学位論文要旨



No 128231
著者(漢字) 春原,光宏
著者(英字)
著者(カナ) スノハラ,ミツヒロ
標題(和) 肺がんにおけるチロシンキナーゼの網羅的解析 : RET-proto oncogeneの過剰発現とその生理的機序
標題(洋)
報告番号 128231
報告番号 甲28231
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3890号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 赤林,朗
 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 准教授 小川,誠司
 東京大学 講師 須並,英二
 東京大学 連携教授 中村,卓郎
内容要旨 要旨を表示する

ヒトのチロシンキナーゼは90遺伝子が知られており,成長因子の受容体などの役割を有している.そして,その異常は発がんに関与することが広く知られている.チロシンキナーゼの発がんの機序としては,慢性骨髄性白血病のBCR-ABLに代表される転座,MYCにみられる遺伝子の増幅のほか,点突然変異,過剰発現などが知られている.Bcr-ablに対するimatinibや上皮成長因子受容体 (EGFR) に対するgefitinibなど種々の低分子チロシンキナーゼ阻害剤が既に臨床応用されている.2007年には曽田らにより肺がんの5%の原因を占めるEML4-ALKの微小転座が発見された.その後ALKを阻害するcrizotinibが肺がんにおけるALK転座の発見から4年という異例の速さで治験を終えアメリカのFood and Drug Administration (FDA)で承認された.また2011年にはKIF5b-RETの微小転座も報告されており,これに対する発がん機序の解明,阻害薬の検討などが進められている.世界保健機構(WHO)の推計では,肺がんによる死者は全世界で毎年140万人にのぼり,たとえ数%を占める変異であっても,その変異を発見することで数万人単位の患者の利益に資することができる.特にチロシンキナーゼは低分子阻害薬の開発が進んでおり,チロシンキナーゼの新規変異を発見することは,発がんに関わる基礎研究にとどまらず,短期間で治療薬として患者に還元できる極めて有意義で重要な研究である.

今回われわれは,Natural Center for Biotechnology Information (NCBI)のBasic Local Alignment Search Tool (BLAST)の中で,アミノ酸配列で相同性の高い遺伝子を抽出するアルゴリズムであるt-blast-nを用いて,ALKのチロシンキナーゼ部位と相同性の高いチロシンキナーゼ36遺伝子を抽出した.次に肺がんの既知のdriver geneとして多くを占めるEGFR変異とKRAS変異を有さない肺がんの臨床検体30例を用いて,これらのチロシンキナーゼの発現をキナーゼドメイン内の定量的real time PCRにより網羅的に探索した.その結果,チロシンキナーゼの発現パターンとして,ほぼ全ての症例で過剰発現がみられる遺伝子,一部の症例でのみ過剰発現がみられる遺伝子,ほぼ全ての症例で発現が低い遺伝子の3パターンに大別された.ALKは一部症例でのみ過剰発現が見られる遺伝子群に属し,事実,我々の解析でも過剰発現の見られた1症例からEML4-ALKの微小転座が検出された.この一部症例でのみ過剰発現が認められた遺伝子群の中で,過剰発現がみられた遺伝子-症例ペア18組を候補とした.チロシンキナーゼのキナーゼドメインは3' '端の近傍でコードされるため,上流の転座や変異を確認するため, 定量的real time PCRにて5' 端近傍の発現がキナーゼ部分の発現と比べ低下している遺伝子-症例ペアを抽出した.遺伝子はRET, NTRK2, EPHA5, FGFR3, FER, INSRRの5種であった.今回,RET, NTRK2, EPHA5の3遺伝子,5組の遺伝子-症例ペアに対して5'-rapid amplification of cDNA ends (RACE)法を用いて,変異を検索した.RACE法とは,既知の一部配列からcDNA全長を得る手法である.

その結果,多発性内分泌腫瘍症(MEN) II型の変異遺伝子であるRET proto-oncogene (RET)に,exon 1, 2, 3から exon 8 に飛ぶ,またexon 4 からexon 7に飛ぶsplicing variantが存在することを発見した.これらsplicing variantはいずれもframe shiftを起こさないものであった.開始コドンであるfirst ATGや細胞外移行シグナルはexon 1に含まれており,膜貫通ドメインはexon 10に存在しており,いずれも翻訳産物には残存していると考えられた.そのため,これらsplicing variantsの翻訳産物は,正常のRET同様に膜タンパクとして局在し,細胞外ドメインの一部を欠くものの,キナーゼドメインを含む細胞内の配列は正常のRETと同じであるため,がん遺伝子として働きうると考えられた.一方NTRK2, EPHA5については,他遺伝子とのfusionや意味のあるsplicing variantは認められなかった.

