学位論文要旨



No 128290
著者(漢字) 四津,有人
著者(英字)
著者(カナ) ヨヅ,アリト
標題(和) 正常乳児の四つ這いにおける動的接地力
標題(洋)
報告番号 128290
報告番号 甲28290
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3949号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 水口,雅
 東京大学 准教授 北山,幸子
 東京大学 特任准教授 阿久根,徹
 東京大学 講師 中川,匠
 東京大学 講師 緒方,直史
内容要旨 要旨を表示する

1.【背景】

四足歩行は,陸上動物が用いる移動(ロコモーション)の様式のうち,もっとも汎用されている様式のひとつである.イヌやネコ,サルなどの四足動物に加え,ヒトも,その乳児期に四足歩行をする.すなわち,四つ這いである.

1.1【ヒト乳児の四つ這いを研究することの重要性】

ヒトは乳児期の発達に伴って様々な姿勢・移動様式が出現し,最終的に二足直立歩行を獲得する.発達にはバリエーションがあるが,手と膝をついた四つ這いは,特に共通性が高い発達過程である.大規模な行動観察によると,乳児の95%以上が,手と膝をついた四つ這いを発達過程で経由することが報告されている.乳児の四つ這いは,ヒトの自然な四足歩行である.

疾患の診断・評価として,四つ這いは重要視されている.正常な四つ這いは,手,膝,足背部で接地しているが,これが相当月齢になってもできない場合や,異なったパターンの場合,発達遅滞や病的発達の可能性が疑われる.医師による視覚的な評価が臨床では広く行われている.

また,治療としても,四つ這いは重要と考えられている.四つ這いの訓練は,移動そのものの訓練であることに加え,子どもの脳を正常に育て,発達性精神疾患の症状を軽減すると考えられている.

以上のように,ヒト乳児の四つ這いは,正常発達においても,疾患の診断・評価,さらには治療手段としても重要と考えられているが,乳児の四つ這いに関する知見は,視覚的な評価による定性的な知見が中心となっており,定量的なことはほとんど述べられていない.

1.2【動物学の分野で行われてきた四足歩行に関する定量的研究】

動物学の分野では,四足歩行の定量的評価が,接地力や四肢のサイクルについてなされている.

1.2.1【前肢と後肢とではどちらが多く体重を支えているのか?】

四足歩行中に,前肢と後肢のどちらが多く体重を支えているのかは,長年研究者たちの興味の対象であった.具体的には,接地力の垂直成分の最大値を調べ,前肢と後肢を比較する研究(前肢と後肢の差を検定したり,比率を記述する研究)が数多く成されている.多くの動物種で調べられた結果はデータベース化されている.

接地力の代表値として垂直成分の最大値がよく用いられてきたが,最大値はあくまで立脚期間中のある瞬間の値である.立脚期間全体の力を反映するものとして,力積の研究も必要であることが,近年動物学者達の間でも指摘されている.

1.2.2【四本の足はどのようなサイクルで動いているのか?】

四本の足がどのようなサイクルで動いているのかは,連続写真が撮られるようになった1880年代から研究が始まった.まずは定性的に動きの順番を描くSupport Sequenceという図が作られた.次に,時間配分を加味したGait Diagramという図が作られ,時間的に定量化された.さらに,様々な歩行のパターンを比較するために,Gait Diagramから(1)1歩行周期中,後肢の立脚期間は何パーセントか,(2)1歩行周期中,前肢の接地のタイミングが,同側後肢の接地の何パーセント後か,(3)前肢の立脚期間は,後肢の立脚期間の何パーセントかの3要素を数値として抽出し,この数値をプロットするGait Graphという図が作られた.Gait Graph上のプロットの位置により,歩行パターンを統一的に分類・命名することも可能となった.

1.3【ヒト乳児の四つ這いにおける定量的研究の必要性】

ヒト乳児の四つ這いにおける,接地力の研究は,最大値と力積のいずれにおいても未だなされていない.四肢のサイクルの研究は,連続写真やビデオなどを用いたわずかな研究しかない.

もしヒト乳児の四つ這いで,定量的な評価がなされれば,四つ這いの基礎的な理解が深まる上,例えば正常と疾患を見分ける際に,もっと詳しく評価できる可能性がある.また例えば,四つ這いを訓練させる時に,運動力学に基づいたきちんとした訓練ができる可能性がある.

