学位論文要旨



No 128263
著者(漢字) 三平,元
著者(英字)
著者(カナ) ミヒラ,ハジメ
標題(和) TGF-βによる内皮間葉移行におけるRhoシグナルとMRTF転写因子の役割
標題(洋)
報告番号 128263
報告番号 甲28263
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3922号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 特任教授 井上,聡
 東京大学 教授 吉田,進昭
 東京大学 特任准教授 後藤,典子
 東京大学 特任准教授 江頭,正人
 東京大学 講師 張田,豊
内容要旨 要旨を表示する

要旨

【背景】

内皮間葉移行 (endothelial-to-mesenchymal transition: EndMT) とは、細胞同士が密に接着している「血管内皮細胞」の状態から、細胞同士の接着に乏しく運動性の高い「間葉系細胞」の状態に変化することである。EndMTが心臓の中隔・弁の発生や臓器線維症などにおいて重要な役割を果たしていることが、Tie2-Cre: R26R-loxP-STOP-loxP-LacZなどのダブルトランスジェニックマウスを用いた細胞系譜解析法により証明された。また、いくつかの培養内皮細胞においても、TGF-βなどの誘導因子によりEndMTが誘導されていることが示されてきた。一方、上皮間葉移行 (epithelial-to-mesenchymal transition: EMT) は原腸陥入や神経堤細胞の脱上皮化などの発生段階、創傷治癒過程、臓器線維症、がん細胞の浸潤などにおいて認められ、培養上皮細胞を用いたin vitro実験系にて分子機構の解明が進んでいる。しかしEndMTの分子機構の詳細については不明な点が多く残されている。

【目的と方法】

本研究は、EndMTの分子機構を解明するために、マウス膵臓由来内皮細胞 (MS-1細胞) にTGF-β2を投与してEndMTを誘導し、間葉系細胞に特異的に発現する分子 (間葉系細胞マーカー) の発現誘導機序を検討することを目的とした。これまで報告されているEMTの誘導を制御する分子機構である、SnailファミリーおよびδEF-1ファミリー転写因子群、Rhoシグナル活性化、MRTF-A転写因子群について、MS-1細胞におけるTGF-β2によるEndMTの誘導との関連を検討した。

【結果】

(1) MS-1細胞はTGF-β2によりEndMTが誘導される

MS-1細胞にTGF-β2を投与して、24時間後にはアクチンストレスファイバーの形成が認められ、72時間後には細胞間接着が消失し、内皮細胞マーカーである細胞膜上のVE-カドヘリンタンパク質が検出されなくなり、間葉系細胞マーカーであるα-SMA、SM22α、ファイブロネクチン 1、MMP2の発現が上昇した。以上の結果より、MS-1細胞はTGF-β2によりEndMTが誘導されることが示唆された。

(2) TGF-β2によるMS-1細胞におけるα-SMAの誘導にSnail転写因子は必要でない

EMTにおいては、Snailファミリー (Snail、Slug)、δEF-1ファミリー (δEF-1、SIP-1) の関与が多く報告されているが、MS-1細胞にTGF-β2を投与してEndMTを誘導しても、Slug、δEF-1、SIP-1の発現誘導は認められなかった。一方、TGF-β2刺激によりSnailの発現上昇は認められたが、Snailの発現をノックダウンしてもTGF-β2刺激によるα-SMAの発現上昇は影響をうけなかった。以上の結果より、TGF-β2によるMS-1細胞におけるα-SMAの誘導に、Snail転写因子は必要ではないことが示唆された。

(3) TGF-β2によるMS-1細胞におけるα-SMAの誘導には、Rhoシグナルの活性化が必要である

Rhoファミリータンパク質は細胞運動、細胞周期、細胞質分裂、アポトーシス、転写など広範に細胞機能の制御に関わっており、EMTにおいてもRhoシグナルの活性化の関与がいくつか報告されている。そこで、TGF-β2によるMS-1細胞におけるα-SMAの発現におけるRhoシグナルの関与を検討した。TGF-β2はMS-1細胞においてRhoAを活性化した。TGF-β2によるアクチンストレスファイバー形成ならびにα-SMAの発現誘導は、Y27632やC3菌体外酵素といったRhoシグナル阻害剤により抑制された。以上の結果より、TGF-β2によるMS-1細胞におけるα-SMAの誘導には、Rhoシグナルの活性化が必要であることが示唆された。

