学位論文要旨



No 128309
著者(漢字) 堀田,久美
著者(英字)
著者(カナ) ホッタ,クミ
標題(和) 分娩による肛門括約筋裂傷の実態と発生要因に関する研究
標題(洋)
報告番号 128309
報告番号 甲28309
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第3968号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 真田,弘美
 東京大学 講師 岩佐,一
 東京大学 特任講師 峰松,健夫
 東京大学 准教授 秋下,雅弘
 東京大学 講師 亀井,良政
内容要旨 要旨を表示する

背景 : 経膣分娩に伴う肛門括約筋裂傷は、肛門失禁の主要な原因であると言われている。(Burnett 1991, Ringer 1996)。分娩により肛門括約筋裂傷が生じると、その約1/3が産後早期に肛門失禁を発症し、6年後には発症者が半数に及ぶとされている(Damon 2005)。肛門括約筋裂傷が原因の肛門失禁を予防するためには、肛門括約筋裂傷を早期に発見して対処を開始すること、そして肛門括約筋裂傷の分娩による発生を予防する方策を検討することが必要である。

通常、産後の肛門括約筋裂傷は、会陰裂傷の診断分類で判断し、第3度会陰裂傷または第4度会陰裂傷(以後「高度会陰裂傷」と記載する)があった場合を肛門括約筋裂傷ありと評価している。高度会陰裂傷の頻度は経膣分娩の0.6~7.3%(Sultan 1994, Eskandar 2009, Kudish 2008, Dandolu 2005)と報告されているが、超音波検査で肛門括約筋を評価すると、高度会陰裂傷と診断されていない女性にも肛門括約筋裂傷が生じていることがわかり、このような肛門括約筋の潜在的な裂傷(以後「潜在裂傷」と記載する)の頻度は11~41%と報告されている(Sultan 1993, Pinta 2005, Rieger 1998, Varma 1999, Williams 2001, Nazir 2002, Willis 2002)。

肛門失禁予防の原因となっているのは、高度会陰裂傷だけではなく潜在裂傷も含まれるが、潜在裂傷の評価に使用する超音波検査機器を分娩を取り扱う全施設に導入することは実現可能性が低いため、まずは肛門括約筋裂傷の発生要因から、肛門括約筋裂傷の可能性が高く精査が必要な対象者を選別することが望ましいと考える。

しかし、これまで潜在裂傷を含めた検討は十分にされていない。そこで、本研究では、3D-経会陰超音波により肛門括約筋裂傷の評価を行い、肛門括約筋裂傷の実態と発生要因を明らかにして、その結果を分娩経過に伴って変化する産道の形態と分娩介助技術の視点から検討することで、助産技術の改善への示唆を得たいと考えた。

目的 : (1)超音波により分娩による肛門括約筋裂傷の実態を明らかにすること。

(2)肛門括約筋裂傷と分娩三要素および分娩経過に関する項目の関係を検討し、肛門括約筋裂傷の発生要因を明らかにすること。

方法 : 産婦人科病院1施設で、平成22年7月~平成23年7月までの1年間、初産婦を対象として研究を行った。肛門周囲の手術の既往がある女性、未成年、妊娠末期の3D-経会陰超音波検査で肛門括約筋裂傷があった女性、帝王切開や骨盤位で出産した女性、担当看護師が対象者として不適切であると判断した女性は除外した。研究遂行にあたり、東京大学医学系研究科・倫理委員会(受付番号 2894)および社会保険中央総合病院倫理委員会の承認を得た。

対象者の属性や妊娠経過などの基本情報は、病院診療録から収集した。分娩の状況は、病院診療録から収集すると共に、努責を開始した時間や児娩出時の体位など診療録に記載されない情報は分娩介助を行った助産師が収集した。

肛門括約筋裂傷の評価は、3D-経会陰超音波で妊娠末期と産後入院中に実施した。肛門括約筋の評価範囲は、肛門管中位レベルとし、肛門管の横断面で肛門端より1mmごとの横断面の画像から肛門括約筋が正常であるかを判断した。内肛門括約筋は、低エコーでほぼ黒色に描出されるリングが連続した輪状に観察された場合を正常と判断した。外肛門括約筋は、高エコーと低エコーの混合画像として、やや粗い白色に描出される外肛門括約筋の、内肛門括約筋との境界部分が連続して輪状に観察された場合を正常と判断した。正常ではないと判断された画像は、その画像番号と方向を記録し、隣り合った画像をあわせて確認し、肛門括約筋裂傷の有無を評価した。

