学位論文要旨



No 128228
著者(漢字) 柴山,修
著者(英字)
著者(カナ) シバヤマ,オサム
標題(和) 乳がん患者を対象とした、乳房温存療法における術後局所放射線療法と認知機能との関連についての研究
標題(洋)
報告番号 128228
報告番号 甲28228
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3887号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鄭,雄一
 東京大学 准教授 中川,恵一
 東京大学 講師 井垣,浩
 東京大学 講師 下澤,達雄
 東京大学 講師 多田,敬一郎
内容要旨 要旨を表示する

目的:抗がん治療の進歩により長期サバイバーが増加しているが、それに伴い遷延性に生じる認知機能障害が問題となっており、しばしばがん患者あるいはサバイバーの生活の質に深刻な影響をもたらしている。中でも非中枢神経悪性腫瘍患者における、脳以外の局所への放射線療法に伴う認知機能障害が注目されつつあるが、適切な評価やデザインを用いた研究は少なく、その存在は確立しておらず、また機序も不明である。本研究では放射線療法と認知機能双方に関連すると考えられているinterleukin (IL)-6に着目し、放射線療法を施行されたがん患者は施行されなかったがん患者と比べてWechsler Memory Scale-Revised (WMS-R)の各指数が低下しているか否か、末梢レベルのIL-6濃度が上昇しているか否か、さらにこれらに関連が見られるか否かを検討することを目的とした。

方法と対象:国立がんセンター東病院乳腺外科にて初回乳がん外科手術を受けた後外来経過観察中の乳がん患者を対象とし、連続サンプリングにて、同意が得られ、以下の基準を満たす初回治療終了後(ホルモン療法の継続は問わない) 1年以内、外科手術後3-15か月の患者105名に対し、WMS-R、および採血を行った。また調査後2年経過した後再度同様の調査を呼びかけ、同意が得られ、同様の基準を持たす患者61名に対し、再調査を行った。取り込み基準は、女性、18-55歳、とし、除外基準は、乳がん以外のがんあるいはその既往、両側乳がん、残遺がんあるいはがんの再発・転移、化学療法あるいは放射線療法継続中、神経疾患・頭部外傷・気分障害や不安障害以外の精神疾患の既往、研究参加1か月前以内の向精神薬の使用、物質の乱用あるいは依存の既往、若年性認知症の家族歴、日常生活に支障をきたすほどの身体症状、Mini-Mental State Examination-Japanese <24で定義される認知症の可能性のある患者、がん罹患が疑われる以前の大うつ病性障害あるいは外傷後ストレス障害の既往、magnetic resonance imaging禁忌、とした。放射線療法は、乳房温存療法を選択した患者にのみ、乳房温存療法ガイドラインに従い乳房温存手術後残存乳房に対して行った。血漿IL-6濃度は末梢血から血漿成分を抽出・保存した後、化学発光法にて測定した。初回調査について、術後局所放射線療法施行群(n=51、手術後304 ± 101日、放射線療法後226 ± 100日)と非施行群(n=54、手術後270 ± 105日)とで、WMS-Rの各指数については、共変量を年齢、教育年数、アルコール累積摂取量、調査時喫煙状態、body mass index (BMI)とした共分散分析(analysis of covariance: ANCOVA)にて、また血漿IL-6濃度については、基準値(4.0pg/ml)以下か否かを従属変数とし、共変量を年齢、アルコール累積摂取量、調査時喫煙状態、BMIとしたロジスティック回帰分析にて、比較検定を行った。さらに、WMS-R各指数と血漿IL-6濃度が基準値以下か否かとの関連について、前者を従属変数とし、共変量を年齢、教育年数、アルコール累積摂取量、調査時喫煙状態、BMIとしたANCOVAにて関連を調べた。加えて、再調査を施行した患者について、術後局所放射線療法施行群(n=35、再調査時手術後1247 ± 168日、再調査時放射線療法後1171 ± 169日)と非施行群(n=26、再調査時手術後1242 ± 201日)とで、各WMS-R指数あるいは血漿IL-6濃度との関係が、初回調査と再調査の両調査間でどのように変化するかを縦断的に調べるため、WMS-R指数については、教育年数を共変量とし、年齢、アルコール累積摂取量、調査時喫煙状態、BMIの調査間における変化も含めた、前後比較を交えた混合要因を含む二元配置分散分析(放射線療法施行有無×両調査)にて、血漿IL-6濃度については、年齢、アルコール累積摂取量、調査時喫煙状態、BMIの調査間における変化を含めた、前後比較を交えた混合要因を含む二元配置分散分析(放射線療法施行有無×両調査)にて、検定を行った。