2【目的】

本研究の目的は,ヒト乳児の四つ這いにおいて,(1)接地力の垂直成分の最大値を記述し,前肢後肢を比較すること,(2)接地力の垂直成分の力積を記述し,前肢後肢を比較すること,(3)四肢のサイクルを既存の方法よりも正確な方法で調べることである.

3【方法】

3.1【対象】

対象は,典型的な正常の四つ這い(手,膝,足背部が接地する四つ這い)をしている健常児6人.腹ばい,非対称な四つ這い,高這い,既に二足歩行を獲得している児は除外した.

3.2【使用機器】

接地力の計測には,BIG-MAT 2000 ver. 5.87(ニッタ,大阪)を用いた.これは分解能10mm×10mmの圧センサーマットで,ソフトウエアを用いることで圧だけでなく垂直方向の力を計算できる.動的計測も可能で,本研究ではサンプリングレート80 Hzで計測した.

3.3【データ収集】

BIG-MAT 2000を床の上に設置した.対象はオムツ一枚となり,マットの上を四つ這いした.対象1人あたり3施行のデータがとれるまで繰り返した.

3.4【データ処理】

ソフトウエアを用いて各肢の接地力を計算し,時間-接地力垂直成分グラフを得た.接地力は,体重で正規化し,対象間で比較できるようにした.1施行から,左右の前肢後肢それぞれ1ステップずつデータを得,1人3施行計測するので,2(左右)×3(施行)×6(人)=36ステップの前肢接地力グラフと,同じく36ステップの後肢接地力グラフを得た.

こうしてできた時間-接地力垂直成分グラフの1つずつから,最大値,力積(各肢のグラフ下の面積),各肢の立脚期間と,接地のタイミングを読み取った.接地のタイミングは,マットへの荷重のon・offで判断できる.

四つ這いの速さ(地面に対する体全体の速さ)を求めるのに,各肢の最初と最後の接地のフレーム数とマット上の座標から各肢の速さを求め,4肢の平均をとり,体全体の速さとした.

前肢と後肢の接地力の差の検定には,まず各対象の平均を求めたうえで(n = 6),対応のあるt検定を行った.

4【結果】

4.1【接地力の垂直成分の最大値】

6人の前肢の平均は0.636(体重比)で,後肢の平均は0.620(体重比)であった.前肢と後肢の2群の間に有意な差は無かった.前後の比の平均は1.030で,(慣習的に用いられている)自然対数表示にするとlog e 1.030 = + 0.030であった.前後比の月齢差や男女差は無かった.反復計測による影響もなかった.

4.2【接地力の垂直成分の力積】

6人の前肢の平均は0.263(体重比・sec)で,後肢の平均は0.227(体重比・sec)であった.前肢が後肢より有意に大きかった.前後の比の平均は1.175で,自然対数表示にするとlog e 1.175 = + 0.162であった.前後比の月齢差や男女差は無かった.反復計測による影響もなかった.

4.3【四肢のサイクル】

(1)1歩行周期中,後肢の立脚期間は平均72.9%であった.(2)1歩行周期中,前肢の接地のタイミングは,同側後肢の接地の平均42.0%後であった.(3)前肢の立脚期間は,後肢の立脚期間の平均102.1%であった.Gait Graph上,歩行パターンの名称はWalk-Lateral Sequence-Diagonal CoupletかTrotであった.四つ這いの速さと,1歩行周期中の後肢立脚期間の割合との間には,有意な相関は無かった.四つ這いの速さと後肢立脚期間との間には,有意に強い負の相関があった.四つ這いの速さと1歩行周期との間にも,有意に強い負の相関があった.

5【考察】

今回われわれは,現状では定性的に評価されているヒト乳児の四つ這いに対し,動物学の研究に準じ,定量的な評価を行った.接地力の評価は,われわれの研究が初めて行った.四肢のサイクルの評価は,後述するように既存の方法よりも正確な方法で評価した.

5.1【接地力に関する考察】

われわれの結果からは,ヒト乳児の四つ這いでは,瞬間的な負荷をしめす最大値では前肢と後肢で差はないが,全般的な負荷をしめす力積では前肢の方がより多く体重を支えていることになる.動物学の知見と合わせると,我々の結果は,発達と進化の反復説を接地力の点で表しているとも言える.

