学位論文要旨



No 128276
著者(漢字) 菊山,みずほ
著者(英字)
著者(カナ) キクヤマ,ミズホ
標題(和) 乳癌における新規癌抑制遺伝子に関する研究
標題(洋)
報告番号 128276
報告番号 甲28276
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3935号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 村上,善則
 東京大学 講師 多田,敬一郎
 東京大学 講師 坂本,幸士
 東京大学 特任准教授 後藤,典子
 東京大学 准教授 矢野,哲
内容要旨 要旨を表示する

【序文】

背景

乳癌の大部分を占める散発性乳癌では、家族性乳癌の原因遺伝子BRCA1/BRCA2の生殖細胞突然変異はきわめて稀であるが、BRCA1遺伝子のDNAメチル化、p53遺伝子の突然変異、PTEN遺伝子のDNAメチル化が約50%前後にみられる。しかしながら、これまでに同定されている癌抑制遺伝子の数は少なく、まだ同定されていない癌抑制遺伝子が存在すると考えられる。

遺伝子プロモーター領域のCpG部位が密集したCpGアイランド (CGIs) のメチル化は、下流の遺伝子発現を抑制し、点突然変異や染色体欠失に加えて、癌抑制遺伝子の不活化の機構として重要である。癌抑制遺伝子のメチル化は、癌の診断、予後や治療反応予測などに応用されている。

DNAメチル化異常によってサイレンシングされている癌抑制遺伝子を同定するために、メチル化DNA免疫沈降法 (methylated DNA immunoprecipitation: MeDIP) のようにゲノム網羅的にメチル化解析をする方法や、5-aza-2'-deoxycytidine (5-aza-dC) のような脱メチル化剤処理後の発現の変化をマイクロアレイで解析する方法などがある。これらの方法では数百から数千の遺伝子が選別されてくることがあり、癌化の随伴現象としてメチル化されている遺伝子も数多く含まれている。

数多くのメチル化された遺伝子の中から癌抑制遺伝子を同定するために、メチル化される遺伝子には規則があることを利用した。転写の有無に関わらず、正常細胞でRNAポリメラーゼII (Pol II) がCGIsに結合している遺伝子はメチル化抵抗性を示し、一方で、正常細胞でCGIsにPol II結合がなく、ヒストンH3の27番目のリジン残基のトリメチル化 (H3K27me3) が高レベルに認められる遺伝子は、メチル化感受性を示す。大多数の遺伝子は、このメチル化の規則に従ってメチル化されるが、数%の遺伝子は正常細胞でPol IIが結合しているにも関わらず、癌細胞でメチル化されており、"outlier遺伝子"と名付けた。このoutlier遺伝子は正常細胞で発現している、または発現していなくてもPol IIが結合しているので発現できる状態になっているため、癌化の原因になりうることが推測される。そこで、このoutlier遺伝子を探索することによって、癌抑制遺伝子が同定できると仮定した。

目的

本研究では、outlier遺伝子を探索するという新規のアプローチを用いて、新規癌抑制遺伝子を同定することを目的とした。そのために、1) 乳癌においてメチル化サイレンシングされている癌抑制遺伝子はoutlier遺伝子かどうかを明らかにするために、正常ヒト乳腺上皮細胞 (normal human mammary epithelial cell: HMEC) におけるPol II結合とH3K27me3レベルを解析する。2) HMECと乳癌細胞株におけるメチル化レベル、HMECにおけるPol II結合及びH3K27me3レベルをゲノム網羅的に解析し、outlier遺伝子を同定する。3) 新規癌抑制遺伝子の候補の機能解析を行う。

【方法】

癌抑制遺伝子のHMECにおけるPol II結合とH3K27me3レベルは、クロマチン免疫沈降法 (chromatin immunoprecipication: ChIP) とポリメラーゼ連鎖反応法 (polymerase chain reaction: PCR) (ChIP-PCR法) で定量的に解析した。

2つのHMECと5つの乳癌細胞株 (BT-474、MCF7、MDA-MB-231、MDA-MB-468、ZR-75-1)におけるゲノム網羅的DNAメチル化解析は、MeDIP及びヒトCGIオリゴヌクレオチドマイクロアレイ法を用いた。

