学位論文要旨



No 128229
著者(漢字) 正路,久美
著者(英字)
著者(カナ) ショウジ,クミ
標題(和) 新規HIF-1ターゲット, SPAG4, は腎細胞癌で発現が亢進し,細胞質分裂で重要な働きをする.
標題(洋) Sperm associated antigen 4 (SPAG4), a new HIF-1 target, is up-regulated in renal cell carcinoma and plays a crucial role in cytokinesis.
報告番号 128229
報告番号 甲28229
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3888号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五十嵐,隆
 東京大学 准教授 川口,浩
 東京大学 特任准教授 菱川,慶一
 東京大学 特任准教授 長瀬,美樹
 東京大学 講師 花房,規男
内容要旨 要旨を表示する

低酸素は各種代謝、細胞生存、血管新生、腫瘍、心疾患、慢性腎臓病など生体内の多くの生理的・病態生理的現象において重要な役割を果たしている。低酸素環境への適応機構として、生体には転写因子である低酸素誘導因子(hypoxia inducible factor : HIF)の上昇を介し、低酸素応答性遺伝子を発現させる仕組みが備わっており、内部が低酸素環境となっている固形腫瘍でもHIFの発現が報告されている。今回我々は、低酸素に対する適応応答ネットワークを解明するために、HIF-1αに対するsiRNAを用いたマイクロアレイ解析と全ゲノムクロマチン免疫沈降シーケンス(ChIP-Seq)を組み合わせ、HIF-1の新規ターゲットを同定した。そのうち生体内での発現や機能などほとんどが解明されていないsperm associated antigen 4 (SPAG4)に着目し、解析を行った。

生体内で内皮細胞が最初に低酸素にさらされるため、ヒト臍帯静脈内皮細胞(HUVECs)を用いて実験を行った。まずHIF-1αに対するsiRNAかcontrol siRNAをトランスフェクションしたHUVECsを正常酸素分圧または低酸素分圧で培養し、マイクロアレイにて遺伝子発現の変化を解析した。低酸素で発現が亢進する遺伝子の中で、HIF-1αのsiRNAで発現が抑制された205の遺伝子をHIF-1の下流遺伝子として選択した。次に抗HIF-1α抗体を用いたChIP-Seqを行い、低酸素下でHIF-1の結合を認めた865の遺伝子を同定した。2つの実験結果で重なった37の遺伝子をHIF-1の直接的なターゲットと考えた。37遺伝子中、20個はadrenomedullin、vascular endothelial growth factor、glucose transporter 1など既にHIF-1のターゲットとして知られている遺伝子であり、17個が新規HIF-1ターゲットであった。そのうちの1つがSPAG4である。SPAG4は1998年に精巣特異的に発現している蛋白として発見されたが、近年多くの正常組織や癌組織で発現していることがmRNAレベルで報告されてきた。しかし、発現部位、発現調節、機能などほとんどは不明である。

我々はまずHUVECsを用いてレポーターアッセイを行い、SPAG4のエンハンサー領域に存在する低酸素応答配列が低酸素によるSPAG4発現誘導に関与していることを証明した。さらにHIF-1αとHIF-2αに対するsiRNAを用いた実験で、SPAG4はHIF-1特異的なターゲットであり、その発現制御にHIF-2が関与していないことを示した。次に腎臓でのSPAG4の発現を確かめるため、マウスを低酸素下で飼育したところ、低酸素群は対照群と比較して腎臓のSPAG4 mRNAの上昇を認め、この上昇はHIFのターゲットとして知られているエリスロポエチンのmRNA発現上昇とよく相関した。次に低酸素腎臓モデルとして、腎動脈を狭窄させたラットを作成した。2つの異なるSPAG4抗体を用いた免疫組織染色で、SPAG4は腎動脈狭窄ラットモデルの尿細管で発現しており、一方、血管内皮細胞では発現を認めなかった。ヒト近位尿細管のcell lineでも、SPAG4が低酸素で発現亢進することをmRNAレベルでも蛋白レベルでも確認した。

次に腎細胞癌は腎尿細管由来であり、また発生機序にHIFの関与が報告されているため、腎細胞癌でのSPAG4の発現を、190人の淡明細胞癌検体からなる組織アレイを用いて解析した。SPAG4高発現は、診断時の静脈浸潤、高い再発率、核異型度と有意に相関し、また有意差はないものの癌関連死亡率が高い傾向があった。SPAG4が臨床的な腫瘍マーカーとなりうる可能性と同時に、癌の病態生理への関与が示唆された。

