学位論文要旨



No 128257
著者(漢字) 庄司,恵子
著者(英字)
著者(カナ) ショウジ,ケイコ
標題(和) 子宮体癌におけるPI3K経路活性化機序の解明と分子標的治療への応用に関する研究
標題(洋)
報告番号 128257
報告番号 甲28257
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3916号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 本間,之夫
 東京大学 教授 深山,正久
 東京大学 准教授 藤井,知行
 東京大学 准教授 久米,春喜
 東京大学 講師 山口,泰弘
内容要旨 要旨を表示する

[序論]

RAS-MAPK (MAP kinase)経路、PI3K (Phosphatidyl inositol 3' kinase)-AKT/mTOR経路は増殖因子受容体の下流において、さまざまな遺伝子の発現異常を通して多くの癌で活性化され、細胞の生存を促進する。特に子宮体癌では、本経路を活性化する遺伝子変異が高頻度に存在し(K-RAS変異約20%、PIK3CA変異約30%、PTEN変異約50%)、高率に共存して起こることが知られている。近年、PI3K-AKT/mTOR経路を活性化する新たな因子として、AKT1 (E17K)の変異が注目されている。これまで確認されているAKT1の変異は、エクソン4に存在するE17Kのみであり、乳癌、大腸癌、肺癌、卵巣癌、悪性黒色腫などで報告されているが、子宮体癌における変異の有無は報告されていない。子宮体癌はPI3K経路の活性化が高頻度であることから、AKT1の変異も存在している可能性が考えられる。mTORはAKTによってリン酸化を受ける主要な分子の一つであり、mTOR単独阻害剤(RAD001, everolimus)は進行性腎癌の治療薬として既に日本でも保険承認されている。mTOR単独阻害剤は、PI3K-AKT経路の主要なシグナルを阻害する効果を有するが、AKTは他にもGSK3β、FOXO1、FOXO3aといった種々の分子をリン酸化することで、細胞増殖・生存に寄与すると考えられており、mTOR単独阻害剤では本経路の阻害効果が部分的であることが示唆される。こうした中で、mTOR単独ではなく、上流のPI3Kも同時に阻害する作用を有する薬剤やAKTを阻害する薬剤などの開発が進められてきた。中でも、PI3K/mTOR同時併用阻害剤であるNVP-BEZ235は固形癌に対して臨床第I/II試験が進行中である。

本研究では子宮体癌の発生・進展過程におけるPI3K経路の関与に着目し、子宮体癌におけるAKT1遺伝子変異の検索と他の遺伝子変異との共存の有無、またPI3KおよびmTOR経路を標的とした治療薬であるRAD001 (mTOR単独阻害剤)、NVP-BEZ235(PI3K/mTOR同時阻害剤)の抗腫瘍効果と、その有効性を予測するバイオマーカーについて検討を行った。

[方法]

1、AKT1の遺伝子変異解析

東京大学医学部附属病院における子宮体癌89症例を対象とした。手術時の摘出検体から腫瘍を採取し、ゲノムDNAを抽出した。検体の採取に際しては、東京大学医学部附属病院倫理委員会の承認のもと、患者の同意を得たうえで使用した。ゲノムDNAを抽出、精製し、PCR-ダイレクトシークエンス法にてAKT1のエクソン4の遺伝子変異を解析した。

2、子宮体癌におけるPI3K-AKT/mTOR経路阻害剤の抗腫瘍効果の解析

子宮体癌細胞株13株を使用した。

PI3K-AKT/mTOR経路を阻害する薬剤として、mTOR単独阻害剤RAD001(everolimus)、PI3K/mTOR同時阻害剤NVP-BEZ235 (Novartis社)を使用した。MAPK経路の阻害剤として、市販のMEK阻害剤(PD98059とUO126)を購入した。

薬剤添加時のPI3K-AKT/mTOR経路の標的蛋白のリン酸化抑制をウエスタンブロット法にて確認した。細胞増殖抑制能をMTTアッセイにて評価し、50%阻害濃度IC50値を算出した。細胞周期に与える影響をFlow cytometory法で解析した。また、in vivoの実験として、ヌードマウスの皮下に子宮体癌細胞株(HEC-59とAN3CA)を移植した担癌マウスを作成し、RAD001またはNVP-BEZ235を連日経口投与し、抗腫瘍効果を検討した。

[結果]

1、AKT1の遺伝子変異の同定

AKT1のE17K遺伝子変異は子宮体癌臨床検体の2.2%、89例中2例に認められた。 他のPI3K-AKT/mTOR経路を活性化する遺伝子変異として、PTEN (61%), PIK3CA (35%), K-RAS (18%)が認められ、相互に重複例が多かった(PIK3CA陽性例で共存率82%、K-RAS陽性例で共存率76%)が、AKT1変異の2症例においては、これら3遺伝子の変異や染色体コピー数異常は認められなかった。

