学位論文要旨



No 128306
著者(漢字) 玉井,奈緒
著者(英字)
著者(カナ) タマイ,ナオ
標題(和) 乳癌癌性創傷の周囲皮膚炎における滲出液の影響
標題(洋)
報告番号 128306
報告番号 甲28306
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第3965号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 上別府,圭子
 東京大学 講師 村山,陵子
 東京大学 教授 光嶋,勲
 東京大学 准教授 小川,利久
 東京大学 講師 多田,敬一郎
内容要旨 要旨を表示する

序論

乳癌の多くは女性に発症し、2008年の調査では世界で年間約138万人が新たに乳癌と診断されているが、早期発見や治療法の開発により、乳癌の再発あるいは転移と共存しながら長期生存する患者が増えている。

乳癌の転移部は多岐に渡るが、特に皮膚への浸潤・転移は、患者の女性らしさや社会性へ影響を及ぼす。中でも癌が皮膚を破り創傷を形成したものは「癌性創傷」と呼ばれる。乳癌癌性創傷を保有する患者の症状は疼痛、滲出液、悪臭、出血、周囲皮膚に関係した問題などが報告されており、患者はケアに難渋し、QOLは著しく損なわれる。特に滲出液や滲出液に伴う周囲皮膚炎については、既存の軟膏や被覆材、処置方法では十分な対応ができていない。これらの問題を解決するため、本研究においては、創周囲皮膚の実態を明らかにし、滲出液による周囲皮膚炎に関係する要因や滲出液成分を同定することとした。

第1章 乳癌癌性創傷における滲出液による周囲皮膚炎の実態と要因

背景

先行研究では、乳癌を含む癌性創傷患者の臨床上の問題の1つとして皮膚炎が挙げられているが、これまで乳癌癌性創傷周囲皮膚炎の実態および発生要因に関して詳細に検討された報告はない。周囲皮膚炎の実態が不明であった理由として、患者の羞恥心や恐怖感に加えて、「不治の創傷」に対する医療者側の認識の当惑・混乱があったと思われる。しかし日常的な創傷ケアを通して患者との信頼関係を構築できる看護研究者は、周囲皮膚の実態を詳細に観察し、その形態的特徴を記述により把握することのできる重要な立場にあると言える。

以上より、第1章の目的は、乳癌癌性創傷を保有する患者の周囲皮膚の実態を詳細に記述することで、周囲皮膚炎の形態的特徴を抽出すること、さらに滲出液による周囲皮膚炎に関係する要因を検討することとした。

方法

データ収集期間は2010年2月から2011年6月であった。対象者は都内にある総合病院のブレストセンターを受診し、創傷処置が必要な癌性創傷を保有する女性乳癌患者とした。

乳癌癌性創傷周囲皮膚炎の形態的特徴の抽出:質的記述的研究を用いた。対象者の概要は診療録より情報収集した。創処置時の参加観察において創部及び創周囲皮膚をデジタルカメラで撮影すると共に、肉眼的観察及び触診を行った。データ分析は質的記述的研究のプロセスに従い、写真から創周囲皮膚の状態を忠実にスケッチし、肉眼的観察及び触診を含めた所見を詳細に言語化した。言語化した内容から、創周囲皮膚の形態的特徴を示す最小の意味単位の記述を抽出し(コード化)、同じ意味を持つものに分類(サブカテゴリー化)、さらに共通項でまとめてカテゴリー化を行った。これらのプロセスにより、周囲皮膚の形態的特徴を抽出した。得られた結果は質的研究の評価基準に則り、信憑性、移転可能性、確認可能性を検証した。特に周囲皮膚炎の原因の判定には、調査施設以外の皮膚科医1名と創傷ケアの教育研究者1名の診断を受けた。

滲出液による周囲皮膚炎に関係する要因の検討:横断的観察研究であり、各要因に関する項目は、先行研究を参考に、乳癌癌性創傷、治療内容、局所管理、身体・生活状況に関して、診療録と参加観察、構造化面接によって情報収集した。分析は、滲出液による周囲皮膚炎の有無別で、各要因に関する項目を比較した。本研究は東京大学医学部倫理委員会の承認を得て実施した。

