学位論文要旨



No 128272
著者(漢字) 緒方,英
著者(英字)
著者(カナ) オガタ,フサ
標題(和) リンパ浮腫の分子病態解明について
標題(洋)
報告番号 128272
報告番号 甲28272
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3931号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,伸一
 東京大学 講師 吉村,浩太郎
 東京大学 准教授 渡部,徹郎
 東京大学 准教授 宮田,哲郎
 東京大学 准教授 中島,敏明
内容要旨 要旨を表示する

リンパ浮腫は悪性腫瘍治療によるリンパ節郭清や放射線治療などの後に四肢が肥大し、生活の質を著しく低下する慢性の進行性疾患である。わが国では、婦人科手術の際のリンパ節郭清後に発症する続発性が圧倒的に多く、乳癌手術後の20-30%、子宮癌手術後の20-40%に発症すると報告されており、国内で上肢リンパ浮腫が3-5 万人、下肢リンパ浮腫が5-7 万人存在しており、年間1万人前後がリンパ浮腫に罹患すると推定されている。リンパ浮腫は、単純に外科手術に伴うリンパ管閉塞・除去によって生じるものではなく、術後3-5 年の経過を経て慢性化する。同一肢であっても、部位によって組織病変の進行度が異なる。術後にどのような機序によってリンパ浮腫に至るのか、その発症機序はまったく不明で、明確な診断基準、有効かつ標準化しうる治療法は確立されていない。現在のところリンパ浮腫の有効な治療法は存在せず、マッサージと弾性ストッキングによって、一時的に浮腫を軽減する治療のみが行われているのが現状である。このような深刻な疾患であるにもかかわらず、明確な診断基準がなく、さらに医療従事者においても重篤な疾患である認識が低く、他の慢性疾患のような早期発見、早期治療の概念が薄い。したがって、リンパ浮腫の病態解明ならびにそれに基づく発症予防や疾患の根治が可能な治療法の開発が急務である。

リンパ管は角膜、中枢神経を除く全身の器官に分布している。しかしながら、リンパ管は血管と異なり、末梢組織に存在する末端では盲端構造を呈している。末梢組織における組織液を疎な一層の内皮細胞からなる毛細リンパ管で吸収すると、基底膜と平滑筋細胞をもつ集合リンパ管、胸管を経由して静脈に合流する。リンパ管は単なる通路ではない。脂質の吸収、恒常性保持・電解質、免疫応答・免疫寛容など生理的に重要な役割を果たしているだけでなく、浮腫や炎症、悪性腫瘍の転移などの病的状態にも関与している重要な器官である。

17世紀にAselliがリンパ管を発見してから1900年代になるまでリンパ管研究は解剖学が中心であり、リンパ管の機能や形成機構に関する研究はほとんど行われていなかった。1992年にVEGF受容体ファミリーであるVEGFR3が発見され、1995年にリンパ管内皮細胞に特異的に発現することが明らかになった。その後、様々なリンパ管を同定するマーカーによりリンパ管を可視化する方法が確立し、リンパ管新生を促進する因子の同定、リンパ管内皮細胞の培養実験系の樹立により、近年になってようやく分子生物学的研究の対象になってきた。

胎生期リンパ管の発生は静脈にホメオボックス転写因子であるProx-1が発現し、この細胞がVEGF-Cによって刺激されて発芽する。リンパ管形成は、成人においては既存のリンパ管からの分岐によるものが主であると考えられている。VEGFR-3はリンパ管内皮細胞に特異的に発現し、VEGF-Cの刺激によってリンパ管新生が誘導される。VEGFR-3は、胎生期8日目から静脈内に一過性に発現するが、胎生期12日目にはリンパ管内皮細胞にのみ発現する。VEGFR-3ノックアウトマウスは血管再構築の異常と心外膜液貯留でリンパ管が発生する胎生期10日には致死する。またVEGFR-3遺伝子の突然変異が原因である先天性リンパ浮腫のMilroy病は出生早期から四肢リンパ浮腫を認める。VEGFR-3のリガンドであるVEGF-Cノックアウトマウスはリンパ管の発芽過程が阻害されるため、胎生期15.5~17日目で致死する。VEGFR-3はVEGF-Dによっても活性化され、胎生期、成人期両方でリンパ管新生に関与しているが、VEGF-Dノックアウトマウスは発生段階では異常を認めないが、癌組織においてリンパ管新生と所属リンパ節転移を促進することから発生段階では疾病においてリンパ管新生ではVEGF-Cとそのチロシンキナーゼ受容体であるVEGFR-3が中心的な役割と果たすが、多くの補助的因子の存在も明らかとなっている。

現在のリンパ管研究の中心であるリンパ管新生の生理的意義については主に癌リンパ性転移の機序の分野で活発に研究され、多くの知見が蓄積されている。また、炎症、脂質代謝、高血圧におけるリンパ管システムの関与の報告も相次いでいる。しかしながら、リンパ浮腫については、その病理変化も十分理解されておらず、分子機序に関する研究はほとんどなされていない。