2、子宮体癌におけるPI3K-AKT/mTOR阻害剤の抗腫瘍効果の解析

PIK3CA, PTEN, K-RAS, AKT1の遺伝子変異解析の結果、子宮体癌細胞株13株は以下の4群に分類された。A群(n=4); PIK3CA, PTEN重複変異陽性、B群 (n=5); PTENのみ変異陽性、C群 (n=2); K-RAS, PIK3CA重複変異陽性、D群 (n=2); K-RAS(12p12.1)の染色体増幅陽性。全13株が、PIK3CA, PTEN, K-RAS 遺伝子のいずれかの変異(発現異常)を有していた。

in vitroにおいて、RAD001、NVP-BEZ235ともに子宮体癌細胞株に対して抗腫瘍効果を示した。添加濃度を振って細胞増殖曲線を作成したところ、12.5 nM以下の低濃度下では、RAD001はNVP-BEZ235と全株で同等以上の細胞増殖抑制効果を示したが、50%抑制効果を示すIC50値は、RAD001ではA群/B群の9株中の6株で100nM以上(低感受性)であるのに対し、NVP-BEZ235では9株中すべてにおいて100nM以下(高感受性)であった。C群、D群ではNVP-BEZ235、RAD001ともにIC50は100nM以上(低感受性)であった。標的蛋白のリン酸化抑制を調べたところ、両薬剤とも、低濃度下(0.625-2.5nM)の時点で、mTORの下流分子であるS6と4E-BP1のリン酸化が抑制されていた。一方、PI3Kの下流にあたるAkt(Ser473, Thr308)、GSK3β、FOXO1/3aのリン酸化抑制は、NVP-BEZ235でのみ、高濃度下(50-1000nM)において認められた。感受性株{HEC-59 (A群)、AN3CA (B群)}において、薬剤添加後の細胞周期を調べたところ、Sub-G1(細胞死)の比率は上昇していなかったが、両薬剤ともにG1期の比率が上昇しており、特にNVP-BEZ235 100nM添加時に、コントロールに比べ24-31%上昇していた。K-Ras変異陰性、PTEN変異陽性の子宮体癌株{HEC-59 (A群)、AN3CA (B群)}担癌マウスを作成し、RAD001、NVP-BEZ235の経口連日投与を行ったところ、両群においてControl群に比べ、有意な腫瘍増殖抑制効果が確認された。K-RAS遺伝子発現異常陽性の4株では、いずれの阻害剤に対しても低感受性を示したが、MAPK経路阻害剤(MEK阻害剤)を併用することで、相加・相乗的に抗腫瘍効果が認められた。

[考察]

子宮体癌においてAKT1の変異を同定したが、その頻度は2.2%のみであった。AKT1の変異頻度は他の癌腫においても5.9%以下と低頻度であり、様々なPI3K-AKT/mTOR経路活性化因子の一つとして、寄与している可能性が高いと考えられる。子宮体癌を含め、AKT1遺伝子変異が報告されている癌腫では、K-RAS, PIK3CA, PTENのいずれかの遺伝子変異は高頻度に報告されており、本経路の活性化が重要な役割を果たしていると考えられた。

RAD001 とNVP-BEZ235の薬効をin vitroで比較したところ、両薬剤とも抗腫瘍効果を示したが、濃度依存性の差異が明らかとなった。RAD001では、濃度依存性の影響がNVP-BEZ235に比較して弱く、高濃度下ではNVP-BEZ235のほうが細胞増殖抑制効果が高かった。添加濃度と標的蛋白のリン酸化抑制効果の解析結果より、mTOR経路の抑制はRAD001、NVP-BEZ235とも低濃度から観察され、NVP-BEZ235によるAKTおよびmTOR経路以外の標的蛋白のリン酸化抑制は、高濃度においてのみ認められた。以上より、NVP-BEZ235はPI3K/mTORの両者を阻害するが、低濃度ではmTORの抑制効果が主であり、PI3Kの同時阻害効果は高濃度において発揮されると考えられた。また、NVP-BEZ235の抗腫瘍効果の少なくとも一部は、mTOR非依存性蛋白のリン酸化抑制に起因していることが示唆された。in vivoにおいて、両薬剤間に有意な差がみられなかったことより、NVP-BEZ235をヒトに応用する場合、十分な薬効を示す血中濃度が維持されているかどうかを含めて検討することが必要と思われる。今回の解析では、K-RAS変異陰性かつPTEN変異陽性(A群、B群のすべて)であれば、NVP-BEZ235への感受性が高く、この2分子の検索がバイオマーカーとして有用であることが示唆された。また、K-RAS遺伝子変異陽性のC群、及びK-RAS遺伝子増幅陽性のD群において、PI3K/mTOR経路阻害剤とMAPK経路阻害剤の併用による相加・相乗的な抗腫瘍効果が確認された。この結果より、子宮体癌の発育において、PI3K/mTOR経路が不可欠な役割を果たしており、本経路阻害剤がより広く臨床応用できる可能性があると考えられた。

