学位論文要旨



No 128232
著者(漢字) 髙橋,良太
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,リョウタ
標題(和) 膵臓癌に対するJNK標的療法についての検討
標題(洋)
報告番号 128232
報告番号 甲28232
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3891号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森本,幾夫
 東京大学 准教授 門野,岳史
 東京大学 准教授 池上,恒雄
 東京大学 准教授 長谷川,潔
 東京大学 講師 本田,善一郎
内容要旨 要旨を表示する

序文

Mitogen-activated protein kinase (MAPK) 経路は細胞外からの多様な刺激によって活性化される細胞内シグナル伝達の重要な経路の一つであり、細胞の増殖、分化、生存といった様々な活動に関係することが知られている。c-Jun NH2-terminal kinase (JNK)はextracellular regulated kinases (ERK)、 p38と共にMAPKファミリーの一種であり、サイトカイン、成長因子、環境ストレス等によって伝わる細胞内シグナルをMAPK kinase kinase、MAPK kinase、MAPKを経るリン酸化カスケードによって伝達することで細胞の増殖、分化、生存といった多彩な機能を発揮する。

JNKには3つのアイソフォームが知られており、このうちJNK1、JNK2が全身で発現している。近年、癌とJNKシグナルとの関わりはいくつかの癌において報告されており、胃癌、肝臓癌、皮膚癌などへの関与が示唆されている。しかし膵臓癌においてはJNK経路の関与について詳細な検討はされていない。

今回我々は膵臓癌におけるJNK経路の役割について細胞株を用いた検討に加え、遺伝子改変マウスを用いた膵臓癌モデルを用いて、in vivoでのJNK阻害が膵臓癌に対してもたらす治療効果について検討を行った。

方法

ヒト膵臓癌におけるJNKの活性を検討するため、ヒト膵臓癌組織アレイを用いてリン酸化JNKに対する免疫染色を行った。またヒト膵臓癌細胞株を用いて、ウェスタンブロッティングにてJNKの活性について検討した。

ヒト膵臓癌細胞株を用いてJNK阻害が細胞株の増殖に与える影響を検討した。JNKの阻害にはJNK1, JNK2に対するsmall interfering RNA (siRNA)やJNK阻害剤SP600125、JNK1に対するshort hairpin RNA (shRNA)を発現するレンチウイルスベクターを使用した。JNKを阻害した細胞株の増殖速度を対照群と比較した。またウェスタンブロッティングによって阻害効果の確認と細胞周期の調節に関わる分子の発現を検討した。siRNAを用いてJNK1, JNK2をノックダウンした細胞株を用いてフローサイトメトリーによる細胞周期の解析を行った。またRas遺伝子の関与について検討するため、ヒト膵臓癌細胞株に変異型Ras遺伝子を発現するプラスミドをトランスフェクトすることによって強制発現させ、JNKの活性化の変化について検討した。

膵特異的にtransforming growth factor β (TGFβ) 2型受容体(Tgfbr2)をノックアウトし、同時に変異型K-Ras (KrasG12D)を発現させた遺伝子改変マウスであるpancreatic transcription factor-1a(Ptf1a)cre/+;Lox-Stop-Lox(LSL)-KrasG12D/+;Tgfbr2flox/flox マウス(KrasG12D+Tgfbr2KO マウス)は膵臓癌モデルとして知られている。このマウスの膵臓癌組織と、Ptf1acre/+;LSL-KrasG12D/+ マウス(KrasG12D マウス)の前癌病変PanIN組織、野生型マウスの正常膵組織を用いて免疫染色を行い、マウス膵臓癌組織におけるJNKの活性を検討した。またウェスタンブロッティングでも各組織におけるJNKの活性を検討した。

膵臓癌におけるJNK阻害の治療的効果を検討するため、KrasG12D+Tgfbr2KO マウスにSP600125を腹腔内投与し、4週間の治療期間終了後に膵組織を採取した。H&E染色による腫瘍部分の大きさの評価、免疫染色によるJNK, c-Jun, cyclin D1の活性の評価を行った。さらにtransferase-mediated dUTP nick end labeling (TUNEL) 染色と膵管のマーカーであるCytokeratin-19(CK-19) の二重染色を行い、膵組織中のアポトーシス細胞の数を評価した。また別なKrasG12D+Tgfbr2KO マウス群に対してはSP600125の投与を死亡まで継続し、生存延長効果について検討した。