結果:初回調査の横断解析結果は以下の通りであった。WMS-R指数のうち、言語性記憶指数と遅延再生指数において、放射線療法施行群の方が非施行群と比べて有意に低かった(それぞれ、放射線療法施行群vs.非施行群:94.9 ± 12.4 vs. 103.6 ± 13.9, p=0.001、98.5 ± 10.6 vs. 104.3 ± 11.4, p=0.008)。血漿IL-6濃度については、基準値を超える割合が、放射線療法非施行群が2.0%だったのに対し施行群は14.9%であり、後者の方が血漿IL-6濃度が基準値を超えて高くなる割合が有意に高かった(オッズ比10.5、95%信頼区間1.2 - 95.1、p=0.037)。WMS-Rの各指数を血漿IL-6濃度が基準値を超える群と基準値範囲内の群で比較したところ、注意/集中力指数と遅延再生指数において、血漿IL-6濃度が基準値を超える群の方が有意に低く(それぞれ、基準値を超える群vs.基準値範囲内の群:88.8 ± 9.8 vs. 100.9 ± 11.3, p=0.010、90.8 ± 8.4 vs. 102.5 ± 11.0, p=0.012)、言語性記憶指数において、同群の方が低い傾向があった(基準値を超える群vs.基準値範囲内の群:89.4 ± 11.4 vs. 100.0 ± 13.6, p=0.072)。縦断解析結果は以下の通りであった。WMS-Rについては、主効果にて、言語性記憶指数と遅延再生指数においてのみ再調査時で有意な上昇がみられ(ともにp<0.001)、かつBonferroniの多重比較では、言語性記憶指数において、初回調査時のみ放射線療法施行群の方が低い傾向がみられ(p=0.073)、遅延再生指数において、初回調査時のみ放射線療法施行群の方が有意に低かった(p=0.026)。血漿IL-6濃度については、主効果にて再調査時で有意に低下しており(p<0.001)、かつBonferroniの多重比較では放射線療法施行群においてのみ再調査時で有意に低下していた(p<0.001)。

考察:本研究は、乳房温存療法における術後局所放射線療法終了後の乳がん患者が、放射線療法終了後平均約7カ月、術後平均約10か月経過した時点で、放射線療法を施行されていない術後平均約9カ月後の乳がん患者と比べ、WMS-Rの言語性記憶指数と遅延再生指数で有意に低く、血漿IL-6濃度が基準値を上回る割合が有意に高いこと、そして血漿IL-6濃度が基準値を上回る同時期の乳がん患者はそうでないやはり同時期の乳がん患者と比べ、WMS-Rの注意/集中力指数と遅延再生指数で有意に低く、そして言語性記憶指数で低い傾向があることを示した。この結果は乳房温存療法における術後局所放射線療法が治療後しばらくの間、炎症を生じて血漿IL-6濃度が上昇するリスクおよび記憶機能に影響を与え、そして血漿IL-6濃度が上昇することと一部の記憶機能の低下が関連していることを示唆している。本研究は乳がん患者を対象として、放射線療法を施行されていないがん患者を対照群に置いて客観的な神経心理学的評価を用いて放射線療法と認知機能の関連を示し、また末梢のIL-6と認知機能の関連を示した初めての研究である。放射線療法後一部の患者で炎症が遷延していた理由は合併症や残存腫瘍の影響などが考えられるが、記録や追跡調査からは不明である。血漿IL-6濃度と認知機能の関係については、末梢のIL-6の中枢神経へのシグナル伝達および炎症の惹起が機序として想定されているが、本研究では確認できない。縦断解析にて、WMS-Rの各指数のうち、初回横断調査で放射線療法施行の有無2群間で有意差のみられた言語性記憶指数および遅延再生指数について、両群ともに再調査時は有意に改善がみられ、有意差あるいは有意傾向が消失した。また特に放射線療法施行群において、再調査時の血漿IL-6濃度は初回調査時と比べて有意に低下していた。がん種を問わず、治療後数年間を含めた縦断研究で放射線療法と認知機能の関連を調べたのは本研究が初めてである。また縦断調査においても血漿IL-6濃度と記憶機能とが関連していた可能性を考えて矛盾はない。本研究の問題点として、再調査時の脱落が多いこと、治療前や治療中のデータがないこと、調査時期にばらつきがあること、厳密な無作為割り付けを行っていないこと、n数の少なさ、IL-6以外の指標を調べていないこと、調査期間の短さ、残存腫瘍の炎症への影響の可能性を完全には排除できないこと、乳房部分切除術等放射線療法と多重共線性の問題を生じる変数を分離できないことなどが挙げられる。

