学位論文要旨



No 128235
著者(漢字) 中田,和智子
著者(英字)
著者(カナ) ナカタ,ワチコ
標題(和) 進行胃癌に対するプロテアソーム阻害薬の効果に関する検討
標題(洋)
報告番号 128235
報告番号 甲28235
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3894号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 瀬戸,泰之
 東京大学 准教授 野村,幸世
 東京大学 准教授 池上,恒雄
 東京大学 特任准教授 加藤,直也
 東京大学 講師 熊野,恵城
内容要旨 要旨を表示する

切除不能進行胃癌は化学療法による予後の改善が報告されているが、5年生存率は依然として10%に満たない難治癌の一つである。近年、従来から化学療法に用いられてきた薬剤に加え、新規治療薬として分子標的薬が注目されている。胃癌に対する分子標的薬としては近年、抗HER2受容体抗体による分子標的薬がその有用性を認められ臨床応用が開始されたが、その他の分子標的薬に関しては臨床的な有用性を認めるには至っていない。化学療法を継続する際に腫瘍の薬剤耐性獲得が少なからず障害となるため、その点からも使用可能な薬剤の種類はより多様であることが望まれる。

そこで、本研究では、切除不能進行胃癌に対する新規治療薬の候補の一つとして、プロテアソーム阻害薬の一つであるbortezomibに注目し、切除不能進行胃癌に対する新規治療薬としての可能性について、胃癌細胞株を用いてin vitro, in vivoで検討した。

まず、in vitroで、胃癌細胞株に対するbortezomibの増殖抑制効果に関する検討を行った。10nMの濃度のbortezomibに感受性を有する細胞株は2種類であったが100nMの濃度では検討に用いた7種類全ての細胞株に対し細胞増殖抑制効果を認めた。胃癌細胞株におけるbortezomibによる抗腫瘍効果は、細胞増殖抑制効果の他、NF-κBの核移行が抑制されることで細胞死が誘導される可能性が考えられるため、bortezomibで刺激した胃癌細胞株のタンパクを用いてウエスタンブロットを行った。cleaved caspase3が検出され、アポトーシスが誘導されていることが示唆された。

NF-κBの抑制は、bortezomib投与時のアポトーシスの誘導において主な機序として知られている。そこで、今回の検討に用いた胃癌細胞株7種類で、リン酸化IκBαの発現をウエスタンブロットで検出し、定常状態におけるNF-κBの活性化レベルを検討した。胃癌細胞株のうち、低濃度(10nM)のbortezomibに対しても感受性を示した細胞株と、リン酸化IκBαの発現が低下している細胞株が一致していた。定常状態におけるNF-κBの活性化レベルは、胃癌細胞株におけるbortezomibへの感受性に関与している可能性があると推測し、リン酸化IκBαの発現が低下している細胞株の一つ、胃癌細胞株AGSにおいて、IκBαの主要なキナーゼの一つであるIKKβを強制発現させた上でbortezomibを投与し、細胞数の変化を観察した。胃癌細胞株AGSにおけるbortezomib投与による細胞増殖抑制効果は、IKKβを強制発現した細胞株において減弱し、NF-κBの活性化レベルは、より低濃度のbortezomibに対する感受性と逆の相関を示す可能性が示唆された。

癌細胞において、NF-κBの抑制を介してアポトーシスが惹起される際、活性酸素(reactive oxygen species 以下ROS)の発生が関与していることが知られている。bortezomib投与によりアポトーシスが生じる際にこれらの機序が関与しているかどうか検討するために、bortezomib投与後の胃癌細胞株において、ROSの発生を、フローサイトメーター及び蛍光染色を用いて検出した。胃癌細胞株MKN45, NCI-N87においてbortezomib投与後にROSの増加が確認された。

ROSの発生が関与する細胞死にはJNKの活性化が介在していることが知られている。同様の機序が関与しているか観察するため、胃癌細胞株AGSを用いて、bortezomib投与後のJNKの活性化の有無をウエスタンブロットで検討した。controlと比較してbortezomib投与後にJNKが活性化している様子が観察された。更に、同細胞株において、JNK1のsiRNAをトランスフェクションすることによりJNKの機能をノックダウンすると、controlと比較し、bortezomib投与後にみられるcleaved caspase3が減少しており、細胞死が抑制されることが示唆された。