HMECにおけるPol II結合とH3K27me3レベルのゲノム網羅的解析は、ChIP法及びヒトCGIオリゴヌクレオチドマイクロアレイ法を用いた。

乳癌細胞株及び乳癌検体におけるメチル化は、メチル化特異的PCR (methylation-specific PCR) 法で定量的に解析した。

発現解析は、定量的逆転写ポリメラーゼ連鎖反応法 (reverse transcription PCR) を用いた。

候補癌抑制遺伝子の機能解析は、short hairpin RNA (shRNA) を用いてノックダウンし、細胞増殖アッセイを行った。

【結果】

正常細胞における癌抑制遺伝子のPol II結合とH3K27me3レベル

乳癌においてDNAメチル化によって不活化される既知の癌抑制遺伝子BRCA1、CDKN2A、HOXA5、MASPIN、RASSF1A、RBP1の正常細胞 (HMEC) におけるPol II結合とH3K27me3レベルを解析した。HOXA5とMASPINは高いPol II結合レベルと低いH3K27me3レベルを示した。BRCA1も、Pol II結合が高く、H3K27me3レベルが低い傾向にあった。これらの結果から、一部の癌抑制遺伝子はoutlier遺伝子であることが示された。

乳癌におけるoutlier遺伝子の網羅的探索

2つのHMEC及び5つの乳癌細胞株のゲノム網羅的メチル化解析から、HMECではメチル化されておらず、2つ以上の乳癌細胞株でメチル化されている280個の遺伝子を同定した。次に、この280遺伝子のHMECにおけるPol II結合及びH3K27me3レベルをゲノム網羅的に解析し、Pol II結合レベルが高く、H3K27me3が低いレベルを示す14個のoutlier遺伝子を同定した。

乳癌細胞株及び乳癌検体におけるoutlier遺伝子の定量的メチル化解析

14個のoutlier遺伝子のうち、ヒストンをコードする遺伝子を除く13遺伝子について、HMECと13個の乳癌細胞株における定量的メチル化レベルを解析した。5遺伝子 (DZIP1、FBN2、HOXA5、HOXC9、OSBPL3) が乳癌細胞株でメチル化を認めた。

乳癌細胞株でメチル化を認めた5遺伝子について、40例の乳癌検体における定量的メチル化レベルを解析した。5遺伝子のうち、DZIP1、FBN2、HOXA5、HOXC9は、乳癌検体でもメチル化を認めた。

Outlier遺伝子のDNAメチル化異常と発現の関連

乳癌検体でもメチル化を認めた4遺伝子 (DZIP1、FBN2、HOXA5、HOXC9) のうち、HOXA5は乳癌においてメチル化サイレンシングされている癌抑制遺伝子として報告されていた。FBN2は腎細胞癌で癌抑制遺伝子と報告されていた。そこで、DZIP1とHOXC9を新規癌抑制遺伝子の候補として、HMECと13個の乳癌細胞株におけるメチル化異常と発現の関連を解析した。HOXC9はメチル化されている細胞株では発現は抑制されていたが、メチル化されていない細胞株での発現は認めなかった。一方で、DZIP1はメチル化されている細胞株では発現が抑制されており、メチル化されていない細胞株では発現を認めた。そこで、メチル化と発現に負の相関がみられたDZIP1について、機能解析をすることとした。

DZIP1による乳癌細胞増殖抑制

shRNAによってノックダウンしたDZIP1が発現しているHCC1937細胞とMDA-MB-436細胞は、コントロールに対するshRNAが発現している細胞に比べて、増殖が促進していた。

DZIP1のメチル化と臨床病理学的所見との相関

計74例の乳癌検体におけるDZIP1の定量的メチル化解析から、10例がメチル化ありと判定された。リンパ管侵襲陽性例にメチル化ありの症例が有意に多く見られたが、リンパ管侵襲陽性症例自体が少ないため、統計処理に適していない可能性がある。統計学的有意差は認めなかったが、エストロゲンレセプター陽性例には、メチル化ありの症例が少ない傾向にあった。無再発生存率、全生存率との相関は認められなかった。