結論:本研究では、乳房温存療法における術後局所放射線療法終了後の乳がん患者において、治療後しばらく経過しても認知機能障害が遷延しうること、血漿IL-6濃度上昇が遷延する割合が高いこと、そして血漿IL-6濃度の上昇と認知機能の低下とが一部関連していること、さらにはこれらの変化は数年経過すれば回復する傾向があることを示し、脳以外の部位への放射線療法でも認知機能障害が一時期遷延しうること、これに炎症性サイトカインが関与している可能性が示唆された。今後IL-6以外の指標も考慮した、よりサンプルサイズの大きい、治療開始時を含む縦断研究などにより、放射線療法に伴う認知機能障害をより明らかにし、抗がん治療に伴う認知機能障害に苦しむがん患者あるいはサバイバーへの新たな介入法の開発につなげていく予定である。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は非中枢神経悪性腫瘍患者における、脳以外の局所への放射線療法に伴う認知機能障害の存在、および機序を明らかにするため、乳がん患者を対象として、放射線療法と認知機能双方に関連すると考えられているinterleukin (IL)-6に着目し、放射線療法を施行された患者は施行されなかった患者と比べてWechsler Memory Scale-Revised (WMS-R)の各指数が低下しているか否か、末梢レベルのIL-6濃度が上昇しているか否か、さらにこれらに関連が見られるか否かを検討することを目的としたものであり、下記の結果を得ている。

1.初回乳がん外科手術を受けた後外来経過観察中の18-55歳の乳がん患者を対象とし、初回治療終了後(ホルモン療法の継続は問わない) 1年以内、外科手術後3-15か月の患者105名に対し、WMS-R、および採血を行い、化学発光法により血漿IL-6濃度を測定した。術後局所放射線療法施行群(n=51)と非施行群(n=54)とで、WMS-Rの各指数について、共変量を年齢、教育年数、アルコール累積摂取量、調査時喫煙状態、body mass index (BMI)とした共分散分析(analysis of covariance: ANCOVA)にて比較検定を行ったところ、言語性記憶指数と遅延再生指数において、放射線療法施行群の方が有意に低かった。

2.同様の対象にて、術後局所放射線療法施行群と非施行群とで、血漿IL-6濃度が基準値(4.0pg/ml)以下か否かを従属変数とし、共変量を年齢、アルコール累積摂取量、調査時喫煙状態、BMIとしたロジスティック回帰分析にて、血漿IL-6濃度が基準値を超えて上昇する割合について比較検定を行ったところ、放射線療法施行群の方が血漿IL-6濃度が基準値を超えて高くなる割合が有意に高かった。

3.同様の対象にて、WMS-R各指数と血漿IL-6濃度が基準値以下か否かとの関連について、前者を従属変数とし、共変量を年齢、教育年数、アルコール累積摂取量、調査時喫煙状態、BMIとしたANCOVAにて関連を調べたところ、注意/集中力指数と遅延再生指数において、血漿IL-6濃度が基準値を超える群の方が有意に低く、言語性記憶指数において、同群の方が低い傾向があった。

4.上記調査後2年経過した後、再調査を行った(n=61)。術後局所放射線療法施行群(n=35)と非施行群(n=26)とで、各WMS-R指数あるいは血漿IL-6濃度との関係が、初回調査と再調査の両調査間でどのように変化するかを縦断的に調べるため、WMS-R指数については、教育年数を共変量とし、年齢、アルコール累積摂取量、調査時喫煙状態、BMIの調査間における変化も含めた、前後比較を交えた混合要因を含む二元配置分散分析(放射線療法施行有無×両調査)にて、血漿IL-6濃度については、年齢、アルコール累積摂取量、調査時喫煙状態、BMIの調査間における変化を含めた、前後比較を交えた混合要因を含む二元配置分散分析(放射線療法施行有無×両調査)にて、検定を行った。WMS-Rについては、主効果にて、言語性記憶指数と遅延再生指数においてのみ再調査時で有意な上昇がみられ、かつBonferroniの多重比較では、言語性記憶指数において、初回調査時のみ放射線療法施行群の方が低い傾向がみられ、遅延再生指数において、初回調査時のみ放射線療法施行群の方が有意に低かった。血漿IL-6濃度については、主効果にて再調査時で有意に低下しており、かつBonferroniの多重比較では放射線療法施行群においてのみ再調査時で有意に低下していた。

以上、本論文は、術後局所放射線療法終了後の乳がん患者において、治療後しばらく経過しても認知機能障害が遷延しうること、血漿IL-6濃度上昇が遷延する割合が高いこと、そして血漿IL-6濃度の上昇と認知機能の低下とが一部関連していること、さらにはこれらの変化は数年経過すれば回復する傾向があることを示し、脳以外の部位への放射線療法でも認知機能障害が一時期遷延しうること、これに炎症性サイトカインが関与している可能性が示唆された。本研究はこれまで確立していなかった脳以外の局所への放射線療法に伴う認知機能障害の存在により確実性を与え、またその機序の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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