学位論文要旨



No 128230
著者(漢字) 白井,雅弓
著者(英字)
著者(カナ) シライ,アユミ
標題(和) アンジオテンシンIIのヒト近位尿細管特異的作用の解析
標題(洋) Effects of angiotensin II specific to human renal proximal tubule transport
報告番号 128230
報告番号 甲28230
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3889号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五十嵐,隆
 東京大学 准教授 川口,浩
 東京大学 講師 臼井,智彦
 東京大学 特任准教授 安東,克之
 東京大学 特任准教授 長瀬,美樹
内容要旨 要旨を表示する

【背景】高血圧症は心血管疾患の重要な要因である。血圧調節には多くの臓器が関与しており、中でも腎臓のNa排泄機構が大きな決定因子であることが近年示唆されている。腎臓の近位尿細管では、糸球体濾過された塩分の約60%を再吸収している。この過程は管腔側のNa/H交換輸送体(NHE3)と基底側のナトリウム・重炭酸共同輸送体 (NBCe1) をはじめとしたナトリウム輸送体に依存する。アンジオテンシンII (Ang II)はこれらのNa輸送体の調節を介して、血圧調節に大きな影響を与えることが示されている。

Ang IIの受容体にはアンジオテンシンIIタイプ1受容体 (AT1受容体) ・アンジオテンシンIIタイプ2受容体 (AT2受容体) が存在し、腎臓では主にAT1受容体を介して、血圧調節が行われている。ウサギ・ラット・マウスの近位尿細管Na輸送体に対し、Ang IIは低濃度で刺激、高濃度で抑制の二相性の調節を行うことが報告されている。特に、Ang IIの刺激作用は、PKC経路又は、細胞内cAMP濃度の低下を介しており、抑制作用はホスホリダーゼA2 (PLA2) /アラキドン酸経路または一酸化窒素(NO) 経路が関与していることがいくつかの論文で報告されている。

NO経路では、合成されたNOがsGS (可溶性Ganyly Cyclase)を活性化し、cGMP濃度が上昇することが明らかになっている。古典的NO経路においてcGMPの下流に存在するcGMP依存性プロテインキナーゼ(cGKs)にはcGKI、cGKIIの二種類があり、近位尿細管ではcGKIIが認められている。cGKIIのさらに下流にはGSKをはじめとしたプロテインキナーゼの存在が報告されている。

前述のように尿細管に発現するイオン輸送体の調節機構については従来の研究は動物由来の尿細管については検討されているものの、ヒト腎尿細管に対する知見は殆どない。高血圧症の成因としての重要性を鑑みて、ヒト近位尿細管NBCe1のAng IIによる調節機構について、マウス・ラットのNBCe1調節機構と比較・検討した。

【方法】C57BL/6マウス(Wild type、cGKIIノックアウトマウス )、Wistarラット及び、腎がん摘出術で得られたヒト正常腎組織から単離した近位尿細管を、ノルエピネフリンを含むDMEMで灌流した。この灌流液中の重炭酸濃度の変化 (25-12.5mM) に対する細胞内pH変化速度を蛍光色素 (BCECF) を用いて測定し、別の実験で得られた細胞内Buffer capacityと合わせNBCe1活性を算出した。細胞内シグナル伝達系についてはERK・GSK3β・のリン酸化をWestern blotting法で評価した。またcGKIIの細胞内の発現様式については共焦点レーザー顕微鏡による免疫蛍光染色法にて評価した。

【結果】従来の報告通り、マウス・ラットのNBCe1に対し、Ang IIは低濃度(10-10M)で刺激、高濃度(10-6M)で抑制の二相性の調節作用を有することを確認した。これに対して、ヒト近位尿細管では、Ang IIはNBCe1に対して濃度依存的な亢進作用を示すことが判明した。これらの促進作用はAT1受容体阻害剤valsartanやMEK阻害剤PD98059 によりほぼ完全に抑制された。

マウスで高濃度AngIIの抑制作用を媒介するアラキドン酸および5,6-EET (5,6-epoxyeicosatrienoic acid) はヒトNBCe1活性に対して抑制作用を示さなかった。