力積が前肢で大きかった理由として,ヒト乳児は頭部の体に占める割合が年長児や成人に比べて大きく,重心が前方にあるためであると考える.最大値で前後差が無かった理由として,後肢では膝が直接地面に着くのに対し,前肢には肘という中間関節があり,衝撃を和らげるためであると考える.

5.2【四肢のサイクルに関する考察】

四つ這いの(地面に対する)速さと,1歩行周期中の後肢立脚期間の割合(Gait Graph上のfast~slow)との間に有意な相関が無かったことは,体全体の速さと,四肢の動かし方の速さとが,別であることを示している.

われわれの結果は,先行研究の結果と比べると,立脚期間が長く,四肢の動かし方がGait Graph上"slow walk"だった.この原因として評価法の違いが考えられる.われわれは立脚・遊脚の判断を圧センターマットへの接地の有無で判断した.これはon・offが明確である.一方,連続写真やビデオではコマ送りにして視覚的に床との接地を判断する.遊脚→立脚の境界で,本当はもう接地・荷重しているのに肢が動いているためにまだ立脚していないと誤認してしまう可能性がある.立脚→遊脚の境界で,本当はまだ接地・荷重しているのに肢が動きはじめたらもう遊脚したと誤認してしまう可能性がある.さらに,撮影カメラと反対側の肢の動きは見えにくい.われわれの方法の方が四肢のサイクルの評価として優れている.

5.3【本研究の限界】

対象が6人と少ないのは,乳児を計測する際の全般的困難による.運動だけを計測するのであれば一般のビデオが簡便だが,接地力を得ようとすれば,現状ではBIGMATを使う他はない.乳児の気をそぐようなものは置かないなど,計測環境を管理する必要がある.

5.4【今後の発展の方向性】

今回われわれは,健常児の正常な四つ這いの定量的な評価を行った.今後の課題として,脳性麻痺の独歩可能群と不可能群の比較研究や,二分脊椎の病変髄節レベル別の比較研究など,疾患を対象に研究する意向である.また,健常児の縦断的な研究も行いたい.最終的には,患児の予後予測や,適切な四つ這いの訓練などに役立てたいと考える.

審査要旨 要旨を表示する

本研究は,発達期における疾患の評価・診断や,治療手段として重要と考えられているヒト乳児の四つ這いが,現状では定性的に評価されているのに対し,定量的な評価を試みたものであり,下記の結果を得ている.

1.接地力の垂直成分の最大値については,6人の前肢の平均は0.636(体重比)で,後肢の平均は0.620(体重比)であった.前肢と後肢の2群の間に有意な差は無かった.前後の比の平均は1.030で,自然対数表示にするとlog e 1.030 = + 0.030であった.前後比の月齢差や男女差は無かった.反復計測による影響もなかった.

2.接地力の垂直成分の力積については,6人の前肢の平均は0.263(体重比・sec)で,後肢の平均は0.227(体重比・sec)であった.前肢が後肢より有意に大きかった.前後の比の平均は1.175で,自然対数表示にするとlog e 1.175 = + 0.162であった.前後比の月齢差や男女差は無かった.反復計測による影響もなかった.

3.四肢のサイクルについては,(1)1歩行周期中,後肢の立脚期間は平均72.9%であった.(2)1歩行周期中,前肢の接地のタイミングは,同側後肢の接地の平均42.0%後であった.(3)前肢の立脚期間は,後肢の立脚期間の平均102.1%であった.Gait Graph上,歩行パターンの名称はWalk-Lateral Sequence-Diagonal CoupletかTrotであった.四つ這いの速さと,1歩行周期中の後肢立脚期間の割合との間には,有意な相関は無かった.四つ這いの速さと後肢立脚期間との間には,有意に強い負の相関があった.四つ這いの速さと1歩行周期との間には,有意に強い負の相関があった.

以上,本論文はヒト乳児の四つ這いにおいて,前肢と後肢とではどちらが多く体重を支えているのか,また,四本の足はどのようなサイクルで動いているのかを明らかにした.本研究はこれまで未知だったヒト乳児の四つ這いの運動機構の解明や,その臨床応用に重要な貢献をなすと考えられ,学位の授与に値するものと考えられる.

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