学位論文要旨



No 128286
著者(漢字) 波田野,典子
著者(英字)
著者(カナ) ハタノ,ノリコ
標題(和) ラット歯周炎モデルの確立と低分子化合物を用いた歯槽骨再生療法に関する検討
標題(洋)
報告番号 128286
報告番号 甲28286
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3945号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 光嶋,勲
 東京大学 准教授 森,良之
 東京大学 講師 吉村,浩太郎
 東京大学 教授 牛田,多加志
 東京大学 講師 古村,眞
内容要旨 要旨を表示する

口腔は、生命の源である食物を体内に取り込むという役割を持つ消化器官の入り口として、生体内で最も重要な器官の一つである。この器官の中で、重要な機能を果たしている一つが歯である。この歯を支える役割を担うのが歯周組織であり、歯周組織の破壊は、歯の喪失につながる。歯周炎とは、歯を支える歯周組織の炎症性変化とそれに伴う病態を指す。厚生労働省の歯科疾患実態調査および患者調査より、歯石沈着あるいは歯周ポケットを有する人(歯周治療が必要な人)は、20 歳代では60.7%、50歳代では79.7%にものぼり、加齢とともに罹患率が高くなっている。世界においても罹患率が高く、World Health Organization(WHO)は、世界共通の歯周炎評価を規定している。

歯周炎は、一度罹患すると長期にわたり炎症が継続し、慢性炎症に移行することが多い。慢性化する理由としては、炎症性変化によって歯周炎が引き起こされたのちに、複雑な細菌叢(微生物因子)に対する宿主の免疫応答(生体因子)、口腔内の衛生状態や歯の動揺、喫煙(環境因子)などを含む因子が様々に複合して進行することが挙げられる。これらの原因を全て除去することは不可能であり、多くの場合、組織破壊と組織回復のサイクルを長期間繰り返す。

歯周組織とは、歯肉、歯周靱帯(歯根膜)、セメント質、歯槽骨の4 つから構成されている。歯は、神経堤上皮細胞由来のエナメル器と外胚葉性間葉組織由来の歯乳頭とそれらを取り囲む歯小嚢からなる歯胚から形成される。歯周支持組織は歯小嚢から発生する。歯根膜、セメント質、歯槽骨が、形成される過程において、互いの線維は融合し、歯根膜線維はセメント質と歯槽骨に埋入してシャーピー線維を形成し、さらに歯の萌出に伴い形成が進んでいく。これにより、歯は歯槽骨に強固に固定される。

歯周組織は炎症により組織が破壊されると、再生はほぼ不可能であることが知られている。歯の形成過程で作られたシャーピー線維の走行方向や厚みは、炎症によって破壊された場合、同様の形態に再生できない。セメント質は、血管やリンパ管がなく、生理的なリモデリングが生じないため、破壊されると再生されない。歯槽骨に関しては、シャーピー線維が入り込んだ外胚葉性間葉組織由来の歯槽骨を固有歯槽骨といい、そこが破壊されると、内側の中胚葉性間葉組織由来の支持歯槽骨が現れるが、シャーピー線維は形成されない。以上のことから歯周組織は再生が困難な組織であると言える。

本研究では、歯周組織のうち、歯の喪失に大きく影響を及ぼす歯槽骨の再生に着目した。歯槽骨の再生は、骨移植(自家骨移植、同種骨移植、異種骨移植、人工骨移植)、細胞増殖因子(多血小板血漿、骨形成タンパク質、血小板由来増殖因子、線維芽細胞増殖因子)、Guided Tissue Regeneration: GTR法、Guided Bone Regeneration: GBR法、エナメルマトリックスタンパク質を用いたEmdogain(R) (gel)を用いる方法、低分子化合物のシンバスタチンを用いる方法が挙げられる。いずれも歯槽骨に対し骨形成を認めるとされているが、生体適合性、免疫応答、安全性などにおいて懸念されるものが多い。