【考察】

DZIP1 (DAZ-interacting protein) はヘッジホッグシグナル経路に関わることが報告されており、ヘッジホッグシグナル経路は乳癌を含む様々な癌で活性化されているが、癌におけるDZIP1の役割は不明である。また、細胞増殖アッセイの他に、in vivo実験や過剰発現などにより機能解析、突然変異やヘテロ接合性の消失の証明、家族性腫瘍の同定など、さらなる研究が必要である。しかし、DZIP1をノックダウンすると細胞増殖が促進されることから、新規癌抑制遺伝子の可能性があることが示された。

【結語】

1) DNAメチル化異常によって不活化されている癌抑制遺伝子の中には、BRCA1、HOXA5、MASPINのように正常細胞で高いPol II結合と低いH3K27me3レベルを示すoutlier遺伝子が存在した。2) メチル化の規則に従わないoutlier遺伝子をゲノム網羅的に探索することにより、既知の癌抑制遺伝子が含まれていた。このことから、このアプローチによって癌抑制遺伝子が同定できることが示された。3) DZIP1は乳癌における新規癌抑制遺伝子の可能性があることが示された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はDNAメチル化異常によって不活化される乳癌の新規癌抑制遺伝子を同定するために、正常細胞でRNA ポリメラーゼ II (Pol II) が結合し、ヒストンH3の27番目リジン残基のトリメチル化 (H3K27me3) を認める遺伝子は癌細胞でメチル化抵抗性を示すという規則に従わずにメチル化されているoutlier遺伝子をゲノム網羅的に探索することを試みたものであり、以下の結果を得ている。

1.DNAメチル化異常によって不活化されている既知の乳癌癌抑制遺伝子BRCA1、CDKN2A、HOXA5、MASPIN、RASSF1A、RBP1の正常乳腺上皮細胞 (HMEC) における Pol II結合とH3K27me3レベルの解析から、BRCA1、HOXA5、MASPINは、高いPol II結合レベルと低いH3K27me3レベルを示した。このことから、一部の癌抑制遺伝子はoutlier遺伝子であることが示された。

2.2つのHMEC及び5つの乳癌細胞株のゲノム網羅的メチル化解析から、HMECではメチル化されておらず、2つ以上の乳癌細胞株でメチル化されている280個のメチル化高感受性遺伝子が同定された。次に、このメチル化高感受性遺伝子のHMECにおけるPol II結合及びH3K27me3レベルのゲノム網羅的解析から、Pol II結合レベルが高く、H3K27me3レベルが低い14個のoutlier遺伝子が同定された。

3.乳癌細胞株及び乳癌検体におけるoutlier遺伝子の定量的メチル化解析から、4遺伝子 (DZIP1、FBN2、HOXA5、HOXC9) が乳癌検体でもメチル化を認めた。この4遺伝子のうち、HOXA5は乳癌、FBN2は腎細胞癌において癌抑制遺伝子と報告されていた。ゲノム網羅的に同定されたoutlier遺伝子に、既知の癌抑制遺伝子が含まれていたことから、outlier遺伝子を探索することによって癌抑制遺伝子が同定できることが示された。

4.DNAメチル化と発現に負の相関がみられたDZIP1をshort hairpin RNA (shRNA) を用いてノックダウンしたところ、ノックダウンしたDZIP1が発現している乳癌細胞は、コントロールのshRNAが発現している乳癌細胞に比べて、1.5~2倍の細胞増殖促進が認められた。したがって、DZIP1は乳癌における新規の癌抑制遺伝子である可能性が示唆された。

5.DZIP1のDNAメチル化と臨床病理学的所見の関連では、エストロゲンレセプター陽性例にはDZIP1のメチル化ありの症例が少ない傾向にあった。無再発生存率と全生存率との相関は認めなかったが、予後のよい乳癌とされているエストロゲンレセプター陽性例にDZIP1のメチル化が少ないことから、乳癌の悪性度に関与している可能性があると考えられた。

以上、本論文はDZIP1が乳癌における新規の癌抑制遺伝子の可能性があることを示したものである。本研究は、数多くのメチル化された遺伝子群から、メチル化の規則に従わないoutlier遺伝子を探索する新しい方法で新規癌抑制遺伝子候補を同定できたこと、また、新規癌抑制遺伝子を同定することで、乳癌の層別化や治療などに重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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