JNK阻害が血管新生に与える影響について検討するため、SP600125を投与したマウス膵臓癌組織と対照群の膵臓癌組織を用いて血管内皮マーカーである抗von Willebrand factor (vWF) 抗体を用いて免疫染色を行った。

またSP600125を作用させたヒト膵臓癌細胞株の上清を用いてサイトカインアレイを行い、JNK阻害によって膵臓癌細胞株より分泌させるサイトカインがどのように変化するかを検討した。また正常ヒト臍帯静脈内皮細胞 (human umbilical vein endothelial cell, HUVEC)の血管新生能が、SP600125を投与した膵臓癌細胞株の上清を用いて培養することで受ける影響について検討した。

結果

膵臓癌におけるJNKの役割を検討するにあたり、まずヒト膵臓癌組織におけるリン酸化JNKの発現を解析した。ヒト膵臓癌組織アレイを用いて93例の膵臓癌組織、18例の正常膵組織について免疫染色を行った。膵臓癌組織は抗リン酸化JNK抗体にて染色されたが、正常膵組織は染色されなかった。93例中85例 (91.4%) においてJNKの活性化が認められた。次に、ヒト膵臓癌細胞株にけるJNKの活性化を検討した。ヒト膵臓癌細胞株におけるリン酸化JNKタンパク量をウェスタンブロッティングにて検討したところ、細胞株10種類中9種類(AsPC-1, BxPC-3, Capan-1, CFPAC-1, Hs766T, KP-4, MiaPaCa-2, Panc-1, SU8686) の細胞株において活性化が認められた。

JNKが腫瘍細胞の増殖に与える影響について検討するため、JNKを様々な方法で阻害する実験を行った。まずJNKの活性化が認められたヒト膵臓癌細胞株のうちK-Ras遺伝子が野生型のものであるBxPC-3, 変異型であるKP-4に対してJNK1, 2に対するsiRNAを用いてJNKシグナルを阻害し、その効果を検討した。いずれの細胞株においても、JNK1 あるいは JNK2 に対するsiRNA (JNK1siRNA, JNK2siRNA)をトランスフェクトした細胞はcontrol siRNAをトランスフェクトした細胞と比較して増殖が有意に抑制された。また、JNK1に対するshRNAを発現するレンチウイルスをBxPC-3に感染させる実験も行い、siRNAと同様に増殖が抑制される結果を得た。BxPC-3、KP-4いずれの細胞株においても、JNK1siRNA、JNK2siRNAをトランスフェクトした細胞は共に増殖を強く抑制された。JNK1siRNA, JNK2siRNA 両方をトランスフェクトすると、さらに増殖が抑制された。

次にJNK阻害剤SP600125がヒト膵臓癌細胞株の増殖に与える影響を検討するため、SP600125をBxPC-3、KP-4に様々な濃度で投与し、増殖阻害効果を測定した。いずれの細胞株においても、増殖はSP600125の濃度に依存して抑制された。また、ウェスタンブロッティングにて50μMのSP600125投与によりリン酸化JNK, リン酸化c-Junが低下することを確認した。また、Cyclin D1の低下もいずれの細胞株においても観察された。

ヒト膵臓癌細胞株の細胞周期におけるJNKの役割について検討を加えるため、フローサイトメトリーを用いてJNK阻害時の細胞周期の変化を計測した。JNK1siRNAもしくはJNK2siRNAをトランスフェクトしたBxPC-3細胞は、control siRNAをトランスフェクトした細胞と比較してG0/G1期に有意に高い割合で細胞が認められた。

次に、JNK阻害による増殖抑制と細胞周期制御の機序について検討を行った。BxPC-3, KP-4細胞株を用いて、増殖、細胞周期制御に関わる因子についてウェスタンブロッティングにて検討したところ、JNK1siRNAあるいはJNK2siRNAをトランスフェクトした細胞において、cyclin D1の減少が認められた。

次に膵臓癌細胞株におけるJNK活性化の機序について検討した。変異型K-Ras遺伝子は膵臓癌に高率に認められる変異であるため、変異型K-RasのJNK活性化への関与について検討を行った。野生型のRas遺伝子、もしくは変異型のRasG12V遺伝子をBxPC-3, KP-4にプラスミドベクターを用いて強制発現させ、ウェスタンブロッティングにてリン酸化JNKの発現を検討したところ、変異型のRasG12V遺伝子を強制発現させた細胞では、野生型に比べてリン酸化JNKの発現量が増加していた。

