学位論文要旨



No 128294
著者(漢字) 陳,俊霞
著者(英字) Chen,Jun Xia
著者(カナ) チン,シュンカ
標題(和) 中国の都市部における乳児期の孫養育への参加が祖父母の主観的幸福感に与える影響に関する研究
標題(洋)
報告番号 128294
報告番号 甲28294
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第3953号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川上,憲人
 東京大学 教授 上妻,志郎
 東京大学 准教授 吉内,一浩
 東京大学 講師 村山,陵子
 東京大学 講師 児玉,聡
内容要旨 要旨を表示する

1.背景

孫の誕生に伴い、祖父母が孫の日常的な世話をすることが多くみられる。祖父母は孫・子世代の重要なサポート源である。先行研究では、孫養育への参加は祖父母の健康、特に精神的健康に与える影響が注目されている。しかし、これらの研究では、孫養育により祖父母の精神的健康が悪化、改善あるいは変化しないなどさまざまな結果が報告されており、一致した結論には至っていない。孫養育に関わる程度を3つに区分(保護者型、支援型、育児なし型)して養育負担感や精神的健康を比較した研究でも、同様に一致した結果が得られていない。一方、米国の「支援型」の祖父母に関する研究では、長時間の孫養育は祖父母の精神的健康を悪化させるとの結果が報告されている。これまでの研究結果が研究ごとに異なる理由として、異なる社会的・文化的背景の影響、および研究の対象となった孫の年齢(発達段階)が統一されていないことがあげられる。

中国では、祖父母が孫養育を自分の責任義務と認識しており、子世代との共同子育て、つまり孫養育の「支援型」が一般的にみられる形態である。中国の「支援型」孫養育は、その程度により、昼夜型、昼だけ型、および育児なし型に分けることができる。都市部に住むこと、孫の年齢が小さいほど、孫養育の割合が高いとされている。特に産休あけの母親が仕事に戻る乳児期には、祖父母による支援がもっとも必要とされると考えられる。しかし、中国都市部において乳児期の孫を養育することが、祖父母の責任義務感および精神的健康に与える影響を検討した研究は、まだ見当たらない。

2.本研究の目的と意義

本研究は、精神的健康のポジティブな側面である主観的幸福感に重点を置き、孫と同居あるいは近所に住む乳児期の孫を持つ中国都市部の祖父母を対象とし、孫養育型(昼夜群、昼だけ群、育児なし群)により祖父母の責任義務感、主観的幸福感の時間経過に差があるかどうか、また孫養育型が祖父母の主観的幸福感に影響を与えるかを追跡調査により明らかにすることを目的とした。

3.研究方法

1)研究デザイン・対象者・データ収集

中国都市部の祖父母を対象に、孫の出生直後(T1)及び7ヶ月後(T2)で、自記式質問紙調査(ID付)を行った。2010年8~9月(T1)に、研究者は中国河北省のA市に在住のB病院に入院中の選択基準に合った初産婦(母親)229人に研究協力を依頼し、協力意向があった151人の母親を通して、母親と同居あるいは近所に住む母親・父親両方の祖父母417人に調査票を配布した。留置き及び郵送法により、調査票を回収した。7ヶ月後(T2)に郵送法によりT1での調査票を回収できた祖父母を対象とした自記式質問紙調査を実施した。

2)調査内容

本研究では、McCubbinの2重ABC-Xモデルを参考に概念枠組みを構築し、以下のような内容を尋ねた。母親用質問紙では、母親の属性と子ども(孫)の性別をT1のみで尋ねた。祖父母用質問紙では、祖父母・孫の属性、孫養育に関わる程度(予期・実際に負った責任義務感、孫養育型)・ライフイベント(過去半年間の出来事)、資源(経済状況・自己効力感・慢性疾患の有無・仕事の有無・サポート)、役割認識、家族機能、主観的幸福感をT1とT2で尋ねた。責任義務感は1~100点で回答を求めた。役割認識は、WeiらのGrandparent Stress and Reward Scaleで評価した。家族機能はEpstein らのFamily Assessment Device の下位尺度General Functioning(GF)で評価した。主観的幸福感はDienerのSatisfaction with Life Scale(SWLS)で評価した。

3)分析方法

男女別に、孫養育型別の責任義務感、SWLSの時間的変化については、繰り返しのある二元配置分散分析を用い、孫養育型と時間の主効果に加えて交互作用を検討した。Post-hoc検定については、Bonferroni法を用い、多重比較を行った。また、「T1のSWLS・属性」、「T2の孫養育に関わる程度・T2のライフイベント」、「T2の資源」、「T2の役割認識」、「T2のGF」の順に強制投入法によりT2のSWLSを説明する階層的重回帰分析を行った。

4.結果

1)回収状況と対象者の属性

最終的に、母親89人(有効回答率58.9%)と祖父母224人(有効回答率53.7%)を分析対象とした。母親は平均年齢27±2.6歳、修学年数14.7±2.3年、T2で66人(74.2%)が仕事に復帰しており、83人(93.3%)が育児を祖父母に頼っていた。

