学位論文要旨



No 128264
著者(漢字) 山賀,亮之介
著者(英字)
著者(カナ) ヤマガ,リョウノスケ
標題(和) 乳がん細胞における次世代シーケンサーを用いたエストロゲン応答遺伝子の探索
標題(洋)
報告番号 128264
報告番号 甲28264
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3923号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 本間,之夫
 東京大学 准教授 矢野,哲
 東京大学 准教授 大須賀,穣
 東京大学 准教授 飯島,勝矢
 東京大学 講師 狩野,方伸
内容要旨 要旨を表示する

乳がんは女性において最も多いがんであり、現在も増加傾向にある。本邦においても、食事など生活スタイルの欧米化に伴い乳がんが増加し、現在日本女性の罹患率第一位の悪性新生物となっており、その対策が求められている。

乳がんはエストロゲンによってその発生・増殖・浸潤・転移などのシグナルを受ける、ホルモン感受性がんの一つである。その為、抗エストロゲン薬であるタモキシフェンなどがホルモン療法として用いられており、治療の観点からもエストロゲンシグナルが重要な因子と考えられる。一方で、一部の乳がんはホルモン療法に対して耐性を獲得しており、予後を増悪させている。

これまで、エストロゲンシグナルを解明することにより、乳がんの発達・進展の機序解明や、治療の開発、ホルモン療法抵抗性に関する検討などが行われてきた。しかし、エストロゲンは核内受容体であるエストロゲン受容体に受容された後、転写因子として多くの遺伝子の発現を調整するほか、二次的・三次的にも様々なシグナルに多段階で影響を与え、そのネットワークは非常に複雑なため、未だ十分な解明に至っていない。

今までゲノムワイドのエストロゲンシグナル解析は主にマイクロアレイ法にて行われてきたが、近年の次世代シーケンサーの急速な発達と普及により、正確に多くのデジタル的なDNA・RNA・エピゲノムの評価が可能になっている。

本研究においては、次世代シーケンサーを用いたトランスクリプトーム解析によって乳がん細胞におけるエストロゲンシグナル解析を行い、乳がんの増殖や進展の分子的メカニズムを明らかにすると同時に、新たなマーカーや予防法、治療法への開発への道を探索することを目的とした。

エストロゲン受容体陽性のヒト乳がん細胞株であるMCF-7に対し、3日間エストロゲン枯渇状態で培養した後に100 nMの17βエストラジオール (E2) を添加し、添加前 (0時間) 及び添加後 (2, 4, 8, 12, 24時間) に、RNAを採取した。

採取したRNAを精製し、CAGE (Cap Analysis of Gene Expression)-Seq及びRNA-Seqの手法で次世代シーケンサー Illumina GAIIxを用いたシーケンスを行った。CAGE-Seqは、mRNAのCAP構造を認識して、5'末端の20塩基のみをシーケンスし、転写産物の転写開始点の同定とその発現定量化を行う方法である。一方、RNA-SeqはmRNAをランダムに切断したmRNA断片を全てシーケンスすることによって、転写産物全長の評価とその発現定量化を行う方法である。

CAGE-Seq及びRNA-Seqの結果得られたRNA配列をNCBI Human Build 36.1のリファレンスゲノムにマッピングし、各転写産物の定量的評価を行った。各シーケンス結果よりエストロゲン応答性を示す転写産物を抽出し、定量的RT-PCRにてエストロゲン応答性を検証し、エストロゲン応答遺伝子を同定した。さらに、siRNAを用いた機能スクリーニングによって、MCF-7の増殖および遊走に影響を与える遺伝子を検索した。

CAGE-Seqによって得られたシーケンスタグに関して、400塩基以内に存在するタグをまとめ、一つのTag Cluster (TC) と定義し、転写開始点におけるmRNAの発現を示すグループとして解析した。その結果、リファレンスゲノムにマッピングされる全34,861個のTCを同定した。そのうち、E2刺激によって、時系列 (2, 4, 8, 12, 24時間) のいずれかの時点でE2負荷前(0時間)に比べて1.5倍以上変動するエストロゲン応答TCは、全体の1,550個 (14.2%) 存在した。さらに、既報データベースのエストロゲン受容体結合部位 (ERBS; Estrogen Receptor Binding Site) の近傍10 kb以内に存在し、既知遺伝子 (RefSeq遺伝子) の転写開始点にマッピングされる、高発現・高エストロゲン応答性のTCを26個同定した。この26個のTCに相当する26遺伝子に対して、定量的RT-PCRを用いてMCF-7における同時系列(0, 2, 4, 8, 12, 24時間)でのE2負荷RNA発現解析を行い、15遺伝子のエストロゲン応答性を検証した。その内、12遺伝子は今までエストロゲン応答の報告がない、新規のエストロゲン応答遺伝子であった。