結果 : 妊娠末期の妊婦健診来院時に研究協力の同意が得られた女性は307名で、そのうち対象者基準に適合した262名を対象とした。対象者の年齢は29.5±4.9歳(平均±標準偏差)で、非妊時のBMIは、20.3±2.3kg/m2、児の出生体重は3030±309gだった。器械分娩は27名(10.3%)、クリステル胎児圧出法の実施は78名(29.8%)、陣痛促進剤の使用は119名(45.4%)だった。会陰切開は236名(90.1%)に実施され、そのうち2名(対象者の0.8%)が切開創の延長によって第3度会陰裂傷となり、第4度会陰裂傷はいなかった。会陰切開なしで第3度となった対象者はいなかった。

対象者262名のうち76名(29%)に肛門括約筋裂傷があり、そのうち内肛門括約筋・外肛門括約筋両方の裂傷が21名(27.6%)、外肛門括約筋のみが51名(67.1%)、内肛門括約筋のみが2名(2.6%)だった。裂傷は全てが膣側に生じており、母体の右方向が7名(9.2%)、上方向が27名(35.5%)、左方向が40名(52.6%)だった。肛門括約筋裂傷の左右方向は、会陰切開の方向と同じ方向であった(p=0.003)。外肛門括約筋裂傷の範囲が、肛門管中位レベル全域に渡っていたのは22名(29.7%)で、内肛門括約筋裂傷の範囲が肛門管中位レベル全域に渡っているものはなかった。部分的な範囲での裂傷は、外肛門括約筋、内肛門括約筋ともに直腸側に生じていた。

従属変数に肛門括約筋裂傷の有無、独立変数に年齢、身長、クリステル胎児圧出法の有無、器械分娩の有無、児体重、子宮口全開大から排臨までの所要時間60分以上の有無、排臨から発露までの所要時間10分未満の有無の7変数を強制投入し、多変量ロジスティック解析でクリステル胎児圧出法あり(オッズ比2.547、95%CI:1.024-6.332, p=0.044)、子宮口全開大から排臨までの所要時間60分以上(オッズ比3.071, 95%CI:1.250-7.543, p=0.014)、排臨から発露のまで所要時間10分未満(オッズ比37.612, 95%CI:16.219-87.219, p<0.001)が肛門括約筋裂傷と有意に関連があった。

考察 :本研究は、経腟分娩の初産婦を対象とし、肛門括約筋裂傷を会陰裂傷の診断分類から評価した高度会陰裂傷だけではなく、3D経会陰超音波を使用して潜在的な肛門括約筋裂傷も含めて評価し、その実態と発生要因を明らかにした初めての報告である。肛門括約筋裂傷による肛門失禁の原因は、高度会陰裂傷だけではなく潜在裂傷も含まれることから、肛門括約筋裂傷の全体を網羅して得た本研究の成果は、肛門失禁の予防や対策への手掛かりとなると考えられる。また分娩状況についての詳細な情報を併せて検討したことにより、肛門括約筋裂傷の発生機序を推察することができ、助産技術改善への新たな知見を得た。

肛門括約筋裂傷の発生は、会陰裂傷の診断分類とは有意な関係がなく、潜在裂傷は高度会陰裂傷を見逃しではなかった。肛門括約筋裂傷の発生に有意に関連したのは、クリステル胎児圧出法あり、子宮口全開大から排臨までの所要時間60分以上、排臨から発露までの所要時間10分未満の3変数であった。肛門括約筋裂傷の状態や発生要因から、肛門括約筋裂傷には肛門括約筋の膣側の直腸に近い部分への負荷が関わっていることが推察された。この部分に隣接する筋肉は、前方が深会陰横筋、浅会陰横筋であり、後方が恥骨直腸筋である。これらの筋肉の児頭の下降に伴う外肛門括約筋との接合部分への牽引の負荷が、肛門括約筋裂傷を発生させたと推察された。肛門括約筋裂傷の発生には、筋肉を伸展させる速さや力の大きさが関与している事が考えられた。