祖母123人と祖父101人については、それぞれの平均年齢は54.5±4.6歳と55.4±4.7歳で、修学年数は8.7±2.4年と9.8±2.9年で、T1の仕事を持つ割合は27.6%と68.3%であった。

T2の孫養育型における昼夜群と昼だけ群と育児なし群の割合は、祖母では21人(17.1%)、73人(59.3%)、29人(23.6%)で、祖父では13人(12.9%)、23人(22.8%)、65人(64.4%)であった。

2)孫養育型による祖母・祖父の責任義務感・SWLSの2時点変化の結果

繰り返しありの二元配置分散分析の結果は以下の通りであった。

祖母では、責任義務感について、孫養育型の主効果および孫養育型と調査時点との交互作用が有意であり、昼夜群と昼だけ群ではT1からT2にかけて責任義務感の得点が増加し、一方育児なし群では得点が減少した。SWLSでは、孫養育型と時間の交互作用が見られ、T1からT2にかけて、昼夜群と昼だけ群は主観的幸福感の得点は横ばいであるのに対して、育児なし群では減少していた。

祖父では、2つの変数に対しても、孫養育型と調査時点との交互作用は有意でなかった。責任義務感について、孫養育型の主効果が見られ、昼夜群、昼だけ群では調査期間を通じて、育児なし群に比べて責任義務感の得点が高かった。T1からT2にかけて、3群の責任義務感の得点は減少する傾向にあった。育児なし群の変化のみ有意であった。

3)祖母・祖父別にT2のSWLSを従属変数とした階層的重回帰

祖母と祖父の各モデルの重回帰式は共に有意であり、それぞれT2のSWLSを有意に説明していた。

祖母では「孫養育型」は最初に投入したモデルから最終モデルまでT2のSWLSを有意に予測していた。「育児なし群」は、「昼夜群」より主観的幸福感が低くなっていた。祖父では、この関係が見られなかった。

最終的重回帰モデルでは、祖母と祖父は、それぞれT2のSWLSの分散(Adjusted R2)の37.4%と41.0%を説明した。祖母では、T1のSWLS、T2のサポート、孫養育をしていること、T2の経済的ゆとりがあることが、T2のSWLSと有意な正の関連を示した。祖父では、修学年数、T2の慢性疾患、T2のGFの得点が、T2のSWLSと有意な負の関連を示した。

5.考察

本研究の対象者祖母・祖父の仕事状況及び学歴については、地域の中高年を対象とした研究結果と類似していたため、本研究の祖父母は、都市部の地域で暮らしていた一般中高年者と類似の属性を持った集団であると考えられる。

孫養育型により祖母・祖父の孫養育の責任義務感・主観的幸福感の変化の仕方が異なった。祖母の方が、孫養育を通じて責任義務感を高めてゆく傾向にあり、祖父では、調査期間を通じて責任義務感が同程度に維持されるという結果であった。これは祖母の方がより実質的に孫養育に参加しているためである可能性がある。

祖母の主観的幸福感は、T1からT2にかけて、昼夜群と昼だけ群は主観的幸福感の得点は横ばいであるのに対して、育児なし群では減少していた。孫養育により孫との親密関係が築かれるとともに、祖母としてのアイデンティティの意味づけがポジティブになることに繋がり、祖母の主観的幸福感の維持に寄与したと考えられる。一方、孫の育児なしの群では、当初予定していた孫養育の中止・中断などが生じ、孫との親密さの喪失感や孫への心配などの感情が高まることが祖母の主観的幸福感の低下に繋がっている可能性が考えられる。なお、祖父の主観的幸福感の得点は、T1からT2にかけて孫養育型の3群は同程度であった。これは、米国の祖父母を対象とした先行研究の結果と一致しており、孫養育が祖父の主観的幸福感に影響を与えにくいことを示唆している。

階層的重回帰分析の結果により、中国において、孫養育なしは、祖母のT2の主観的幸福感の低下要因であることが示された。この結果は、米国の祖母を対象とした先行研究の結果と一致しなかった。この違いは孫養育に対する文化差によるものと考えられる。米国の祖母は孫養育に不干渉の態度をとっているのに対し、本研究の祖母は子世代と孫との親密な関係を保とうという中国の文化による影響を受け、孫養育に能動的に参加したと考えられる。そのため、孫養育の負担にもかかわらず主観的幸福感が増加したと推測される。一方で、前述したような孫養育の中断による孫との親密さの喪失感や孫への心配などの感情が、主観的幸福感の低下につながった可能性もある。しかし、孫養育型は、重回帰分析でも祖父のT2の主観的幸福感に有意な寄与が見られなかった。すでに述べたように、祖父においては孫養育の有無、程度は精神的健康と関連が強くないことを示唆している。

6.実践への示唆

孫養育をすることは、祖母の主観的幸福感の増進要因であることが示された。今後、中国の祖父母の生活を支援する際に、性別や家族内での祖父と祖母の性役割を考慮した支援が必要である。