腫瘍でのSPAG4の働きを調べるために、我々は代表的な上皮細胞癌のcell lineであるHeLa細胞を用いて以下の実験を行った。SPAG4のC末端にEGFPを結合させた可視化SPAG4蛋白を発現するクローンを作成し、live cell imagingによる細胞観察を行ったところ、SPAG4が間期では核膜と小胞体に存在し、さらに分裂期の終期ではintercellular bridgeにも存在していることが分かった。代表的小胞体蛋白であるcalnexinやmidbodyを形成するtubulinを可視化して行った二重観察でも再確認した。

腫瘍での発現と細胞内での局在よりSPAG4の細胞分裂への関与が示唆されたため、フローサイトメトリー解析を行った。まずHeLa細胞を低酸素下で培養すると、正常酸素下と比較して4倍体細胞が有意に上昇した。さらにSPAG4の発現量を低下させたHeLa細胞を用いて解析を進めた。SPAG4に対するsiRNAでSPAG4の発現を抑制すると、4倍体細胞が対照群と比較して有意に増加することが明らかとなり、これは4倍体細胞が増加する低酸素条件でも同様であった。顕微鏡観察でもSPAG4発現抑制により二核細胞が増加し、SPAG4が細胞質分裂で重要な働きをしていることが示唆された。また細胞周期解析で、SPAG4発現抑制によりG0/G1期の有意な減少、S期、G2/M期の有意な増加を認めた。SPAG4が細胞周期に影響を与えていることより、細胞増殖への影響も検討したところ、BrdUアッセイおよびMTSアッセイにて、SPAG4を発現抑制すると細胞増殖が著明に抑制されることが分かった。

更にSPAG4により調節される遺伝子プロファイルを調べるために、SPAG4に対するsiRNAを用いたマイクロアレイ解析を行った。発現が変化する遺伝子群の機能解析にはDatabase for Annotation, Visualization and Integrated Discovery(DAVID)ソフトを用いた。SPAG4発現抑制により、Aurora A kinase、Aurora B kinaseなどの細胞質分裂に関連する遺伝子発現が変化することが分かった。更に、SPAG4発現抑制により発現が亢進する遺伝子群には細胞周期調節に関する遺伝子が有意に集まっており、SPAG4の細胞周期への関与が裏付けられた。これらのうち、2つの異なるSPAG4 siRNAでの変化が一貫し、かつ変化も大きいものを選んで蛋白レベルでの発現変化を検討したところ、SPAG4発現抑制により、cyclin A、cyclin B1、Aurora A kinase、Aurora B kinaseの発現が有意に亢進していることが分かった。cyclin A、cyclin B1の増加はそれぞれS期、G2/M期の増加と合致する。

細胞分裂の最終段階である細胞質分裂が失敗すると、二つの娘細胞の細胞質が不分離となり、4倍体細胞が生じるが、この4倍体細胞が染色体不安定性を促進し、腫瘍形成・腫瘍悪性化の一因となる。Live cell imaging実験で我々はSPAG4が終期にintercellular bridgeに存在することを初めて明らかとし、SPAG4発現抑制により4倍体細胞が増加することを示した。低酸素下では4倍体細胞が増加するが、その状況下でも同様の現象が認められた。すなわちSPAG4は低酸素下においてその発現量を増加させ、低酸素下で増加する4倍体細胞を抑える仕組みを担っていると考えられる。またSPAG4発現抑制により、Aurora A kinase、Aurora B kinaseの発現亢進を認めた。細胞質分裂の遂行にはこれらのkinaseの発現レベルが厳密に調節される必要があり、これらの発現亢進により4倍体細胞の増加することも報告がされている。以上よりSPAG4は細胞質分裂で重要な働きをし、4倍体細胞形成に対して防御的に働くことが示唆された。またSPAG4発現抑制によりG0/G1期の減少、S期、G2/M期の増加を認めた。この細胞周期への影響は細胞質分裂の失敗を介して起きている可能性とSPAG4が直接細胞周期の調節に関与している可能性があり、今後解明が必要である。

今回SPAG4発現抑制により細胞増殖が抑制された。細胞質分裂失敗・4倍体細胞形成は、細胞にとって分裂中止、細胞増殖停止、死亡などを起こす致死的な現象であることが報告されている。これは腫瘍形成・腫瘍悪性化を防ぐ生体の防御機構と考えられるが、SPAG4は4倍体細胞形成自体を防いでおり、更なる防御機構と考えられる。腫瘍、特に淡明細胞癌ではHIF-2は腫瘍形成的に働き、HIF-1は腫瘍抑制的に働いていることが報告されている。SPAG4がHIF-1特異的なターゲットであることも、SPAG4が腫瘍悪性化に対して防御的に機能していることを示唆する。