(4) TGF-β2によるMS-1細胞における間葉系細胞マーカーの発現上昇にはSmad経路が関与する

乳腺上皮細胞NMuMG細胞におけるTGF-βによるEMTにおけるRhoシグナルの活性化はnon-Smad経路に依存している。そこでMS-1細胞におけるTGF-β2による間葉系細胞マーカーの発現上昇にSmad経路が関与するか検討した。TGF-β2によるα-SMA、SM22α、ファイブロネクチン 1、MMP2の発現上昇は、Smad4発現のノックダウンにより抑制された。以上のことよりTGF-β2によるMS-1細胞における間葉系細胞マーカーの発現上昇にはSmad経路が関与することが示唆された。

(5) Smad経路依存的に発現上昇するArhgef5はTGF-β2によるα-SMA発現上昇を制御する

RhoAを活性化するグアニンヌクレオチド交換因子 (guanine nucleotide exchange factor: GEF) は約60種類以上知られており、TGF-βによるEMTにおいてNet1、GEF-H1などのGEFの関与が報告されている。TGF-β2処理したMS-1細胞で発現が上昇するGEFを同定するために、cDNAマイクロアレイ解析によるmRNAの発現プロファイリングを行った。Arhgef5がTGF-β2により発現が上昇しており、TGF-β2によるα-SMAの発現上昇はArhgef5発現のノックダウンにより抑制された。また、TGF-β2によるArhgef5の発現上昇はSmad4発現のノックダウンにより抑制された。以上の結果より、Smad4依存的にTGF-β2により発現が上昇するArhgef5は、TGF-β2によるα-SMAの発現上昇に寄与していることが見出され、Arhgef5がSmad経路の下流でRho活性化を制御する分子の候補であることが示唆された。

(6) TGF-β2はMRTF-Aの発現上昇と核内移行を制御する

MRTF-Aはmyocardinファミリーに属し、細胞の筋分化関連遺伝子の転写を促進する血清応答因子のコファクターとして働く。G-アクチンに結合して細胞質に局在するMRTF-AはRhoシグナルが活性化されストレスファイババーが形成される際に、G-アクチンから遊離し核内へ移行することが知られている。そこでTGF-β2によるMS-1細胞のEndMTにおけるMRTF-Aの局在を検討した。TGF-β2により核内MRTF-Aタンパク質量は増加したが、Y27632によるRhoシグナル経路の抑制によって阻害された。TGF-β2により細胞全体のMRTF-Aの発現上昇が認められたが、この発現変化はRhoシグナル阻害の影響を受けなかった。一方、TGF-β2による細胞全体のMRTF-Aの発現上昇はSmad4発現のノックダウンにより抑制された。以上の結果よりMS-1細胞においては、TGF-β2はMRTF-Aの核内移行および発現上昇を促進し、MRTF-Aを活性化していることが見いだされた。さらに、その核内移行にはRhoシグナル活性化が重要であるが、一方で、その発現上昇にはRhoシグナル活性化を促すSmad経路が、Rhoシグナルとは独立して、重要であることが示唆された。

(7) MRTF-AはMS-1細胞におけるTGF-β2によるα-SMAの発現上昇に必要かつ十分である

MS-1細胞においてTGF-β2によるα-SMAの発現上昇にMRTF-Aが必要か検討するため、MRTF-A発現のノックダウンを行ったところ、TGF-β2によるα-SMAの発現上昇は顕著に抑制された。次に、MRTF-Aがα-SMAの発現上昇に対して十分条件であるか検討した。恒常活性型MRTF-Aをレンチウイルスを用いてMS-1細胞に発現させるとα-SMAの発現上昇が認められた。以上の結果より、TGF-β2によるα-SMAの発現上昇にはMRTF-Aが必要であり、MRTF-AはTGF-β2と同様にα-SMAの発現上昇をもたらすことが示唆された。

