学位論文要旨



No 128267
著者(漢字) 北野,健太郎
著者(英字)
著者(カナ) キタノ,ケンタロウ
標題(和) 非小細胞肺癌のDNAメチル化によるマイクロRNAの発現抑制と臨床・病理的特徴との関連
標題(洋)
報告番号 128267
報告番号 甲28267
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3926号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小野,稔
 東京大学 教授 小池,和彦
 東京大学 准教授 池田,均
 東京大学 准教授 朝蔭,孝宏
 東京大学 講師 幸山,正
内容要旨 要旨を表示する

肺癌は本邦並びに世界的にも癌死の第1位であり,他臓器の癌と比較して治療成績は良好とは言えない.遺伝子工学の発達にともなって,肺癌の分子生物学異常についても多くの研究が行われてきた.発癌にはDNAの異常メチル化をはじめとするエピジェネティクス異常が関与していることが知られており,肺癌においてはCDKN2A遺伝子のメチル化が予後と関連するという報告がある.マイクロRNAは約22塩基長のノンコーディングRNAで,その配列特異性を鍵として標的遺伝子発現を抑制する.肺癌においてはマイクロRNAの一種であるlet-7の低発現が進行した病期と不良な予後に関連するという報告がある.マイクロRNAはタンパクをコードする遺伝子と同様,ゲノムDNAからの転写を由来としていることから,その発現調節にはエピジェネティクスも関与していると考えられる.そこで,我々は,肺癌診療における新たなバイオマーカーや治療のターゲットとなりうる癌抑制的なマイクロRNAを同定できる可能性があると考え,2つの実験を行った.

1つめの実験は,肺癌におけるマイクロRNA のエピジェネティックサイレンシングの検索である.すなわち,肺癌において,DNAメチル化によって発現が抑制されているマイクロRNAが存在するかという課題である.当研究室でこれまで行ってきた手法として,まず肺癌細胞株でCpGアイランドに関連するマイクロRNAの発現量を定量し,脱メチル化剤で処理することで発現量が増加したマイクロRNAから絞り込むことで,最終的に2つのマイクロRNA(miR-34bとmiR-126)を同定した.今回,そこから漏れたマイクロRNAを改めて検索することにした.アプローチ法を変え,まずゲノム上で異常なメチル化のある,マイクロRNAのコードされている領域(マイクロRNA領域)を検索することとした.

2010年1月時点で入手可能なキットで定量可能な完成型マイクロRNAのうち, CpGアイランド上にコードされているマイクロRNAは30個であった.性染色体上にコードされているもの,ひとつの完成型マイクロRNAに対して複数のpre-miRNAが存在するもの,当研究室ですでに研究を進めていたものなどを除外した結果,8個のマイクロRNAが残り,それぞれがコードされているCpGアイランド上にCOBRA用のプライマーセットを作成した.肺癌24細胞株と正常肺組織のゲノムDNAを用いて,この8個のマイクロRNA領域のCOBRAを行った.その結果,mir-152領域において3細胞株で高い割合のメチル化が認められた.これら3細胞株の脱メチル化処理前後でmiR-152を定量したところ,脱メチル化処理による発現量の増加はいずれもごくわずかであった.また,肺癌の臨床検体8例におけるmir-152領域のCOBRAとmiR-152の定量を行った.3例でmir-152領域のメチル化を認めたが,miR-152の発現量との関連は認めなかった.以上から,肺癌においてDNAメチル化によるmiR-152の発現抑制の程度は大きくないと考えられ,肺癌におけるマイクロRNAのエピジェネティックサイレンシングを新たに同定するには至らなかった.

2つめの実験は,臨床肺癌検体におけるマイクロRNA領域のメチル化の検討である.すなわち,マイクロRNA領域のDNAメチル化を検出することにより,何らかの臨床・病理的特徴との関連を見いだすことができるかという課題である.今回,上述のmir-152のほか,これまで肺癌においてDNAメチル化の報告されているmir-9-3,-124-1,-124-2,-124-3について,臨床肺癌検体のゲノムDNAを対象としてCOBRAを行い,DNAメチル化の有無と臨床・病理的特徴との関連を検討した.

東京大学医学部附属病院呼吸器外科で2005年6月から2007年9月までの間に切除された原発性非小細胞肺癌症例の解析を行った.組織型は腺癌・扁平上皮癌・腺扁平上皮癌に限定し,T1およびT2の症例を対象とした.肺癌96症例を検討に含めた.観察期間の中央値は49.5月であった.観察期間中,30例に再発を認めた.mir-124-2およびmir-124-3のメチル化は高年齢群(>65歳)・喫煙者に多かった.また,mir-9-3,-124-2,-124-3のメチル化を有する症例は,メチル化を有しない症例と比べて有意にT2の割合が多かった.さらに,mir-124-2のメチル化は,EGFR変異陰性と相関した.mir-152,-124-1のメチル化の状態は,どの臨床・病理的特徴とも相関を認めなかった.mir-152,-9-3,-124-1,-124-2,-124-3のうち2つ以上の領域でメチル化の検出された症例は,メチル化の検出が2つ未満の領域であった症例に対して,T2であるオッズ比は4.75 (1.83 - 13.59)であった.言い換えると,調査した5つのうち複数のマイクロRNA領域でメチル化が認められれば,T2である可能性が高いと言えた.最後に,無再発生存期間についての生存曲線を作成した.単変量解析の結果,最も強い予後因子はT因子であった.マイクロRNA領域のメチル化の状態を用いた単変量解析では,2領域以上のメチル化が,有意な予後因子となった.