本研究では、異種動物由来の素材を使用せず、骨芽細胞分化誘導能を持つ骨形成性低分子化合物と、生体適合性の優れた担体を用いて、歯周炎における歯槽骨再生を検討した。

まず、マウス頭頂骨由来前骨芽細胞株であるMC3T3-E1細胞を用いて、骨形成性低分子化合物(ヘリオキサンチン誘導体:TH)の骨芽細胞分化誘導能を確認するため、骨芽細胞分化マーカーを検討した。THは曝露初期において、初期分化のみならず後期分化も促進させており、その作用は曝露7 日目においても継続していることが示唆された。THは水に不溶なため、有機溶媒(ジメチルスルホキシド:DMSO)に溶解する必要があるが、生体適合性を向上させるため、生体親和性が高く、包接作用を持ち、親水性の高い(2-Hydroxypropyl)-β-cyclodextrin(CD)を用いた。CDに包接させたことによるTHの骨芽細胞分化誘導能を確認するため、骨芽細胞分化マーカーを用いて調べたところ、DMSOを溶媒としている時と同様の結果を得られ、細胞毒性も認めないことを確認した。また、THの適応方法として、THを溶液の状態で生体に投与した場合、すぐに投与部から流出してしまうと考えられた。そこで、TH を留められるような担体として、生分解性を持ち、生体親和性の高い材料としてヒドロキシプロピルセルロース(HPC) を用いることを検討した。CD+HPC+THはゲル状となり、DMSOに溶解させた時と同様に骨芽細胞分化誘導能をもち、細胞毒性を認めず、徐放性を持つことを確認した。

次に、簡便かつ再現性があり、ヒトにおける発症過程を模倣して炎症性骨欠損が誘導されるラット歯周炎モデルの確立を検討した。Rovinらの方法を改変し、本研究では、絹糸のみを第2 臼歯の歯冠隣接部から周囲組織を破壊、損傷させないように挿入し、歯頸部に巻き付ける方法を採用した。Rovinらは、絹糸結紮後26 週目まで病態の進行に着目して観察しているものの、歯周組織の自然治癒経過までは観察していなかった。治療用薬剤の投与時期を決定するためには、病態の進行のみならず治癒過程までも含めて、モデルの自然経過を知る必要がある。そこで本研究では、絹糸除去後の経過を4 週間にわたり、病態の進行から治癒過程まで含めて観察した。口腔内所見では、発赤・腫脹といった炎症症状を歯肉に認めた。さらに、マイクロCTによる解析から、絹糸結紮4 週間目において、全ての試験群において歯槽骨欠損像を認め、さらに絹糸除去4 週間目においても歯槽骨は破壊されたままであることが確認できた。この所見は、絹糸結紮4 週間目では骨の吸収を認めないというRovinらの所見と異なっていた。組織学的解析により、炎症性骨吸収が生じており、絹糸除去1 週間目以降は、炎症は消退傾向にあることが示唆された。以上から、歯周炎の発症と進行を模倣するラット歯周炎モデルが確立されたと考えられた。

確立したラット歯周炎モデルを用いて、薬剤送達用担体と組み合わせた骨形成性低分子化合物THを投与し、歯周組織の再生効果を検討した。歯周病治療においては、急性炎症を引き起こす原因を取り除き、その症状を消退させたのちに、慢性炎症期において歯周組織の回復を目指した加療を行う。本研究においても、実際の歯周病治療の流れにならい、急性炎症の消退した絹糸除去1 週間目に薬剤投与を行った。CD+HPC(対照側)、CD+HPC+TH(試験側)のいずれを投与しても口腔内所見において炎症症状は認めなかった。絹糸除去後4 週間目、すなわち薬剤投与後3 週間目に歯周組織への効果を評価したところ、マイクロCT画像においては対照側、試験側共に歯槽骨欠損が認められたが、TH投与群の方が、骨破壊が減少していた。歯槽骨量の定量を行ったところ、根分岐部から歯槽骨までの距離において、対照群と比べてTH投与群は有意に差を認めた。