結果

分析対象者は24名であり、年齢は、62.0(36-81)歳、乳癌罹患期間は57.5(3-161)ヶ月、皮膚浸潤・転移罹患期間は14.5(1-87)ヶ月であった。

乳癌癌性創傷周囲皮膚の形態的特徴:写真のスケッチと言語化より、質的記述的に内容を分析した結果、177個のコードからサブカテゴリー17個、カテゴリー3個が生成された。乳癌癌性創傷周囲皮膚の形態的特徴は、皮膚病変の【種類】、【形状】、【部位】の3つのカテゴリーに分類された。<色素沈着>、<紫斑>、<紅斑>、<紫斑を伴う紅斑>、<膨隆疹を伴う紅斑>、<糜爛を伴う紅斑>、<水疱・膿胞・痂皮・糜爛を伴う紅斑>の7個のサブカテゴリーから【種類】というカテゴリーが生成された。<被覆材に一致した放射形>、<被覆材からはみ出る半紡錘形>、<テープに一致した線形>、<皮下腫瘤一致形>、<全身に拡がる不整形>の5個のサブカテゴリーから【形状】というカテゴリーが生成された。<創から離れたテープに一致した部位>、<創辺縁部>、<乳房辺縁部>、<皮下腫瘤隆起部>、<体幹全面:鎧状癌>の5個のサブカテゴリーから【部位】というカテゴリーが生成された。詳細な参加観察と皮膚科医・創傷ケアの教育研究者による診断の結果、<被覆材に一致した放射形>と<被覆材からはみ出る半紡錘形>が滲出液による周囲皮膚炎に特徴的な形態であると判定された。

乳癌癌性創傷の滲出液による周囲皮膚炎に関係する要因の抽出:上記基準に基づく滲出液による周囲皮膚炎あり群では、なし群と比較して、厚みのある黄色や黒色壊死組織を観察した対象者が有意に多く(χ2=5.22、P=0.048)、滲出液漏れも11名(78.6%)と有意に多かった(χ2=7.078、P=0.013)。また滲出液量も周囲皮膚炎あり群で有意に多い傾向を認めた(χ2=4.41、P=0.066)。

考察

本研究で抽出された乳癌癌性創傷における滲出液による周囲皮膚炎の形態的特徴のうち、特に<被覆材からはみ出る半紡錘形>はこれまでの創傷において報告がなく、乳癌癌性創傷に特徴的な新しい知見と言えた。これは特に<乳房辺縁部>に見られる頻度が多かったことから、創部から外方向へ向かって、乳房辺縁に沿う形で被覆材から滲出液が漏れ出ていることが関係していると考えられた。<被覆材に一致した放射形>と合わせ、滲出液による周囲皮膚炎の形態的特徴が抽出されたことは、今後看護師が、これらを癌の浸潤やその他の原因による皮膚炎と鑑別する上で有用な知見と考えられた。

また滲出液による周囲皮膚炎に関係する要因として、厚みのある黄色や黒色壊死組織の付着と滲出液漏れに関係を認めた。このことから滲出液量だけでなく、壊死組織に付随する代謝産物が滲出液中に含まれ、皮膚に付着することで皮膚炎を起こした可能性が考えられた。

第2章 乳癌癌性創傷における周囲皮膚炎と滲出液成分の関係

背景

第1章の結果より、乳癌癌性創傷の周囲皮膚炎と滲出液成分の関係に着目した。滲出液は創傷治癒に重要な働きをもつが、慢性創傷では治癒を遅延させる成分が含まれていることも知られている。実際に滲出液の刺激に起因すると考えられる皮膚炎の症例報告はあるが、その原因成分に関しては不明であり、癌性創傷に限らず、一般に創傷の滲出液中の成分と周囲皮膚炎との関係を明確にした先行研究はない。

本研究では、乳癌癌性創傷の病態生理から、癌の増殖、低酸素、壊死の3つの過程に関与し、かつ周囲皮膚炎を惹起する可能性のある滲出液成分を測定することとした。測定成分の候補として挙げたものは、細胞増殖に必須な物質であるプトレスシン(PUT)、スペルミジン(SPD)、スペルミン(SPM)などのポリアミンと、その代謝物で細胞毒性の強いアクロレイン、また低酸素状態に反応して発現や活性化が促され、乳癌の浸潤や細胞外マトリックスの分解に携わるMMP-2とMMP-9、壊死組織に感染する細菌によって合成されるポリアミンの一種カダベリン(CAD)であった。さらに皮膚への影響が大きいとされるpHも測定項目に挙げた。以上述べた滲出液成分と乳癌癌性創傷周囲皮膚炎との関係を明らかにすることを第2章の目的とした。

方法

第1章の対象者のうち、分析可能な量の滲出液が採取できた20名を対象に横断的観察研究を行った。創処置の際に創部・周囲皮膚のpHを測定し、細菌培養検査と被覆材による滲出液の採取を行った。滲出液サンプルの解析には、ゼラチンザイモグラフィー法、高速液体クロマトグラフィー法(HPLC)、ELISA法を用いた。統計学的分析は、第1章の基準に基づいて、滲出液による周囲皮膚炎の有無別に各項目を比較した。倫理的配慮は第1章に従って実施した。

結果

対象となった20名のうち、滲出液による周囲皮膚炎ありは14名、周囲皮膚炎なしは6名であった。周囲皮膚炎あり群は周囲皮膚炎なし群と比較して、滲出液中の成分であるPUT、CADが有意に高かった(PUT:P=0.008、CAD:P=0.016)。また有意差はなかったものの、アクロレイン量は5名が高値を示し、そのうち4名に皮膚炎が生じていた。滲出液と周囲皮膚のpHは両群間で有意差を認めなかったが、どちらも塩基性に傾いていた。