2つの実験の結果をまとめると,今回,肺癌におけるマイクロRNAのエピジェネティックサイレンシングを新たに同定するには至らなかったが,ゲノムDNAにおけるマイクロRNA領域のメチル化を検出することで,T因子や予後との関連を見出すことができた.異常なDNAメチル化があるにもかかわらずマイクロRNAの発現抑制がさほど認められなかった要因の一つとして考えられるのは,より上流の転写開始点の存在である.mir-152はCpGアイランド上に存在すると同時に親遺伝子COPZ2を持つため,COPZ2とともに転写制御を受けている可能性がある.肺癌におけるT因子は,きわめて単純化すれば発癌から発見されるまでの時間を反映したものと解釈できる.今回の研究では,マイクロRNA領域の個々のメチル化が劇的な表現型の変化をもたらさなかったからこそ転移や脈管侵襲に関してはほとんど有利にも不利にも働かず,結果として,時間の経過とともに生じたメチル化の蓄積が進んだT因子としてのみ相関したとも考えられた.

本研究は,肺癌という疾患に対して,エピジェネティクスとマイクロRNAの両面からアプローチした研究である.DNAメチル化を検出する手法は,マイクロRNAの発現量を定量する方法と比べて,低コストであることと,臨床検体採取から検出までの低質化が生じにくい利点がある.肺癌の臨床においては,腫瘍組織のDNAメチル化を調査できるよりも先に,T因子が判明することが通常である.そのため,今回の結果が直ちに臨床に応用できるとはいいがたい.今後,マイクロRNA領域のメチル化が臨床的に有用なバイオマーカーとなりうるかを検討するために,T因子を一定に揃えた上での予後の比較が必要と考えられた.

審査要旨 要旨を表示する

本研究は非小細胞肺癌のDNAメチル化によるマイクロRNAの発現抑制と臨床・病理的特徴との関連を明らかにするため、肺癌臨床検体およびヒト肺癌細胞株を用いてマイクロRNA領域のDNAメチル化を検出し、マイクロRNAの発現量や臨床・病理的特徴との関連の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. 肺癌において、ゲノム上で異常なDNAメチル化が生じているマイクロRNA領域を検索した。その候補として、定量可能な完成型マイクロRNAのうち、CpGアイランド上にコードされているマイクロRNAを8個選出した。それぞれがコードされているCpGアイランド上にCombined Bisulfite Restriction Analysis (COBRA)用のプライマーセットを作成し、肺癌24細胞株と正常肺組織のゲノムDNAを用いて、この8個のマイクロRNA領域のCOBRAを行った。その結果、mir-152領域において3細胞株で高い割合のメチル化が認められた。正常肺組織ではmir-152領域にメチル化は認められず、mir-152領域のメチル化は肺癌特異的な異常メチル化と考えられた。

2. 同様に、肺癌の臨床検体8例におけるmir-152領域のCOBRAを行った。その結果、8例中3例の肺癌検体においてmir-152領域のメチル化を認めた。一方、対応するいずれの正常肺組織検体においてもmir-152領域のメチル化は認めなかった。肺癌におけるmir-152領域のメチル化はこれまで報告がなく、新しい知見といえた。

3. mir-152領域の異常なメチル化と、対応する転写産物であるmiR-152の発現量との関連を検討した。メチル化の認められた肺癌3細胞株を用いて、脱メチル化処理前後でmiR-152を定量したところ、脱メチル化処理による発現量の増加はいずれもごくわずかであった。

4. 肺癌臨床8例の肺癌組織を用いてmiR-152の定量を行った。3例でmir-152領域のメチル化を認めたが、miR-152の発現量との関連は認めなかった。以上から、肺癌においてmir-152領域が異常メチル化を受けるものの、 miR-152の発現抑制の程度は大きくないと考えられた。

5. 上述のmir-152のほか、これまで肺癌においてDNAメチル化の報告されているmir-9-3、-124-1、-124-2、-124-3について、臨床肺癌検体のゲノムDNAを対象としてCOBRAを行い、DNAメチル化の有無と臨床・病理的特徴との関連を検討した。東京大学医学部附属病院呼吸器外科で切除された非小細胞肺癌96症例の解析を行った。mir-124-2およびmir-124-3のメチル化は高年齢群・喫煙者に多かった。また、mir-9-3、-124-2、-124-3のメチル化を有する症例は、メチル化を有しない症例と比べて有意にT2の割合が多かった。さらに、mir-124-2のメチル化は、EGFR変異陰性と相関した。mir-152、-124-1のメチル化の状態は、どの臨床・病理的特徴とも相関を認めなかった。

6. mir-152、-9-3、-124-1、-124-2、-124-3のうち2つ以上の領域でメチル化の検出された症例は、メチル化の検出が2つ未満の領域であった症例に対して、T2であるオッズ比は4.75 (1.83 - 13.59)であった。言い換えると、調査した5つのうち複数のマイクロRNA領域でメチル化が認められれば、T2である可能性が高いと言えた。

7. 上記96症例の生存解析を行った。観察期間の中央値は49.5月であった。観察期間中、30例に再発を認めた。無再発生存期間の単変量解析の結果、最も強い予後因子はT因子であった。マイクロRNA領域のメチル化の状態を用いた単変量解析では、2領域以上のメチル化が、有意な予後因子となった。

以上、本論文は非小細胞肺癌において、臨床検体および細胞株のゲノムDNAを用いたCOBRAから、mir-152領域の異常メチル化の存在を示し、臨床検体の生存解析からマイクロRNA領域のメチル化が肺癌の無再発生存期間の予後因子となりうる可能性を示した。本研究はこれまで未知に等しかった、肺癌におけるバイオマーカーとしてのマイクロRNA領域のメチル化の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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