細胞増殖に関してmitogen activated protein キナーゼ(以下MAPキナーゼ)、中でもErk1/2の活性化が重要な役割を果たしていることが知られている。また、この経路のMAPキナーゼの脱リン酸化酵素(以下MKP)は恒常的にプロテアソームで分解されており、プロテアソームの阻害により増加することが知られている。従って、bortezomibの投与によりMKPが増加し、MAPキナーゼの脱リン酸化が亢進し、MAPキナーゼのシグナルが抑制されることが予測される。胃癌細胞株NCI-N87を用いて、bortezomib投与下におけるErkの発現の有無について観察したところ、controlと比較してbortezomib投与後にErk1/2のリン酸化は12時間以降で著明に抑制された。Total Erk1/2は増減せず、上流のキナーゼであるMEKやリン酸化MEKの量にも有意な変化が見られていないため、bortezomibがこれらに関与することなく、MKPを介してリン酸化Erk1/2の低下に寄与しているものと考えられ、リン酸化Erk1/2の持続的な脱リン酸化が関与しているものと推測された。

bortezomibの生体内での抗腫瘍効果を検討するため、BALB/cAJcl-nu/nuマウス(ヌードマウス)にヒト胃癌細胞株MKN45, NCI-N87を皮下移植し作成した異種移植モデルにおいてbortezomibは増殖抑制効果を示した。異種移植モデルにおいて、bortezomib投与後24時間後に皮下腫瘍結節を採取しTUNEL染色を行ったところin vitroの結果と同様にbortezomibを投与した結節においてTUNEL陽性細胞を認め、bortezomib投与により約3から6倍のアポトーシスの増加を認め、bortezomibはヒト胃癌細胞株による異種移植モデルにおいて、抗腫瘍効果を有すると考えられた。

bortezomibの胃癌に対する抗腫瘍効果に関しては、これまでにin vitroでの検討が報告されており、作用機序として、NF-κBの抑制の他、Erk、Aktシグナルなどの増殖シグナルの抑制、サイクリン依存性キナーゼ抑制因子であるp21やp27の増加による細胞周期停止、アポトーシス抑制活性を有するBcl-2の減少と、逆にアポトーシスが誘導される際に増加するBaxの増加等が報告されている。

本研究のin vitroの検討では、既報で用いられていない6種類の胃癌細胞株を含む計7種類の胃癌細胞株に対し、bortezomibの抗腫瘍効果が認められた。作用機序としてはROSの産生やJNKの活性化に続くアポトーシスの誘導ならびにErkの抑制に伴う増殖抑制が示唆された。ROSの産生やJNKの活性化に続いてアポトーシスが誘導されることについては、血液腫瘍細胞を用いた検討において既に報告されているが、胃癌細胞においては報告されておらず、本研究で示すことができた。従来からbortezomibの作用機序として知られているNF-κBの抑制効果に関し、NF-κB阻害剤を用いてNF-κBシグナルを抑制する検討は行っていないが、既に挙げた2つの機序と併せて、いずれのシグナルを活性化もしくは抑制することが抗腫瘍効果においてより重要かを考察することは、bortezomibに対する感受性が高い臨床群の選別に関連するという意味で臨床的にも重要であると思われる。

その一方で、bortezomibの濃度を臨床的に使用される際の血漿中濃度に近い濃度である10nMとした際にみられた胃癌細胞株間の細胞生存率の差異は、今回抗腫瘍効果に関与すると考えられたNF-κB、ROS/JNK、Erkシグナルのみで説明することは困難であると思われた。更に胃癌細胞株の分化度の差異も感受性の差異とは相違していた。今回未検討の領域において何らかの要因が存在する可能性は否定できない。多発性骨髄腫の検討では、抗腫瘍効果の機序として増殖シグナルの抑制や抗アポトーシス等の他に、骨髄腫細胞と骨髄間質細胞間の接着、骨髄間質細胞からのサイトカイン分泌による骨髄腫細胞の増殖抑制等の作用も重要であるとする報告があり、胃癌細胞において同様の機序が存在するか否かに関する検討は有用である可能性があると考えられる。その他、DNAマイクロアレイなどの網羅的な手法を取り入れた検討が有効である可能性が考えられる。

bortezomib以外のプロテアソーム阻害薬には複数の薬剤が知られているが、一例としてMG132においては、アポトーシス、細胞周期停止等、bortezomibと類似の作用機序の他、Erk、Aktシグナルは活性化するとする逆の結果が報告されている。その点でbortezomibは従来のプロテアソーム阻害薬も有するアポトーシス、細胞周期停止等の効果に加え、ErkやAktシグナルの活性化を抑制する効果も有し、かつ人体に投与可能な薬剤であり、より優れた薬剤であると言える。