RNA-Seqによって得られたシーケンスタグに関しては、各RefSeq遺伝子のエクソンにマッピングされるタグをカウントし、発現変動解析を行った。その結果、同じくERBS近傍 10 kb以内に存在する高発現・高エストロゲン応答性のRefseq遺伝子を、37遺伝子同定した。この37遺伝子に対して、CAGE-Seqと同様にqRT-PCRによるRNA発現解析を行い、29遺伝子のエストロゲン応答性を検証した。そのうち、21個の新規のエストロゲン応答遺伝子が含まれていた。

CAGE-Seq及びRNA-Seqより抽出した再現性のあるエストロゲン応答遺伝子のうち、GREB1、CA12、PPM1Dの3遺伝子は両者で重複していた。重複を除く計41遺伝子(うち、新たにエストロゲン応答性を同定した遺伝子は32遺伝子)に関して、それぞれの遺伝子に対するsiRNAを用いて各遺伝子をノックダウンし、MCF-7細胞における増殖、遊走、エストロゲン受容体活性に対する影響を検討した。細胞の増殖はMTSアッセイによって、細胞の遊走はトランスウェル遊走試験によって、エストロゲン受容体活性に対する影響はエストロゲン応答配列を組み込んだレポーター遺伝子によるプロモーターアッセイによって検証した。

その結果、エストロゲン応答性41遺伝子のうち、10遺伝子のノックダウンによって、増殖もしくは遊走が有意に影響を受けた。この10遺伝子の内、GPRC5Cを除く9遺伝子はエストロゲンによって発現が亢進され、ノックダウンする事で増殖もしくは遊走が抑制された。GPRC5Cのみがエストロゲンによって発現抑制を受け、ノックダウンする事で増殖が亢進された。

この10遺伝子の中で、乳がん細胞における浸潤および腫瘍形成を促進するRAMP3、がん原遺伝子であるMYC、細胞周期の進行を担うCCND1の3遺伝子は、既にエストロゲン応答性の報告がされている遺伝子であった。その他7遺伝子は乳がん細胞の増殖・遊走に影響を与え得る新規のエストロゲン応答遺伝子と考えられた。これらの中には、既報にて乳がんの発達や進展に関わることが示されている遺伝子などが含まれていた。

CAGE-Seqによって同定された新規のエストロゲン応答遺伝子であるVDAC2は、ミトコンドリアからのシトクロームC放出によってアポトーシスを促進するBAKに結合し、その機能を阻害する事で抗アポトーシスに働く事が示されている遺伝子であり、エストロゲンによる抗アポトーシス作用に関する新たな因子として考えられた。

同じくCAGE-Seqによって同定された新規のエストロゲン応答遺伝子であるGPRC5Cは詳細な機能は判明していない七回膜貫通オーファンG蛋白共役型受容体であり、本研究により、エストロゲンによって発現抑制を受け、ノックダウンすることによってMCF-7の増殖を亢進する作用が認められ、この分子の乳がんに対する新たな治療薬開発への可能性も示唆された。

また、RNA-Seqによって同定された新規のエストロゲン応答遺伝子であるEIF3Aは、細胞周期や分化を制御する転写開始因子であり、本研究においてはがん促進的に働く可能性が示唆された。

同じくRNA-Seqによって同定された新規のエストロゲン応答遺伝子であるTPD52L1は細胞周期同調的に発現し、細胞周期の抑制因子である14-3-3ファミリーと結合する事が知られている。この遺伝子に関しても、乳がんにおける新たなエストロゲンシグナルの存在が示唆された。

