学位論文要旨



No 128241
著者(漢字) 細井,雅孝
著者(英字)
著者(カナ) ホソイ,マサタカ
標題(和) 血液疾患細胞由来iPS細胞(人工多能性幹細胞)の樹立とその解析
標題(洋)
報告番号 128241
報告番号 甲28241
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3900号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,孝喜
 東京大学 准教授 井田,孔明
 東京大学 特任准教授 菱川,慶一
 東京大学 教授 宮川,清
 東京大学 講師 滝田,順子
内容要旨 要旨を表示する

序文

人工多能性幹細胞(Induced Pluripotent Stem; iPS細胞) は近年、複数の転写因子を導入することで胎児幹細胞(Embrionic Stem; ES細胞)様の細胞として作成可能であることが示された、胚の内部細胞塊に相当する未分化性と多分化能を有する人工細胞である。iPS細胞の特長として、胚性幹細胞(ES細胞)と同様に無制限に培養増殖可能であること、多系統の細胞への分化能を有しており望む細胞に分化誘導できることが挙げられる。iPS細胞は、樹立当初から疾患由来iPS細胞の利用による疾患モデル形成への応用が期待されていた。これまでにもiPS細胞の技術を用いた疾患モデル形成が盛んに行われており、実際に遺伝性疾患を始めとして疾患由来iPS細胞樹立の報告が多数出てきている。成人の血液疾患におけるiPSを用いた疾患モデルの作成可能性についても真性多血症由来のiPS細胞が疾患の特徴を有していたという報告が1つあること、また悪性黒色種や慢性骨髄性白血病の細胞株からの樹立が報告されていることから疾患由来iPS細胞の樹立は報告が少なく困難が予想されるものの可能であるものと思われた。

今回研究対象とした血液疾患である骨髄線維症は骨髄の線維化、髄外造血とそれによる肝臓・脾臓の腫大、末梢血白血球において幼弱な細胞が出現する左方移動や赤芽球の出現、血小板の減少を呈することで知られるまれな後天性疾患である。主に白血病への進展により原発性骨髄線維症の診断後の予後は中央値4-7年とされるが、現在のところ予後を改善することのできる確立した治療は造血幹細胞移植のみで、病態の解明と新たな治療法の開発が喫緊の課題となっている。疾患の本体は骨髄細胞の腫瘍性増殖により、他の後天性血液疾患と同様に患者骨髄細胞の研究が重要となるが、採取には侵襲が伴うこと、骨髄の線維化に伴い採取が困難であることから入手には限界がある。

これらのことから本研究では難治性疾患である骨髄線維症患者細胞のリプログラミングによるiPS細胞の樹立を行い、血球への再分化を行うことで疾患モデルの構築を行った。また再分化した血球の解析を行い、骨髄線維症患者由来iPS細胞が疾患の特徴を保っているかどうかの検討を行った。

方法と結果

本研究におけるヒト細胞を用いた全て研究は東京大学の倫理委員会の審査と承認(承認番号2771)を得た上で行った。まず骨髄線維症患者に書面にてインフォームドコンセントを得た上で末梢血を採取した。患者末梢血から抗ヒトCD34-polyerythrin (PE)抗体、抗PEビーズ、AUTO MACSを用いてCD34陽性分画を濃縮した。得られた患者末梢血CD34分画を増殖刺激サイトカイン(SCF, TPO, IL-3, IL-6, FLT3L)を加えた前培養にて刺激した後に高濃縮VSV-GレトロウイルスによりKLF4, c-MYC, OCT4, SOX2を導入した。p53ノックダウンを行う場合はこのときにp53ノックダウンレンチウイルスベクターも同時に感染させた。感染開始3日後にマイトマイシンCにて処理したマウス胎仔線維芽細胞(MEF)上に感染させた患者血球を播種した。感染開始5日後よりヒストン脱アセチル化酵素阻害薬であるバルプロ酸を加えたヒトリコンビナントb-FGF入りのiPS培地に全量置換して、以後は培地交換を行いながら培養を継続した。感染開始後20日以降にヒトES細胞様の単層コロニーの出現を認め、これをコロニー(クローン)ごとに別の新たにマイトマイシンC処理をしたMEFを用意して物理的に回収・播種した。当初p53ノックダウンを恒常的に行い2クローンを樹立、また後にp53ノックダウンを行わない方法にて患者細胞由来iPS細胞(MF-iPS)を11クローン樹立した。恒常的にp53をノックダウンすることによる解析への影響を懸念して、以後の実験はp53ノックダウンを行わない方法により樹立されたクローンで行った。

