学位論文要旨



No 128253
著者(漢字) 森田,吉洋
著者(英字)
著者(カナ) モリタ,ヨシヒロ
標題(和) 抗老化分子SIRT1の活性化因子レスベラトロールによる卵巣顆粒膜細胞の増殖・分化制御機構の検討
標題(洋)
報告番号 128253
報告番号 甲28253
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3912号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 本間,之夫
 東京大学 准教授 大西,真
 東京大学 准教授 藤井,知行
 東京大学 講師 張田,豊
内容要旨 要旨を表示する

1)序文

ヒト卵巣において、原始卵胞の数は胎生期からアポトーシスにより減少していくのみで増加することはない。卵巣は性成熟期には全ての発達段階の卵胞を含み、成熟した卵胞のみが排卵のシグナルに反応する。酵素シグナルとホルモン受容体の時期特異的発現が卵巣内で調整されることにより、卵胞の発達段階に応じた性腺刺激ホルモンに対する感受性を得る機構を獲得しているものと考えられているが、その原始卵胞から胞状卵胞に至る卵胞形成、およびその後の排卵・黄体化に至る月経周期における詳細な機構や、原始卵胞が休止状態を保つ機構については全く不明である。

抗老化作用という点で、低栄養状態で強く作用し、長寿の酵母や線虫に強発現している遺伝子として同定されたSir2 (Silent information regulator 2)のヒトのOrthologであるSIRT1が近年多大なる注目を浴びている。SIRT1は元来NAD+依存性ヒストン脱アセチル化酵素として同定されたが、低栄養状態など細胞内外のシグナルにより、細胞内のNAD/NADH比が上昇することによって活性化され、ヒストンのみならずタンパクの脱アセチル化をすることで標的タンパクの活性を制御する。SIRT1が活性化されると、脳では神経細胞の分化、膵臓ではインスリン分泌の促進、血管系では血圧低下といった個体に有利な作用が生じることが近年明らかになってきたが、生殖細胞においてSIRT1に関する報告はいまだ乏しい。

本研究により、SIRT1が卵巣顆粒膜細胞に発現していることが判明した。卵巣顆粒膜細胞は、卵胞形成期において形態および細胞数が劇的に変化し、排卵後には莢膜細胞とともに黄体を形成し、多量のエストロゲンとプロゲステロンを分泌し子宮内膜脱落膜化を促進するなど、性周期や受胎に関して大きな役割をもつ。顆粒膜細胞におけるSIRT1の作用機構解明は、卵巣機能の病態生理解明に貢献するものと考えられる。卵巣におけるSIRT1の機能を解析する一つの手段として、SIRT1のchemical activatorとして知られる植物ポリフェノールであるレスベラトロールの卵巣顆粒膜細胞における生理的作用を検討したところ、レスベラトロールがSIRT1の発現量を増加させ、黄体化関連遺伝子の発現を増加させ、プロゲステロンの分泌を促進することが判明した。

2)方法

1. 免疫組織化学染色法およびウェスタンブロッティング

免疫組織化学染色用として、子宮頸癌もしくは子宮内膜癌のため摘出された、病理学的に病変のないヒト卵巣組織切片を用いた。パラフィン切片を作成し、一次抗体として抗SIRT1抗体、二次抗体としてChemMate EnVision Detection system を使用した。体外受精の際に回収されたヒト卵巣顆粒膜細胞、ヒト顆粒膜細胞腫細胞株 (KGN)、またSIRT1発現が確認されているヒト子宮頸癌細胞株(HeLa)を用いてウェスタンブロッティングを行った。一次抗体として抗SIRT1抗体、二次抗体としてHRP付加抗ウサギIgG抗体を用いた。

2.ラット卵巣顆粒膜細胞の分離と培養

10 mgのDiethylstilbestrol を入れたシリコン製チューブを、23日齢Wistar系未熟メスラット後頸部皮下に包埋し、4日後に卵巣を摘出し、形成された卵胞を培地内で穿刺し、ラット卵巣顆粒膜細胞(GCs)を回収した。48時間の前培養で細胞を生着させ、10-100 μMの濃度でレスベラトロールを培地に添加した後、実験に用いた。

3.ラット顆粒膜細胞の細胞数および細胞活性(MTSアッセイ)の分析

GCsの培養液をレスベラトロール含有培地に交換した後、72時間まで培養を継続し、Trypan blue染色法を用いて細胞数を計測し、MTSアッセイキットを用いて各時点・各濃度における細胞活性を測定した。

4. Caspase 3/7活性測定

GCsの培養液をレスベラトロール含有培地に交換した後、24時間まで培養を継続し、細胞死実行タンパクであるCaspase 3/7活性を、Apo-ONE Homogeneous Caspase-3/7 アッセイキットを用いて測定した。

5. RNA抽出及びリアルタイム定量PCR

GCsの培養液をレスベラトロール含有培地に変更した後、24時間まで培養を継続し、細胞を回収し、精製したRNAからcDNAを作成してリアルタイム定量的PCRを行った。

6. Hoechst 33342染色

細胞核がアポトーシスに特徴的な断片化、クロマチン凝縮形態を呈しているかどうかを検討するため、Hoechst 33342染色を行った。Chamber slideでGCsを培養し、レスベラトロール含有培地に交換後、12-48時間までの培養を継続し、Hoechst 33342を用いて細胞核を染色した。核形態を共焦点顕微鏡にて観察した。

7. ラット顆粒膜細胞におけるプロゲステロン産生促進作用

リアルタイム定量PCRで確認されたmRNAの発現変化が、GCsから分泌されるプロゲステロン量に影響を与えているかどうかを検討するため、GCsの培養液をレスベラトロール含有培地に変更した後48時間まで培養を継続し、培地上清中のプロゲステロン産生をEIA法により測定した。

8. 統計解析

統計プログラムとしてStatView Version 5 for Windowsを使用し、多群間の比較に対しone-way ANOVAの後に、Dunnett post-hoc testを用いた。

3)結果

SIRT1のヒト卵巣における発現について

免疫組織化学染色法にてヒト卵巣顆粒膜細胞にSIRT1が発現していることが判明した。ウェスタンブロッティング法により、ヒト黄体化顆粒膜細胞においてもSIRT1が発現していることが明らかとなった。

レスベラトロールのGCs細胞活性および細胞死に対する影響の検討

GCsをレスベラトロール存在下で培養すると、細胞数および細胞活性の濃度依存的減少が認められた。この細胞数および細胞活性の減少が、アポトーシスによるものかどうかを検討するためCaspase 3/7活性およびHoechst 33342染色をおこなった。Caspase 3/7活性は上昇せず、核の凝縮といったアポトーシス特有の核形態変化は認めなかった。またアポトーシス関連遺伝子Bcl-2およびBaxの発現をリアルタイム定量的PCRにより検討したが、これらは不変であったことから、上記の細胞数および細胞活性の減少はアポトーシスによるものではない可能性が考えられた。

GCsにおいてレスベラトロール処理で変動する遺伝子群およびプロゲステロン産生の検討

GCsをレスベラトロール存在下で培養すると、濃度依存的にSIRT1 mRNAが増加することが判明した。また顆粒膜細胞の分化マーカーとして、黄体化関連遺伝子の発現やタンパクの変動を検討した。FSH受容体の発現は不変であった一方で、LH受容体や、顆粒膜細胞におけるステロイド産生カスケードの初期段階であるStARタンパクおよび最終段階であるP450 アロマターゼのmRNAおよびタンパクレベルでの発現上昇が確認され、プロゲステロン産生の増加が観察された。

4)考察

レスベラトロールは、様々な種・組織において、寿命延長・抗炎症・抗癌・認知症予防・放射線による障害の抑止といった個体に有利な生物学的活性をもつことにより、近年研究の焦点となっている。その卵巣における作用としては、レスベラトロールにエストロゲン様作用もあり、組織としては子宮や卵巣の湿重量を増加させる作用や阻血状況の卵巣組織の障害を軽減させるといった保護作用、細胞レベルではラットの卵巣莢膜細胞では細胞死を誘導すること、化学合成されたレスベラトロールアナログが、ブタ卵巣顆粒膜細胞の増殖を抑制することなどが判明しているが、SIRT1に対するchemical activatorとしての視点からの研究はいまだ報告がない。

本研究では、SIRT1がヒト卵巣顆粒膜細胞に発現していることを示した。また、ラット初代培養顆粒膜細胞をレスベラトロール含有培地で培養することでSIRT1 mRNA発現が増加することから、卵巣顆粒膜細胞においてSIRT1が生理的役割を果たす可能性が示唆された。レスベラトロール処理により細胞数および細胞活性が対照群と比べて減少すること、また、この細胞数および細胞活性の減少は細胞死の誘導によるものではないこと、さらに、ラット顆粒膜細胞の黄体化関連遺伝子として知られるLH受容体、StARタンパク、P450アロマターゼのmRNAおよびタンパクの増加がみられ、プロゲステロン産生の増加もみられたことから、レスベラトロールは顆粒膜細胞の分化を促進する可能性が考えられた。類似の既報では、HL60(前骨髄球細胞株)がレスベラトロール含有培地で培養することで増殖を停止し、骨髄単球への分化が誘導されたという報告がある。

本研究で得られた知見は、黄体機能不全に対する治療、アポトーシスを引き起こす抗癌剤に抵抗性である顆粒膜細胞腫に対する分化誘導による増殖抑制作用などを通じて、婦人科領域疾患の治療への適用が今後期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は抗老化作用という点で近年多大なる注目を浴びているSir2 (Silent information regulator 2)のヒトのOrthologであるSIRT1が、卵巣においては顆粒膜細胞に主に発現していることを示し、ラット顆粒膜細胞において、活性化因子であるレスベラトロールを用いてSIRT1の機能の検討を行った。その結果を下記に記す。

1.免疫組織化学染色法によりSIRT1タンパクがヒト卵巣においては顆粒膜細胞の核に主に存在することが示された。

2.Western blotting法により、ヒト黄体化顆粒膜細胞においてもSIRT1が発現していることが明らかとなった。

3.ラット顆粒膜細胞をレスベラトロール存在下で培養すると、細胞数および細胞活性の濃度依存的な減少が認められた。しかし、アポトーシスの際にみられるCaspase 3/7活性の上昇やHoechst 33342染色における核の凝縮といった核形態変化はみられなかった。また、細胞死関連遺伝子にも有意な変化はみられず、アポトーシスによらない細胞数の減少が考えられた。

4.ラット顆粒膜細胞をレスベラトロール存在下で培養すると、濃度依存的にSIRT1 mRNAが増加することがリアルタイム定量的PCRにより示され、タンパクレベルでもWestern blotting法にてSIRT1タンパクの増加が確認された。

5.ラット顆粒膜細胞をレスベラトロール存在下で培養すると、FSH受容体の発現は不変であった一方で、LH受容体、顆粒膜細胞におけるステロイド産生カスケードの初期段階であるStARタンパク、およびP450 アロマターゼの用量依存性発現上昇が確認された。タンパクレベルでもWestern blotting法にてLH受容体、StARタンパク、P450 アロマターゼの増加が確認された。

6.ラット顆粒膜細胞をレスベラトロール存在下で培養し、培地上清中のプロゲステロンをEIA法によって測定したところ、48時間後においてプロゲステロン産生の著明な増加が観察された。

以上、本論文はSIRT1が卵巣顆粒膜細胞に発現していること、およびその活性化因子レスベラトロールが顆粒膜細胞に対し、SIRT1の発現量を増加させ、細胞数の減少作用と黄体化関連遺伝子発現促進およびプロゲステロンの産生促進作用をもつという新規事実を明らかにした。増殖・分化に大きな影響をもち、抗老化作用をもつといわれるSIRT1の卵巣における機能解析は、今後の卵巣機能の病態生理の解明に貢献するものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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