考察

本研究において、滲出液中のPUTとCADが有意に周囲皮膚炎あり群で高いという新たな知見を得たことは極めて意義深い。PUTはラットの皮下投与で発赤が生じたという報告がある一方で、投与により炎症が軽快するという報告もあり、今回の結果のみからPUTが皮膚炎の原因成分であるとは判断できない。一方CADは細菌のみが合成するため、細菌感染のマーカーと考えられ、看護師が感染への介入や皮膚炎の予防が必要な症例を選別する上で有用と思われる。さらにアクロレインは両群間で有意差を認めなかったが、高値を示した例で糜爛を呈した者がいたことから、皮膚炎発症に関与する滲出液成分の一つである可能性は否定できず、今後多症例・縦断研究での更なる検討を要する。

結論

本研究の知見を今後の創傷ケアに活かすには、壊死組織が付着した癌性創傷患者を対象として、PUT、CADあるいはアクロレインなどの測定結果を踏まえ、細菌感染に対するより高度な介入方法や、ポリアミン合成・アクロレインへの代謝をブロックする新たなケア方法を開発する必要がある。

以上第1・2章を通じ、本研究は臨床の事象の把握から分子レベルでのメカニズムの解明への道筋を辿ったものであり、創傷看護学におけるトランスレーショナルリサーチを体現したものと言える。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は乳癌癌性創傷における周囲皮膚炎の実態を明らかにするため、乳癌癌性創傷周囲皮膚の状態を記述することにより、滲出液による周囲皮膚炎の形態的特徴を抽出し、さらに身体あるいは生活状況、局所管理等の情報に加えて滲出液成分の解析を試みることで、滲出液による周囲皮膚炎に関連する要因に関して下記の結果を得ている。

1.乳癌癌性創傷周囲皮膚の形態的特徴の質的記述的分析では、コードが177個抽出され、それらを集約し、<色素沈着>、<紫斑>、<紅斑>、<紫斑を伴う紅斑>、<膨隆疹を伴う紅斑>、<糜爛を伴う紅斑>、<水疱・膿胞・痂皮・糜爛を伴う紅斑>の7個のサブカテゴリーから【種類】というカテゴリーが生成された。<被覆材に一致した放射形>、<被覆材からはみ出る半紡錘形>、<テープに一致した線形>、<皮下腫瘤一致形>、<全身に拡がる不整形>の5個のサブカテゴリーから【形状】というカテゴリーが生成された。<創から離れたテープに一致した部位>、<創辺縁部>、<乳房辺縁部>、<皮下腫瘤隆起部>、<体幹全面:鎧状癌>の5個のサブカテゴリーから【部位】というカテゴリーが生成された。特に乳癌癌性創傷の滲出液による周囲皮膚炎の新たな形態的特徴として、<創辺縁部>あるいは<乳房辺縁部>にある<被覆材からはみ出る半紡錘形>の<紅斑>という形態が抽出された。

2.滲出液による乳癌癌性創傷周囲皮膚炎に関係する要因として、厚みのある黄色壊死組織や黒色壊死組織、滲出液漏れが関係していることが示された。さらに滲出液の量も関係のある傾向があることが明らかとなった。

3.乳癌癌性創傷における滲出液による周囲皮膚炎と滲出液中に含まれる活性型MMP-2及び活性型MMP-9の相対値に有意差はなかった。また周囲皮膚炎の有無に関わらず、活性型MMP-2の発現は認められなかった。

4.乳癌癌性創傷周囲皮膚炎と滲出液中に含まれるポリアミンのうち、プトレスシンとカダベリンが関係していることが示された。特にカダベリンは周囲皮膚炎あり群でのみ検出されており、原核生物しか合成できないカダベリンを検出した症例は、カダベリンを検出しなかった症例に比べて黄色壊死組織や黒色壊死組織が創部に厚く付着していることが明らかとなった。またポリアミンの代謝産物であり、細胞毒性の強いアクロレインを一部の患者の滲出液より検出することができた。

5.周囲皮膚炎あり群では創部より、嫌気性菌や腸内細菌を検出した対象者が多く、周囲皮膚炎なし群は嫌気性菌・腸内細菌は検出されなかった。

6.周囲皮膚炎と有意な関係を認めなかったものの、乳癌癌性創傷の滲出液及び創周囲皮膚は塩基性に傾いていた。

以上、本論文は乳癌癌性創傷における周囲皮膚の詳細な記述から、周囲皮膚で生じている皮膚炎の形態的特徴を抽出するとともに、ケアへの参加観察や構造化面接に加えて滲出液の成分分析から、滲出液による周囲皮膚炎に関係する要因を明らかにした。本研究はこれまで癌による皮膚の変化と混同され、十分明らかにされてこなかった乳癌癌性創傷の滲出液による周囲皮膚炎の重症化あるいは発生予防における看護ケアの発展に重要な貢献を成すと思われ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク