学位論文要旨



No 128251
著者(漢字) 渡邉,綾
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,アヤ
標題(和) 転写因子Mrf-2/ARID5Bの血管新生における役割
標題(洋)
報告番号 128251
報告番号 甲28251
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3910号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 多田,稔
 東京大学 教授 山崎,力
 東京大学 准教授 平田,恭信
 東京大学 准教授 岡部,啓明
内容要旨 要旨を表示する

ARID5Bは、マウス多能性神経堤細胞株(MONC-1)を血管平滑筋細胞に分化誘導する過程において、血管平滑筋細胞の分化を制御する遺伝子として同定された。しかし、ARID5B変異型ホモ接合体マウスの表現型は、線維芽細胞、脂肪細胞などの細胞の機能、骨格形成、腎臓・脾臓などの様々な臓器に及ぶ。また、ヒトでは、ARID5Bの遺伝子多型が小児リンパ性白血病の発症やメソトレキセートによる治療効果に関与したり、冠動脈疾患や糖尿病と負の相関があると報告されており、疾患に関連した遺伝子である。私は、ARID5B変異型ホモ接合体マウスの表現型の中でも、腎糸球体においてα平滑筋アクチン(αSMA)陽性の血管平滑筋細胞の遊走が低下していることに着目した。αSMA陽性細胞の遊走が重要である生体現象として血管新生があるが、血管新生は生体の維持に必要不可欠である一方で、炎症反応の惹起や不適切・過剰な血管の再構築による疾患(動脈硬化性疾患)、悪性腫瘍の進展にも寄与する。血管新生を適切にコントロールすることが疾患のコントロールに重要であるが、その究明は未だ十分とは言い難い。本論文では、創傷治癒の過程、動脈硬化性疾患における慢性炎症の進展、悪性腫瘍の進展などの疾患メカニズム解明の一端として、血管新生においてARID5Bが重要な役割を果たすという仮説を検証することを目的とした。

血管新生のin vivoモデルとしてマトリゲルアッセイを行った結果、ARID5BのSmall interfering RNA(si RNA)を含むマトリゲルでは、コントロールと比較してマトリゲルへの血管新生が有意に低下していた。また、採取したマトリゲルプラグの免疫組織化学染色では、ARID5B変異型ホモ接合体マウスの腎糸球体同様、αSMA陽性細胞(血管平滑筋細胞)の浸潤が低下しており、加えて血管を構築する血管内皮細胞の遊走も低下していた。一方、血管内皮細胞や血管平滑筋細胞をリクルートする役割を持つマクロファージの浸潤には有意差を認めなかった。これより、ARID5Bの欠乏により血管内皮細胞や血管平滑筋細胞の遊走に異常を来した可能性、あるいは、それらの細胞をリクルートするマクロファージに異常を来した可能性を考え、次にin vivoモデルとして、骨髄移植を行った骨髄キメラマウスを用いてマトリゲルアッセイを行った。その結果、ARID5B変異型ホモ接合体マウスの骨髄を持つキメラマウスにおいて、同様にマトリゲルへの血管新生が有意に低下した。また、in vitroモデルとしてヒト臍帯静脈由来血管内皮細胞(HUVECs)を用いた遊走試験を行ったところ、HUVECsのARID5B遺伝子ノックダウンでは、細胞の遊走低下は見られなかったが、ARID5B変異型ホモ接合体マウスの骨髄由来マクロファージ培養上澄を用いた遊走試験では、HUVECsの遊走が有意に低下していた。以上の実験により、骨髄細胞由来の免疫細胞におけるARID5Bが血管新生に重要であり、さらにARID5Bの欠乏によりマクロファージから産生される血管新生因子に異常を来すと考えた。

これを検証する目的で、まずは末梢血および骨髄の細胞分画を調べ、単球系細胞数に差異がないことを確認した後、ARID5B変異型マウスの骨髄由来マクロファージにおける血管新生関連遺伝子およびサイトカイン・サイトカイン受容体関連遺伝子の発現をみる目的で、cDNAアレイシステムを用いて遺伝子発現を網羅的に調べた。その結果、血管新生関連遺伝子の中では、血管内皮細胞由来増殖因子A(VEGF-A)、塩基性線維芽細胞由来増殖因子(bFGF)といった遺伝子の発現が有意に低下していた。また、サイトカイン・サイトカイン受容体関連遺伝子では、M1/M2刺激を行った骨髄由来マクロファージを用いて、刺激後の経過時間による変動を調べた結果、野生型マウスの骨髄由来マクロファージではSpp1(Osteopontin)の発現が刺激に反応し経時的に増加し、その後鎮静化したのに対し、変異型では刺激に対する反応が完全に消失していた。このことから、マクロファージにおけるARID5Bの遺伝子変異により、血管新生因子が低下していることが確認でき、さらに、マクロファージのM1/M2への分化にも関与し、炎症性サイトカインの分泌も低下している可能性が示された。