7. 結論

中国都市部の孫養育に関して、祖母では孫養育をしない場合に比べて、昼夜および昼に孫養育をすることで責任義務感が時間とともに増加するが、同時に主観的幸福感は維持されていた。孫養育をすることは祖母の主観的幸福感の増進要因であることが示唆された。祖父ではこの傾向は見られず、孫養育が祖父母の負担や幸福感に与える影響には、性差がある可能性がある。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、中国都市部の祖母123人と祖父101人を対象に、孫が生まれた直後(T1)及び7ヶ月後(T2)の2時点にて、孫養育型(昼夜群、昼だけ群、育児なし群)により祖父母の責任義務感、主観的幸福感には時間変化に伴う相違があるか、及びT1の主観的幸福感・属性をコントロールしたうえで、孫養育型が祖父母の主観的幸福感に影響を与えるかを明らかにすることを目的に、自記式質問紙調査を行った。下記の結果を得ている。

1.研究デザインの決定

米国の先行研究では、孫養育に関わる程度と精神的健康との関係を検討する際、対象孫の年齢の幅が広く、孫の発達段階に関する配慮が不十分である。また、祖父母に関する複数のパネル研究では、追跡期間中に孫養育型の変化が生じると、祖父母の抑うつ症状が悪化、改善あるいは変化はしないというさまざまな結果がでていることが報告されている。この理由として、研究の対象となった孫の年齢及び追跡期間前の孫養育型・孫養育期間の長さがさまざまであり、統一されていないことがあげられる。さらに、中国では孫の出生が家族サイクル中の大きな出来事であり、産婦(孫の母親)の体調の整えること及び継続的孫養育をめぐり、祖父母は重要な役割を果たしている。しかし、産休あけの母親が仕事に戻り、祖父母による支援がもっとも必要とされる中国都市部の乳児期の孫を養育することが、祖父母の負担感および精神的健康に与える影響については明らかにされていない。

そこで、本研究は、乳児期の孫を持つ中国都市部の祖父母の孫養育に焦点を当て、調査時点前の継続的孫養育の影響を除くため、祖父母が孫養育をしていない状態を調査のスタートラインとして、孫養育が経時的祖父母の主観的幸福感に与える影響を検証することにした。

2.結果の要旨

1) 孫養育型により祖母・祖父の責任義務感・主観的幸福感の2時点変化の結果

孫養育型により祖父母の孫養育の責任義務感、主観的幸福感の変化が異なる場合があることが示された。繰り返しありの二元配置分散分析の結果は以下の通りであった。

祖母では、責任義務感について、孫養育型の主効果および孫養育型と調査時点との交互作用が有意であり、昼夜群と昼だけ群ではT1からT2にかけて責任義務感の得点が増加し、一方育児なし群では得点が減少した。主観的幸福感では、孫養育型と時間の交互作用が見られ、T1からT2にかけて、昼夜群と昼だけ群は主観的幸福感の得点は横ばいであるのに対して、育児なし群では減少していた。

祖父では、2つの変数に対しても、孫養育型と調査時点との交互作用は有意でなかった。責任義務感については、孫養育型の主効果が見られ、昼夜群、昼だけ群では調査期間を通じて、育児なし群に比べて責任義務感の得点が高かった。T1からT2にかけて、3群の責任義務感の得点は減少する傾向にあった。育児なし群の変化のみ有意であった。主観的幸福感については、孫養育型と調査時点の主効果は有意でなかった。

2)祖母・祖父別にT2の主観的幸福感を従属変数とした階層的重回帰分析の結果

祖母では「孫養育型」は最初に投入したモデルから最終モデルまでT2の主観的幸福感を有意に予測していた。祖母において、孫養育型の昼夜群は、育児なし群よりT2の主観的幸福感が高くなっていた。昼だけ群でも、育児なし群より主観的幸福感が高い傾向にあった。しかし祖父においては、孫養育型はT2の主観的幸福感と有意に関連しなかった。

最終的重回帰モデルでは、祖母と祖父は、それぞれT2の主観的幸福感の分散(Adjusted R2)の37.4%と41.0%を説明した。祖母では、T1の主観的幸福感、T2のサポート、孫養育をしていること、T2の経済的ゆとりがあることが、T2の主観的幸福感と有意な正の関連を示した。祖父では、修学年数、T2の慢性疾患、T2の家族機能の得点が、T2の主観的幸福感と有意な負の関連を示した。

3)実践への示唆

孫を養育しないことは、祖母の主観的幸福感の阻害因子であることが示された。今後、中国の祖父母の生活を支援する際に、性別や家族内での祖父と祖母の性役割を考慮した支援が必要である。

以上、本研究はこれまで検討されていない祖父母による支援が必要とされる乳児期の孫を養育することが、経時的祖父母の主観的幸福感に与える影響を明らかにした前例のない研究である。今後、中国の祖父母の生活を支援する際に、孫養育を通じた精神的健康の増進について具体的検討を進めるうえで重要な貢献をすると思われ、学位の授与に値するものと考えられる。

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