MF-iPSは単層のコロニーを形成しており、形態的にヒトES細胞に類似していた。樹立されたMF-iPSのおよそ半数のゲノムにおいてはアリル特異的PCRにて疾患特異的変異であるJAK2 V617F変異を検出し、正常のJAK2 アリルを検出しなかった。残りのおよそ半数のクローンは正常JAK2アリルのみを検出した。この結果はシークエンスにても同様でホモでJAK2 V617F変異を有するクローンと正常JAK2アリルをホモで有するクローンが樹立されたと考えられた。MF-iPSは免疫染色にて未分化性のマーカーであるSSEA-4、TRA-1-60抗原を発現していた。またMF-iPSはRT-PCRにて同じく未分化性のマーカーとなるヒトESに発現を認める転写因子(KLF4、c-MYC、OCT3/4、SOX2、NANOG) の内因性発現を認めた。さらにMF-iPSにおいてNANOGプロモーター領域のCpGアイランド領域のメチル化を評価したところ低下しており、リプログラミングによる脱メチル化を示唆していた。さらにMF-iPSはNOD-SCIDマウス精巣内に奇形腫を形成した。ヘマトキシリン・エオジン(HE)染色にてミクロ像を確認したところ、この奇形腫は内胚葉、中胚葉、外胚葉に分化した部分を有し、MF-iPSが多分化能を有することが確認された。

またMF-iPS細胞の血球分化をiPS-Sac法によって行った。この方法は、胚様体による方法よりも高効率に血液前駆細胞を生産すると報告されている方法で、血球保持能を有するフィーダー上にiPS細胞を播種、VEGF存在下に培養することで約2週間後に血球前駆細胞に相当する細胞を得られるとされる方法である。MF-iPSをこの方法で分化開始の14日目にiPS細胞は血球様細胞を含んだ袋状の構造を形成し、位相差顕微鏡にて血球産生を確認できた。これらからピペッティングにより回収した血球様細胞は汎血液細胞マーカーCD45および血液前駆細胞マーカーであるCD34を発現しており、実際に血液前駆細胞に相当するものと考えられた。MF-iPSのうち、特にJAK2 V617Fホモ陽性株は、この系において正常iPSと比して血球前駆細胞を多く産生した。これらの前駆細胞は半固形培地上で顆粒球・マクロファージを主とする血球コロニーの形成能を有したが、MF-iPSから産生された血球前駆細胞はコロニー形成能が正常iPS由来前駆細胞より有意に劣っており、割合としては未分化な血球成分の割合が減少していることが示唆された。またMF-iPS細胞に由来する血球前駆細胞は、臍帯血由来iPS細胞に由来する血球前駆細胞と比して骨髄球系マーカーCD33をより強く発現し、赤芽球系への分化能はより低下していた。

考察

今回本研究では骨髄線維症患者細胞に由来するiPS細胞を樹立することに成功した。樹立されたMF-iPS細胞は形態、増殖能、未分化性、多分化能からiPS細胞に相当するものと確認できた。樹立に当たっては、レトロウイルスによるKLF4、c-MYC、OCT4、SOX2の4因子の導入に効率性を高めるためにバルプロ酸およびp53ノックダウンを使用した。後には前述の4因子に加えてバルプロ酸を用いるのみで樹立に成功しており、今回の骨髄線維症患者の細胞は急性白血病などに比べてiPS細胞へのリプログラミングにおける障害が少なかったことが考えられた。樹立に当たって用いたレトロウイルスベクターは簡便で高効率であるが、特にレトロウイルスが導入時にゲノムに挿入され、ゲノム内に残存し続けるという性質およびがん遺伝子でもあるc-MYCの使用が問題とされる。そのため今回初めて骨髄線維症患者細胞からiPSを樹立するに当たっては採用したものの、今後その影響を排除した研究の必要性によっては、エピゾーマルベクターやセンダイウイルスなどのゲノムを修飾しない方法による樹立も行う必要があると考えた。