さらに、他の種で抑制作用を呈すると報告されているNO/sGS/cGMP経路について、NO合成阻害剤:L-NAME、NOドナー:Sodium Nitroprusside Dihydrate (SNP)、sGS (可溶性Ganyly Cyclase) 阻害剤ODQ及び膜透過性cyclic GMP、8Br-cGMP (cGMP)を用いて実験した。マウスではL-NAME存在下でAng IIを投与すると、全ての濃度のAng II投与でNBCe1活性の亢進作用を認めた。これとは対照的にヒトではL-NAMEはAng IIの亢進作用を消失させた。またSNPはマウス・ラットの近位尿細管NBCe1に対し抑制的に、ヒト近位尿細管NBCe1に対しては亢進的に作用した。sGC阻害剤であるODQ存在下ではマウス近位尿細管NBCe1に対する高濃度Ang IIの抑制作用は亢進作用に転じた。これに対してヒトではODQ存在下ではAng IIの刺激作用が消失をした。さらに8Br-cGMPはマウスNBCe1活性を抑制したが、ヒトNBCe1活性を逆に亢進させた。

Western blotting法でAng IIの刺激作用に対するERK経路の関与を検討したところ、マウスでは低濃度のみでERKのリン酸化の増強を認めたが、ヒトでは全濃度のAng IIでERKのリン酸化の増強を認めた。これは、前述の生理実験で評価されたAng IIのNBCe1に対する作用の結果と矛盾しない結果であった。

NOS/NO/sGC/cGMP経路の下流であるとされるcGKIIの蛍光染色を行った。cGKIIは、マウスおよびラットでは核膜・細胞質の両方に発現しているが、ヒトでは核膜周囲にのみ発現していた。cGKIIのさらに下位であるGSK3βについて、Western blottingによる検討を行ったところ、SNP、cGMP投与下でマウス・ラットではGSK3βのリン酸化の亢進が認められcGKIIの活性化が確認された。しかしヒトではGSK3βのリン酸化を認められなかった。また、マウス・ラットではAng IIの全濃度でGSK3βのリン酸化の増強が認められるのに対しヒトではAng IIによるGSK3βのリン酸化は認められなかった。

Western blottingおよびcGKIIの蛍光染色の結果より、cGKIIの作用の有無がAng IIがマウス・ラットNBCe1に対し2相性作用を呈し、ヒトNBCe1に対しては濃度依存的刺激作用を有する原因となっている可能性を考え、cGKIIノックアウトマウスによる実験を行った。結果、cGKIIマウスにNBCe1に対しAngIIは濃度非依存的な刺激作用を有するが、SNP暴露に対し、cGKIIノックアウトマウスNBCe1の活性は変化しないことが明らかとなった。

【結論】今回の実験で、Ang IIはマウス・ラットのNBCe1を二相性に調節するのに対し、ヒトNBCe1を濃度依存的に亢進させることが初めて示された。Valsaltan存在下で、ヒトのNBCe1に対するAng IIの作用がほぼ消失していたことから、マウスと同様にヒトでも、AngIIはAT1受容体を介して、NBCe1を調節していることが示された。また、ヒトでのAng IIによるNBCe1刺激作用はMEK阻害剤で消失していたことから、やはり、マウスと同様にヒトでもAng IIのNBCe1刺激作用にERK経路が関与していることが示唆された。

ヒトでは、マウスと異なり、cPLA2/アラキドン酸/5,6-EET経路が抑制経路として機能していないことが、Ang IIの抑制作用が欠如している一因であるとも考えられた。しかし、NOS/NO/sGC/cGMP経路がマウス・ラットNBCe1では抑制的に働いているのに対し、ヒトNBCe1では刺激的に働いていることが、Ang IIに対する反応の違いの主因であると考えられた。Western blotting及び蛍光免疫染色の結果から、これには、cGKIIの関与が示唆され、実際、cGKIIノックアウトマウスでは、高濃度Ang IIによる抑制作用は刺激作用に転じていた。しかし、cGKIIノックアウトマウスNBCe1に対するAng IIの刺激作用は濃度非依存性の刺激作用で、同マウスにSNPを投与しても、抑制作用の消失を認めるのみで、ヒトに対するような刺激作用は認められていなかった。

以上のことから、ヒトにおいて、他の種とことなり、NOS/NO/sGC/cGMP経路がcGKIIを活性化せず、ERK経路を増強させることが、ヒトでAng IIの一相性・濃度依存的刺激作用が認められることの原因であることが明らかになった。cGKIIマウスとヒトとのSNPの作用の相違から、こうした作用差には、cGKII以外のプロテインキナーゼも関わっていることが示唆された。いずれにしろ他の種と異なりヒトではAng IIが近位尿細管Na輸送を濃度依存性に亢進することが明らかになり、ヒト高血圧発症機構においてAng IIが特異的かつ、極めて重要な役割を持つことが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は高血圧発症の重要な因子であるアンジオテンシンII(Ang II)のヒト近位尿細管Na輸送に対する作用を検討したもので、以下のヒト近位尿細管に特異的なAng II作用を見出している。

