学位論文要旨



No 128242
著者(漢字) 宮林,弘至
著者(英字)
著者(カナ) ミヤバヤシ,コウジ
標題(和) 膵発癌モデルマウスを用いたゲムシタビンとエルロチニブの併用効果の検討
標題(洋)
報告番号 128242
報告番号 甲28242
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3901号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森屋,恭爾
 東京大学医科学研究所 教授 村上,善則
 東京大学医科学研究所 准教授 内丸,薫
 東京大学医科学研究所 准教授 高橋,聡
 東京大学 准教授 渡部,徹郎
内容要旨 要旨を表示する

【目的】ヒト切除不能膵癌に対する化学療法の第一選択はゲムシタビンであり、以後数々の臨床試験がなされてきたが、それを凌駕する治療法は確立されていない。その中でゲムシタビンとEpidermal growth factor receptor(EGFR)阻害剤エルロチニブの併用療法はゲムシタビン単独と比較して2週間と僅かながら生存期間の有意な延長が認められ、本邦でもごく最近、膵癌に対する保険適用薬剤として承認されたところである。一方、EGFR阻害剤の効果予測因子としては、大腸癌ではKRAS変異陽性例ではEGFR阻害剤は無効であることがわかっており、非小細胞肺癌ではEGFR活性化変異のある症例で効果があることがわかっているが、膵癌ではKRAS変異が90%以上に存在し、またEGFR活性化変異がまれであることから、膵癌におけるエルロチニブの効果の詳細は分かっていない。当研究室では、これまでにヒト膵癌のモデルとなる内因性KrasG12D発現+Tgfbr2ノックアウトモデルを報告してきた。本研究ではこのモデル用いて、ゲムシタビンとエルロチニブの併用効果について検討した。

【方法】膵発癌モデルマウスは3種の独立した遺伝子改変マウス、Tgfbr2(flox/flox)、Ptf1a-Cre、LSL-Kras(G12D/+)、の交配により、目的の遺伝子型Ptf1a-Cre; LSL-Kras(G12D/+); Tgfbr2(flox/flox)というマウスを作成した。この膵発癌モデルマウスは臨床的にも病理学的にもヒトの膵癌とよく類似しておりヒト膵癌の良いモデルと考えられる。このマウスに対し、ゲムシタビン単独、ゲムシタビン+エルロチニブ併用投与を行い生存期間を比較した。生後7週で膵組織を回収してリン酸化EGFR、リン酸化ERKなどの免疫染色を施行すると共に、膵組織の溶解液をWestern blotやリン酸化受容体型チロシンキナーゼ(RTK)アレイを用いて解析し、ゲムシタビンとエルロチニブが細胞内のシグナル伝達や受容体型チロシンキナーゼへ与える影響を検討し、作用機序の解明を試みた。In vitroの検討では内因性KrasG12D発現+Tgfbr2ノックアウトモデルから分離したマウス膵癌細胞K375、K399、内因性KrasG12D発現モデルから分離したマウスPanIN細胞K512、K518とマウス線維芽細胞K643fを用い、ヒト膵癌細胞はATCCから購入したAsPC-1、BxPC-3、Capan-1、CFPAC-1、SU8686を用いて検討した。ゲムシタビンとエルロチニブ投与時の細胞内シグナル伝達への影響をWesten blotで検討し、細胞周期をflow cytometryで検討した。ゲムシタビン投与時のEGFRリガンドのmRNAの発現を定量的RT-PCRで検討し、分泌量はEGF、Amphiregulin、TGF-aのELISA kitを用いて検討した。またゲムシタビン投与時のEGFR/ERBB2のヘテロダイマー形成の影響は免疫沈降法を用いて検討した。