また、Erkの抑制に伴う増殖抑制については血液腫瘍細胞を用いた検討、胃癌細胞を用いた報告と同様の結果であり、その作用機序としてMKPの増加が考えられる。MKPのうちMKP1はJNKの活性化を抑制し、アポトーシス誘導に拮抗するとする報告もみられるが今回の検討ではbortezomib投与によりErkのリン酸化は抑制されている一方、JNKのリン酸化は亢進していた。胃癌細胞におけるMKPの誘導の有無および機能についての検証は今後の課題と考えられる。

今回のin vivoの検討ではbortezomibは単剤でも胃癌細胞株を異種移植した皮下腫瘍に奏功する結果を示したが、既報ではin vitroで5-fluorouracil, paclitaxel, doxorubicin, SN-38やdocetaxelとの併用で単剤を上回る有効性が報告されていること、臨床的には分子標的薬は標準的な化学療法との併用で用いられることが多いことを考慮すると、今後、in vivo でも5-FUやcisplatin、capecitabine、paclitaxel、docetaxel等の薬剤との併用による効果を検討することは有意義であると思われる。更に、今回は皮下に作成した異種移植モデルを用いた評価のみを行ったが、臨床的に化学療法の適応となる進行胃癌に多くみられる、転移性病変を有するような動物モデルを用いた検討も今後の課題と考えられる。

その根拠として、近年海外から報告された進行胃癌に対するbortezomib単剤の効果に関する2例のphase II臨床試験が、いずれも否定的な結果であったことが挙げられる。臨床試験の結果に関しては慎重な評価を行うことも重要であるが、既報及び今回の検討の結果と解離していることに関しては、検討で用いられているbortezomibの濃度が、臨床的に使用される濃度と比較し高濃度の傾向にあることも一因と考えられ、今後のin vitro、in vivoの検討を臨床的な条件により近づけて行う必要があると思われる。その際には、in vitroで腫瘍細胞に有用である濃度のbortezomibが正常胃粘膜細胞に対し及ぼす影響に関する検討も、臨床応用を考える上で重要である。今後は臨床的にbortezomib単剤が非有効である要因についての検討を進める必要があると考えられる。

以上より、bortezomibはin vitro, in vivoで検討に用いた全ての胃癌細胞株に対し抗腫瘍効果を認め、ROSの産生やJNKの活性化に続くアポトーシスの誘導、Erkの抑制に伴う増殖抑制に起因すると考えられた。また、今回の検討では胃癌細胞株のbortezomibに対する感受性の決定には多因子が関与している可能性が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は切除不能進行胃癌に対する新規治療薬の候補の一つとして、プロテアソーム阻害薬の一つであるbortezomibに注目し、切除不能進行胃癌に対する新規治療薬としての可能性について、胃癌細胞株を用いてin vitro, in vivoで検討を行い、下記の結果を得ている。

1.in vitro, in vivoで、胃癌細胞株に対するbortezomibの増殖抑制効果を確認した。

2.胃癌細胞株に対するbortezomibの増殖抑制効果は、ROSの産生やJNKの活性化に続くアポトーシスの誘導、Erkの抑制に伴う増殖抑制に起因することを示した。

3.in vitroでbortezomibの濃度を臨床的に使用される際の血漿中濃度に近い濃度である10nMとすると、胃癌細胞株間で細胞生存率に差異を認めたが、今回抗腫瘍効果に関与すると考えられたNF-κB、ROS/JNK、Erkシグナルのみで説明することは困難であると思われた。更に胃癌細胞株の分化度の差異も感受性の差異とは相違していた。胃癌細胞株のbortezomibに対する感受性の決定には多因子が関与している可能性が示唆された。

以上、本論文は胃癌細胞株に対するbortezomibの抗腫瘍効果を複数の胃癌細胞株を用いてin vitro, in vivoにおいて示唆し、また細胞株間の感受性の差異について考察を行った。本研究は、切除不能進行胃癌に対する新規治療薬の検討に関する研究として学位の授与に値するものと考えられる。

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