1.従来の報告通り、マウス・ラットのNBCe1に対し、Ang IIは低濃度(10-10M)で刺激、高濃度(10-6M)で抑制の二相性の調節作用を有することを確認した。これに対して、ヒト近位尿細管では、Ang IIはNBCe1に対して濃度依存的な亢進作用を示すことが判明した。これらの作用はAT1受容体阻害剤valsartanでほぼ抑制された。以上のことから、Ang IIの作用はヒトでもマウス・ラットでもAT1受容体を介していることが示された。

2.MEK阻害剤PD98059 により、マウスでのAng II低濃度におけるNBCe1刺激作用、およびヒトにおけるAng IIの濃度依存的亢進作用はほぼ完全に抑制された。また、Western blottingではマウスにおけるAng II低濃度投与時のERKリン酸化の亢進とヒトにおけるAng II全ての検討濃度(10-10M~10-6M)によるERKのリン酸化の亢進が確認された。以上のことから、Ang IIの作用はヒトでもマウス・ラットでもNBCe1促進作用にはERKが関与していることが示された。

3.マウスで高濃度AngIIの抑制作用を媒介するアラキドン酸および5,6-EET (5,6-epoxyeicosatrienoic acid) はヒトNBCe1活性に対して抑制作用を示さなかった。このことから、ヒトでは、マウスと異なり、cPLA2/アラキドン酸/5,6-EET経路が抑制経路として機能していないことが、Ang IIの抑制作用が欠如している一因であると考えられた。

4.マウスではL-NAME存在下でAng IIを投与すると、全ての濃度のAng II投与でNBCe1活性の亢進作用を認めた。これとは対照的にヒトではL-NAMEはAng IIの亢進作用を消失させた。またSNPはマウス・ラットの近位尿細管NBCe1に対し抑制的に、ヒト近位尿細管NBCe1に対しては亢進的に作用した。sGC阻害剤であるODQ存在下ではマウス近位尿細管NBCe1に対する高濃度Ang IIの抑制作用は亢進作用に転じた。これに対してヒトではODQ存在下ではAng IIの刺激作用が消失をした。さらに8Br-cGMPはマウスNBCe1活性を抑制したが、ヒトNBCe1活性を逆に亢進させた。このことから、NOS/NO/sGC/cGMP経路がマウス・ラットNBCe1では抑制的に働いているのに対し、ヒトNBCe1では刺激的に働いていることが、Ang IIに対する反応性の違いの主因であると考えられた。

5.NOS/NO/sGC/cGMP経路の下流であるとされるcGKIIの蛍光染色を行った。cGKIIは、マウスおよびラットでは核膜・細胞質の両方に発現しているが、ヒトでは核膜周囲にのみ発現していた。cGKIIのさらに下位であるGSK3βについて、Western blottingによる検討を行ったところ、SNP、cGMP投与下でマウス・ラットではGSK3βのリン酸化の亢進が認められcGKIIの活性化が確認された。しかしヒトではGSK3βのリン酸化を認められなかった。また、マウス・ラットではAng IIの全濃度でGSK3βのリン酸化の増強が認められるのに対しヒトではAng IIによるGSK3βのリン酸化は認められなかった。以上から、NOS/NO/sGC/cGMP経路の作用の相違にcGKIIの関与の有無が関連していることが示唆された。

6.cGKII KOマウスでは確かに全ての濃度のAng IIがNBCe1に対して刺激作用を示しており、マウスにおいてはcGKIIがAng IIの抑制作用に関与することが確認された。

7.cGKII KOマウスではSNP, 8Br-cGMPは刺激作用を示さなかった。このことから、cGKIIノックアウトマウスでは、NBCe1に対する抑制作用の消失を認めるのみで、マウスにおけるcGKIIの欠損はヒトにおけるAng IIの特異的反応を全て再現するものではなく、cGKII以外のプロテインキナーゼがヒトとマウスとのAng IIの作用の相違に関わっていることが示唆された。

以上、本研究で、他の種と異なりヒトではAng IIが近位尿細管Na輸送を濃度依存性に亢進することが明らかになった。こうした相違にはcGKIIだけではなく、cGKII以外のプロテインキナーゼが関与していることが示唆された。ヒト高血圧発症機構においてAng IIが特異的かつ、極めて重要な役割を持つことが示唆された研究であり学位授与に値するものと考えられる。

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