SPAG4が予後不良な腎細胞癌で高発現していることと、細胞質分裂への関与が示唆されることより、我々はSPAG4が腎細胞癌において多倍体への防御機構として高発現している可能性を考えた。しかしSPAG4の細胞周期調節の詳細なメカニズムや癌での役割、核膜や小胞体での機能など、まだ解明が必要である。現在SPAG4のノックアウトマウスを作成中であり、今後の機能解析に役立てたい。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は生体内の多くの病態において重要な役割を果たしている低酸素誘導因子(hypoxia inducible factor : HIF)の適応応答ネットワークを解明するため、網羅的解析によりHIF-1のターゲットを同定し、その新規ターゲットの一つであるsperm associated antigen 4 (SPAG4)について解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.ヒト臍帯静脈内皮細胞(HUVECs)を用い、HIF-1αに対するsiRNAを用いたマイクロアレイ解析と全ゲノムクロマチン免疫沈降シーケンス(ChIP-Seq)を組み合わせ、HIF-1の直接的なターゲットを37遺伝子同定した。20遺伝子は既知であったが、17遺伝子は新規ターゲットであり、そのうち精巣特異的蛋白として発見され、その発現や機能などほとんどが解明されていないSPAG4に着目した。まずレポーターアッセイを行い、SPAG4のエンハンサー領域に存在する低酸素応答配列が低酸素によるSPAG4発現誘導に関与していることを証明した。さらにHIF-1αとHIF-2αに対するsiRNAを用いた実験で、SPAG4はHIF-1特異的なターゲットであり、その発現制御にHIF-2が関与していないことを示した。

2.次にマウスで低酸素腎臓モデルを作成し、低酸素下の腎臓でSPAG4が発現することを示した。さらにラットでも低酸素腎臓モデルである腎動脈狭窄モデルを作成し、免疫組織染色にて、SPAG4が腎動脈狭窄モデルの尿細管で発現していることを示した。ヒト近位尿細管のcell lineでも、低酸素でSPAG4が発現亢進することをmRNAレベルでも蛋白レベルでも確認した。

3.腎尿細管由来であり、発生機序にHIFの関与が報告されている腎細胞癌におけるSPAG4の発現を、190人の淡明細胞癌検体からなる組織アレイを用いて解析した。SPAG4高発現は、診断時の静脈浸潤、高い再発率、核異型度と有意に相関し、また有意差はないものの癌関連死亡率が高い傾向があった。SPAG4が臨床的な腫瘍マーカーとなりうる可能性と同時に、癌の病態生理への関与が示唆された。

4.腫瘍でのSPAG4の働きを調べるために、上皮細胞癌の代表的なcell lineであるHeLa細胞を用いて以下の実験を行った。SPAG4のC末端にEGFPを結合させた可視化SPAG4蛋白を発現するクローンを作成し、live cell imagingによる細胞観察を行ったところ、SPAG4が間期では核膜と小胞体に存在し、さらに分裂期の終期ではintercellular bridgeにも存在していることを証明した。Intercellular bridgeでの局在はSPAG4の細胞質分裂への関与を示唆した。

5.フローサイトメトリーで細胞周期解析を行った。まずHeLa細胞を低酸素下で培養すると、正常酸素下と比較して4倍体細胞が有意に上昇した。SPAG4に対するsiRNAでSPAG4の発現を抑制すると、4倍体細胞が対照群と比較して有意に増加することが明らかとなり、これは4倍体細胞が増加する低酸素条件でも同様であった。また細胞周期解析で、SPAG4発現抑制によりG0/G1期の有意な減少、S期、G2/M期の有意な増加を認めた。細胞増殖への影響も検討したところ、BrdUアッセイおよびMTSアッセイにて、SPAG4を発現抑制すると細胞増殖が著明に抑制されることが分かった。

6.SPAG4に対するsiRNAを用いたマイクロアレイ解析を行ったところ、SPAG4発現抑制により発現が亢進する遺伝子群に、細胞質分裂、細胞周期調節に関する遺伝子が有意に集まっていることが分かった。実際にSPAG4発現抑制により、Aurora A kinase、Aurora B kinaseなどの細胞質分裂に関連する遺伝子が蛋白レベルで変化していた。

以上、本論文はSPAG4を新規HIF-1ターゲットとして同定し、腎細胞癌の再発・転移など悪性度と関係するマーカーになりうる可能性を示し、さらにSPAG4が細胞質分裂で重要な役割を果たすことを示した。腫瘍内の低酸素環境は多倍体を増やし、多倍体はクロマチンの不安定化、悪性度の増悪につながることが知られているが、腫瘍においてSPAG4はこの多倍体に対して防御的に働いていることを示した。本研究は、これまでその機能がほとんど解明されていなかったSPAG4の腫瘍における働きの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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