しかし、マイクロCT画像を用い、3 次元画像を2 次元画像に投射して距離を計測する場合に最も注意すべき点が、投射方向のずれである。ずれが生じている場合、実測値での数値の比較は精度を欠く可能性がある。本研究においてもずれが生じている可能性が考えられたため、投射方向にかかわらず、線分の比は一定であることを利用して、根分岐部から歯槽骨までの距離とセメントーエナメル境から根分岐部までの距離の比を1 試料ごとに算出し、対照群、TH投与群に分けて検定を行った。その結果、対照群と比べてTH投与群は有意に差を認めた。よって、2 次元への投射方向によって変化する実測値の比較だけでなく、投射面における測定値の比を用いることでさらに定量の精度を上げることができた。後者の方法は、歯槽骨破壊により根分岐部が露出している必要がある。しかし、渉猟し得た限り、本研究で用いたように、マイクロCT画像をもとに、投射面における線分の比に着目した歯槽骨計測法の報告はない。これは、十分に歯槽骨欠損が生じたモデルが、現在まで存在しなかったためと考えられる。また、組織学的解析の結果においては、対照群、TH投与群とも歯周組織の炎症性反応を認めないことが確認できた。

以上より、実験的に歯周組織における炎症と歯槽骨破壊を誘導するモデルを作製し、治療効果の評価をより正確に行うことが可能になり、ヒトにおける臨床治療に際する問題点も再現された。本研究で確立したラット歯周炎モデルは、今後の歯周炎治療の発展のため、大きな礎となり得る。また、本研究で用いた骨形成性低分子化合物(TH)は製造過程でタンパク質を必要としないため、安全性が高い。水に不溶性であった点を改善し、より生体親和性を持つ、さらに優れた薬剤として使用可能となり、今後の歯周組織再生療法の発展に貢献できると考える。

審査要旨 要旨を表示する

歯周組織とは、歯肉、歯周靱帯(歯根膜)、セメント質、歯槽骨(固有歯槽骨)の4 つから構成されており、それらは外胚葉性間葉細胞由来の組織である。その周囲は中胚葉性間葉細胞由来の歯槽骨(支持歯槽骨)でかこまれており、歯周組織は炎症により組織が破壊されると、その組織の発生および組成の特徴から、再生はほぼ不可能であることが知られている。また、歯周炎は、様々な因子が複合して進行するため、原因の除去は困難であり、多くの場合、組織破壊と組織回復のサイクルを長期間繰り返す傾向がある。本研究は、歯周組織のうち、歯の喪失に大きく影響を及ぼす歯槽骨の再生に着目し、骨芽細胞分化誘導能を持つ骨形成性低分子化合物(ヘリオキサンチン誘導体:TH)の検討を行い、ヒトの歯周炎の発症過程を模倣したラット歯周炎モデルの確立、および、そのモデルを使用して骨形成性低分子化合物含有ゲルの歯槽骨再生効果を検討し、下記の結果を得ている。

1.骨形成性低分子化合物(TH)の骨芽細胞分化誘導能を確認するため、マウス頭頂骨由来前骨芽細胞株であるMC3T3-E1細胞において、骨芽細胞分化マーカーを検討した。THは曝露初期において、初期分化のみならず後期分化も促進させており、その作用は曝露7 日目においても継続していることが示唆された。

2.THは水に不溶なため、有機溶媒(ジメチルスルホキシド:DMSO)に溶解する必要がある。そこで、DMSOに代わって、生体親和性が高く、包接作用を持ち、親水性の高い(2-Hydroxypropyl)-β-cyclodextrin(CD)を用いた。CDに包接させたことによるTHの骨芽細胞分化誘導能を、MC3T3-E1細胞における骨芽細胞分化マーカーの発現変化を指標に検討したところ、DMSOを溶媒としている時と同様の結果を得られ、細胞毒性も認めないことを確認した。