膵臓癌におけるJNK活性化をin vivo で検討するために、マウスの膵臓癌組織におけるJNKの活性化を免疫染色、ウェスタンブロッティングにて検討した。膵臓癌組織はKrasG12D+Tgfbr2KO マウスから、PanIN組織はKrasG12D マウスから、正常膵組織は野生型マウスからそれぞれ採取した。抗リン酸化JNK抗体にて免疫染色を行った結果、正常膵組織に比べて膵臓癌組織において明らかにリン酸化JNKの増加が認められ、PanIN組織でもリン酸化JNKの増加が認められた。ウェスタンブロッティングでもリン酸化JNKの増加について同様の結果が認められた。c-Junの活性化もリン酸化JNKと同様に段階的に増強する傾向が認められたが、ERKの活性化はPanINと膵臓癌組織では同程度であった。

ここまでの結果から、JNK標的療法は膵臓癌の治療となりうると考えられたため、KrasG12D+Tgfbr2KO マウスにSP600125を腹腔内投与してin vivoでの治療効果を検討した。治療後に取り出された膵臓をH&E染色で観察したところ、対照群では膵の86.6%が腫瘍で占められているのに対し、SP600125投与群においては44.8%に縮小が認められた。また、ATP競合的なJNK阻害機序を持つSP600125とは異なり、JNKに結合することで基質との相互作用を阻害する効果を持つペプチド型JNK阻害剤であるD-JNKI1をモデルマウスに投与したところ、同様の傾向が認められた。

次に採取したマウスの膵組織におけるリン酸化JNK、c-Jun、cyclin D1、PCNAの発現を免疫染色にて検討したところ、SP600125を投与されたマウスの膵臓癌組織においていずれも発現減少が認められた。ウェスタンブロッティングにおいても、SP600125投与群マウスの膵臓癌においてリン酸化JNK、リン酸化c-Jun、cyclin D1の減少が認められた。またTUNEL染色とCK-19の二重染色では、SP600125を投与したマウスの膵臓癌組織中のアポトーシス細胞の数には変化が見られなかった。

次にSP600125の投与によるKrasG12D+Tgfbr2KO マウスの生存延長効果について検討した。生存期間はSP600125投与群において72.6±19.1日であり、対照群の58.5±5.6日と比べて有意に延長した(p=0.036, log-rank test)。これらの結果から、SP600125を用いたJNK阻害はマウスモデルの膵臓癌の発生、増殖を抑制し生存を延長する効果を持つことが示され、JNK阻害が膵臓癌の治療標的となりうることが示唆された。

KrasG12D+Tgfbr2KOマウスの膵臓癌組織を用いて血管内皮マーカーであるvWFについて免疫染色を行ったところ、SP600125投与群マウスの膵臓癌組織は、対照群のものに比べて血管密度が減少しており、JNK阻害が血管新生に影響を与える可能性が示唆された。この点について検討するため、腫瘍細胞が出すサイトカイン、増殖因子に着目した。SP600125を投与したKP-4細胞の上清中のサイトカインをcytokine antibody array (RayBiotech)を用いて対照と比較した。SP600125添加によって減少が認められたサイトカインには、interleukin-8 (IL-8), growth related oncogene α (GROα), vascular endothelial growth factor (VEGF), monocyte chemotactic protein-1 (MCP-1)といった血管新生に関わるとされるものが多く認められたため、SP600125で処理したKP-4の上清を用いてHUVECを培養し、血管新生効果について検討した。毛細血管の枝分かれの数は、SP600125で処理したKP-4の上清を用いた場合の方が、対照群に比べて有意に減少が認められた。

これらの結果から、JNK阻害は膵臓癌において、サイトカインの制御による血管新生阻害効果を持つことがin vitro、 in vivoで示された。

結語

JNKは膵臓癌の増殖、血管新生に重要な役割を有し、JNK経路は膵臓癌の治療標的となりうる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は多様な機能を持つMitogen-activated protein kinase (MAPK)ファミリーの一つであるc-Jun NH2-terminal kinase (JNK)の膵臓癌における役割を明らかにするため、ヒト膵臓癌細胞株を用いた検討に加えて遺伝子改変マウスによる膵臓癌モデルを用いて、JNKが膵臓癌の増殖に与える影響や、JNK阻害によって得られる治療効果についての検討を行ったものであり、下記の結果を得ている。