【考察】

本研究は、MS-1のEndMTにおける間葉系細胞マーカー発現調節メカニズムを探索し、Rhoシグナルの活性化、MRTF-Aの発現量調節がいずれもSmad経路により調節されているという新たな知見を見出した。

EndMTは心臓の中隔、弁の発達プロセスにおいて起きており、適切なEndMTの誘導不全が先天性心疾患の原因の一つとなっている可能性がある。EndMT機構の詳細な解明により、EndMT異常を引き起こす環境要因などが判明すれば、先天性心疾患の発症予防および治療応用につながる可能性がある。

また、EndMTは臓器線維症に寄与している可能性があり、EndMT機構の詳細な解明による有効なEndMT阻害方法の確立は臓器線維症の治療応用につながる可能性がある。

更に、近年、EndMTの研究で得られた知見が、弁膜症の治療に応用されつつある。弁膜症の治療として現在人工弁置換手術に用いられている機械弁および生体弁は、血栓症、石灰化、耐久性などの問題を抱え、また小児期に置換した小さい人工弁は成長に伴って相対的狭窄を呈することから、これらの問題点を解決できる新しい人工弁の開発が急務である。近年、自己組織を用いたtissue-engineered heart valve (TEHV) の開発が進んでおり、生体の成長・加齢に伴う弁の大きさや組織の構造変化を模倣できるようEndMTやECM産生を自動調節できる弁の開発が進んでいる。

ゆえに、本研究におけるEndMT機構の解明は、EndMTの関与が示唆される病態の解明、疾病予防および治療法の開発に、大いに貢献する可能性がある。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、心臓発生、臓器線維症において重要な役割を演じていると考えられている内皮間葉移行 (endothelial to mesenchymal transition: EndMT) の分子機序を明らかにするため、マウス膵臓由来血管内皮細胞 (MS-1) のTGF-β2によるEndMTのシグナル経路の解明を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.MS-1細胞にTGF-β2を投与して、24時間後にはアクチンストレスファイバーの形成が認められ、72時間後には細胞間接着が消失し、内皮細胞マーカーである細胞膜上のVE-カドヘリンタンパク質が検出されなくなり、間葉系細胞マーカーであるα-SMA、SM22α、ファイブロネクチン 1、MMP2の発現が上昇した。以上の結果より、MS-1細胞はTGF-β2によりEndMTが誘導されることが示唆された。

2.EMTにおいては、Snailファミリー (Snail、Slug)、δEF-1ファミリー (δEF-1、SIP-1) の関与が多く報告されているが、MS-1細胞にTGF-β2を投与してEndMTを誘導しても、Slug、δEF-1、SIP-1の発現誘導は認められなかった。一方、TGF-β2刺激によりSnailの発現上昇は認められたが、Snailの発現をノックダウンしてもTGF-β2刺激によるα-SMAの発現上昇は影響をうけなかった。以上の結果より、TGF-β2によるMS-1細胞におけるα-SMAの誘導に、Snail転写因子は必要ではないことが示唆された。

3.Rhoファミリータンパク質は細胞運動、細胞周期、細胞質分裂、アポトーシス、転写など広範に細胞機能の制御に関わっており、EMTにおいてもRhoシグナルの活性化の関与がいくつか報告されている。そこで、TGF-β2によるMS-1細胞におけるα-SMAの発現におけるRhoシグナルの関与を検討した。TGF-β2はMS-1細胞においてRhoAを活性化した。TGF-β2によるアクチンストレスファイバー形成ならびにα-SMAの発現誘導は、Y27632やC3菌体外酵素といったRhoシグナル阻害剤により抑制された。以上の結果より、TGF-β2によるMS-1細胞におけるα-SMAの誘導には、Rhoシグナルの活性化が必要であることが示唆された。