3.CDとTH を留められる担体として、生分解性を持ち、生体親和性の高い材料であるヒドロキシプロピルセルロース(HPC) を用いることを検討した。CD+HPC+THはゲル状となり、DMSOに溶解させた時と同様に骨芽細胞分化誘導能をもち、細胞毒性を認めず、徐放性を持つことを確認した。

4.簡便かつ再現性があり、ヒトにおける発症過程を模倣して炎症性骨欠損が誘導されるラット歯周炎モデルの確立を行った。Rovinらの方法を改変し、本研究では、絹糸のみを第2 臼歯の歯冠隣接部から周囲組織を破壊、損傷させないように挿入し、歯頸部に巻き付ける方法を採用した。Rovinらは、病態の進行を観察しているのみで、歯周組織の自然治癒経過までは観察していなかったため、絹糸除去後の経過を4 週間にわたり、病態の進行から治癒過程まで含めて観察した。口腔内所見では、歯肉に炎症症状を認めた。マイクロCTによる解析から、絹糸結紮4 週間目において、全ての試験群において歯槽骨欠損像を認め、さらに絹糸除去4 週間目においても歯槽骨は破壊されたままであることが確認できた。この所見は、絹糸結紮4 週間目では骨の吸収を認めないというRovinらの所見と異なっていた。組織学的解析により、炎症性骨吸収が生じており、絹糸除去1 週間目以降は、炎症は慢性期に移行していることが示唆された。以上から、歯周炎の発症と進行を模倣するラット歯周炎モデルが確立されたと考えられた。

5.確立したラット歯周炎モデルを用いて、薬剤送達用担体と組み合わせた骨形成性低分子化合物THを投与し、歯周組織の再生効果を検討した。急性炎症の消退した、絹糸除去1 週間目に薬剤投与を行った。CD+HPC(対照側)、CD+HPC+TH(試験側)のいずれを投与しても口腔内所見において炎症症状は認めなかった。絹糸除去後4 週間目(薬剤投与後3 週間目)に歯周組織への効果を評価したところ、マイクロCT画像においては対照側、試験側共に歯槽骨欠損が認められたが、TH投与群の方が、骨破壊が減少していた。歯槽骨量の定量を行ったところ、根分岐部から歯槽骨までの距離において、対照群と比べてTH投与群は有意に差を認めた。

6.マイクロCT画像を用い、3 次元画像を2 次元画像に投射して距離を計測する場合は、投射方向のずれが生じている可能性が考えられることから、投射方向にかかわらず、線分の比は一定であることを利用して、根分岐部から歯槽骨までの距離とセメントーエナメル境から根分岐部までの距離の比を1 試料ごとに算出し、対照群、TH投与群に分けて検定を行った。その結果、対照群と比べてTH投与群は有意に差を認めた。よって、比を用いることで、さらに定量の精度を上げることができた。

7.上記実験においては、対照群、TH投与群とも歯周組織の炎症性反応を認めないことが確認できた。

以上より、実験的に歯周組織における炎症と歯槽骨破壊を誘導するモデルを作製し、治療効果の評価をより正確に行うことが可能になり、ヒトにおける臨床治療に際する問題点も再現された。本研究で用いた、マイクロCT画像上の投射面における線分の比に着目した歯槽骨計測法の報告はこれまでにない。さらに、十分に歯槽骨欠損が生じたモデルが、現在まで存在しなかった。したがって、本研究で確立したモデルは、今後の歯周炎の病態生理の解明と治療学の発展に貢献すると考えられる。また、本研究で用いた骨形成性低分子化合物(TH)は安全性が高く、生体親和性を持つ薬剤として使用可能であることが示唆されたことも、今後の歯周組織再生療法の発展に貢献をなすと考えられる。以上より、本研究は学位の授与に値するものと考えられる。

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