学位論文要旨



No 128288
著者(漢字) 室屋,充明
著者(英字)
著者(カナ) ムロヤ,ミツアキ
標題(和) 炎症性サイトカインの曝露による、肺胞上皮細胞障害機構の検討
標題(洋)
報告番号 128288
報告番号 甲28288
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3947号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 矢作,直樹
 東京大学 講師 伊藤,伸子
 東京大学 講師 村川,知弘
 東京大学 講師 玉井,久義
 東京大学 講師 土肥,眞
内容要旨 要旨を表示する

敗血症に続発する呼吸機能不全の一病態として、急性肺障害(ALI)およびそのより重篤な状態である急性呼吸促迫症候群(ARDS)が知られている。欧米ではその死亡率は35%から65%とされており、年間約10万人(本邦に適用すると年間4万人以上)が死亡している計算になる。これまで多くの動物、臨床研究が行われているが、肺保護的人工呼吸法が生存率を改善するとの報告がある他には、決定的な治療に結びつく知見は得られていない。

ALI/ARDSの病因には、細菌感染や誤嚥による肺への直接損傷だけでなく、外傷や敗血症による肺の間接損傷も約40%と頻度が高く、肺外の炎症が何らかのメディエーターによって、肺の炎症を引き起こしていると考えられている。

ALI/ARDSの病態的基礎は、遷延する過剰な肺胞内炎症に伴う、肺胞上皮細胞傷害、そして細胞死であり、多様な炎症性メディエーターが関与している。ARDS患者の末梢血中および肺胞洗浄液からはTNF-α、IL-1βなどの炎症性サイトカインが、全身あるいは局所の炎症を反映して検出され、これらが高いレベル検出される例では予後不良であることが報告されている。これらの知見から、炎症局所で産生されたサイトカインが、肺へ波及して過剰炎症を引き起こすことが推測され、この過剰な炎症を抑制することがALI/ARDS患者に対して治療的に働くと想像される。しかしながら炎症性サイトカインに対する抗体療法やステロイドを始めとする抗炎症療法のARDSにおける治療的適用は、決定的な治療法とはなり得ていない。

こうした状況をふまえ、高サイトカイン状態がいかにして肺胞上皮細胞を損傷するかを明らかにすることは、特に肺の間接損傷のメカニズムを究明することにつながると考えられ、肺の損傷を防ぐ治療法の開発につながると考えられる。

本研究では、まずヒト肺胞上皮細胞株A549を用いて敗血症性急性肺障害のin vitroモデルを作成した。本モデルの作成には、敗血症性急性肺傷害の病因に主要な役割を持つとされる炎症性サイトカイン(IL-1β/TNF-α/IFN-γ)を使用した。高濃度サイトカイン曝露によって誘導される細胞傷害のメカニズムを検討するため、このモデルを使用して、カスパーゼ経路、NF-κB(nuclear factor kappa-light-chain-enhancer of activated B cells)/ ICAM-1(Intercellular Adhesion Molecule 1)経路および、MAP(Mitogen-activated protein) キナーゼ経路の関与を検討し、さらに抗炎症作用を持つ薬剤、あるいは抗酸化作用をもつ薬剤による細胞保護効果を評価することで、細胞内シグナル経路の検討と、各種薬剤の治療的可能性を検討した。

方法:A549細胞に炎症性サイトカイン(IL-1β/TNF-α/IFN-γ)10ng/mlを投与して、細胞死、細胞傷害の指標を測定した。細胞傷害性は、鏡検像および細胞数、crystal violet染色、培養液中に逸脱するLDH(lactate dehydrogenase)の定量により評価した。また、アポトーシスの関与を、断片化cytokeratin 18の定量およびフローサイトメーターによるAnnexin V結合細胞の検出により検討した。本モデルにおけるシグナル伝達経路を検討するため、cleaved caspase 7、ICAM-1および、MAPキナーゼ経路のextracellular signal-regulated kinase (ERK)、c-JUN NH2-terminal protein kinase (JNK)、p38 MAPKのリン酸化をwestern blottingで検討した。さらに、抗炎症作用(糖質コルチコイド、テトラサイクリン系抗生物質)、抗酸化作用(抗酸化剤、アンギオテンシン受容体拮抗薬)を持つ薬剤を前投与し、その細胞保護作用を検討した。また、カスパーゼ阻害薬を用いて、その効果を改めて検討した。

結果:炎症性サイトカインはA549細胞に対して細胞障害性を示した。IL-1β、TNF-α、IFN-γは、単独よりも組み合わせて投与したときに、より強い細胞障害性を示した。サイトカインを投与することで、断片化cytokeratin 18が上昇し、フローサイトメトリーでもAnnexin V結合細胞が増加したことから、アポトーシス経路の活性化が示唆された(図1)。