以上、本研究結果より、PI3K/mTOR経路を標的とした阻害剤は、子宮体癌において、有望な治療戦略であることが示された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究では子宮体癌の発生・進展過程におけるPI3K経路の関与に着目し、子宮体癌におけるAKT1遺伝子変異の検索と他の遺伝子変異との共存の有無、またPI3KおよびmTOR経路を標的とした治療薬であるRAD001 (mTOR単独阻害剤)、NVP-BEZ235(PI3K/mTOR同時阻害剤)の抗腫瘍効果と、その有効性を予測するバイオマーカーについて検討したものであり、下記の結果を得ている。

1、AKT1の遺伝子変異の同定

東京大学医学部附属病院における子宮体癌の手術検体89症例を対象とし、腫瘍を採取し、ゲノムDNAを抽出し解析をしたところ、AKT1のE17K遺伝子変異を2.5%、85例中2例に認めた。他のPI3K-AKT/mTOR経路を活性化する遺伝子変異である、PTEN 、 PIK3CA 、K-RAS 遺伝子変異は相互に重複例が多かったが、AKT1変異の2症例においては、これら3遺伝子の変異や染色体コピー数異常は認められず、単独でPI3K経路活性能を有している可能性が示唆された。

2、子宮体癌におけるPI3K-AKT/mTOR阻害剤の抗腫瘍効果の解析

(1)PIK3CA, PTEN, K-RAS, AKT1の遺伝子変異解析の結果、子宮体癌細胞株13株は以下の4群に分類された。A群(n=4); PIK3CA, PTEN重複変異陽性、B群 (n=5); PTENのみ変異陽性、C群 (n=2); K-RAS, PIK3CA重複変異陽性、D群 (n=2); K-RAS(12p12.1)の染色体増幅陽性。全13株が、PIK3CA, PTEN, K-RAS 遺伝子のいずれかの変異(発現異常)を有していた。

(2)子宮体癌細胞株13株にRAD001、NVP-BEZ235の両薬剤を0.626nMから1000nMまで濃度を振って添加し、細胞増殖曲線を作成したところ、両薬剤とも子宮体癌細胞株に対して抗腫瘍効果を示した。PTEN変異陽性A群B群でより強い増殖抑制効果がを認めた。PTEN遺伝子変異陽性、かつK-Ras遺伝子変異陰性は、PI3K/mTOR阻害剤の効果を予測するバイオマーカーとして有用であることが示唆された。

(3)標的蛋白のリン酸化抑制を調べたところ、両薬剤のmTOR阻害作用は低濃度から認めるが、NVP-BEZ235のPI3K阻害作用は高濃度のみに認めることが示された。PI3K/mTOR同時阻害剤の十分な抗腫瘍効果の発現には、薬物動態を考慮し、持続的に阻害効果を維持することが重要と考えられた。

(4)さらに感受性株{HEC-59 (A群)、AN3CA (B群)}において、薬剤添加後の細胞周期を調べたところ、Sub-G1(細胞死)の比率は上昇していなかったが、両薬剤ともにG1期の比率が上昇しており、特にNVP-BEZ235 100nM添加時に、コントロールに比べ24-31%上昇していた。(1)の結果と合わせ、BEZ 235におけるより強い抗腫瘍効果の結果からは、mTOR阻害に加えて、PI3K/AKT経路自体の抑制が十分な抗腫瘍効果を得るために重要であると考えられた。

(5)K-Ras変異陰性、PTEN変異陽性の子宮体癌株{HEC-59 (A群)、AN3CA (B群)}担癌マウスを作成し、RAD001、NVP-BEZ235の経口連日投与を行ったところ、両群においてControl群に比べ、有意な腫瘍増殖抑制効果が確認された。

(6)K-RAS遺伝子発現異常陽性の4株では、いずれの阻害剤に対しても低感受性を示したが、MAPK経路阻害剤(MEK阻害剤)を併用することで、相加・相乗的に抗腫瘍効果が認められた。K-Ras発現異常を有する子宮体癌においては、PI3K/mTOR同時阻害剤とMAPK経路阻害剤の併用療法が有効であると考えられた。

以上、本論文は子宮体癌においてAKT1のE17LK遺伝子変異を2.5%に同定し、また子宮体癌におけるRAD001 (mTOR単独阻害剤)、NVP-BEZ235(PI3K/mTOR同時阻害剤)の抗腫瘍効果を明らかにした。さらに、その有効性を予測するバイオマーカーとして、PTEN遺伝子変異陽性かつK-Ras遺伝子変異陰性が有用であることを明らかにした。

本研究は、子宮体癌の発育において、PI3K/mTOR経路が不可欠な役割を果たしており、PI3K/mTOR経路を標的とした阻害剤は、子宮体癌において、有望な治療戦略であることを示し、臨床応用に際して重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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