【結果】膵発癌モデルマウスに各薬剤を投与して生存期間を比較すると、平均生存日数はコントロール群52.5日に対し、ゲムシタビン単独群が69日、ゲムシタビン+エルロチニブ併用群が74日とゲムシタビン単独でもコントロールに比較して有意に生存期間を延長したが、エルロチニブを併用することでさらに有意に生存期間が延長した。マウス膵組織の免疫染色でゲムシタビン単独群ではリン酸化EGFR、リン酸化ERKの活性が見られ、エルロチニブ併用群ではそれが抑制された。さらにマウス膵組織から回収したタンパク溶解液でWestern blotを施行し細胞内シグナル伝達を調べると、ゲムシタビン単独群ではリン酸化ERKの活性が見られ、エルロチニブ併用群ではそれが抑制された。またゲムシタビン単独群ではEGFRの発現が亢進し、エルロチニブ併用群では発現が抑制された。In vitroの検討で、まずKRAS変異のある膵癌細胞でもエルロチニブが増殖抑制効果を持つことを示し、Flow cytometryを用いて、エルロチニブが膵癌細胞に対してG1期停止を起こすことを示した。Western blotでKRAS変異のある膵癌細胞では既に下流のMAPKが活性化しているのであるが、EGFRからの刺激でMAPKシグナルがさらに活性化し、エルロチニブの投与でその活性化が抑制されることが示された。またin vivoの結果と同様に、膵癌細胞株を用いたin vitroの検討でもゲムシタビンの投与でリン酸化ERKが活性化し、エルロチニブの併用で抑制された。ゲムシタビンによるEGFR-MAPK 経路の活性化のメカニズムの解析のため、膵癌細胞株を用いてゲムシタビン投与時のEGFRリガンドのmRNAを定量的RT-PCRで検討すると、ゲムシタビンの投与でK375ではEgfとTgf-aが増加し、Capan-1とCFPAC-1ではEGF、Amphiregulin、TGF-aが増加した。マウス膵組織の溶解液でELISAを施行すると、ゲムシタビン投与群ではコントロール群に比較してAmphiregulin、Egfの分泌が増加していることを確認した。また受容体型チロシンキナーゼリン酸化アレイでは、EGFR高発現のゲムシタビン単独群でリン酸化ERBB2の活性化を認め、エルロチニブ併用でリン酸化ERBB2活性化が抑制された。マウス膵組織の溶解液で施行したWestern blotでも同じ結果が得られ、マウス膵組織の免疫染色では、ゲムシタビン投与群でERBB2の発現亢進を認め、エルロチニブ併用群で発現が低下していた。マウス膵癌細胞株K375を使用したin vitroの実験でもゲムシタビンの投与によりERBB2の発現、リン酸化ともに増強し、エルロチニブ併用投与でともに抑制された。さらにK375でEGFRの活性化に伴いEGFRとERBB2のヘテロダイマーが形成され、エルロチニブ併用でそれが抑制されることを免疫沈降法を用いて示した。エルロチニブの効果として間質細胞(線維芽細胞、好中球、マクロファージ)に対する影響の可能性も示唆されたが、in vitroの実験でゲムシタビンとエルロチニブはマウス膵線維芽細胞の細胞内シグナル伝達に影響を与えなかった。また治療したマウスの膵癌組織において好中球とマクロファージの免疫染色を施行したが、コントロール群と比べて特に大きな違いを認めなかった。これらからエルロチニブの主要な効果は間質細胞よりも膵癌細胞におけるEGFR-MAPKシグナルに対するものと考えられた。

【考察】今回用いた内因性KrasG12D発現+Tgfbr2ノックアウトモデルは臨床的にも病理組織学的にもヒトの膵癌とよく類似しており、ヒト膵癌の良いモデルと考えられる。その上、ヒト膵癌に対する標準治療薬ゲムシタビンがこのマウスモデルの生存期間を有意に延長させたことから、このマウスモデルは化学療法に対する感受性もヒト膵癌と類似しており、膵癌に対する治療レジメンを評価するのに有用と考えられる。また、ゲムシタビンとエルロチニブの併用投与によりさらに生存期間の延長を示しており、このマウスモデルは生存期間の評価だけでなく、治療レジメンの作用機序の解析にも有用であると考えられる。

本研究では、KRAS変異が高率である膵癌におけるEGFR阻害剤の効果のメカニズムの一端を明らかにすることができた。ゲムシタビンがEGFR-MAPKシグナルを活性化し、KRAS変異のある膵癌においてもエルロチニブの併用でこの活性化が劇的に抑制された。KRAS変異は大腸癌において、EGFR活性型変異は非小細胞肺癌においてEGFR阻害剤の効果予測因子とされているが、これは膵癌にはあてはまらないと考えられる。本研究では膵癌におけるEGFR阻害剤の効果予測因子の同定までには至らなかったが、膵癌患者においてEGFRとERBB2が高発現し、かつTGF-βシグナルの破綻した一群が、この併用療法のよい適応であることが示唆される。EGFR阻害剤の効果のメカニズムの解明から効果予測因子につなげていくことは今後の課題である。

今回の検討では、間質細胞(線維芽細胞、好中球、マクロファージ)に対する影響は認めなかったが、近年、膵癌の微小環境における腫瘍と間質の相互作用は注目を集めており、間質に対するエルロチニブの効果についてはまだ検討の余地があると考えられ、VEGF阻害剤などの他の分子標的治療薬との併用がより効果的となり得るかといった検討も必要と考えている。