サイトカイン刺激によって、ICAM-1経路、MAP kinase経路いずれも活性化が確認され、またcleaved caspase 7の増加も確認された。糖質コルチコイド(dexamethasone)、テトラサイクリン系抗生剤(minocycline、doxycycline)、アンギオテンシン受容体拮抗薬(losartan)、抗酸化剤(catalase)を前投与することで、炎症性サイトカインによる細胞傷害性は減弱し、断片化cytokeratin 18の逸脱も減少した。細胞保護効果はdexamethasoneが高かった(図2)。

カスパーゼ阻害薬Q-VD-OPhの投与により、カスパーゼの活性はほぼ完全に抑制されたにもかかわらず、細胞傷害に対する抑制効果は部分的であり、他の細胞死メカニズムの寄与が示唆された。

考察: 本研究では、in vitroで高サイトカイン誘導性肺胞上皮傷害モデルを作成し、その細胞傷害メカニズムを探索した。このモデルでは、IL-1β、TNF-αおよびIFN-γの混合投与が強い細胞傷害性を示すことが確認された。

IL-1βとTNF-αは、敗血症などの全身性炎症における主要な炎症性サイトカインと考えられ、本研究においても細胞傷害性を示した。同濃度のIFN-γは、単独では細胞傷害性を示さなかったが、IL-1β/TNF-αにIFN-γを加えることで、その細胞傷害性を増強した。この増強効果は、複数のサイトカインが協調して生物学的作用を発揮する、臨床的な知見と合致するものである。

本研究においては、肺上皮細胞A549のviabilityを、(1)培養液中に放出されたLDH濃度の計測、(2)crystal violet染色、(3)増殖能を持つ細胞数の評価をするCell couting kit-8(CCK-8)を用いた残存細胞の推計によって、評価した。この細胞傷害においては、断片化cytokeratin 18の増加、Annexin V-FITC陽性細胞数の増加、cleaved caspase 7の検出から、アポトーシスの関与が示唆された。これらの結果は、動物モデルや臨床的な敗血症性ALIにおいてアポトーシス経路が活性化するとする他の報告と矛盾しない。

しかしながら、アポトーシスを阻害することでこのモデルの細胞死抑制効果があるかどうかを検討したが、広汎カスパーゼ阻害薬であるQ-VD-OPhはcytokeratin 18の断片化を完全に阻害したにもかかわらず、炎症性サイトカイン誘導性細胞傷害に対しては、その一部を抑制しただけだった。これは、過剰炎症状態下での細胞傷害において、アポトーシス以外の細胞死が関与している可能性を示唆する。

図 1

図 2

図 3

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、急性肺障害において重要な役割を演じていると考えられる高サイトカイン環境において、細胞が傷害される機構を、in vitroモデルを用いて検討したものであり、下記の結果を得ている。

1.炎症性cytokine(IL-1β/TNF-α/IFN-γ)の混合投与により、ヒト肺胞上皮細胞株A549は、生存率が減少、LDH逸脱が増加し、細胞傷害効果を示した。また、混合投与により、それぞれのcytokine単独よりも強い細胞傷害効果を示した。

2.cytokeratin 18断片化の検出、また、カスパーゼの活性化が直接証明されたことから、このcytokine誘導性細胞傷害は、カスパーゼが関与したアポトーシスシグナル経路を、一部介していることが示された。

3.このcytokine誘導性細胞傷害に際して、MAPキナーゼ経路の活性化が認められた。

4.NF-κBを介した炎症反応、及び酸化ストレスを抑制あるいは軽減する各種薬剤は、それぞれ一定の割合で、細胞傷害、アポトーシスの進行を抑制した。本研究で効果を確認した薬剤は、抗炎症薬剤として糖質コルチコイド(dexamethasone)、テトラサイクリン系抗生物質(minocycline、doxycycline)、抗酸化作用を持つ薬剤としてアンギオテンシンII受容体拮抗薬(losartan)、catalaseである。

5.上記の細胞傷害に対する抑制効果が認められた薬剤のなかでは、dexamethasoneが最も有効であり、dexamethasoneの投与によりMAPキナーゼの活性化も抑制された。

6.しかし、本モデルにおける、カスパーゼ阻害薬の効果は部分的であり、カスパーゼを介さない細胞傷害機構についても検討の必要が示唆された。

以上、本論文は急性肺障害において、複数のcytokineにより細胞を傷害されることを、in vitroモデルを用いて再現したものであり、いくつかの薬物によりこの細胞傷害が抑制されることを示した。本研究は急性肺障害における細胞レベルの病態生理を、高サイトカイン環境から再現したものであり、阻害薬物は病態生理の解明だけでなく、治療薬開発の可能性につながると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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