本研究では、リンパ浮腫の発症メカニズムを明らかにするために、まずヒトリンパ浮腫の病理組織学的解析を行った。

正常の皮下リンパ管は内皮細胞、数層の平滑筋細胞からなる。しかし慢性リンパ浮腫リンパ管は正常リンパ管に比べて明らかな壁肥厚を認めた。増殖している細胞の多くは、平滑筋細胞のマーカーであるαSMA及びSM1陽性であった。しかし、特に内膜の細胞でこれらのマーカー遺伝子の発現は抑制されており、形質変換を起こし脱分化した平滑筋細胞と考えられた。平滑筋細胞の形質変換は、動脈硬化などの動脈疾患の形成に重要であることが知られている。動脈硬化においては、それを形成する慢性炎症機序によって形質変換が誘導される。従って、ヒトリンパ浮腫においても、炎症機序の寄与が示唆された。ところが、CD68陽性マクロファージは認められるものの、その数は少なく、リンパ管病変部位に散在していた。外科的治療の対象となる慢性期のリンパ浮腫では、リンパ浮腫の病態形成はほぼ完成しており、初期の病態を検討することは難しいものと考えられた。そこで、リンパ浮腫の発症機構を解析するために、マウスを用いた検討を行うこととした。

私が確立したマウスモデルでは、透過性の亢進した新生リンパ管とリンパ球と単球・マクロファージを主体とした免疫細胞の集積を認めた。炎症プロセスが、リンパ管新生をもたらしている可能性が高いことが示唆された。現在のところ、リンパ浮腫治療としてリンパ管新生を促す増殖因子が注目されている。マクロファージが腫瘍周囲組織や炎症組織において、VEGF-Cを産生し、さらにマクロファージがリンパ管内皮細胞にtransdifferentiatoionするという報告もあり、リンパ管新生の重要な因子である考えられている。私のマウスモデルにおいても、一部の単球、マクロファージがVEGF-C を発現していた。リンパ浮腫早期においてリンパ管新生を抑制すると浮腫が抑えられた。このことから、リンパ浮腫は異常なリンパ管新生によって惹起されることが強く示唆された。

マクロファージがリンパ管新生に重要であるとされているが、マウスモデルにおいては、浮腫部への集積細胞のほとんどがリンパ球であり、リンパ球を持たないRag2KOマウスではリンパ管閉塞してもリンパ管新生、リンパ管の透過性亢進をほとんど認めず、浮腫も軽度であった。さらに、浮腫部のCD4陽性T細胞がリンパ管新生に重要であることが強く示唆された。これに対して、CD8陽性T細胞はリンパ管新生には必須ではないと考えられる。in vitroリンパ管内皮細胞管腔形成アッセイの結果は、CD4陽性T細胞はマクロファージと協調して、リンパ管新生を促すことが考えられた。

本研究により、リンパ浮腫における炎症プロセスと、リンパ管の過剰新生と成熟異常の重要性が明らかとなった。今後、リンパ管閉塞後の免疫細胞の集積シグナル、集積CD4陽性T細胞のプロファイリングと更なる機能解析、免疫細胞の相互作用についての検討を進めることにより、さらに、リンパ浮腫における炎症機序の意義と制御機構が明らかにできると考える。また、この分子機序の解明は、未だ有効な治療法のないリンパ浮腫に対する新たな治療戦略の開発に発展するだろう。私は、炎症と血管新生への作用が知られている薬剤について、リンパ浮腫への作用を解析し、既に2 種の薬剤がリンパ管浮腫抑制作用を持つことを見いだしている(特許申請中)。今後臨床で使用するためには、作用機序のさらなる解明が必須であるが、リンパ浮腫形成過程の炎症機序を標的とすることによって、リンパ浮腫の発症を抑制することが可能になるかもしれない。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、現在のところ明確な診断基準、有効な治療がない深刻な疾患であるリンパ浮腫の発症メカニズムを明らかにするために、ヒトリンパ浮腫リンパ管検体と独自に開発したマウスのリンパ浮腫モデルを用いて、リンパ浮腫の病態変化の詳細な解析を行ったものである。そして、以下の結果を得た。

1. 慢性リンパ浮腫リンパ管は正常リンパ管に比べて明らかな壁肥厚を認めた。増殖している細胞の多くは形質変換を起こし脱分化した平滑筋細胞と考えられた。平滑筋細胞の形質変換は動脈硬化などに代表される慢性炎症機序によって誘導され、ヒトリンパ浮腫においても、炎症機序の寄与が示唆された。

2. マウスリンパ浮腫モデルを作成では透過性の亢進した新生リンパ管とリンパ球と単球・マクロファージを主体とした免疫細胞の集積を認めた。炎症プロセスが、未熟なリンパ管新生をもたらしている可能性が高いことが示唆された。

3. 可溶性VEGFR-3抗体及び可溶性VEGFR-3発現アデノウィルスを用いたリンパ管新生抑制のリンパ管新生への介入状態では過剰なリンパ管新生、リンパ液の漏出は抑えられ、浮腫自体も著明に減少した。このことから過剰なリンパ管新生とリンパ管の成熟障害がリンパ浮腫の病態基盤である可能性が示唆された。

4. リンパ浮腫部に多数のリンパ球が集積することから、リンパ球の機能的寄与について検討した。リンパ球を持たないRag2ノックアウト(Rag2KO)マウスでは明らかに未熟な新生リンパ管が少なく、浮腫も軽度であり、リンパ球はリンパ管新生と浮腫に重要であることが示唆された。

5. In vitroのリンパ管新生アッセイでは浮腫部の集積CD4陽性T細胞のみではリンパ管の管腔形成の促進はみられなかったが、CD11b陽性マクロファージと共培養することにより、明らか管腔形成促進を認めた。浮腫部のCD4陽性T細胞がリンパ管新生に重要であることが強く示唆された。

以上、本論文は、慢性リンパ浮腫のリンパ管検体を用いて慢性期のリンパ浮腫の病態、およびマウスリンパ浮腫モデルを用いて、リンパ浮腫の発症メカニズムを明らかにした。この分子解明は、未だ有効な治療法のないリンパ浮腫に対する新たな治療戦略の開発に重要な貢献を成す。よって、学位の授与に値するものであると考えられる。

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