1.ヒト膵臓癌組織アレイにおいて免疫染色にてJNKの活性を検討したところ、93例中85例 (91.4%)においてJNKの活性化が認められた。ヒト膵臓癌細胞株においても10種類中9種類の細胞株においてウェスタンブロットでJNKの活性化が認められ、ヒト膵臓癌においてJNKの活性化が高率に認められることが示された。

2.膵臓癌細胞株(BxPC-3, KP-4)に対してsmall interfering RNA (siRNA) を用いてJNK1、JNK2それぞれをノックダウンしたところ、いずれも増殖抑制効果が認められた。またJNK1に対するshort hairpin RNA (shRNA) を発現するレンチウイルスをBxPC-3細胞に感染させる実験も行い、増殖抑制を認めた。 JNK阻害剤の投与によっても濃度依存的にBxPC-3, KP-4の増殖が抑制された。

3.siRNAによってJNKを阻害したBxPC-3, KP-4細胞株においてフローサイトメトリーを用いて細胞周期の変化を調べたところ、JNK1, JNK2を阻害した細胞株いずれにおいてもG0/G1期細胞の増加が認められた。さらに同じ条件の細胞において細胞周期関連のタンパクの発現をウェスタンブロットにて検討したところ、cyclin D1の減少が認められた。

4.変異型のRas遺伝子を膵臓癌細胞株BxPC-3, KP-4に対して強制発現させ、JNKの活性について野生型のRas遺伝子を強制発現させた細胞株と比較した結果、変異型のRasを発現させた細胞株においてJNKの活性増加が認められた。

5.膵特異的にtransforming growth factor β (TGFβ) 2型受容体(Tgfbr2)をノックアウトし、同時に変異型K-Ras (KrasG12D)を発現させた遺伝子改変マウスであるpancreatic transcription factor-1a(Ptf1a)cre/+;Lox-Stop-Lox(LSL)-KrasG12D/+;Tgfbr2flox/flox マウス(KrasG12D+Tgfbr2KO マウス)は膵臓癌のモデルとして知られており、またPtf1acre/+;LSL-KrasG12D/+ マウス(KrasG12D マウス)はPancreatic intraepitherial neoplasia (PanIN) と呼ばれる前癌病変を発生することが知られている。これらのマウスの膵組織におけるJNKの活性を免疫染色、ウェスタンブロットにて検討したところ、野生型マウスの正常膵組織ではJNKの活性化が認められなかったのに対しPanIN及び癌組織においてはJNKの活性化が認められた。

5.KrasG12D+Tgfbr2KO マウスに対してJNK阻害剤SP600125を4週間投与し膵組織を対照群と比較したところ、H&E染色において膵全体に占める腫瘍の面積が対照群86.6%からSP600125投与群44.8%へと縮小が認められた。JNK阻害剤D-JNKI1を投与した場合にも同様の傾向が認められた。またSP600125を投与したマウスの膵腫瘍組織においては免疫染色にてcyclin D1やPCNAの発現が減少していた。一方transferase-mediated dUTP nick end labeling (TUNEL) 染色とCytokeratin-19の二重染色において、アポトーシス細胞の数はSP600125投与群と対照群の間に差は認められなかった。またKrasG12D+Tgfbr2KO マウスにSP600125を投与し続けたところ、生存期間が対照群の58.5日に対してSP600125投与群72.6日と延長が認められた。

6.KrasG12D+Tgfbr2KO マウス膵組織を用いて血管内皮細胞マーカーであるvon Willebrand factor に対する免疫染色を行ったところ、JNK阻害剤SP600125投与群において腫瘍中の血管数の減少が認められた。サイトカインアレイを用いてKP-4細胞株の上清中のサイトカインを検討したところ、SP600125投与によってinterleukin-8, growth related oncogene α (GROα), vascular endothelial growth factor (VEGF) といった血管新生に関わるサイトカインの減少が認められた。SP600125で処理したKP-4の上清を用いてヒト血管内皮細胞を培養したところ、対照群と比較して毛細血管形成の減少が認められた。

以上、本論文はJNKが膵臓癌の増殖、血管新生に重要な役割を有しており、JNK経路が膵臓癌の治療標的となりうることを示した。本研究はこれまで明らかにされていなかった、膵臓癌におけるJNKの機能解明について重要な貢献をなすとともに、膵臓癌に対する新たな治療法の確立へ貢献すると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク