さらにリンは、骨芽細胞に必須の転写因子であるrunt-related gene 2 (Runx2)やALP、および骨芽細胞の後期分化マーカーであるオステオカルシンの発現を低下させることが、real-time PCRにより認められた。更にリンによるBMP2誘導性ALP活性促進の抑制は、NADPH oxidaseの阻害剤であるapocyninで解除されることが明らかとなった。

従って、リンは血管平滑筋細胞を骨芽細胞様細胞に分化させ血管石灰化を促進するのとは対照的に、骨芽細胞様細胞においては、骨芽細胞への分化を抑制するという逆の作用を示すことになる。

酸化ストレスの増大やリンによるシグナル伝達に、NADPH oxidase以外にERKのリン酸化を介した経路が存在する、あるいはNADPH oxidaseがERKのリン酸化を介して酸化ストレスの増大を招き骨芽細胞分化が阻害される可能性が示唆されていた。本検討でも、リンによりERKのリン酸化が惹起されることが確認された。しかしERKをリン酸化して活性化を引き起こすMAPK/ERK kinase (MEK)の選択的阻害剤であるPD98059では、リンによるALP活性抑制は完全には解除されなかった。従って、リンは骨芽細胞においても複数の細胞内情報伝達系を活性化するものの、骨芽細胞分化に対しては主にROS産生を介して抑制的に作用するものと考えられた。

以上マウス骨芽細胞様細胞株MC3T3-E1において、リンはNADPH oxidaseを介してROS産生を促進し、骨芽細胞分化に抑制的に作用することが明らかとなった。今後はin vivoにおいても、このリンによる作用が認められるかどうかについて、検討を進める必要がある。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は骨芽細胞分化過程において重要な役割を演じていると考えられる無機リンの影響を明らかにするため、マウス骨芽細胞様細胞MC3T3-E1細胞をBMP2にて分化誘導する系にて、分化特異的な活性を示すDNA発現の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. リンが骨芽細胞のROS産生に対する影響を検討するため、リン濃度を0 mMから5 mMまで変えたリン溶液を添加した培養液中で骨芽細胞様細胞MC3T3-E1細胞と正常ラット骨芽細胞を培養しROS産生への影響を調べたところ、添加リン濃度が0 mM、1 mM、3 mM、5 mMと上昇するにつれてROS産生も有意に増加していた。従ってリンは、骨芽細胞様細胞においてROS産生を促進することが明らかとなった。Foscarnetによりこのリンの効果は抑制され、またネガティブコントロールにNa2SO4溶液を使用したが、こちらではROS産生の増加は認めず、ROS産生促進はリンに特異的であることが明らかとなった。

2. リン負荷によるROS産生の促進が、どの経路によって媒介されているかを調べるために、それぞれの経路に特異的な阻害剤をリンと同時に添加した。NADPHの特異的な阻害剤であるDPIとapocyninをリン負荷と同時に添加することによって、高リン負荷時のROS産生が有意に抑制された。一方xanthine oxidase阻害剤であるoxypurinolやミトコンドリア呼吸鎖の阻害剤であるrotenoneを添加しても、リン負荷時のROS産生の抑制は認められなかった。以上より、リンによるROS産生の亢進は主としてNADPH oxidaseを介して行われることが考えられた。

3. NADPH oxidase発現をsiRNAで抑制して、リンによるROS産生の亢進が低下するかを検討した。Nox1とNox4をsiRNAで抑制したところROS産生の抑制が認められ、リンによるROS産生はNADPH oxidaseを介して行われているものと考えられた。

4. リン濃度が5 mMの溶液を負荷したところ、Western blotで30分後にERK (p-ERK 1/2)のリン酸化が惹起されることが明らかとなった。従ってリンは、ROS産生に加え、ERKのリン酸化を介してもシグナルを伝達できるものと考えられた。

5. リン負荷による骨芽細胞分化への影響を調べるために、MC3T3-E1をBMP2やリンの添加された培養液中で培養し、アルカリホスファターゼ活性を測定した。BMP2と同時にリン溶液を加えた群ではアルカリホスファターゼ活性が有意に低下しており、またfoscarnet添加によってアルカリホスファターゼ活性抑制が回復することより、リンによってBMPが誘導する骨芽細胞分化が抑えられることが明らかとなった。一方Na2SO4によってはALP活性の抑制は認められなかった。従ってリンによるBMP2誘導性骨芽細胞分化抑制は、リンに特異的なものと考えられた。

6. リンが、初期骨芽細胞分化マーカーであるRunx2、後期骨芽細胞分化マーカーであるOC、およびALPの発現に及ぼす影響をリアルタイムPCRで検討したところ、リンによりRunx2、ALP、およびOCの発現が低下することが明らかとなった。従ってリンは、骨芽細胞分化には抑制的に作用するものと考えられた。

7. H2O2の13時間負荷により、MC3T3-E1細胞のBMP2誘導性ALP活性は有意に抑制された。一方このH2O2負荷は、MC3T3-E1細胞の蛋白量を減少させなかったことから、非特異的な細胞障害によるものではないものと考えられた。従ってMC3T3-E1細胞におけるROS産生促進が、本細胞の分化抑制に関与する可能性が考えられた。

8. リンのBMP2誘導性ALP活性抑制に及ぼすNADPH oxidase阻害剤の効果を検討した結果、apocyninはBMP2誘導性ALP活性に影響を及ぼさないのに対し、リン負荷によるアルカリホスファターゼ活性の低下を抑制することが明らかとなった。従ってリンは、少なくとも一部はNADPH oxidaseを介したROS産生の亢進により、MC3T3-E1細胞の分化に抑制的に作用するものと考えられた。

9. MAPK/ERK kinase (MEK)阻害剤であるPD98059がALP活性促進作用を示し、またリンによるALP活性抑制作用はPD98059により完全には回復しないことが明らかとなった。したがって、リンによるERKのリン酸化は、リンによる骨芽細胞分化抑制作用の少なくとも主要な経路ではないものと考えられた。

以上、本論文はマウス骨芽細胞様細胞MC3T3-E1において、分化特異的に働く遺伝子発現の解析から、分化抑制的に働く無機リンの影響を明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかった、分化過程に働くと考えられる、無機リンによる酸化ストレスを介したシグナル伝達系の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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