骨髄線維症は造血幹細胞レベルにおける腫瘍性疾患として知られており、複数の遺伝子変異やエピゲノムの異常が蓄積して疾患を形成すると考えられている。今回の症例は、真性多血症からの2次性骨髄線維症であり、徐々に異常な増殖性・優位性を獲得したクローンが割合を増やしていく過程にあると考えられ、その場合には骨髄・末梢血中には疾患の進展の経過をたどるようにさまざまなクローンが混合していることが考えられた。iPS樹立においては感染後の細胞を適切な濃度で播種することにより、単一のコロニーとしてリプログラミングされたクローンが回収可能であると考えられることから、今回の樹立されたMF-iPSがホモでJAK2 V617F変異を有するiPS細胞と正常JAK2アリルをホモで持つiPS細胞がおよそ半数であったという結果はJAK2 V617Fをホモで有するクローンが元の患者末梢血中に多数存在すること、ヘテロでJAK2 V617Fを有するクローンは逆に少ないことを示唆しているものと思われた。

今回樹立したMF-iPSは血球に分化させるときに特にV617Fホモクローンで優位に血球産生能がより高かった。他方、産生された血球のコロニー形成能は有意に低かった。またMF-iPS細胞から産生された血球は骨髄球系のマーカーを臍帯血iPS由来前駆細胞と比してより高発現し、赤芽球系細胞への分化能が劣っている結果であった。この結果は、サイトカイン非依存性に増殖が亢進し、成熟した細胞まで分化は問題なく起こるJAK2 V617F陽性骨髄増殖性疾患の特徴や、コロニー形成能の低下、骨髄球系へ偏りを呈する骨髄線維症末梢血幼弱細胞の性質を一部反映しており、MF-iPS細胞を分化誘導して得られる血球前駆細胞は、元の疾患の特徴を一部反映しているものと考えられた。

結論

今回の研究では、初めて骨髄線維症(MF)患者細胞からのiPS細胞(MF-iPS)の樹立に成功した。MF-iPS細胞は正常細胞由来のiPS細胞やES細胞同様に未分化性と多分化能を有していた。MF-iPS細胞は血球に再分化可能であり、血球への再分化時に疾患の特徴を一部再現していると考えられることから、疾患モデルとしての応用が期待できると考えた。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は成人の難治性血液疾患である骨髄線維症の疾患モデル構築を行うため、2次性骨髄線維症患者細胞を人工多能性幹細胞(iPS細胞)へとリプログラミングを行い再分化する系を確立したものであり、下記の結果を得ている。

1. JAK2V617F変異が陽性の2次性骨髄線維症患者細胞より初めてiPS細胞を樹立し、その未分化性・多分化能を確認した。具体的には2次性骨髄線維症患者末梢血にレトロウイルスによるKLF4、C-MYC、OCT4、SOX2の4因子を導入し、樹立期にバルプロ酸を加えることでiPS細胞を樹立した。形態学的な評価、未分化マーカーとなる転写因子(内因性KLF4、内因性c-MYC、内因性OCT4、内因性SOX2、NANOG)のmRNA発現評価、NANOGのゲノムプロモータ領域の脱メチル化、未分化マーカーとなる表面抗原(TRA-1-60、SSEA-4)の免疫染色での確認、NOD-SCIDマウスにおける奇形腫形成能の評価を行ったところ、樹立した骨髄線維症患者由来iPS細胞(MF-iPS細胞)は既報の疾患由来iPS細胞、正常細胞由来iPS細胞、ヒトES細胞と同等の未分化性/を示した。

2. MF-iPS細胞におけるJAK2 V617F変異を確認したところ、約半数でJAK2 V617F変異をホモで保持していることが示された。

3.MF-iPS細胞がiPS-Sac法により血球に再分化可能であることを示された。iPS-Sac法による血球再分化時に、JAK2 V617F陽性クローンはJAK2正常型クローンに比べ有意に血球産生能が高いことが示された。またMF-iPS細胞に由来する血球前駆細胞は正常臍帯血由来iPS細胞と比してコロニー形成能が有意に劣ること、骨髄球系マーカーをより強く発現することを示した。MF-iPS細胞に由来する血球前駆細胞は臍帯血由来iPS細胞に由来する血球前駆細胞と比して赤芽球系への分化能に劣ることも示された。

以上、本論文は難治性血液疾患由来iPS細胞の初めて作成に成功し、血球への再分化により疾患iPS細胞を用いた疾患モデルの作成を行った。本研究はこれまで患者細胞の利用が困難であった難治性疾患において患者細胞による研究を可能とすることで、病態の解明や治療法の解明に貢献しうるものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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