マクロファージは刺激を受けると、炎症性サイトカインを分泌し細菌や腫瘍に対する免疫を担うM1マクロファージと、IL4により刺激を受けスカベンジャーレセプターやマンノースレセプターを発現し、創傷治癒や抗炎症作用を持つM2マクロファージの2つの極性に分化する。マクロファージにおけるARID5Bの欠乏が、それぞれの極性への分化の異常に寄与している可能性について調べる目的で、骨髄由来マクロファージを刺激し、M1マーカーおよびM2マーカーの発現を調べた。M1マーカーとしてTNFαやIL1βの発現、またM2マーカーとしてArginase-1の発現を調べた結果、野生型に比べARID5B変異型ホモ接合体では有意な発現低下を認め、M1/M2両極性への分化能の低下が疑われた。

マクロファージにおいて、ARID5BがVEGF-AやSpp1の発現調整をするメカニズムの探求をするにあたり、ARID5B変異型ホモ接合体マウスの骨髄由来マクロファージでM1マーカーの発現が有意に低下していた一方で、同じM1マーカーとして知られている誘導型NO合成酵素(iNOS)のみ変異型骨髄由来マクロファージで有意な発現の上昇を認めたことに着目した。

マクロファージにおいて、LPSおよびIFNγによるM1刺激は、主に核内因子κB(NFκB)パスウェイを介し、炎症反応に関与するTNFαやIL1βの発現に寄与することが知られている。一方、iNOSについてはこの経路に加えAP-1を介したnegativeな発現調節を受ける。AP-1はJUN、FOS、ATF、MAFといったサブファミリーを持ち、それらの2量体を形成しDNAに結合する転写因子の総称である。血管新生、炎症反応、細胞増殖あるいは腫瘍増殖に関係することが知られているおり、さらに、AP-1ファミリーの中でもc-FOSノックアウトマウスでは骨格異常を呈し、骨髄細胞特異的なJUN-Bノックアウトマウスでは白血病を来すといった、ARID5Bと同様の表現型を持つ。iNOSの発現上昇が他のM1マーカーであるTNFαやIL1βの結果と乖離する点から、iNOS発現上昇はARID5Bに特異的なものである可能性を考えた。

ARID5B変異型ホモ接合体骨髄由来マクロファージにおいて発現低下を認めたVEGF-AおよびSpp1には、それらのプロモーター上にAP-1結合モチーフがあることが知られている。そこで、ARID5B si RNAによりARID5B遺伝子をノックダウンしたNIH Swissマウス胎仔皮膚由来線維芽細胞株(NIH/3T3)において、AP-1結合モチーフを組み込んだプラスミドを用いたルシフェラーゼアッセイを行った結果、ルシフェラーゼ活性が有意に低下した。以上の結果から、ARID5Bが1) AP-1の発現に関与している、2) AP-1の活性化に関与している、あるいは3) AP-1の結合に関与しているといった3つの可能性が考えられた。これを検証するために、ARID5B変異型ホモ接合体マウスの骨髄由来マクロファージにおけるAP-1(c-JUN、c-FOS)の発現を調べたところ、野生型に比べ有意な低下を認めた。

以上の検討により、マクロファージにおけるARID5が、AP-1(c-JUN、c-FOS)の発現を制御して、VEGF-AおよびSpp1の発現を調節していること、そしてマクロファージにおけるARID5Bの欠乏により血管新生が低下することが示された。

以上の結果が異なるin vivoモデルで再現可能であることを確認する目的で、血管新生が関与するモデルとして創傷治癒モデルおよびマウスルイス肺癌細胞株(LL/2)皮下移植モデルを行った。創傷治癒モデルでは、背部皮膚欠損孔の皮膚および皮下組織を回収し組織標本を観察すると、ARID5B変異型ホモ接合体マウスにおいて、新生血管が少なく、また肉芽組織が退縮せずに大きく残存しており、上皮化の遅延を認めた。血管新生の低下はVEGF-AやbFGFの低下により説明可能である。また、肉芽の退縮遅延については、線維芽細胞の筋線維芽細胞への分化が関与しており。これにはマクロファージからの刺激が関与しているとされていることから、マクロファージにおける機能異常がもたらす表現型として矛盾しなかった。一方、LL/2皮下移植モデルにおいては、当初はARID5B変異型ホモ接合体マウスの腫瘍では、マクロファージの産生するVEGF-Aの低下により、腫瘍径が縮小することを予想していたが、結果として腫瘍の大きさは変異型マウスで有意に大きく、肺転移の時期も早かった。

腫瘍の進展には血管新生・血管網の発達が必要であり、これらを促進させるものとして、腫瘍細胞あるいは周囲の細胞や組織からのVEGF-Aが報告されている。そして、既に臨床の場において、VEGFを標的とした抗腫瘍薬が使用され、一定の成績も得られているが低・無反応症例も多く、抗VEGF-A抗体単剤での長期予後の改善は得られていない。最近の報告によると、骨髄由来の免疫細胞特異的なVEGF-Aノックアウトマウスにおいて腫瘍皮下移植を行った結果、腫瘍内の全VEGF-A量は変化しないものの、VEGF受容体(VEGFR2)の活性化を抑制し、腫瘍に形成される新生血管の正常化(normalization)を促進することで、結果として腫瘍増大が加速するということが示されている。ARID5B変異型ホモ接合体の骨髄を持つキメラマウスにおいては、骨髄由来の免疫細胞でVEGF-Aの低下を来しているため、この報告と同様の機序で腫瘍増大が加速した可能性があり、腫瘍増大の加速により肺転移の時期も早まった可能性がある。