さらに、CAGE-Seq及びRNA-Seqの結果より、今まで遺伝子の存在が報告されていない領域に、CAGE-Seq及びRNA-Seq両者でエストロゲンによって発現が亢進される新たな転写産物を同定した。定量的RT-PCR法によってもこのエストロゲンによる転写亢進が検証された。この転写産物は長鎖non-coding RNAである事が想定された。今までエストロゲン応答性の長鎖 non-coding RNAの報告はなく、今回の報告によって新たなエストロゲンシグナル存在の可能性が示唆された。

本研究において、次世代シーケンサーを用いてヒト乳がん細胞株MCF-7におけるゲノムワイドのエストロゲンシグナル解析を行い、計41個のエストロゲン応答遺伝子を見出した。そのうち、32個の遺伝子が新規のエストロゲン応答性遺伝子であった。全エストロゲン応答性41遺伝子をsiRNAによって系統的にノックダウンすることにより、MCF-7の増殖もしくは遊走に影響を与える10遺伝子を特定した。さらに、新規のエストロゲン応答性長鎖non-coding RNAを同定することに成功した。これらの結果により、乳がんの増殖や進展に関わるエストロゲン応答経路の一部を明らかにした。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は乳がんの増殖や進展において重要な役割を演じていると考えられている転写因子であるエストロゲン受容体のネットワークを明らかにするため、ヒト乳がん細胞株 (MCF-7) に17βエストラジオールを添加して時系列のRNAサンプルを採取し、次世代シーケンサーを用いてゲノムワイドなエストロゲン応答遺伝子の探索を行ったものであり、下記の結果を得ている。

1. Cap Analysis of Gene Expression(CAGE)-Seqの手法を用いて転写産物の転写開始点を反映するTag Cluster (TC) を定量的に解析した結果、1550個のエストロゲン応答性TCを同定した。その中で、既報データベースのエストロゲン受容体結合部位 (ERBS; Estrogen Receptor Binding Site) の近傍10 kb以内に存在し、既知遺伝子 (RefSeq遺伝子) の転写開始点にマッピングされる、高発現・高エストロゲン応答性のTCを26個同定した。この26個のTCに相当する26遺伝子に対して、定量的RT-PCRによる発現解析を行い、15遺伝子のエストロゲン応答性が検証された。

2. RNA-Seqの手法を用いて転写産物全長を定量的に解析した結果、2291個のエストロゲン応答性遺伝子を同定した。その中で、既報データベースのERBS近傍10 kb以内に存在する、高発現・高エストロゲン応答性のRefSeq遺伝子を37個同定した。この37遺伝子に対して定量的RT-PCRによる発現解析を行い、29遺伝子のエストロゲン応答性が検証された。

3 CAGE-Seq及びRNA-Seqによって同定され、定量的RT-PCRによって検証されたエストロゲン応答遺伝子に関して、それぞれの遺伝子に対するsiRNAを用いて各遺伝子をノックダウンし、MCF-7細胞における増殖、遊走、エストロゲン受容体活性に対する影響を検討した。その結果、10遺伝子のノックダウンによって増殖もしくは遊走が有意に影響を受けた。これらのうち、7つの遺伝子は新規のエストロゲン応答遺伝子であり、乳がんの増殖や進展に関わり得る新たなエストロゲンシグナルの存在が示された。

4. CAGE-Seq及びRNA-Seqの結果より、今まで遺伝子の存在が報告されていない領域に、CAGE-Seq及びRNA-Seqの両者でエストロゲンによって発現が亢進される新たな転写産物を同定した。定量的RT-PCRによってもエストロゲンによる転写亢進が検証された。この転写産物は長鎖non-coding RNAであることが想定されたが、今までエストロゲン応答性の長鎖non-coding RNAの報告はなく、今回の報告によって新たなエストロゲンシグナルが存在する可能性が示唆された。

以上、本論文は次世代シーケンサーを用いてヒト乳がん細胞株MCF-7における17βエストラジオール負荷後の時系列RNAを解析することにより、新たなエストロゲン応答遺伝子を同定し、さらに乳がん細胞の増殖や遊走に影響を与える遺伝子を同定した。又、今までエストロゲン応答性の報告されていない長鎖non-coding RNAに関しても、新規のエストロゲン応答性転写産物を同定した。これらの結果は、乳がんの増殖や進展に関わるエストロゲン応答経路の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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