クリステル胎児圧出法による出産や排臨から発露の時間が短かった女性には、超音波検査を実施して肛門括約筋を早期に発見し、その後の支援へつなげることが必要である。そして、肛門括約筋裂傷発生に関わるクリステル胎児圧出法などの処置が必要な分娩に至らないように妊娠中の準備をすすめ、分娩介助においては肛門管周辺の筋肉の十分な伸展を待つために排臨から発露の時間が急速にならないよう、児の健康状態を見極めたうえで児頭娩出の速さを調節し、肛門括約筋に急激な強い負荷がかからないように配慮するなど、助産技術改善に努めることが必要である。

結論:本研究により、わが国の一般的な経腟分娩の初産婦では、肛門括約筋裂傷は29%に発生しており、その97.4%は潜在肛門括約筋裂傷であることがはじめて明らかになった。また、肛門括約筋裂傷の分娩時の要因として、クリステル胎児圧出法あり、子宮口全開大から排臨までの所要時間60分以上、排臨から発露までの所要時間10分未満が肛門括約筋裂傷と有意な関連を示し、児頭の速い産道通過と強い外力が関わっていることがわかった。この結果は、潜在裂傷を含めた肛門括約筋裂傷全体を網羅しての検討であり、肛門括約筋裂傷の一部である高度会陰裂傷から得られていたこれまでの知見に比べ、肛門括約筋裂傷が原因の肛門失禁の予防および対策に対して、より利得をもたらすと考えられる。

なお、肛門括約筋裂傷の方向は腟側で、肛門括約筋裂傷の範囲は直腸側にあり、肛門括約筋裂傷の左右方向と会陰切開の左右は一致していたことが明らかとなった。この肛門括約筋裂傷の状態の特徴と分娩状況についての詳細な情報から、肛門括約筋裂傷の発生には、外肛門括約筋への負荷の不均衡や肛門括約筋に隣接する筋肉の伸展が関与している可能性が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、分娩による肛門括約筋裂傷が原因の肛門失禁予防にむけて、分娩時の肛門括約筋裂傷の予防と早期発見のために、肛門括約筋裂傷の発生要因を明らかするとともに、肛門括約筋裂傷の状態から肛門括約筋裂傷の発生機序を検討することを目的として行われた研究である。

経腟分娩の初産婦を対象として、超音波検査で分娩による肛門括約筋裂傷を正確に評価し、第3度・第4度会陰裂傷だけではなく、潜在的な肛門括約筋裂傷も含めた肛門括約筋裂傷全体の実態を把握した。さらに、詳細な分娩状況と肛門括約筋裂傷の有無およびその状態を検討した事によって、以下の新しい知見を得ている。

1.わが国の一般的な経腟分娩の初産婦では、肛門括約筋裂傷は29%に発生して おり、その97.4%は潜在的な肛門括約筋裂傷であることがはじめて示された。

2.多数の対象者の分析から、肛門括約筋裂傷の分娩時の要因として、クリステル胎児圧出法あり、全開~排臨60分以上、排臨~発露10分未満が肛門括約筋裂傷と有意な関連を示し、児頭の速い産道通過と強い外力が関わっていることが示された。

3.肛門括約筋裂傷の方向は腟側で、肛門括約筋裂傷の範囲は直腸側にあり、肛門括約筋裂傷の左右方向と会陰切開の左右は一致していた。この肛門括約筋裂傷の状態の特徴と分娩状況についての詳細な情報から、肛門括約筋裂傷の発生には、外肛門括約筋への負荷の不均衡や肛門括約筋に隣接する筋肉伸展の関与の可能性が示唆された。

以上、本論文は初産婦における分娩による肛門括約筋裂傷の発生要因を明らかにし、その発生機序の解明の一助となる肛門括約筋裂傷の状態を示している。また、潜在的な肛門括約筋裂傷を含めて肛門括約筋裂傷の要因を検討した初めての研究であり、診療録からの調査では得られない詳細な分娩状況を把握して検討したことにより、助産技術改善への具体的な示唆が得られている。本研究で示された結果は、肛門失禁の予防に向け重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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