創傷治癒および腫瘍移植の両方のin vivoモデルにいて、私の実験結果を支える結果が得られた。今回の研究により、血管新生、創傷治癒および腫瘍増殖において、マクロファージでのVEGF-Aの発現を調節する機構として、新たにARID5Bによる調節の可能性が加えられた。今後、どのようにしてARID5BがAP-1(c-JUN、c-FOS)を介してVEGF-AおよびSpp1を調節するのか、そのメカニズムを解明するために研究を継続する所存である。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は血管平滑筋細胞の分化誘導過程において分化を制御する遺伝子として同定された転写因子Mrf-2/ARID5Bの血管新生における役割を明らかにするため、マクロファージに着目して、生体内における血管新生、培養細胞における遺伝子解析およびメカニズムの探求を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.生体内における血管新生モデルとしてマトリゲルアッセイを行った結果、ARID5BのSmall interfering RNA(si RNA)を含むマトリゲルでは、マトリゲルへの血管新生が有意に低下していた。また、採取したマトリゲルプラグの免疫組織化学染色では、αSMA陽性血管平滑筋細胞の浸潤およびCD31陽性血管内皮細胞の遊走が有意に低下していた。一方、血管内皮細胞や血管平滑筋細胞をリクルートする役割を持つマクロファージの浸潤には有意差を認めなかった。また、ARID5B変異型ホモ接合体の骨髄を移植して得られた骨髄キメラマウスにおいても、同様の表現型が得られたことから、骨髄由来の免疫細胞におけるARID5Bが血管新生に重要であることが示された。

2.ヒト臍帯静脈由来血管内皮細胞(HUVECs)を用いた遊走試験を行った結果、HUVECsのARID5B遺伝子ノックダウンでは、細胞の遊走低下は見られなかったが、ARID5B変異型ホモ接合体マウスの骨髄由来マクロファージ培養上澄内では、HUVECsの遊走が有意に低下した。以上の実験により、骨髄細胞由来の免疫細胞におけるARID5Bの欠乏によりマクロファージから産生される血管新生因子に異常を来すことが示された。

3.骨髄由来マクロファージにおいて、血管新生関連遺伝子に対するcDNAアレイシステムを用いて遺伝子発現を網羅的に調べた。その結果、ARID5B変異型ホモ接合体マウスでは、血管内皮細胞由来増殖因子A(VEGF-A)、塩基性線維芽細胞由来増殖因子(bFGF)、Spp1(Osteopontin)の発現が有意に低下していた。また、M1/M2マクロファージの分化マーカーであるTNFαやArginase-1といった遺伝子の発現低下も認め、マクロファージにおけるARID5Bの遺伝子変異により、血管新生因子の産生低下、さらに、マクロファージのM1/M2への分化にも関与していることが示された。

4.マクロファージにおいて、ARID5BがVEGF-AやSpp1の発現調整をするメカニズムについて、VEGF-AおよびSpp1の遺伝子プロモーター上に存在するAP-1結合モチーフを組み込んだプラスミドを用いたルシフェラーゼアッセイを行った結果、ARID5B遺伝子をノックダウンしたNIH Swissマウス胎仔皮膚由来線維芽細胞株(NIH/3T3)において、ルシフェラーゼ活性が有意に低下した。さらに、ARID5B変異型ホモ接合体マウスの骨髄由来マクロファージにおけるAP-1(c-JUN、c-FOS)の発現を調べたところ有意な低下を認めた。以上の検討により、マクロファージにおけるARID5Bが、AP-1(c-JUN、c-FOS)の発現を制御して、VEGF-AおよびSpp1の発現を調節していること、そしてマクロファージにおけるARID5Bの欠乏により血管新生が低下することが示された。

5.創傷治癒モデルおよびマウスルイス肺癌細胞株(LL/2)皮下移植モデルを行った結果、創傷治癒モデルではARID5B変異型骨髄キメラマウスにおいて、新生血管の減少および上皮化の遅延を認めた。一方、LL/2皮下移植モデルにおいては、ARID5B変異型骨髄キメラマウスで腫瘍径が有意に大きく、ともに免疫細胞におけるVEGF-A欠乏がもたらす表現型として矛盾しなかった。

以上、本論文は複数の動物モデルおよび培養細胞を用いた実験系において、マクロファージにおける転写因子ARID5Bが血管新生に重要であること、そしてそのメカニズムを明らかにした。本研究は、血管新生に関連する創傷治癒の過程、動脈硬化性疾患における慢性炎症の進展、悪性腫瘍の進展などの疾患メカニズムの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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