新たなsplicing variantに対して発現解析を行う際には,RACE法により得られた遺伝子の両端部分を接続し,cDNA全長を得る必要があった.従来は制限酵素を用いてligationを行っていたが,今回DNA polymeraseを用いる方法を見いだし,これについて条件検討を詳しく行った.具体的にはオーバーラップ領域を有する2種類のDNAを混ぜ,プライマーを加えずに,polymeraseが埋めるのに必要な距離(長いほうのDNAの長さからオーバーラップの長さを引いたもの)に相当する伸長時間をとることが重要であることがわかった.

得られたsplicing variantのcDNA全長を発現ベクターpcDNA3.1(R)-Hygro(+)を用いて,HEK 293t細胞株にlipofectionで導入した.抗RETリン酸化抗体を用いたWestern blot 法により,splicing variantもリン酸化能を有することが確認された.また,今回発見されたsplicing variantは膜貫通ドメインから細胞内ドメインが,正常のRETと同じであるためRETの低分子阻害薬であるvandetanibにより阻害されると考えられた.そこでHEK 293t細胞株をvandetanibを4μM含む培地で培養した後抽出したタンパクをWestern blot法で解析したところ,いずれのvariantにおいてもリン酸化が阻害されることが確認された.

このvandetanibは,RET以外にも上皮由来成長因子受容体(EGFR),血管内皮細胞由来成長因子受容体(VEGFR)を阻害する低分子マルチキナーゼインヒビターであり,甲状腺髄様がんに対しては既に上梓されている.Vandetanibは非小細胞肺がん患者に対して第III層試験が行われているが,化学療法不応性の非小細胞肺がん患者全体を対象としたため,無増悪期間 (PFS)にて有意差が出たものの差がわずかであることや,全生存期間 (OS) への寄与が評価されていないことから,依然FDAへの申請が取り下げられたままとなっており,効果の現れる患者群の特定とその患者群に対する治験ないし層別化が求められている.

2005年6月から2007年8月に連続して得られた肺がん臨床検体のうち良質なcDNAを得られた81症例に対して追加検討を行ったところ, RETの過剰発現が32 %にみられることが確認された.この RETの過剰発現はEGFR変異陽性患者に多くみられた.またEGFR変異陽性群においてRETの過剰発現を有する群において有意に予後(overall survival)が悪いことが示された.

今回の研究から,RETにはsplicing variantがみられ,これも通常のRET同様リン酸化をきたし,またvandetanibで阻害されることが確認された.また, RET過剰発現がEGFR変異陽性患者において,予後予測因子となることが確認された.今後,splicing variant及び,EGFR変異陽性肺がんにおけるRET過剰発現の肺がんにおける病因的・臨床的意義について,更なる検討が求められる.

審査要旨 要旨を表示する

本研究は肺がんにおけるチロシンキナーゼの新規変異を発見するため,肺がん手術検体からRT-PCR法,RACE法を用いて,過剰発現症例の新たな変異を検討したものであり,以下の結果を得ている.

1.RET-proto oncogeneにおいて,過剰発現症例のRACE法をおこなうことで,複数のsplicing variantの発現を確認した.これらは,本来のRET proto-oncogeneの細胞外ドメインが一部欠落するものの,細胞外移行シグナルや膜貫通ドメイン,チロシンリン酸化活性を有する細胞内ドメインは保たれていた.

2.今回発見されたsplicing variantをHEK 293t細胞株に過剰発現させ,リン酸化抗体を用いたWestern blot法によるアッセイを行ったところ,これらsplicing variantにリン酸化能がみられることが確認された.また,RET-proto oncogeneに対する低分子チロシンキナーゼ阻害薬であるVandetanibにより,先述のsplicing varinatを過剰発現させたHEK 293t細胞株のリン酸化が阻害されることが確認された.

3.肺がん細胞株においてRET-proto oncogeneの過剰発現を検討したところ,約30%に過剰発現が認められ,EGFR変異陽性と正の相関がみられた.EGFR変異陽性群においてはRET過剰発現がoverall survivalを有意に悪化させることが示された.

4.RACE法にて得られた5'端と3'端を結合し,cDNA全長を得る際に,プライマーを用いないポリメラーゼ反応が有用であることを発見し,これについて詳細に検討した.プライマーはおかずに伸長時間をcDNA全長ではなく,5'端ないしは3'端に相当する時間とすること,またオーバーラップは20塩基程度で十分であることが示された.

以上、本論文は肺がんにおけるRET-proto oncogeneのsplicing variantの発見と過剰発現が予後予測因子となることを示したものである.今後の肺がんにおけるRET-proto oncogeneの意義の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる.

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