内因性KrasG12D発現+Tgfbr2ノックアウトモデルは化学療法感受性もヒト膵癌に類似していると考えられ、治療薬の効果やメカニズムを解明するのに有用である。そして効果の予測因子・より効果のある治療薬の組み合わせ・より効果の得られる患者集団の特定など臨床的に重要な事項にも新たな知見を与えてくれる可能性がある。このような遺伝子改変マウスを用いたトランスレーショナルな研究が、難治癌である膵癌克服のための病態理解や有効な治療法の発展に役立つと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はヒト切除不能膵癌に対する化学療法として近年注目されているEGFR阻害剤エルロチニブと標準治療薬ゲムシタビンの併用効果とそのメカニズムを解明するため、内因性KrasG12D発現+Tgfbr2ノックアウト膵発癌モデルを用いて、ゲムシタビンとエルロチニブが受容体や細胞内のシグナルへ与える影響を検討し、作用機序の解明を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. 膵発癌モデルマウスに各薬剤を投与して生存期間を比較すると、平均生存日数はコントロール群52.5日に対し、ゲムシタビン単独群が69日、ゲムシタビン+エルロチニブ併用群が74日とゲムシタビン単独でもコントロールに比較して有意に生存期間を延長したが、エルロチニブを併用することでさらに有意に生存期間が延長することが示された。薬剤投与時の正常膵組織と癌組織の割合を顕微鏡下で算出して比較すると、コントロール群、ゲムシタビン群に比較してゲムシタビン+エルロチニブ併用群で有意に正常組織の割合が高いことが示された。

2. In vitroの検討で、KRAS変異のある膵癌細胞でもエルロチニブが増殖抑制効果を持つことが示され、Flow cytometryを用いた検討でエルロチニブが膵癌細胞に対してG1期停止を起こすことが示された。またWestern blot でKRAS変異のある膵癌細胞でもEGFの刺激でEGFR、ERKのリン酸化が増強し、エルロチニブがその活性化を抑制することが示された。

3. マウス膵組織の免疫染色でゲムシタビン単独群ではリン酸化EGFR、リン酸化ERKの活性が見られ、エルロチニブ併用群ではそれが抑制された。さらにマウス膵組織から回収したタンパク溶解液でWestern blotを施行し細胞内シグナル伝達を調べると、ゲムシタビン単独群ではリン酸化ERKの活性が見られ、エルロチニブ併用群ではそれが抑制された。またゲムシタビン単独群ではEGFRの発現が亢進し、エルロチニブ併用群では発現が抑制されることが示された。

4. 膵癌細胞株を用いたIn vitroの検討で、ゲムシタビン単独で細胞増殖を抑制するが、エルロチニブの併用でさらに増殖を抑制することが示された。またWestern blot でin vivoの結果と同様に、ゲムシタビンの投与でリン酸化ERKが活性化し、エルロチニブの併用で抑制されることが示された。

5. ゲムシタビンによるEGFR-ERK 経路の活性化のメカニズムの解析のため、膵癌細胞株を用いてゲムシタビン投与時のEGFRリガンドのmRNAを定量的RT-PCRで検討すると、ゲムシタビンの投与でK375ではEgfとTgf-aが増加し、Capan-1とCFPAC-1ではEGF、Amphiregulin、TGF-aが増加した。マウス膵組織の溶解液でELISAを施行すると、ゲムシタビン投与群ではコントロール群に比較してAmphiregulin、Egfの分泌が増加していることを確認した。

6. 受容体型チロシンキナーゼリン酸化アレイでは、EGFR高発現のゲムシタビン単独群でリン酸化ERBB2の活性化を認め、エルロチニブ併用でリン酸化ERBB2活性化が抑制された。マウス膵組織の溶解液で施行したWestern blotでも同じ結果が得られ、マウス膵組織の免疫染色では、ゲムシタビン投与群でERBB2の発現亢進を認め、エルロチニブ併用群で発現が低下することが示された。

7. マウス膵癌細胞株を用いたin vitroの検討で、Western blotでゲムシタビンの投与によりERBB2の発現、リン酸化ともに増強し、エルロチニブ併用投与でともに抑制されることが示された。さらに免疫沈降法を用いてEGFRの活性化に伴いEGFRとERBB2のヘテロダイマーが形成され、エルロチニブ併用でそれが抑制されることが示された。

以上、本論文は膵発癌モデルマウスを用いて、KRAS変異が高率である膵癌におけるEGFR阻害剤の効果のメカニズムの一端を明らかにすることができた。ゲムシタビン投与群でみられるEGFR/ERBB2とその下流のERKシグナルの活性化をエルロチニブが抑制することを明らかにした。膵癌患者においてEGFRとERBB2が高発現し、かつTGF-βシグナルの破綻した一群が、この併用療法のよい適応であることが示唆される。本研究のような遺伝子改変マウスを用いたトランスレーショナルな研究が、難治癌である膵癌克服のための病態理解や有効な治療法の発展に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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