4.乳腺上皮細胞NMuMG細胞におけるTGF-βによるEMTにおけるRhoシグナルの活性化はnon-Smad経路に依存している。そこでMS-1細胞におけるTGF-β2による間葉系細胞マーカーの発現上昇にSmad経路が関与するか検討した。TGF-β2によるα-SMA、SM22α、ファイブロネクチン 1、MMP2の発現上昇は、Smad4発現のノックダウンにより抑制された。以上のことよりTGF-β2によるMS-1細胞における間葉系細胞マーカーの発現上昇にはSmad経路が関与することが示唆された。

5.RhoAを活性化するグアニンヌクレオチド交換因子 (guanine nucleotide exchange factor: GEF) は約60種類以上知られており、TGF-βによるEMTにおいてNet1、GEF-H1などのGEFの関与が報告されている。TGF-β2処理したMS-1細胞で発現が上昇するGEFを同定するために、cDNAマイクロアレイ解析によるmRNAの発現プロファイリングを行った。Arhgef5がTGF-β2により発現が上昇しており、TGF-β2によるα-SMAの発現上昇はArhgef5発現のノックダウンにより抑制された。また、TGF-β2によるArhgef5の発現上昇はSmad4発現のノックダウンにより抑制された。以上の結果より、Smad4依存的にTGF-β2により発現が上昇するArhgef5は、TGF-β2によるα-SMAの発現上昇に寄与していることが見出され、Arhgef5がSmad経路の下流でRho活性化を制御する分子の候補であることが示唆された。

6.MRTF-Aはmyocardinファミリーに属し、細胞の筋分化関連遺伝子の転写を促進する血清応答因子のコファクターとして働く。G-アクチンに結合して細胞質に局在するMRTF-AはRhoシグナルが活性化されストレスファイババーが形成される際に、G-アクチンから遊離し核内へ移行することが知られている。そこでTGF-β2によるMS-1細胞のEndMTにおけるMRTF-Aの局在を検討した。TGF-β2により核内MRTF-Aタンパク質量は増加したが、Y27632によるRhoシグナル経路の抑制によって阻害された。TGF-β2により細胞全体のMRTF-Aの発現上昇が認められたが、この発現変化はRhoシグナル阻害の影響を受けなかった。一方、TGF-β2による細胞全体のMRTF-Aの発現上昇はSmad4発現のノックダウンにより抑制された。以上の結果よりMS-1細胞においては、TGF-β2はMRTF-Aの核内移行および発現上昇を促進し、MRTF-Aを活性化していることが見いだされた。さらに、その核内移行にはRhoシグナル活性化が重要であるが、一方で、その発現上昇にはRhoシグナル活性化を促すSmad経路が、Rhoシグナルとは独立して、重要であることが示唆された。

7.MS-1細胞においてTGF-β2によるα-SMAの発現上昇にMRTF-Aが必要か検討するため、MRTF-A発現のノックダウンを行ったところ、TGF-β2によるα-SMAの発現上昇は顕著に抑制された。次に、MRTF-Aがα-SMAの発現上昇に対して十分条件であるか検討した。恒常活性型MRTF-Aをレンチウイルスを用いてMS-1細胞に発現させるとα-SMAの発現上昇が認められた。以上の結果より、TGF-β2によるα-SMAの発現上昇にはMRTF-Aが必要であり、MRTF-AはTGF-β2と同様にα-SMAの発現上昇をもたらすことが示唆された。

以上、本研究はMS-1のEndMTにおける間葉系細胞マーカー発現調節メカニズムを探索し、Rhoシグナルの活性化、MRTF-Aの発現量調節がいずれもSmad経路により調節されているという新たな知見を見出した。本研究におけるEndMT機構の解明は、EndMTの関与が示唆される病態の解明、疾病予防および治療法の開発に、大いに貢献する可能性があると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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